休日をダラダラ過ごしてしまう心理|本当の時間節約とは?

時間が少しでも空くと、忙しい現代人は ” 勿体ない ” という衝動に駆られます。

スマホで動画を見たり、メッセージをチェックしたり、SNSで何か呟いたり、いずれにせよ時間を無駄にしてしまうことに対する ” 恐れ ” が一種の強迫観念のようになっている。

無論、筆者自身にも覚えがあります。現代人に時間を与えても、なかなか ” 休息 ” に使おうとはしない。

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睡眠時間と生産性

” 寝るのが勿体ない ” と言って、一日、4時間ほどしか眠らない人もいるようですが、以前、筆者も、いわゆる ” 短眠 ” に挑戦したことがありました。

一日の睡眠時間が3時間なら、それ以外の余った時間を自由に使えるという夢のような話です。

ただ、三日も持たなかった。

それは、眠気に耐えられないという単純な話ではなく、頭痛、背中の痛み、倦怠感、常に胸のあたりに圧迫感があり、ずっと気分が悪かった記憶があります。

無論、集中力も無く、ぼやっと起きている間、出来ることと言えば、動画を観るぐらいで、ダラダラと時間を潰しただけだった。

この状態で一日4時間の空き時間が確保できたとしても、全く幸せとは言えませんでした。

動画をただ漫然と観るぐらいなら、そんな状態でも何とかできますが、一日、そればかり続けるわけにはいきません。

日常生活には ” 腰を上げる瞬間 ” という怠け者には面倒臭い作業が至るところにあります。

支度をしなければいけない。時間どおり約束の場所に足を運ばなければいけない。人と会って愛想笑いをしなければいけない。読みたくもない文章を読まなければいけない。飯を食わなければいけない。歯を磨かなければいけない。健康のために運動をしなければいけない。

手間のかかる面倒な用事の数々・・

集中力が無い状態では、やる気のエンジンをかけることがとても億劫に感じてしまう。それゆえに、一つ一つの動作にいちいち時間がかかる。

仮に睡眠時間を削って、どうにか仕事を一つ、二つ終わらせることが出来たとしても、残りの時間をゆったりと過ごせるというわけではありません。

むしろ、何も考えられない頭のせいで通常業務にも支障が出て、ミスや勘違いによって余計な仕事が増えたりするのです。

そう、私たちはぼやっとしていると、本来は存在しなかった ” 不必要な仕事 ” を作り出すという特技を持っている。

もしかすると、時間節約に必要なのは、ムダを省くことでも、生産性を高めることもなく、単にミスをしないということなのかもしれません。

近年、” 睡眠負債 ” という言葉がメディアでよく取り上げられました。睡眠不足によって脳にかかり続ける負荷が、しわ寄せとなり病気リスクを高めるというものです。

” 人生の3分の1は睡眠時間に取られる ” という損をした気分にもさせられるこの主張は、まさに合理的現代人の考えです。

実際は、損したくないばかりに睡眠時間を削ったことによって誤った判断と選択を繰り返し、人生の貴重な時間をその ” ツケ ” の支払いに当ててしまっている・・というのが真実のような気もしますが。

また、睡眠不足で病気になってしまったとしたら、多くの時間が失われることになるというのは明白です。

魔の10分間

” 今から10分間、何もしないでください ” と言われたら、あなたならどうしますか?

ダメ、ダメ。

スマホを見るとか、爪を手入れするとか、ちょっとしたこともしてはいけません。頭の中で、やることリストをチェックするのも、楽しいことを思い浮かべるのも無しです。

何だか、ソワソワしませんか?

時間を与えられた時、目先で何か出来ることは無いかとつい探してしまう心理。” 勿体ない ” という魔物が心の中で騒ぎ出している。

これが、一日をダラダラと過ごしてしまう事と、どう関係するのでしょう?

