夢は自身にとって、今、必要なことが
映像化されたものです。
例えば、恋人からの連絡を待っているなら、
恋人から着信がある夢を、空腹なら
テーブルにご馳走が並ぶ夢が作られる。
しかし、自分では見たくないものが夢に
なることもあります。
それが、悪夢のような不本意なストーリー
であったとしても、やはり、自らの意思に
よって作り出されたものです。
ただ、次のようなケースはどうでしょう?
広告
夢の中に描かれるもの
” スピリチュアルメッセージ ”
いわゆる霊的な夢。
例えば、夢の中に神様や天使が登場した
とか、故人が登場し、何かを伝えてきた
という不思議な夢。
もし、これがスピリチュアルな存在が
眠っている人に見せたものだと言うのなら、
それは ” 自ら作ったもの ” とは言えないかも
しれません。
つまり、眠っている本人の外側で
夢は作られ、それが提供されたのだと。
さて、こういった話には、必ず、
” そもそも、神は存在するのか? ”
” 霊は存在するのか? ” という議論が
ありますが、それを否定すると、そこで
話は終わってしまうので、ここでは
神や霊のようなスピリチュアルな存在は
あると仮定して話を進めたいと思います。
因みに、筆者は霊能者ではありませんし、
記憶が確かならば幽霊を見たことも
ありません。
*
筆者個人の見解としては、スピリチュアル
体験としての夢、いわゆる ” 霊夢 ” は、
実際にあるのか無いのか、と問われれば、
あるとは思います。
ただ、筆者が考える ” 霊夢 ” は、一般的な
意味でのそれとは、少々違います。それは、
その夢があくまで ” 自ら作ったもの ”
であることには変わりないという点です。
つまり、神や霊と言ったスピリチュアルな
存在によって、外側から私たちに提供された
ものではないということです。
ただ、潜在意識が神が登場する夢を作る
きっかけとして、何らかの霊的エネルギーを
感じとったということはあるかもしれません。
言い換えれば、潜在意識が霊的な何かを
感じ、それを ” 神 ” だと思い込んで神の
登場する夢を作った。
つまり、夢の中の ” 神 ” は、潜在意識の
主観によって描かれたもの。そう考えると、
夢を見る人やその文化によって、登場する
神の姿が違っているのも頷けます。
” 夢 ” という短編映画
潜在意識が感じ取ったものが、果たして
神だったのか、霊だったのか、はたまた
単なる勘違いなのか、それは分かりません。
ただ、潜在意識がそうだと思えば、それは
神にでも悪魔にでもなる。夢は、結局、
” 主観 ” でしか作られないのですから。
この状況を分かりやすく、映画制作に
例えてみましょう。
インスピレーションを与えるのは霊的存在
です。あなたの潜在意識は映画監督。
潜在意識はシナリオを書き、キャスティング
を決定し、ロケ地を選定する。そして、
” 夢 ” という短編映画を作る。
無論、出来上がった映画は監督の主観
によって作られたものですから、実際に
与えられたインスピレーションとは、
違う印象になるかもしれません。
人によっては、全く違う表現、全く違う
ストーリーになる可能性もある。
*
つまり、夢には ” インスピレーション ”
という動機部分と、夢を見る本人の ” 主観 ”
という脚色部分がある。
なので、それが神託であれ何であれ、そこに
人間的な演出が紛れ込んだとしても不思議
ではありません。
例えば、あなたの夢にイエス・キリストが
現れたとして、彼が右腕にAppleWatch を
身に着けていたら、どうでしょう?
