車に乗っている夢|例えられた抽象的設定

夢の中で車に乗っている。よくあるシチュエーションです。ただ、どこに視点を置いた夢なのかによっては解釈が別れる。

例えば、とある目的地に向かっているという明確な認識があれば、その目的地を中心に夢が構成されていると考えることが出来ます。

挙式を挙げるために教会に向かっているといった設定ならば、それが結婚に関する夢であることは容易に分かるでしょう。

例えば、目的地というよりは、車内の様子に焦点が置かれた夢ならば、そこに同乗している面々との関係について考えます。

自分の車のはずが、なぜか自分は後ろの席に座り、親がハンドルを握っているというシチュエーションなら、自分がすべきことを親に任せてしまっている状況を描いていると解釈することも出来ます。

また、目的地や車内の様子ではなく、走行中の道に焦点が当たっている場合は、車というよりは、道に関する夢として解釈すべきかもしれません。

その夢が何を伝えようとしているのかによって、描かれ方は変わります。

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潜在意識の ” 例え “

潜在意識は夢を作る時に ” 例え ” をよく使います。現実の状態を車の運転に例えて描くのです。

子供が成長し、親元から巣立っていく状態を車を止めて子供を降ろす場面として描いたり、計画が狂ってしまい八方塞がりになってしまった状態を道の途中で車が故障し、立ち往生している場面として描いたりするわけです。

では、なぜ、事実そのものを映像化せずに、車の運転に例えるのでしょう?

人生に起こる出来事は、必ずしも一場面に収まるわけではありません。

子供が巣立っていくまでの過程には様々な出来事があるでしょう。潜在意識は、それを全て映像化するのではなく、抽象的な表現を使って簡潔にしようとします。

つまり、実際の状況を直感的に理解し、対処しやすい形に作り返えるのです。私たちから見ると、それが絶妙な ” 例え ” になっている。

次は、とある女性が見た夢の一例です。

新車に乗って道路を走っている。
 
運転する夫は、スピードを出し、前の車を煽ったりしながら、次々に追い抜いていく。
 
子供たちは後部座席でケラケラ笑っている。
 
私はシートベルトを固く握り、それを見守っている。

女性の話では、夢の中の新車は、最近、夫が購入した実在の車で、今回の危険運転の夢を見て、何か不穏な出来事の警告ではないかと心配しているようでした。

さて、この夢は、一体、何を意味しているのでしょう?

筆者は、まず、夢を見るきっかけになったであろう新車の購入について話を伺いました。

彼女は夫の新車購入に反対していた。夫の給料の額にしては高額な買い物だったと言います。

車について二人で話合ったのですが、夫は、” 前から欲しかった “、” これから仕事を頑張ればいい ” の一点張りで、結局、押し切られた形での購入だった。

この夢は、彼女から見た今の家族の状態が表されています。

お気に入りの高級車を購入して、すっかり勘違いしている夫の様子を乱暴な危険運転として表現しています。

ローンの支払いと生活に対する彼女の心配など露知らず、新しい車にはしゃぐ何も分かっていない子供たちを後部座席に乗せて、彼女は、ただ、現状を見守っている。

” 一体、この先どうなることやら・・ ”

そんな不安な気持ちが、簡潔に夢として表現されています。

さて、夢とは願望を映し出すものです。今回の夢では、単に彼女の感じている家族の現状を抽象的に描写しているだけのように見えます。

では、潜在意識は、なぜ、家族の現状を危険なドライブに置き換えたのでしょう?

