年齢の悩みが夢になる時|年齢に囚われないために

人は年齢を追うごとに抱える悩みも変化
していきます。

十代の若者ならば、周りの子供扱いに
苛ついて早く一人前になりたいと悩む。

成人女性ならば、年齢を重ねていくことが、
嫌でたまらない人もいるでしょう。

中年男性ならば、気力の衰えに抵抗しつつ、
若さを保ちたいと必死になる。

そして、老年期であれば、
” 死 ” について考えるようになる。

誰もが通る道。その年齢に応じた悩みも、
やはり、夢になる。

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少年時代

次は、とある男性が見た夢の一例です。

夕方、日暮れ近く、5、6人の小学生
たちが、池のほとりに集まっている。
 
池に転落したら危険だと子供たちに
注意しにいく。
 
ボールが水面に浮いている。
 
子供たちが取ってくれと言うので、
長い棒を持ってくるように言う。
 
何人かの子供たちが竹竿を持って
きたが、どれも微妙に届かない長さ。
 
身を乗り出してボールを取ろうと
したが、届きそうで届かず。
 
水面に映る自分の姿が子供になっている。

一見、日常的な夢のようにも見えますが、
最後の場面に何か意味ありげな演出が
加えられています。

彼は、ここ最近、気力や体力の衰えを
感じ始めており、丁度、数日前に四十歳を
迎えたばかりだと言います。そして、
誕生日の翌朝に今回の夢を見た。

この夢は、彼の年齢を重ねることへの
抵抗が描かれています。

夢の中で、子供たちを注意するという
名目を作り、ボールの救出作戦に参加
しています。

この池のほとりでの出来事は、ある意味、
彼の少年時代を描いているのかも
しれません。

日が暮れるまでボールを蹴とばし、
仲間で声を掛け合ったり、問題を解決する
ために知恵を出し合ったり、それだけで
充実していたあどけない時代。

子供たちが持ってきた竹竿はどれも
微妙な長さで、水面に浮かんだボールに
あとちょっとで届かない。

この場面は、彼自身による演出です。
ボールに届き、それを拾って子供たちに
返すわけにはいかないのです。

なぜなら、ボールを返してしまったら、
夢の中で再現した彼の少年時代が
終わってしまうから。

少しの間だけでも、そこに留まっていたい
という気持ちがボールを遠ざけている。

そして、最後の場面では、
水面に映る少年時代の自分の姿。

この場面が、夢の意味そのものです。

鏡に映る未来

では、もう一つ、年齢に関する夢を紹介
しましょう。次は、とある女性が見た
夢の一例です。

鏡を見ていると、
目尻に新しいシワを発見する。
 
慌てて皮膚を伸ばしたり擦ったりして、
本当にシワかどうかを確かめる。
 
気づくと、頬がこけだし、
急速に老化していく自分の顔。

若さが吸い取られていく恐怖感に襲われ、
彼女は慌てて目覚めた。

基本的には年老いていくことに対する
不安を描いていますが、この夢は、
二つのパートによって構成されています。

それは、目尻にシワを発見するという部分、
そして、シワを発見した彼女自身の
リアクションを描いた部分です。

このように年老いていくことに対する
抵抗が夢になる場合は、その
” 抵抗 ” が演出として組み込まれる。

例えば、年老いたことを認めたくない
心理が、夢の中でシワを別のもの、
引っかき傷や、髪の毛などに置き換え、
それはシワでは無かったという演出を
行うことがあります。

つまり、歳を取ったという事実を隠蔽
するための演出です。

この夢では、新たなシワを発見して
ショックを受けるという嘘の事実を
作り上げて提示している。つまり、元々
存在しなかった事実をわざわざ映像化
しているわけです。

年齢に対する懸念が映像化されたと解釈
することも出来ますが、目尻に出来て
しまったシワは、日頃、手抜きをしていた
何かが表面化する暗示と読むことも出来る。

表面化する厄介な問題を目尻の小じわに
置き換えて、表現しているということ
かもしれません。小じわならば、化粧や
スキンケアによって隠すことが可能
ですから問題を無かったことに出来る。

つまり、夢の前半パートは、年齢に
関する心理を描いていないという線です。

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演出に対する反射行動

さて、後半のパート、シワを発見してから、
慌てて皮膚を調べているうちに、まるで
CG のように老化していく自分の顔。

この部分は、夢の演出に対する彼女の
リアクションが描かれています。

演出として自ら入れた一本の小じわ。
彼女は、そこから年老いていく自分自身を
想像してしまう。

本来は、別の意図で組み込まれた ” 小じわ ”
という演出に彼女自身が過度に反応
してしまうという状況です。丁度、自身が
キャステングした幽霊を見て、自ら怖がって
いる状況と同じです。

