恋愛とメンタリズム|愛を見極めたい人へ

意識することなく、自然に日常の中で
様々な形で恋人をテストする。

週に何度メールが来るかとか、
話すときの視線がどうだったとか、
呼んだときの返事の抑揚とか、
何を褒め、何を褒めなかったのかとか、

こうした相手の一挙手一投足でその心理を
読み取ろうとする行為。この心理テスト
にも似たいわゆる ” 駆け引き ” で、
正確な答えが導けるのでしょうか?

もしかしたら、テストを行う前提条件
そのものが間違っている可能性もあります。

こうした男女間でよくありがちな心理的
駆け引きとは、日常に散りばめられた
小さな心理テストの集まりです。

広告

永久に不確かなもの

巷でも ” メンタリスト ” と呼ばれる
行動心理学のプロが存在します。彼らは、
テストをするために必要な前提条件や
ルールを熟知した上で、人間の行動から
その心理を読む。ただ、それは、全てに
通用するアプローチというわけではない。

例えば、各国首脳の演説から国際政治を
分析するのは容易ではありません。

演説の途中で、何回、水を飲んだとか、
目線は右上だったか、左上だったかという
” 仕草 ” だけで判断できることは限られて
います。

政治には様々な要素があるので、
メンタリストよりは、常に世界情勢を
ウォッチしているジャーナリストや、
政治評論家の方が、当然、世界の動き
には詳しい。

目の動きや仕草のみで判断出来るとすれば、
ビジネスの交渉やゲームなど、白黒が
はっきりしており、どちらを選ぶかといった
限定された結果に対してだけです。

無論、白いキャンバスの上に芸術家が
何を描くかまでは分かりませんし、
その作品が、どんなコンセプトで描かれて
いるのかも推測出来ない。芸術評論家を
除いて。

難しいオペを行っている外科医が次に
何をするかを推測することは出来ないが、
多分、介助をするベテランの看護師なら、
それが分かるでしょう。

要するに、仕草や態度といった材料だけで
分析できることには限界があり、
メンタリズムは、一定のルール範囲内
でしか効果を得られないということです。

もし、リアクションが限定された範囲なら、
メンタリズムによって正確な答えが得られる
かもしれない。

例えば、他の異性と仲良くして、
恋人の反応を観察してみましょう。

何の反応も無い場合、
愛情が無い、ということでしょうか?

もしかしたら、100%信じているのかも
しれませんし、その異性との間に発展は
ありえないと思っているのかもしれない。

もしくは、
” 君の馬鹿げたテストには付き合わないよ ”
という冷ややかなメッセージなのかも
しれませんし、単純に鈍感なだけなのかも。

このテストで得られる結果と言えば、
” このシチュエーションなら、反応したか、
しないのか ” それだけです。それは、
単なる事実確認でしかない。

愛情とは、心です。そして、心は科学的に
証明不可能。それでも恋愛においては、
誰もが ” 愛 ” の確証を欲しがるものです。

科学ですら証明できない現象を仕草や視線、
表面的な言動だけで推し量ることは、まず、
無理でしょう。つまり、その愛が本物か
どうかは、永久に不確かのまま。

ただ、唯一、100%ではないが確かめる
方法があるとしたら ” 対話 ” だと思います。

それは、会話に限ったことではありません。
長い間、その人と付き合っていくという
ことです。人を理解するには時間がかかる。
何年、いや、何十年かも。

その時点で、テストの対象と共に人生を
歩んでいくことになるでしょう。無論、
その間に人は変わっていく。

つまり、それが真実の愛かどうかを
序盤で見極めることは、ほぼ不可能に近い。

広告

虎の巣

また、人の心理を読むというのは、
それほど簡単ではありません。それは、
反響し合う波紋のようなもの。

真っ暗な洞窟があり、その中に虎が
潜んでいる。

あなたは、入り口から、虎の姿を確認
しようと暗闇をのぞき込む。
のぞき込むあなたの姿は、虎の方からも
見えている。

恋人は、あなたが自分を試そうとしている
ことを知っている。それがどんなテストで、
自分に何を期待しているのか。

テストを仕掛けられた自分のリアクション
を見て、あなたがどんなリアクションを
取るのか、それを観察している。

同じ人間同士です。あなたの考えることは、
当然、あちら側も考える。

もし、恋人に嘘をつかれた時、あなたなら、
きっと見破るでしょう。見破った上で、
素知らぬ顔をして、内心、冷たい視線を
送る。

無論、そういった洞察力と演技力は、
あちら側にもある。それらを全てを
想定して心を見透かすことは至難の業。

結局、この心理ゲームに勝者はいません。

それが、猛獣とハンターということなら、
心理ゲームに敗北することは生死に関わる。
食うか、食われるかという世界だから。

しかし、恋愛においては、一瞬の判断で
命を落とすといったことはないわけです。
やり直しは可能ですし、判断する時間や
タイミングは十分に与えられている。

” 目線の先を読んだから、何?”
というぐらいそれは大した結果に
繋がらない。

ゆえに、心理テストで相手の表層だけを
見て、その人の本質を見抜くといった、
いわゆる恋愛心理学のようなアプローチは、
あまり、実用的ではないと筆者は考えます。

さて、序盤で真実の愛を見極めることが
出来ないとしたら、そして、
仕草や行動だけで人の本質を確かめる
ことができないとしたら、
また、確かめるために膨大な時間が
かかると言うなら、私たちは現時点で
何も判断できなくなる。