彼女は、高級車の購入によって経済的負担をストレスとして感じていますが、それはローンを払い終わるまで続く長い道のりです。

単なるドライブなら、目的地に着くまでの間、短い時間、我慢していれば済む話です。

潜在意識は、彼女が感じている不安は、ローンの支払いで家計が困窮するかもしれない、からではなく、単に、夫の乱暴運転のせいだと思わせ、心の負担を軽減しようとしているのです。

リアルと抽象概念の交差領域

先ほどの夢では、ドライブという簡略化されたシチュエーションで家庭の窮状を描いていました。

この場合、暴走する新車は ” 一家の状態 ” を表しており、車内の様子は ” 家族間の状態 ” を表している。つまり、二つの焦点が存在しています。

また、夢の中に登場する新車は実在するため、一見するとリアルな現実を描いているようにも思えますが、実際、描かれているのは ” 状態 ” という抽象概念です。

その状態を作った原因が新車であるということから ” 新車 ” が登場していますが、潜在意識の視点では、それは ” 原因 ” であって、新車そのものではありません。

ただ、新車は原因であり、同時に実在する存在でもあります。このように潜在意識は、リアルと抽象概念の重なった部分を起点にして、現実世界を疑似的に再現します。

潜在意識が夢の中で現実世界を再現する目的は、それが私たちが認識できるフォーマットだからです。潜在意識が本来伝えようとしているのは、抽象的な何かですから、そこには ” 現実世界 ” という共通言語が必要になる。

では、もう一つ、夢を紹介しましょう。次は、とある男性が見た夢です。

自分は後部座席に乗っている。
 
運転席は無人でハンドルが自動制御されている。
 
なぜか途中で路肩に停車してしまう。
 
運転席のディスプレイにはシステムエラーを知らせる警告が出ているが、なぜ止まったのかは不明。

男性の説明では、夢の中に登場したのは自動運転車だったと言います。それは、運転席に誰も座っていない状態で、勝手に目的地まで運転してくれるという近年実用化され始めた新しいテクノロジーです。

筆者は、男性に自動運転車を所有しているか、もしくは、実際に乗った経験があるかを尋ねましたが、いずれも無いということでした。

つまり、乗ったこともない新技術の乗り物が夢の中に登場していることになります。普通の車ではなく、あえて、それをチョイスした点に何らかの意図がありそうです。

例えば、普通自動車の運転中、エンジントラブルで停車してしまうというストーリーでも、似た夢を作ることは可能です。むしろ、その方が違和感がありません。

しかし、わざわざ ” 自動運転車 ” という特殊な乗り物を選択し、夢を作った。

最初に紹介した夢では ” 新車 ” は実在するものでしたが、今回は、彼自身の身の回りに存在しているわけではないので、どちらかと言えば、架空に近いイメージです。

まずは、彼がこの夢を見た背景について考えてみましょう。

既視感

「お仕事は、自動車とは関係ないということですね?」

「ええ、建築会社で働いています」

彼の話では、叔父が経営する建築会社で設計の仕事をしており、設計に使う専用のアプリケーションを使用するものの、自動運転車やAIとは、ほぼ接点は無いと言います。

「つまり、夢の中であなたは、初めて自動運転車を体験したということになりますよね?」

「ああ、そうですね・・でも、なぜか、前にも乗ったような気がして・・」

「それは、夢の中でそう思われた、ということですか?」

「ええ、前から、そうだったような・・」

彼のこの回答から、自動運転車は何らかの ” 例え ” であるという可能性が出てきました。

潜在意識が夢を作る過程で、以前にも体験している ” 何か ” を自動運転車という別の形で表現した結果、未体験であるはずが、なぜか既視感を持つという奇妙な現象になるのです。

では、” 何か ” とは、一体何でしょう?

次に、シチュエーションについて考えてみます。彼は後部座席に座っており、車自体は自動運転によって制御されている。

この状況から察するに、彼自身がコントロールしていない、もしくは、コントロールすることを放棄した状態を表していると解釈することもできます。

ただ、なぜ、人間の運転手ではなく、わざわざ自動運転による制御なのでしょう?