それを馬鹿げた夢だと一蹴することも
出来ますが、もしかしたらその腕時計は、
あなたが加えた演出の一つなのかもしれない。
キリストが ” 救済 ” を象徴し、AppleWatch
が ” イノベーション ” を象徴するなら、
あなたが新しいハイテク技術によって
救われるという暗示なのかもしれない。
” ありえない ” と言って、夢の全てを否定
する必要はないと思います。
いずれにせよ、夢を作るのはあなた自身
であり、それを作る ” きっかけ ” が、
現実の出来事であったり、未来の出来事で
あったり、スピリチュアルな ” 何か ”
だった、というだけです。
広告
予知夢について
夢は未来を予知することがある。突拍子も
無いことに聞こえるでしょうが、実際に
そういった事例はあります。
ただ、これをスピリチュアルな存在が与える
霊感であると単純に捉えることは、いささか
疑問です。
予知夢は、神や天使が送ったメッセージ
というよりは、潜在意識が本来持っている
” 直感 ” に近い気がします。
” 直感 ” を霊的なものとして考えるか
どうかは人それぞれですが、それは
神が与えた能力と言うような選ばれた人
だけのものでなく誰でも持っている。
例えば、あなたに恋人か配偶者がいた
として、何気に嘘をつかれた時、
” ああ、今のは嘘だな ” と見破れることが
あります。
顔が赤くなったとか、言い回しが変だった
とか、そんなことをいちいち観察しなくても
何となく分かってしまう瞬間。
今日は、何となく外に出たくないとか、
友達のことを思い出していたら、丁度、
その友達から電話がかかってきたとか、
理由もなく漠然とした不安を感じたとか、
宝くじを買う時に、なぜか特定の番号が
頭に浮かんだとか、
普通は、そういった日常の出来事、
感じたことについて気にも留めませんし、
時間が経てば忘れてしまうでしょう。
筆者は、そういった一般的な ” 直感 ” の
延長線上に予知という現象が起こると
考えています。
ただ、先ほども言ったように夢は ” 主観 ”
によって作られるので、潜在意識が見た
未来は夢の中で都合良く書き換えられる。
ゆえに、それが予知であったとしても、
現実の出来事と結びつかない無関係な
夢になり、気づかれないまま忘れられる。
*
さて、その神秘的能力を確かめる方法は、
極めてシンプルです。自分の夢を記録し、
日常の出来事と照らし合わせ続けることで、
それを確認することが出来るでしょう。
ただ、一週間ですぐに結果が分かるのかと
言われると、それは難しいかもしれません。
数か月、より確かなものを得るとすれば、
年単位の観察が必要になるかもしれません。
そして、観察し続けることで夢の性質を
理解し、一見、現実とは無関係に見える
夢が、実はリンクしていることに気づく。
このことが世間一般に知られていないのは、
現実と夢には ” 時間差 ” があり、
オカルト用途以外では、誰も夢という
無意味なものに注意を払わないから、
ということなのでしょうか。
チャネリングについて
先ほど、筆者は、いわゆる
スピリチュアリストではないと言いました。
スピリチュアリストでもない筆者が、
” チャネリング ” についてあれこれ語るのは、
いささか差し出がましい気もしますが、
丁度、この記事のテーマに関連すること
なので少しお話したいと思います。無論、
筆者はチャネリングの経験はありません。
” チャネリング ” とは、
交霊術によって霊や神と対話するという、
どちらかと言えばオカルト関連の話題です。
” 引き寄せの法則 ” の著者である
ヒックス夫妻は、チャネリングによって、
高次元の霊と交信をしたとされます。
そして、その法則を教えられたと。
チャネリングは、瞑想状態で行われ、
霊がエスター・ヒックスの体を借りて、
語り出したとあります。
筆者は、瞑想状態が、丁度、夢を見ている
状態に似ているのではないかと思いました。
寝落ちの直前の状態、もしくは、目覚めの
直前の状態に夢を見ることがあります。
眠りと目覚めの中間地点。
仕事の休憩中に目を瞑っていると、一瞬、
寝落ちしてしまいその時に短い夢を見る
ことがあります。なので、瞑想中に何か
