現実世界と夢の世界の違い|独自のルール

現実世界と夢の世界の違いとは何でしょう?

簡単に言うなら、世界の創造主が
自分であるか、そうでないかです。

現実世界が神によって創造されたか
どうかは分かりませんが、少なくとも、
あなたが今勤めている会社には創業者が
いるでしょう。

あなたがよく利用するSNSにも、それを
作ったプログラマーがいます。毎日食べる
ご飯は、どこかの農家が作ったものです。

つまり、あなたの日常生活は、どこかの
誰かによって、日々、創造されている。

一方、夢の世界は、全てあなた自身が
一人で創造したものです。背景を作り、
人物を登場させて物語を紡ぐ。

言わば、あなたは夢の世界では、
ギリシャ神話で言うゼウスのような存在。

この現実世界と夢の世界の違いを
把握しておくことは夢を読み解くために
とても重要です。

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夢の世界のルール

夢が複雑で難解に思えることがあります。

一見すると、辻褄が合っているようで
実は合っていないストーリー、
見知らぬ登場人物、意味不明の設定、
来たこともない場所、見たこともない動物、

現実世界ならば、二次元のアニメキャラが、
三次元の世界に存在することは出来ません。

自宅から会社に瞬間移動することも、
空を飛ぶことも出来ない。自分の心の声が
誰かに聞かれることもありません。

ですが、夢の世界はそうではない。

夢が理解不能に思えるのは、私たちが
現実世界の常識やルールに当てはめて、
それを理解しようとするからです。

現実世界のルールは、あなたは世界の
一部であることが前提になっている。

夢の世界では、あなたがルールを作る。

だから、必要であれば、月をポケットに
入れることも出来ますし、憧れの有名人と
デートをすることも出来る。

次は、筆者の見た夢の一例です。

建物にいると地震が発生する。
 
予知かもしれないと思い、
付近にいた男性に聞く。
 
” 今日の日付は? ”
 
男性は答えるが声が小さくて
聞き取れない。
 
次にカレンダーを見つけるが、
目がかすんでよく見えない。

筆者は、この夢の中で一つの勘違いを
しています。

夢の中で日付を尋ねたその男性は、
筆者自身がキャスティングした人物。
つまり、日付を尋ねる相手として、
そこに配置したのです。

正しくは、日付を知ろうと思った瞬間に、
急きょ配置した。

そして、その男性は筆者の知らないことを
知っているはずがない。彼は筆者が創造
した人物だから。

カレンダーもそうです。
日付を知りたいという欲求に答える形で、
付け加えられたアイテムです。しかし、
そこでも ” 答え ” は示されない。

では、夢の中の地震も筆者自身による演出
なのでしょうか?

映画と夢

例えば、地震のニュースを見て、心の中に
防災意識が芽生え ” 地震を予知したい ”
という願望が生まれたというなら、
夢の中で地震を起こす動機にはなります。

もし、本当に地震の予知だったとしても、
それを夢の中で再現することに一定の意義
があれば、再現するでしょう。

要するに、夢の作り手である私たちは、
その時の動機に応じて、自己都合に合わせた
” 世界 ” を創造するのです。

そして、その世界は、現実世界とは違い、
夢を見ている本人の主観と認識によって
成り立っている。

だから、地震の直後に筆者が建物の外の
状況を確認しようと思わない限り、
” 外 ” は存在しない。それは、存在しては
いるが、視界に入らなかったのではなく、
そもそも創造されていないのです。

現実世界と夢の世界には、それ以外にも
様々な違いがあります。

ここで夢の世界について、もう少し
分かりやすい例えで説明してみましょう。

夢が一本の映画作品だとします。

あなたはそれを撮影した映画監督です。
だから、自分の夢について、

” この夢は、
一体、何を伝えているのだろう? ”

という問いかけは、ある意味、
的外れなのです。

それは、映画監督が自ら作った作品を見て、
” 何を伝えているのか分からない ”
と言うのと同じです。

しかし、実際は自分の見た夢の意味を
正確に理解することはとても難しい。

それを理解するには、その世界を誰が
作ったのか、誰のために作ったのかという
ことを念頭に置かなければならない。

例えば、映画ならば観客のために、
ストーリーの背景や経緯を解説する場面が
必ずあります。

でなければ、観客はストーリーについて
いけず、意味不明な演技を、ただ、
黙って見なければいけない。

とは言え、何の説明も無く理解できる
部分もあります。

登場人物がスマートフォンで誰かと
連絡を取るシーンがあったとして、
スマートフォンが何かというところから、
説明する必要はありません。現代なら
大抵の人は知っている。

しかし、電話の相手が誰なのかは、
説明が無い限り知ることは出来ません。

つまり、映画の場合は、一般的な知識以外
については ” 前置き ” が必要になる。
それは観客に背景を理解してもらうための
ものです。

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自分のための作品

では、夢はどうでしょう?

