消えてくれないストレスを上手に消し去るために

私たちの抱えるストレスは、簡単には
消えてくれない。

例えば、あなたに何か悩み事があり、
ストレスになっているとしましょう。
それは ” 悩み事 ” ですから、頭の中で
悩むという行為をやめさえすれば、
ストレスは消え去るわけです。

” そんな簡単に気持ちが切り替えられる
わけがない ”

その通り。

” 考えるな ” と言っても、それを考えて
しまうのが人間。

人は、それぞれ、ストレスに対する対処法
のようなものを何となく持っています。

例えば、一人暮らしの老人の家に地域の
ボランティアスタッフが訪問し、
” 家にこもりきりは良くないですから、
気晴らしに外に出てみませんか? ”
と提案すると、老人は
” 気晴らしなどいらん! ” とはねつけて、
世間に対する不満を延々と話し続ける。

誰にも話せなかった思いの丈をぶちまけて、
訪問者に困った顔をさせるのが彼の
” 気晴らし ” なのです。

人は ” 気晴らし ” をしていないように
見えて、案外、独自の方法を持っている。
問題なのは、その方法が、その人に
合っているかどうか、ということです。

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対処法にも良し悪しがある

とある青年の例です。彼は職場の人間関係
に悩んでおり、毎日がストレスだと言います。

そして、唯一の楽しみが
” オンラインゲーム ” でした。

仕事で疲れて帰ってから、一日の残された
プライベートをゲームに充てるのです。

ただ、彼がプレイする対戦型ゲームは、
いかに他のプレイヤーの裏を取って、
優位なポジションを取るかというシビアな
心理戦が求められるものだった。

会社では下っ端で常に頭の上がらない彼は、
ゲームの腕で相手をねじ伏せ、高成績で
ランキング上位に立つことが何よりも重要
だったのです。

ただ、上には上がいるものです。

勝ってばかりなら良いのですが、やはり、
負けることもある。そういった時、
彼のストレスは最高潮に達する。

” ゲームをしなければいいという
話なんですが、負けた分を取り戻そうと、
どうしてもしがみついてしまうんです・・ ”

彼は言います。

取り返そうと、必死になっていると、
いつの間にか睡眠時間は削られ、次の日、
最低のコンディションで仕事に行くことに。

彼にとっては、ゲームがストレスの対処法
です。しかし、それが彼のメンタルと
生活リズムに悪影響を及ぼしている。

” 毒をもって毒を制す ” ではありませんが、
彼の選択した方法は最善とは言えない
のかもしれません。

ゲームをやめるとは言わずとも、もう少し
気楽に遊べるものを選ぶべきでしょう。

対処法にも良し悪しがある。

酒やギャンブルで健康面や経済面を
犠牲にするパターンも誤った解消法を
実戦してしまっている典型例でしょう。

そう考えると、とても多くの人が対処法の
選択を誤ったまま、疑問を持つことなく、
それを続けているのが現状なのでしょうか。

子供の頃のストレス

筆者は子供の頃、多くの子と同じように
勉強が嫌いでした。

勉強すること自体がストレスでしたし、
毎日、座り心地の悪い椅子に長時間
拘束されて、教師のどうでもよい話を
聞かなければならないという、もはや、
拷問のような毎日。

授業中、ただ、ひたすら息のつまる時間が
終わるのを願っていた。

勉強よりも、楽しいゲームや漫画、公園で
皆と走り回っている方がいいに決まっています。

小学生の頃ですから、大人から見れば、
” ストレスなんて無いだろ ” と思えるかも
しれませんが、よく思い出してみて
ください。あったはずです。

嫌な上級生がいたり、
イジメられないようにどこかのグループに
入らなければいけなかったり、
クラスの席替で絶対に隣になりたくない
生徒の隣になってしまったり、親友だと
思っていた子が別の生徒と仲良くしていたり、

子供の世界には、子供なりに
重大な問題がある。

そして、子供ですから大人のように
ジムに行って汗を流したり、気分転換に
アロマテラピーを愉しんだりするという
選択肢は無いわけです。

それでも、次の日も、その次の日も
学校に行った。

何らかの方法で解消しない限り、
ストレスは蓄積されていく一方です。
ましてやデリケートな子供の心ですから、
キャパシティ自体が小さい。

彼らは何らかの方法で、日常で受けた
ストレスを解消しているはずです。

子供たちは、
一体、何をしているのでしょう?

子供たちが数人集まって公園で遊んでいる。

近くに母親たちがいて、それを眺めながら
世間話をしている。

子供たちのグループの中、幼い男の子が
年上の子供の中に混じり、置いてかれない
ように必死になって走り回っている。

すると、その子は躓き、顔面から地面に
ダイブしてしまう。そして、砂だらけの
顔を上げて泣き始める。

遊びに夢中の他の子たちは気づかない。

母親が気づいて抱き起こし、頬についた
砂を払い落そうとすると、さっきまで
泣いていた子が、” まだ、遊ぶ! ”
と言って手を振り払い、子供たちの輪の中
に走って戻っていく。

子供たちは、ストレスに対して
何もしていません。

ただ、精一杯、
その瞬間、瞬間を生きている。
そして、過ぎ去ったことを忘れる。

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努力という錯覚

子供たちには、
” 忘れる ” という能力があります。

母親に言われたことをすっかり忘れたり、
大事なものをどこかに置きっ放しにして
失くしたり、後で拾う人の事など考えず
服をところ構わず脱ぎ捨てたり、

そして、怒られる。

その時は、大泣きして謝るが、
次の日には忘れてケラケラ笑っている。

この能力が無ければ、彼らの小さな心は
ストレスに押し潰されてしまうでしょう。
ある意味、忘れ物の多い子は、ストレス
耐性があると言うことも出来る。

一方、私たち大人はどうでしょう?