映像が浮かんだり、声が聞こえるといった
ことは可能性としては考えられます。
それを霊からのメッセージとして
受け取るか、単なる夢として片づけるかは、
その人が、どう捉えるかによるのでしょう。
*
つまり、チャネリングによって得られた
何らかのメッセージが、純粋に霊からの
ものかどうかは分からないということです。
チャネリングの体験者に与えられたのは、
メッセージそのものではなく、形無き
インスピレーションだった。
それを体験者の潜在意識が、主観によって
解釈した結果、架空の人物を作り出し、
ストーリーを作り出し、言葉としての
メッセージを作り出した。
エスター・ヒックスが交信したとされる
高次元の霊とは、彼女の潜在意識が作り
出した架空の人物ではなかったのか・・
夢がそうであるように、瞑想中に聞こえて
きた声や映像に ” 主観 ” が入らないという
方が不自然です。
メッセンジャーに宇宙の心理を尋ねれば、
必ず、心を打つ腑に落ちる答えが
返ってくる。それもそのはず、その問に
答えたのは自分自身です。
とは言え、メッセージは初めて聞いた
新しい知識のようにも思えるかも
しれません。もしくは、
それは、新しい ” 気づき ” だったのかも・・
ただ ” 高次元の霊 ” が本当に存在するのか
どうかは別として、何らかの
インスピレーションがあったことは事実
なのでしょう。
それが物語や言葉に変換される段階で
” 主観 ” というフィルターにかけられ、
その人個人の願望が織り込まれた。つまり、
それは、100%純粋に霊的存在からの
メッセージとは限らない。
霊的純度
さて、この議論には、明確な答えなど
ありません。永遠に終結することはない
でしょう。なぜなら、スピリチュアルな
存在、つまり、霊魂や神の存在を科学として
証明することは誰にも出来ないからです。
あくまで、ここで述べたことは筆者個人の
一つの意見に過ぎません。もし、あなたが
神の声を聞いたというなら、筆者はそれを
否定できない。
そもそも、主観を取り除いた純度100%の
インスピレーションだけの夢は存在しない
のと同様に、その夢に ” 神 ” は存在ず、
100%主観によって作れた模造物である
と言うこともできないからです。
後は、純度の問題です。
筆者は、こう考えます。” 神 ” を含む霊的な
インスピレーションは、その純度が
高いほど、つまり、 願望や主観といった
雑念が入らないほど、シンプルな構成の夢
になりやすい。
よくある例として、光の中の人影とか、
暗闇の中の一筋の光とか、ストーリー性も
明確な背景も設定も無い抽象的な映像です。
*
例えば、” 虚しい ” という感情には本来
色彩も形状もありません。しかし、それが
夢になる場合、窓の無い部屋として表現
されたり、曇り空を飛ぶ一羽の鳥や
寂れた村として描かれたりします。
それは心の中の ” 虚しさ ” が直接描かれて
いるわけではなく、あくまで後付けされた
演出です。
なぜ、感情をわざわざ現実世界に置き換えて
映像化するのか? それは色も形も無い
存在に対して私たちは何も出来ないからです。
それに触るには、形が必要であり、
判別するには色が必要である。
窓の無い部屋であれば、壁を打ち壊して脱出
すれば、その ” 虚しさ ” から解放される。
一羽の鳥であれば過ぎ去るのを待てばよい。
インスピレーションそのものが、気分
であり、感覚であり、感情であるとすれば、
そこに形も色もありません。
なので、夢によって啓示を受けるとしたら、
神殿があったり、天使が何かを話したり、
あれこれと辻褄を合わせるための演出や
設定があるほど、それらは後づけされた
演出であり、相対的純度は下がる。
” 相対的 ” というのは、霊的要素が1であり、
主観による演出が9なら純度10%、
霊的要素が1であり、主観による演出が
1なら、純度50%です。
と言っても伝わるインスピレーションが
同じならば、純度は関係ない。抽象的な
それを取り出すのに手間がかかるか、
かからないかの違いだけです。
あまりに具体的で素晴らしい内容の夢の
全てを ” 神託 ” だと思い込まない限りは。
広告