人が怒り続ける理由|イライラを手放すために

例えば、仕事やプライベートでイライラ
することは誰にでもあります。

それが仕事ならば、職場の人間関係で
あったり、思い通りの結果が出せなかった
り、会社の方針であったり、不本意な
状況に置かれた時、腹が立ってくるのです。

プライベートなら、夫婦間の問題であった
り、子育てに関する問題、嫁姑の問題、
経済的問題、

未婚者ならば、交友関係、恋愛、学業、
将来など、様々な理由があるでしょう。

日常生活の中でも腹を立てようと思えば、
いくらでも理由は見つかる。粗を探せば
探すほど、それは発見出来る。

何だったら降り続く雨に怒ったっていい。

晴れたら晴れたで、
” なぜ、休日に晴れなかった ” と怒ればいい。

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” 怒り ” という磁石

誰でもイライラしたくはないものです。

ただ、面白いのは、自分からイライラする
ポイントを探し出して、腹を立てている
という人間の奇妙な行動をしばしば
見かけることです。

例えば、SNSで注意を惹きつけるため
なのでしょうか、イラッとするような
挑発的な発言をする人がいますよね?

そこには、きっと、不快なことが書いて
あるのです。

さっとスルーしてしまえば済むにも
関わらず、つい、その発言を読んでしまう。

精神的にイラついている時には、特に
そう言ったワードが目に入りやすい。
ネット上の炎上騒ぎも、結局、そういった
挑発がイラついた人々を引きつけている。

また、会社が終わり、家に帰ってからも
仕事中にあった不快な出来事や嫌いな
上司について、思い返したリします。

そして ” あの屈辱は忘れない ” とばかりに
貴重なプライベートの時間を削って記憶を
反芻する。

恋愛や結婚においても、二人の間に既に
愛は無くとも、
” 相手の思い通りにさせてたまるか ”
という意地によって、別れを拒んで事を
余計にややこしくしたり、裁判で子供の
養育権を争ったりする。

そして、お互いに大嫌いな相手のこと
ばかりを考えて一日の大半を過ごす。
まるで、二人が出会ったばかりの頃のように。

なぜ、人は、このように怒りや憎しみ
に引き寄せられてしまうのでしょう?

怒り続ける人

もちろん、筆者も普通の人と同じように
日常生活の中でイライラすることは
あります。

例えば、夜、眠れない時は、やはり、
イライラしてしまいます。そして、余計に
眠れなくなる。

それでも、年齢的な理由もあるのでしょう。
ずっとマシにはなったとは思います。以前は
イライラばかりしていた時期がありました。

とにかく、人間関係、仕事、ニュース、
日常のちょっとした事、様々なことに
怒っていた。

今になって考えてみると、あの時期は、
自分が望んでもいない生き方をしている
ことが全ての発端だったのです。

ただ、あの時、イラつきながらも、
怒っている自分に対して、ある種の
” 心地よさ ” を感じていたのを覚えています。

奇妙な感覚ですが、それは、多分、多くの人
に共通することではないでしょうか。

例えば、怒っている人をなだめようと
すると、余計に怒りだすことがありますよね。

” まあまあ、落ち着いて ”

” うるさい! 私に触らないで!
いいから、ほっといてよ! ”

それは、怒っている自分に周りの人が
気を使ってくれるからという理由も
あるかもしれませんが、その根源には
” 怒りを手放したくない ” という心理が
あるように思います。

仮に、問題がすぐに解決してしまった
としても、その人は怒り続ける。

コロッと態度を変えたら、周りの目が
恥ずかしいからでしょうか? 多分、
自分の周りに誰もいなくても、きっと
怒り続けるでしょう。

一度、怒りを感じたら、その感情を
簡単には終わらせたくないのです。

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ハート・ロッカー

例えば、テレビドラマでは人と人が
衝突する場面を描いたり、報道番組では
評論家が辛辣に社会批判をする。その方が
話題性と視聴率を得られたりする。

インターネットでは、度々、
” 人々の怒り ” が噴出し、誰か、もしくは
どこかの団体、企業を攻撃する。

怒りが、一つの自己表現になっている。

認めたくはありませんが ” 怒り ” には、
人を惹きつける魅力があるのです。

なぜ、怒りが人を惹きつけるのか?

それは、” 生きている実感 ” を
得られるから、ではないでしょうか。

2008年に公開されたアメリカ映画
” ハート・ロッカー ” ではイラク戦争を
舞台にした過酷な爆弾処理班の日常が
描かれています。

戦死した爆弾処理チームの班長の後任を
任されたウィリアム・ジェームス軍曹は、
渇ききった戦場で、命を張って様々な
任務をこなしていく。

やがて、彼は、任期を終えて、
アメリカに帰国します。

しかし、ウィリアムは、平穏な日常に
暮らしながら、自分の居場所を
見つけられず最後にイラクに戻って
しまうのです。

人は、生きている実感を得るために、
時に平和より戦いを選び、渇いた土地に、
あえて住もうとする。

” 怒り ” という強い感情に魅了され、
それと共にあろうとするのです。
ある意味、世の中に噴出する ” 怒り ” は、
生きる実感を得られない人々の叫び
なのかもしれません。

心に忍び寄る者

ただ、” 怒り ” によって、例え生きる
実感が得られたとしても、そこには
標的が存在するわけです。

つまり、誰かを傷つけることには
変わりありません。

それが、どこかの企業であっても、
クレームを受ける電話の向こうには
” 人 ” がいるのです。

また、” 怒り ” が自分自身にダメージを
与えることもある。

先ほども言いましたが、イライラして
いれば、眠れないといった生活習慣に
影響が出る。

人間関係や、仕事にも支障をきたすかも
しれません。誰も、いつもイライラ
してる人と一緒に居たくはありませんから。

やがて、それが人生にも影響を及ぼす
かもしれない。たった一度の過ちで人生
を棒に振る可能性もある。

それは効き過ぎる薬のごとく、一時的な
原動力にはなるが、長期間、常用すると
中毒になり心を蝕んでいく。

” 怒り ” は、最終的に自分の身を
削るのです。

私たちは生きる実感を得るために、自分の
人生を危うくするという ” 魔のスパイラル ”
から、抜け出さなければいけない。

それには自分が、いつの間にか ” 怒り ”
という感情に魅了されてしまっている
ことに気づかなければならない。

もし、世の中の悪に対して怒っている
自分がカッコよく思えてしまったとしたら、
SNSの挑発的な発言をフォローしたり、
批判コメントを書いて誤った意見を是正
してやろうと思ったとしたら、この世は
サバイバルで誰かを傷つけなければ
生きられないと思っているとしたら、

それは、危険な兆候です。

悪と戦うために ” 怒り ” は必要ない。
必要なのはルールに基づいた適切な
手続きです。

声を荒げることでも、眉間にしわを
寄せて威圧感を出すことでもありません。
漫画の主人公のように雄叫びを上げる
ことでもない。

それらは、何の役にも立たない。

むしろ、解決するはずの問題を余計に
ややこしくし、” 反感 ” という新たな
怒りを生み出すだけです。

結局、それは、心に忍び寄る悪しき
存在なのです。

悪魔は醜い怪物の姿では登場しません。
魅力的な姿で私たちに近づくのです。

 

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