夢の中で、あなたに謎の人物から電話が
かかってくる。普通ならば、気味の悪い
いたずら電話だと思うかもしれません。

しかし、考えてみてください。

電話の相手は、あなたがキャスティング
した役者です。その人物に電話をかけさせ、
あなたが用意したセリフを言わせている
のです。

つまり、謎の人物が名乗る必要もなく、
それが誰なのか、あなたは電話がかかって
くる前から知っている。

その脚本を書いたのは、あなた自身だから。

謎の人物は、夢の中であなたに割り当て
られたセリフを言い終わると電話を
切ってしまう。

その後に何の解説も無く夢はそこで終わる。
解説は必要ありません。観客は夢の作り手
であるあなた一人なのですから。

そう、映画と違って、
夢には解説シーンが無い。

夢とは、あなたが自分だけが見るために
撮ったプライベートな映画作品のような
ものです。

潜在意識は ” これぐらいのことは説明
するまでもないよね ” という態度で
夢を作ります。つまり、夢は、それを見る
本人にさえ伝わればよいという形で作られる。

もっと言えば、本人に理解してもらう
ためのものではありません。潜在意識は
論理的な理解を求めていないのです。

そこで何を感じたのか、それを体験する
ために作られるものであり、そもそも
読み解かなければならない ” 謎 ” ではない。

それを私たちは ” 謎 ” として受け止め、
” 答え ” を得ようとしている。

故に、夢が難解に思えてしまうのです。

子供の絵

夢の世界は独自のルールで成り立っている。

” 独自 ” と言っても、それは現実世界に
生きる私たちにはそう見えているという
だけで、実際はとてもナチュラルな世界
です。

幼児の落書きを思い浮かべてください。

一見、メチャクチャに描かれた絵は、
大人には理解不能です。

画用紙の中央に描かれた大きな塊が
動物なのか、人なのか、家なのか、
大人は一つ一つを現実世界に当てはめて
理解しようとする。

それは、どれも不正解です。

その子は、人生で初めて出会った ” 何か ”
を見て、そこで感じた感動を描いている。
目に見える物体ではなく ” 感覚 ” が
被写体です。

では、もう少し成長した幼児の絵を
見てみましょう。

画用紙の中央に家らしき三角形の図形が
描かれている。そして、なぜか、
太陽らしき黄色の円が三角形の内側にある。

無論、私たち大人はこう思う。

” 太陽は、家の外にあるはずだ。
だから、この絵はおかしい ”

いえ、おかしくありません。幼児は
家の中から見た太陽を描いているのです。
彼にとって ” 家 ” は自分の人生の全てがある
” 世界の中心 ” であり、太陽はその世界を
明るく照らすための照明。

現実世界の広さをまだ知らない彼にとって、
その絵は全く理に叶った表現なのです。

さて、今回は現実世界と夢の世界の違い
について解説しましたが、夢を読み解く
上ではこの違いを常に意識することが
大切です。

あなたが何か夢を見て、奇妙に思える設定や
登場人物の行動について考える時は、
まずは、現実世界の常識を一旦横に置いて、
創造主視点でその世界について問いかけて
みましょう。そして、その問いかけは
次のようなものです。

もし、登場人物がいるなら、
” なぜ、この人が登場しているのだろう? ”
ではなく、正しくは、
” なぜ、私はこの人を登場させている
のだろう? ” です。

もし、特定の場所が舞台なら、
” なぜ、この場所にいるのだろう? ”
ではなく、
” なぜ、私はこの場所を選択した
のだろう? ” です。

問いかけが正しければ、複雑なパズルの
ように思えた夢から、シンプルな物語が
浮かび上がってくるのを見ることに
なるでしょう。

 

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