ほとんど、” 縁 ” とか ” 運 ” といった
ものに左右される主体性の無い関係を
築くしかなくなってしまう。

いえ、そもそも正しい判断など誰も
していません。そして、実際は ” 縁 ” とか
” 運 ” によって、左右されている。

幸運な出会いを果たした人は、当然、
” 私の判断は正しかった ” と言うでしょう。
でも、それは結果論です。そして、その
判断が将来に渡って正しくあり続けるかは、
最後まで分からない。

もし、あなたが恋人から裏切られたとして、
それは、あなたに人を見る目が無かった
からでしょうか?

いいえ。限られた選択肢の中で、それが
最善に思えたというだけのことです。
つまり、コイントスで選べるのは裏か表か、
50%の確率であなたは負けたのです。

無論、選択肢が多ければ、あなたの判断は
違っていたでしょう。そういった状況で、
ようやく判断力というものが試される。
あなたのIQが200だったとしても、選択
できるものが表と裏だけなら、高いIQに
意味はありません。

コイントスで負けたから、あなたには
判断力が無かったという結論は、あまりに
酷です。

確証を求める代償

相手のちょっとした言動で、その人の本質
を見抜くことは出来ない。そもそも、
本人ですら自身の本質をつかみ切れて
いないわけですから。

恋愛心理学やメンタリズムを気にしすぎる
と、むしろ、ちょっとしたことで一喜一憂
する不安定なメンタルを作ってしまう。

とは言え、何の手がかりもなく、
判断を迫られる場面は現実にあります。
そういった場合は、わずかな判断材料で
裏か表、どちらかにかけなければならない。
それは、やもえないことです。

どれだけ悩み抜こうと、どうしても、
” 運 ” の影響から逃れることは出来ない。
どこかで決断しなければならない時は来る。
その時点で確証が無かったとしても。

不確かな愛を受け入れることが出来ず、
” 100%の確証 ” という幻想を求め続ける
ことで受ける最も大きな代償は、貴重な
時間が失われていくことです。

何も選択できずに、時間だけが過ぎていく。

仮に、運良く100%の確証と思えるものを
つかんだとしましょう。ただし、
つかんだそれは、いつか崩れ去り、
別の何かとなってあなたを悩ませる。
それが、10%でも、50%でも同じです。

それは必ず起こる。だから、確証が
何パーセントであろうと、臨機応変に
対応できることが重要なのです。

確かに、世の中には真実の愛をつかんだ
人もいるでしょう。ただ、それは、
100%の確証によって選び抜いた結果では
ありません。

最初は、10%だと思えても、二人で
乗り越えながら、確証に代わるものを
築いていった結果なのです。

確証を求めたがる人は、どうしても
現時点で考えられる想定で判断しようと
してしまう。無論、未来のことは誰にも
分からない。

必要なのは、確証じゃない。
愛を育てることです。

失敗を恐れないでください。失敗を
恐れるあまり、より確証を得ることに
固執すれば、あなたから真実の愛は
遠ざかっていく。

もし、あなたが恋愛に失敗し続けている
というなら・・いや、この言い方は少し
おかしいですね。

それは、失敗が確定するタイミングの
問題です。

一度もミスを侵さずに何かを経験できる
人など殆んどいないでしょう。でも、
世の中には、明らかに失敗続きの人と
そうではない人がいるように見える。

何年も不倫し続けている人は、それが
発覚して修羅場にならない限り、
失敗のカウントは0です。

臆病になってずっと片思いだけをして
いる人も、やはり、カウント0。

都会でナンパ師をしている若者は、
多分、数えきれないぐらいの数でしょう。
失敗が確定するまでの期間は、
声をかけてから断られるまでの数分間。
殆ど、何の損失もありません。

一方、カウント0の人々は、
長い時間を費やして報われない愛を
延々と続けている。

” 一度も失敗しない人生 ” それは表層
だけを見ているからです。むしろ、
失敗し続ける人の方が、
リスクマネジメントという意味では
優秀です。

だから、失敗した数は気にしなくていい。

 

関連記事


読む

読む

読む

広告

 

この記事をシェアする