叶わぬ思いが夢になる時|実現することのない夢

人は、様々な願望を抱きます。

しかし、大抵は、実現出来ないと分かって
いる願望を持つことはありません。
例えば、” 世界征服したい ” などという
願望は、普通なら誰も持たないでしょう。

ならば、人は非現実的な願望を持つことは
無いのでしょうか?

言い換えるならば、非現実的な願望が夢に
なることは無いのでしょうか?

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秘めたる思い

次は、とある男性の見た夢の一例です。

車を運転している。
後部座席に友人が座っている。
 
助手席には友人の妻が座っている。
 
途中で友人が ” 用があるから ”
と言って車を降りる。
 
友人の妻はカーナビで
近くの教会を検索し、設定している。

友人夫婦を乗せてドライブをしているという
日常的な雰囲気の夢です。

この夢を見た男性と夢の中に登場する友人は
古くからの付き合いで、友人が結婚して
からも、夫婦ぐるみの付き合いをしている
ということでした。

この夢の中で、一つ、不自然な設定に
気づかれたかもしれません。

なぜ、夫婦揃って、
後部座席に座っていないのでしょう?
もしくは、友人が助手席、友人の妻が
後部座席でもない。

彼の夢なのでハンドルを握っているのが
彼であるのは自然ですが、他二人の配置が
妙に感じます。

まず、この配置について考えられるのは、
現実、三人で行動する場合、いつもそういう
形で車に乗るという習慣的なものなら特に
深い意味はないでしょう。

ただ、彼の話では三人で実際に車に乗って
どこかに出かけたことは一度も無いという
ことでした。

そして、後部座席の友人が途中で降りて
しまう。

もちろん、夢の中のことですから、本当に
用事があって降りたわけではありません。
夢の作り手である彼が、あえて、友人を
途中で降ろすストーリーにしているのです。

そして、車内に残ったのは彼と友人の妻
の二人。友人の妻がカーナビの目的地に
” 教会 ” を設定しています。

彼女のこの行動は何を意味しているのか?

彼女のとった行動は、彼が書いた脚本に
従っているだけです。つまり、教会を
目的地に設定しているのは彼自身。

別にハンドルを握っているから、
手が離せないというわけではない。

友人の妻にカーナビを設定させることで
” 自分の意思で行くわけじゃない ”
と、夢の本当の意味をカモフラージュ
しているのです。

キリスト教の信仰者でない限り、教会は
日本人にはあまり馴染みのない場所。
懺悔する以外に用があるとすれば、挙式を
上げるときでしょう。

彼は、助手席に座った友人の妻と教会に
向かって車を走らせている。ここまでの
流れから見る限り、その目的は明白です。

この夢は、彼の内に秘めたる思いを
描いているのです。

叶わぬ願望の行く先

ただ、彼が、夢の中で結婚しようとして
いる女性が、現実世界では、友人の妻である
という事実は変わりません。

彼自身も、それが実現することのない願望
だということは、無論、自覚しています。

つまり、彼が心の奥底で抱いてしまった
不謹慎な願望を潜在意識が夢という
形にして、解消しようとしているのです。

友人の妻に目的地を設定させるという点、

そして、あたかも、友人がたまたま用事で
降りたせいで車内に二人きりになるという
偶然を装っている点からも、
自分の ” 秘めたる思い ” に後ろめたさを
感じている心理が表れています。

時に人は、実現不可能な願望を持つことが
あります。

実現することはないと分かっていても、
” だったらいいな・・” という単なる妄想
として、心の奥底に叶わぬ思いを抱く。

それが、実際に不可能だからといって
夢にはならないとは限りません。

鳥のように空を飛んでみたいと思えば、
いつか空を飛ぶことになるでしょう。
好きな芸能人がいたら、いつか夢の中で
会うかもしれません。

20代をもう一度やり直したいとか、
意地悪な上司の首を絞めたいとか、休暇を
取って三カ月ほど海外に住みたいとか、
人は現状では到底無理だと思われる願望を
日常的に抱きながら人生を生きている。

色々な大人の事情があって叶えることが
出来ない願望が、私たちの心の中には
常にあるのです。

そして、心の負荷を少しでも減らすために、
それが夢として表れ、疑似体験によって
解消される。

夢とは、叶わぬ願望を吸収してくれる
緩衝材のような役割を持っている。

幻想的願望

例えば、受験生が入試テストを受けて
合格する夢を見たとしましょう。

もし、それが彼の実力からして、
到底叶わない目標ならば、夢の中の合格は
幻想だと考えることが出来ます。

潜在意識が、いずれ不合格通知を見た彼が
落ち込むことを知った上で、せめて、
夢の中だけでも元気づけようと合格の夢を
作った。

逆夢の原理です。

では、受験生の合格する夢は、必ず不合格
の暗示ということになるのでしょうか?

いいえ。

夢の内容がどうであれ、自分の実力が
合格基準に達している自信があるなら、
合格することは必然です。それは、
わざわざ夢を分析して判断するまでもない
明白な事実。

人は、様々な願望を抱きます。

そして、その願望の一部が夢として映像化
される。その全ては ” 未達成の願望 ” です。

願望は叶えば消えますから、無論、叶った
願望が夢になることは無い。

映像化された願望は、その後、叶うことも
あれば、叶わずに終わることもある。

それは、夢によってもたらされた結果
ではなく、あくまで、その人の行動によって
招く結果です。

大切なのは、花びらを一枚一枚ちぎって、
結果を知りたがることではありません。
自分の望む結果を出すために行動する
ことです。

無論、今回の夢のように叶わぬ願いは
現実としてある。

今回の夢を見た彼がすべきことは、幻想を
打ち消し、新しい可能性を見つけること。

幻想的願望に囚われ続けることは、結果、
新しく生まれる願望を殺すのですから。

 

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