夢は常に、支離滅裂なストーリーだけを
描くとは限りません。
時には、何でもない風景や日常を映すこともある。
ただ、その ” 何でもない日常 ” が、
なぜか、新鮮に感じたり、普段以上に
平穏に感じたり、時間の流れが穏やかに
感じたりすることがあります。
時には、せつなくなり、
泣いてしまうこともあるかもしれません。
夢の中で、
そのひと時が私たちを癒すのです。
*
通常、夢はインパクトのある
ストーリーによって心の中で抑圧された
感情や欲求を処理しようとします。
その目的は明確です。
一方、何の変哲もない
” 穏やかな日常 ” を描く夢も作られる。
取り立てて、感情的なものを処理
しているようにも見えない。
一体、このような夢は、
何のために作られるのでしょう?
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夕暮れのひと時
次は、筆者の見た夢の一例です。
ドラッグストアを出ると美しい紫色の空。
立ち話をしている人、
犬の散歩をしている人、
人々が思い思いの夕暮れのひと時を
過ごしている。
暖かなそよ風。
お店で何か買い物をした後に、
駐車場を歩いているという
日常的でシンプルな夢でした。
ただ、妙な部分が一点だけありました。
それは、季節の設定です。
夢を見ながら、
筆者は ” 夏の涼し気な夕暮れ ”
だと思っていたのです。
この夢は冬に見たのです。
なぜ、冬の真っただ中に
夏設定の夢など見たのでしょう?
*
まず、一つ考えられるのは単純に、
厳しい冬の寒さに耐えながら、気分的に
夏を求めていたということかもしれません。
筆者自身もこの夢を見た当初は、
そう解釈していたのです。
ただ、腑に落ちないのは、
厳しい寒さは冬に入ってから
ずっと続いていたのに、
なぜ、今頃、夏の夢を作ったのだろう?
という疑問だけでした。
筆者は特に気にすることは無いと思い、
取り立ててその夢について、
それ以上は深く考えませんでした。
それから、何事もなく数日が過ぎたのです。
何でもない ” 日常 “
週間天気予報では、
大雪と予想されていましたが、
筆者は例年の冬と変わりない程度だと
思っていました。
積もったとしても、
日常生活に影響が出るほどのものではないと。
しかし、蓋を開けてみると、
西日本では大変な大雪に見舞われ、
都心部でも例年に無い積雪量によって、
交通が麻痺するなど、豪雪によって、
各地で混乱した状況が続きました。
筆者の住んでいる場所も大変な状況でした。
まず、市の除雪作業が追いつかず、
住民は車を全く動かすことが出来ない状態。
徒歩でどこかに行くにしても、
歩道も車道も分からない道無き
真っ白な平地を腰まで雪に埋もれながら
進まなければならないという状況だったので、
まず、容易に外出することが出来ません。
どうにかして、
徒歩でドラッグストアやコンビニに
辿り着いたとしても、輸送経路が
雪によって完全にストップしていたので、
店頭には商品がほとんど残っておらず、
物資不足の状態に陥っていた。
*
ピークが過ぎ、少し状況が落ち着いた時に
筆者は買い出しをするため、雪の降る中、
長靴を履いて、とぼとぼと近くのコンビニに
向かって歩きながら先日見た夢について
考えていたのです。
脈絡も無く、夢の中で、
なぜ、夏の夕暮れが再現されたのか?
今思えば潜在意識が、その年の厳しい寒さが
例年とは少し違っているということを
感じ取っていたのかもしれません。
雪によって生活が困窮してしまうことを
感覚的に察知した潜在意識は、あえて、
夏の夢を作ったのではないだろうか?
炎天下の夏ではなく、
夕暮れの涼しい夏を再現したのは、
外出するのに最も心地の良い気温だから。
筆者は夢の中で、
夕暮れどきの人々の姿を眺めながら、
こうした ” 何でもない日常 ” が、
とても尊いもののように感じたのです。
もしかすると、生活が困窮することで
ようやく実感できる ” 普段の日常 ”
という幸せをこの夢は前もって
描いていたのかもしれません。
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すぐ近くにあるもの
もう一つ、
筆者が見た夢の一例を紹介しましょう。
車で美しい並木の通りを走っている。
青々とした葉が茂った並木を眺めながら、
他に誰も走っていない道を走っているという
シンプルな夢でした。
通りは実在のものではありませんでしたが、
どこかにありそうな
” よくある風景 ” だった。
その時期、筆者は仕事の方で
色々とゴタゴタしていました。
予期せぬ障害が発生して、
スケジュールが大幅に遅れていたのです。
その状態は一週間ほど続きましたが、
問題を解決すると、
徐々に取り戻すことができた。
この夢は、来週からは少しゆとりが
出来るだろうという希望が出てきた
週末のタイミングで見たものです。
実際には、まだ仕事は残っていたが、
約束された ” 平和な日常 ” が
夢の中で再現されています。
障害が取り除かれ、仕事がスムーズに
進む状況を一直線の誰も走っていない道
として表現しています。
この夢で感じた筆者の晴ればれとした気分は、
” 峠を越えた安堵感 ” だったのでしょう。
まだ、その時期ではないが、
なるべく早く戻りたいという思いが願望となり、
安堵感を先取りする形で夢が作られた。
” 君がすべきことは、
この道を走って家に戻るだけだ。
それぐらいなら耐えられるだろ? ”
潜在意識が、焦る気持ちを
コントロールしようとしています。
*
夢の中に再現された ” 何でもない日常 ”
取り立てて
ドラマティックなストーリーでも無く、
何を目的としているのか明確では無い夢。
こうした夢は強いインパクトが無いので
単なる雑夢として片づけてしまうかもしれません。
ただ、夢を見ている間、
なぜか ” 平穏 ” を感じている。
例えば夢の中で、ただ、海辺に座って、
ぼんやりと潮騒の音に耳を傾けているなら、
社会の喧騒から逃れて、自然に癒されたい
気持ちの表れなのかもしれない。
もし、公園のベンチに座って、
遊んでいる子供を眺めているなら、
心が休息を必要としているのかもしれません。
恋人や、友人がそばにいて、
何気なくニッコリ微笑んでいるなら、
その人が大切な人であることを実感する
時期が来ているのかもしれません。
無論、必ずしも私たちの
置かれている環境は同じではない。
なので、一人一人が感じる
” 小さな幸せ ” はそれぞれ違っている。
その個性に合わせた解釈が必要です。
*
人生の他愛無い一コマを
切り取ったような刹那的な夢。
私たちが時間に追われて、日常の中の
” 小さな幸せ ” を見過ごしてしまっている時、
潜在意識は不意にそれを再現するのです。
そして、人生が何か、
幸せとは何かを思い出させる。
もし、あなたがこうした夢を見たならば、
一度、身の周りにある日常を振り返ってみる
よい機会なのかもしれません。
大切なものとは、すぐ近くにあるものです。
人は、それを失ってから、
ようやく、その尊さに気づく。
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