結果、彼女は飛び起きてしまう。

夢を見ている途中で ” これは夢だ ” と
気づくことがあります。いわゆる明晰夢
ですが、自分がいる場所が現実ではなく、
夢の中だと気づいた時に、人によっては
自由行動をすることがあります。

自分を追いかけて来た幽霊を振り返って
殴りつけたり、他人の家に勝手にお邪魔
したり、空を飛んだり。

無論、幽霊を腕力でねじ伏せたところで
それは本当の意味で恐怖を克服したわけ
ではなく、単に仮想現実で遊んでいる
だけです。

こうした夢の中の演出によって、
反射的に付け加えられた場面に取り立てて
深い意味はありません。

ただ、彼女が一本の小じわによって動揺し、
さながらホラー映画のような場面を
付け加えたとしたら、彼女の ” 老い ” に
対する恐れが描かれていると解釈する
ことは可能。

” 私の未来は、きっとこうなるんだ!
それだけはイヤ! ”

という行き過ぎた老化のイメージが、
ダイレクトに映像化されています。もはや
これは願望夢でも、暗示でもなく、単なる
” リアクション ” です。

” 年齢 ” という概念

誰でも年齢に応じて悩みを抱えるものです。
そして、それが夢になる。

そういった夢を見続けるという場合は、
年齢について少し意識しすぎているのかも
しれません。

年を重ねるというのは、人類の全てが
避けることが出来ない事象。

全員が同じ日に生まれ、同じ日に死ぬ
というならば、そこに ” 若さ ” という
優劣はありません。

しかし、現実世界では、
この世に生まれるタイミングによって、
若い人と年老いた人を隔てる。

” 年齢 ” という概念は、この隔たりでしか、
認識することが出来ない。

この世の人が全て若者であれば、それは、
若者が存在しない世界です。この世が全て
老人だけならば、老人は存在しない。

多分、そこにあるのは生と死だけ・・
いえ、同じ日に生まれ、同じ日に
死ぬとしたら、生も死もありません。

つまり ” 年齢 ” とは、私たち自身の属性
ではなく世界の属性なのです。

” だから、どうだって言うの?
歳を取ることには変わりないでしょ? ”

という声が聞こえてきそうですが、
こう考えてください。

あなたの年齢は、あなたが決めている
わけではない。

年齢を決めているのは ” 世間 ” です。

例えば、企業の人材募集の条件にある
年齢制限、20代の若者が40代のおじさん
よりも生産性が高いとは限らないが、
一つの目安として年齢によって人の能力を
判断しようとしている。

健康についても、不健康な若者よりも、
健康な老人はいます。しかし、実際は年齢
によって受ける検査の種類が違ったりする。

結婚についても、年齢が若いというだけで
婚活には有利な条件になります。

例えば、一回り年上の人と結婚すれば、
先立たれる可能性は高く、一緒にいられる
時間はそれだけ短い。

いえ・・

同い年の人と結婚し、一年で離婚すれば、
結果として、一緒にいられる時間が
長かったのはどちらでしょう?

つまり、人は ” 年齢 ” という社会基準
どおりに人生を送るわけではないという
ことです。

しかし、生産性重視の合理主義社会では、
人を見ずして、数字だけを見る。

それが、一人一人の能力や可能性を無視し、
結果、生産性の足かせになっていることに
気づかないまま、続いている慣行なのです。

そう、年齢とは ” 慣行 ” です。

そして、世間とは、あなた自身も
含まれている。

あなたの年齢を決めるのは、あなたを見て、
その人間性を判断しようとする誰かです。
逆を言えば、あなたは誰かの年齢を決める
ことが出来る。

あなたが誰かを見て、
” 年齢の割にこの人は若いな ” と思った時、
その人は ” 若者 ” です。

” 年下なのに私よりも人生経験が豊富だ ”
と思った時、その人は ” 年上 ” です。

無論、生まれた日から数えて何日経ったか
という実年齢の意味では、若返ることは
出来ない。

しかし、あなたに接した誰かは、
あなたを若返らせる魔法を使えるのです。

あなたも、その魔法を使える。接した相手
を若返らせる ” 主観 ” という魔法を。

 

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