夢世界の構造|リアルとイマジネーションの狭間で

人には ” 理性 ” があります。それを保ち
ながら日常生活を送っている。そして、
理性とは、ある意味、私たちを縛る
” 仮面 ” でもある。

世間の常識から逸脱しないよう身だしなみ
を整え、仮面をつけて家を出る。社会生活
を送るためにはそうしなければならない。

そして、その毎日があまりに当たり前
過ぎて、時に忘れるのです。

仮面をつけていることを。

夢の世界には、あなた以外存在しません。
そこには仮面を外した本来のあなたの姿が
映し出される。

姿とは、夢の中のあなたではありません。
” 夢 ” そのものが、あなたなのです。

広告

世界の創造主

夢は、大抵、現実世界をベースに
描かれます。登場人物、舞台となる場所、
ストーリー・・

例えば、夢の中に、あなたの友人が
登場したとします。それは、友人ではなく、
あなたが友人に対して持っている
” イメージ ” に過ぎない。

本当の友人は、実際は、もっと違うのかも
しれません。

なので、夢の中に登場した友人は、
厳密には、あなたが、
” 勝手に思い込んでいる友人像 ” なのです。

これを夢の中の登場人物全てに当てはめ
てみてください。

いえ、人物だけでなく、夢の中で見た
あらゆるもの、景色としての街並みや、
行き交う車や、そこで生活する人々や、
社会のルールなど、

それら夢の世界で見たもの全ては、
あなたの ” 個人的なイメージ ” です。

まず、これが前提です。

もし、世界の全てが、あなたのイメージ
ならば、その世界は、あなた次第で
どうにでもなるということです。

例えば、あなたの心が失恋によって
平静さを失ってしまったとしたら、
夢の世界の海は大荒れになるのでしょう。

例えば、あなたの気分が晴れ晴れしている
なら、夢の世界の空は雲一つ無い青空に
なるのでしょう。

ある意味、あなたは ” 世界の創造主 ” です。

妥協によって作られた世界

夢の世界は、現実世界とは違ったルールで
動いている。

例えば、ボールを空に向かって投げると、
弧を描いて地面に落下していきます。
引力によって。

夢の世界でも、ボールを投げれば、
同じように弧を描いて落下するでしょう。

しかし、それは引力によって落下している
わけではなく、夢を見た人の
” ボールを投げると、こんなふうに
落ちていくものだ ” という固定観念によって
落下しているわけです。

だから、固定観念の無い想像力豊かな
小さな子供なら、ボールを月に向かって
投げれば、当たって跳ね返ってくる夢を
作ることが出来る。

例えば、あなたが歩く先に大きな
水溜まりがあります。

普通ならば、長靴を履いていなかった
あなたは直進せずに水溜まりを避けて
回り込みながら、先に進もうとするでしょう。

これが、現実世界の対応です。

しかし、夢の世界では、あなたは創造主
ですから、目の前に水溜まりがあれば、
そのサイズを小さく調整して、それを
跨ぐのです。

つまり、水溜まりを回避するために、
自身の行動ではなく、シチュエーション
の方を変更する。( そもそも、進行方向に
水溜まりを設置したのもあなた自身なの
ですが )

これが夢の性質です。

ただ、夢の中では、必ずしも思い通りの
設定にはならない。

水溜まりのサイズを変更すると言っても、
どのようにやればよいのか分からない
というのが実際です。それは、
” 水溜まりの大きさは、コロコロと
変わらない ”
という固定観念があるからです。

それで私たちは、固定観念に縛られながらも
水溜まりを回避する別の方法を考える。

例えば、遠くから見ると大きな水溜まりに
見えたが、近くまで来ると単にアスファルト
が濡れているだけだった。

というような現実的な演出を夢に加える。

つまり、夢は完全にフリーダムの世界
ではなく、固定観念と想像力の狭間で、
妥協の連続によって作られた世界なのです。

広告

現実と創造力の狭間で

” 夢の中では、あなたは仮面を外している ”

と冒頭で言いましたが、実際は、完全に
外しているわけではなく、とても
中途半端な状態になっているのです。

夢の中でも、はやり理性的に振る舞おうと
する自分は残ってしまう。例えば、自分が
丸裸になっている夢を見れば、何かで
隠そうとするでしょう。

周りに人がいたとしても、彼らも結局は
あなたの作り出した創造物なのです。
つまり、本当は周りには誰もいない。

夢の作り手は夢を見ている本人なので、
周りに人を配置したのは自分であることを
本当は知っているのです。

しかし ” 人前で裸になってはいけない ”
という常識が、夢の中でも、その人を
縛るわけです。

夢とは、このように、常に私たちを
縛り続ける ” リアル ” と、それに
抵抗しながらも、自分の望む世界を
作ろうとする ” イマジネーション ” が、
衝突しながら構築されるのです。

リアルとイマジネーションの割合は、
その時々によって変わります。

リアルの割合が強ければ、それは、
より現実的な夢になりますし、
イマジネーションの方に比重が傾けば、
それは創造力豊かな夢になる。

ただ、常識の中で生きる私たちにとって、
それが解読不可能な支離滅裂な夢に
見えてしまうわけですが。

あなたが創造したもの

私たちは、日々、夢を見ます。しかし、
そこに描かれていることに関心を寄せる
人は僅か。

なので、この小さな記事を見つけ、
今、この一文を読んでいるあなたは
” 希少な存在 ” なのです。

大抵の人は、すでに世間一般に知れ渡った
” 用意された答え ” を与えられ、” 知る ”
ことをやめてしまう。

と言っても、” 夢 ” に知るほどの価値が
あるのでしょうか?

例え、そこに正直な気持ちが描かれて
いるとして、

そこに、ずっと探していた ” 答え ” を
見つけることが出来たとして、

そこに未来が暗示されていたとして、
その全てに価値など無いのです。
結局、価値を与えるのは夢を見た本人
でしかない。

夢だけに限ったことではありません。

誰かの何気ない一言、ちょっとした
日常の出来事、本の中の数行から何を
見つけるかは、結局、その人が
どう捉えるかによる。

全てのものは、この世に生まれた時点
では無価値です。

あなたに与えられて、
ようやく価値あるものになる。

ここに一体の人形があります。

あなたは魔法をかけて、人形に命を
吹き込む。

人形は感情を与えられ、生き生きと
喋りだす。そして、あなたに多くの
ことを語ってくれる。

ときには、あなたの悩みを
聞きながら背中をさすってくれる。

ときには、あなたの為に小さな身を
投げ出して盾になってくれるでしょう。

そして、あなたにとって、
かけがえのない存在になる。

それは、あなたが与えた ” 命 ” なのです。

与えられるのではなく、与えてください。

それが、あなたにとって、
本当に価値あるものになる。

 

関連記事


読む

読む

読む

広告

 

この記事をシェアする