人には ” 理性 ” があります。それを保ち
ながら日常生活を送っている。そして、
理性とは、ある意味、私たちを縛る
” 仮面 ” でもある。
世間の常識から逸脱しないよう身だしなみ
を整え、仮面をつけて家を出る。社会生活
を送るためにはそうしなければならない。
そして、その毎日があまりに当たり前
過ぎて、時に忘れるのです。
仮面をつけていることを。
夢の世界には、あなた以外存在しません。
そこには仮面を外した本来のあなたの姿が
映し出される。
姿とは、夢の中のあなたではありません。
” 夢 ” そのものが、あなたなのです。
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世界の創造主
夢は、大抵、現実世界をベースに
描かれます。登場人物、舞台となる場所、
ストーリー・・
例えば、夢の中に、あなたの友人が
登場したとします。それは、友人ではなく、
あなたが友人に対して持っている
” イメージ ” に過ぎない。
本当の友人は、実際は、もっと違うのかも
しれません。
なので、夢の中に登場した友人は、
厳密には、あなたが、
” 勝手に思い込んでいる友人像 ” なのです。
*
これを夢の中の登場人物全てに当てはめ
てみてください。
いえ、人物だけでなく、夢の中で見た
あらゆるもの、景色としての街並みや、
行き交う車や、そこで生活する人々や、
社会のルールなど、
それら夢の世界で見たもの全ては、
あなたの ” 個人的なイメージ ” です。
まず、これが前提です。
もし、世界の全てが、あなたのイメージ
ならば、その世界は、あなた次第で
どうにでもなるということです。
例えば、あなたの心が失恋によって
平静さを失ってしまったとしたら、
夢の世界の海は大荒れになるのでしょう。
例えば、あなたの気分が晴れ晴れしている
なら、夢の世界の空は雲一つ無い青空に
なるのでしょう。
ある意味、あなたは ” 世界の創造主 ” です。
妥協によって作られた世界
夢の世界は、現実世界とは違ったルールで
動いている。
例えば、ボールを空に向かって投げると、
弧を描いて地面に落下していきます。
引力によって。
夢の世界でも、ボールを投げれば、
同じように弧を描いて落下するでしょう。
しかし、それは引力によって落下している
わけではなく、夢を見た人の
” ボールを投げると、こんなふうに
落ちていくものだ ” という固定観念によって
落下しているわけです。
だから、固定観念の無い想像力豊かな
小さな子供なら、ボールを月に向かって
投げれば、当たって跳ね返ってくる夢を
作ることが出来る。
*
例えば、あなたが歩く先に大きな
水溜まりがあります。
普通ならば、長靴を履いていなかった
あなたは直進せずに水溜まりを避けて
回り込みながら、先に進もうとするでしょう。
これが、現実世界の対応です。
しかし、夢の世界では、あなたは創造主
ですから、目の前に水溜まりがあれば、
そのサイズを小さく調整して、それを
跨ぐのです。
つまり、水溜まりを回避するために、
自身の行動ではなく、シチュエーション
の方を変更する。( そもそも、進行方向に
水溜まりを設置したのもあなた自身なの
ですが )
これが夢の性質です。
*
ただ、夢の中では、必ずしも思い通りの
設定にはならない。
水溜まりのサイズを変更すると言っても、
どのようにやればよいのか分からない
というのが実際です。それは、
” 水溜まりの大きさは、コロコロと
変わらない ”
という固定観念があるからです。
それで私たちは、固定観念に縛られながらも
水溜まりを回避する別の方法を考える。
例えば、遠くから見ると大きな水溜まりに
見えたが、近くまで来ると単にアスファルト
が濡れているだけだった。
というような現実的な演出を夢に加える。
つまり、夢は完全にフリーダムの世界
ではなく、固定観念と想像力の狭間で、
妥協の連続によって作られた世界なのです。
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現実と創造力の狭間で
” 夢の中では、あなたは仮面を外している ”
と冒頭で言いましたが、実際は、完全に
外しているわけではなく、とても
中途半端な状態になっているのです。
夢の中でも、はやり理性的に振る舞おうと
する自分は残ってしまう。例えば、自分が
丸裸になっている夢を見れば、何かで
隠そうとするでしょう。
周りに人がいたとしても、彼らも結局は
あなたの作り出した創造物なのです。
つまり、本当は周りには誰もいない。
*
夢の作り手は夢を見ている本人なので、
周りに人を配置したのは自分であることを
本当は知っているのです。
しかし ” 人前で裸になってはいけない ”
という常識が、夢の中でも、その人を
縛るわけです。
夢とは、このように、常に私たちを
縛り続ける ” リアル ” と、それに
抵抗しながらも、自分の望む世界を
作ろうとする ” イマジネーション ” が、
衝突しながら構築されるのです。
リアルとイマジネーションの割合は、
その時々によって変わります。
リアルの割合が強ければ、それは、
より現実的な夢になりますし、
イマジネーションの方に比重が傾けば、
それは創造力豊かな夢になる。
ただ、常識の中で生きる私たちにとって、
それが解読不可能な支離滅裂な夢に
見えてしまうわけですが。
あなたが創造したもの
私たちは、日々、夢を見ます。しかし、
そこに描かれていることに関心を寄せる
人は僅か。
なので、この小さな記事を見つけ、
今、この一文を読んでいるあなたは
” 希少な存在 ” なのです。
大抵の人は、すでに世間一般に知れ渡った
” 用意された答え ” を与えられ、” 知る ”
ことをやめてしまう。
と言っても、” 夢 ” に知るほどの価値が
あるのでしょうか?
例え、そこに正直な気持ちが描かれて
いるとして、
そこに、ずっと探していた ” 答え ” を
見つけることが出来たとして、
そこに未来が暗示されていたとして、
その全てに価値など無いのです。
結局、価値を与えるのは夢を見た本人
でしかない。
夢だけに限ったことではありません。
誰かの何気ない一言、ちょっとした
日常の出来事、本の中の数行から何を
見つけるかは、結局、その人が
どう捉えるかによる。
全てのものは、この世に生まれた時点
では無価値です。
あなたに与えられて、
ようやく価値あるものになる。
*
ここに一体の人形があります。
あなたは魔法をかけて、人形に命を
吹き込む。
人形は感情を与えられ、生き生きと
喋りだす。そして、あなたに多くの
ことを語ってくれる。
ときには、あなたの悩みを
聞きながら背中をさすってくれる。
ときには、あなたの為に小さな身を
投げ出して盾になってくれるでしょう。
そして、あなたにとって、
かけがえのない存在になる。
それは、あなたが与えた ” 命 ” なのです。
与えられるのではなく、与えてください。
それが、あなたにとって、
本当に価値あるものになる。
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