「夢の中で、運転中、コンピューターに何か指示を出すとか、操作するといったことはしなかった?」

「はい、勝手に動いていたという感じです」

「目的地の設定などは?」

「・・・設定した覚えはありません」

「では、どこに行くか分からない状態で車に乗っていたということですか?」

「ええ、ただ、何となく座っていた・・そんな感じです」

「外の景色について覚えていますか?」

「あ、そうだ。友人を見かけました」

「ご友人を?」

「ええ、大学の同期です。背広を着て・・大きなリュックサックを背負って歩道を歩いてました」

「その方は、どういった・・」

「第一志望の会社に就職できたって喜んでましたね。僕にメッセージを送ってきました」

「それは、現実の話?」

「ええ、そうです」

「ところで、今お勤めの会社は、あなたが希望されて入ったんですよね?」

「え?」

彼は、設計の仕事を希望していたわけではありませんでした。両親の薦めで、叔父が経営する建築会社に入ることになった。周りの同級生が就職活動で忙しくしている中、彼だけは早くから内定を得ることが出来たと言います。

「特に設計に興味はありませんでしたが、他にやりたい仕事も無かったので・・」

なぜ、自動運転車だったのか?

進学についてもそうだったと言います。担任の教師に薦められた大学を受験し、そこに入った。

「先生に言われたんです」

「何を?」

「お前は、将来どうなりたいんだ・・と」

「何とお答えになったんですか?」

「分かりません・・と。僕は、どう答えるべきだったんでしょう?」

彼は人生の分岐点に置いて、自らの意思で選択したという経験が無かった。

この夢において潜在意識が、なぜ ” 自動運転車 ” という特殊な乗り物を登場させたのか? それは、彼の置かれた状況が、まさに、それだからです。

大人たちが指し示した無難だと思われる選択、それらは確かに平坦な道のりだった。まるで目的地まで安全に運んでくれる自動で制御された車に乗っているかのように。

とは言え、それが目的地まで運んでくれるという演出であるなら、タクシーでも両親が運転する車でもよかったのです。

彼の潜在意識が、わざわざそれを避けて ” 自動運転 ” をチョイスした理由は ” 誰かのおかげ ” であってはならないからです。

なぜなら、彼は ” 自立 ” を望んでいたから。

ならば、自らハンドルを握ればよいのです。夢の中で彼が運転席に座っていないのは、目的地が分からないから。自分は、どこへ向かうべきなのか・・・

この夢は、自立を望みながらも、自立できない状況を自動運転車に乗っているという設定に置き換えています。

目的地を設定した覚えがないというのは、進むべき道を決められない ” 未設定 ” の状態を意味します。彼は、目をつぶって制御パネルをタッチし、車は何となく走り出した。何かに向かって。

では、車が路肩に停車してしまう場面は、何を意味しているのでしょう?

もちろん、路肩に停車させたのは、自動運転を制御するAIではありません。彼自身が望んだことです。AIは、エラーメッセージを表示し、コントロールを放棄している。

つまり、彼が車を一度降り、運転席に座るために停車したのです。多分、潜在意識は、こう言っているのでしょう。

” 君が運転しろ ”

問題の本質を描く

さて、今回は二つの夢を例に挙げて解説しましたが、それらは、いずれも ” 例え ” として描写されています。

最初の夢は、家族が置かれた現状を単純化したシチュエーションとして描いた。もう一つの夢は、自身の心理的ジレンマを、やはり、単純化したシチュエーションとして描いた。

それは、まるで、複雑な世界状況を一枚の風刺画で表現するような作業。それが素晴らしく的を得た表現になるのは、潜在意識が私たちほど固定観念に囚われていないからです。

私たちは、現実世界でルールに囚われならが生活しています。例えば、引力によって物体は地面に落ちるとか、法律を守らなければいけないとか、人前では建前を言い、本音を言ってはならないとか。

潜在意識に、そういった常識やルールを守る義務はありませんから、本音を描きたいように描く。それが、結果的に問題の本質を捉えた ” 例え ” になる。

例えば、あなたが人間関係に悩んでおり、職場で息苦しさを感じているというなら、通勤途中の満員バスの中で身動きが取れないという夢を見るかもしれません。

それは、問題そのものを描いているわけではありませんが、” 働く人々に押し潰されそう ” というあなたを苦しめている問題の本質を抽象的に映像化しているわけです。

もし、社員食堂の隅で一人ご飯を食べている映像だったり、残業している映像だったら、それらは問題の一端ではありますが、あなたの苦しみを描き切ったわけではない。

問題の本質とは、あなたが感じている感覚、それ自体なのです。

 

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