子供のように忘れてばかりいては、
社会生活を送ることが出来ません。

仕事にはスケジュールがありますし、
ローンや税金、健康、将来について、
考えることは山のようにある。

大人にもキャパはありますから、優先度の
低いものは忘れることが出来ますが、大抵、
悩みの種となることは重要事項として
頭の中に残る。

また、大人は日常を送りながら、常に
頭の中で何か別のことを考えています。

数日前の出来事について、
まだ、考えていたり、数年後に起こるか
どうかも分からない出来事について、
今から考えてみたり、

掃除機をかけながら、
” 私の人生って、一体、何なの? ”
と変わり映えしない毎日について
考えてみたり、

ゲームをしながら、
” こんなことしてる場合じゃ
ないんだけどな・・ ” と思いつつ、
コントローラーのボタンを連打している。

忘れるどころか、隙間時間があれば、
何かしらのテーマを引っ張り出して
反芻するように考え事をしている。

それは、意識的にではなく、ほぼ、
習慣として行われている。

先ほど、忘れてばかりでは社会生活を
送れないと言いましたが、少しの
間だけ忘れても差し支えないことまで
思い出しては、念を押すかのように
再考するのです。

そして、そこから何か明確な結論が出た
試しがない。

自分を見つめ直すことは悪いことだとは
思いませんが、それを目的意識も無く、
ダラダラと成り行き任せで行っている
としたら、それは ” 考えているふり ” です。

そうやって時間を潰し、問題解決のための
努力をしたという錯覚によって安心を
得ようとしているだけなのです。

そして、それはあくまで ” ふり ” ですから、
本当の意味での安心には繋がらない。

結果的に、ただ嫌な記憶を思い出し、
心の負担を再確認しているだけです。

割に合わない方法

では、私たちは、ストレスと、一体、
どう向き合っていくべきでしょう?

無論、ストレスの原因となっている問題を
解決することが、最も効果的な対処法には
違いありません。

職場の人間関係に悩んでいるなら、
思い切って転職してしまえば、すぐに
問題は解決しますし、夫婦関係に問題を
抱えているならば離婚すれば済む話です。

それが解決出来る問題ならば、すでに
解決に向けて行動を起こしているでしょう。
しかし、簡単にはいかないのが現実。

ここでは抱えている問題が、すぐには
解決出来ないものであるという前提で、
ストレスと出来るだけ上手に付き合って
いくには、どうしていけばよいかを
考えてみましょう。

少し話は戻りますが、ゲームが唯一の
ストレス解消となっていた青年の例では、
彼にとってゲームはプラスになる側面
がある一方、マイナスの側面もありました。

似たような例では、おしゃべり好きな人が
恋人や友人に電話をかけるという場合も、
話を聞いてくれるうちはよいのですが、
相手にも日常生活やコンディションという
のがありますから、必ずしも、いつも話を
聞くゆとりがあるとは限らない。

そこで、話をしている最中、
いい加減な態度をされたりしたら、
余計に苛ついてしまうかもしれません。

それが元で人間関係がぎくしゃく
しだしたら、新しいストレスが生まれて
しまいます。

人はストレスに対する対処法は
それぞれ持っていはいますが、
一つの方法だけしか持ち合わせていない。

また、それは常に効果が保証されたもの
ではないという ” 割に合わない対処法 ” を
知らず知らずのうちに選択していることが
よくあります。

冒頭の一人暮らしの老人の場合は、
唯一の対処法である訪問者が来るまでの間、
ずっと溜め込んでいるわけです。

数週間分、もしくは、数か月分のそれを、
ここぞとばかりに一気に解消しようとする。
聞き手のキャパでは、受け止めきれないほどの。

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リスクマネジメントという視点

投資の世界では、次のような格言が
あります。

” 一つの籠に全ての卵を入れてはならない ”

一度、籠を落とせば全てを失うことに
なるから、資産は分散して管理するべきだ
という意味です。

現在、機能しているストレスの対処法は、
ある意味、その人にとって ” 資産 ” のような
ものです。

だから、話を聞いてくれる友人との
人間関係は、壊れないように大切に
扱わなければならない。

無論、持ちつ持たれつ、友人の話を
聞いてあげることも必要でしょう。

そして、唯一それだけが対処法だと言う
ならば、それが何らかの事情で行えない
場合に備えて、別の方法を予め用意して
おく必要があります。

リスクを分散するのです。

スポーツをする習慣が無いというなら、
試しに初めてみるべきでしょう。

サウナに行ったことが無いというなら、
一度は行ってみるべきでしょう。

シューティングゲームしかしたことがない
というなら、ロールプレイングゲームを
やってみるべきでしょう。

何でもよいのです。

重要なのは、一つにだけ頼って、
そればかりにならないようにすること。

世の中には多趣味な人がいますが、それは、
飽きっぽい性格、一つのことに集中できない
といった欠点とは裏腹に、リスクを分散し、
活動範囲を広げて選択肢を増やすという
メリットを享受している。

多趣味な人がイライラしているという場面は
筆者の知る限り見たことがありません。

人は気の赴くままにストレスを解消
しようとする。ただ、知らず知らずの
うちに間違った方法をつかんでしまう
こともある。

そして、それが割に合っていないことに
気づかないまま、何となくそれを習慣に
してしまう。

もし、常習性や中毒性があるというなら、
それは人生において大きなマイナスにも
なりうる危険な習慣です。

あなたは、どんな対処法を持っていますか?

もし、対処法があると言うなら、一度、
振り返って、” リスクマネジメント ” という
視点で考えてみてはどうでしょうか。

 

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