つまり、” 時間を無駄にしたくない ” という焦りが、たった10分の休息時間さえ惜しんで精神に負荷をかけ続けている。

悪い事にその状態が慢性化していて、本人にとっては、それが普通になっている。

仕事や体を動かしている状態だけが ” 働いている ” ということではありません。

” 休憩 ” と言いつつ、座ってスマホをいじったり、頭の中であれこれ考えるだけでも集中力を消費している。それは、単に仕事をする時よりは消費しないというだけです。

集中力は資源と同じく ” 有限 ” です。

そして、現代人は身体の疲れには注意を向けるが、メンタルの疲れには鈍感です。

もし、あなたの仕事が肉体労働が中心であって、仕事中頭を使うことがないというなら、休憩中のスマホいじりは問題ないでしょう。しかし、大抵、どんな仕事であれ頭は使うものです。

さて、睡眠時間を惜しんだり、日常生活で休息する時間も与えられない状態で、週末を迎え、休日がやってきたとして、

” せっかくの休日だから何かしよう ”

と思っても、やる気が起こらない。日頃から休息を取らない習慣が、週末に向けて集中力が枯渇している状態
を作り出している。

” いやいや、毎日、睡眠を取っているから、そこで脳は休息しているはずだ ”

確かに毎日睡眠は取っている。しかし、日曜日に限って10時間眠ってしまうことがありますよね。月~土までは6時間睡眠。そのツケを日曜日に払っている。

平日に蓄積した疲労が一晩で取り切れず、次の日に持ち越される。返し忘れた借金の利子のように。それが累積し、日曜日にまとめて返している。

これは、肉体的疲労の話ですが、脳においても同じことが起こっている。

せっかくの休日にベッドの上で、天井を一日見つめているわけにはいかない。起き上がって何かしようとします。しかし、無理やり起こされた脳はこう言っている。

” 分かったから!起きりゃいいんでしょ! 残量が無いから省エネモードでいいよね? ”

要するに ” 時間を無駄にしたくない ” という日頃の焦りと脳の休息がちゃんと取れていない状態の狭間で ” ダラダラした一日 ” が生まれてしまう。

認識できない時間節約

筆者もダラダラと過ごしたおかげで、何の成果も無い一日を数えきれないほど経験してきました。

現在では、睡眠時間は十分に確保し、脳が疲れていると感じる場合は ” 何もしない時間 ” というのを5分でも取るようにしています。

それは、仮眠でも、瞑想でも、ただぼやっとしているだけでもいいでしょう。とにかく頭であれこれ考えない時間です。

暇を潰さずに暇のままにしておく。” 暇潰し ” は休息ではないのですから。

そういった ” ぼやっとした細切れ時間 ” を一週間の間に時々挟んでいくと、集中力の減退を防ぎ、週末に蓄積する疲れを減らせます。

休日の午後を何もせずに過ごしたとして、そのおかげで次の一週間を健康的に過ごせるなら、何もしなかった午後は、人生において必要不可欠な時間なのです。

つまり、時間の ” 量 ” ではなく、” 質 ” を大切にする。

それは結果的に、判断ミスによる余計な仕事を増やさないという意味で ” 量 ” としての時間節約にもなっている。

ただ、こういった表面的には分かりにくい時間節約は、効果を実感できないという側面があります。

ミスをする前の私たちは、そもそも、その未来のミスによって生み出される ” 不必要な用事 ” の存在を知らないわけですから、それによって時間を奪われるという認識はありません。

しかし、それが一旦、生み出されてしまえば確実にあなたの時間を削る。

もし、その ” 不必要な用事 ” が生み出されることなく何事も起こらなかったとしたら、私たちはどれだけの時間を節約できたのか知らないままなのです。

あなたは早起きをし、いつもよりも少し早めに家を出て職場に向かった。

実は、いつも通り遅れ気味に家を出ていたら、遅刻するかもしれないという焦りから、判断を誤り事故に巻き込まれる未来が待っていたのです。

事故対応に時間を取られ、下手をすれば怪我をして、長い期間、病院のお世話になっていたかもしれません。通院のための移動時間、お薬を貰うまでの待ち時間、もしくは、痛みに耐えながら何もできない時間など。

しかし、何事もなく会社に到着し、いつも通り仕事をしているあなたは知らない。

今日、人生の大きな時間を節約できたことを。

それは、睡眠時間を惜しんで深夜1時まで起きていたことによって得られた ” 何かしていた時間 ” よりも何倍もの量です。

睡眠時間やメールチェックの時間、友人のつまらない世間話を聞いている時間、車を運転しながらファーストフードで食事を済ませようとしている時間、動画をスキップする時間。

そういった現時点で認識できる小さな時間ばかりに目を奪われて ” 何事も起こらなかった ” という認識不可時間をほったらかしにしているとしたら、とても勿体ないことです。

そして、その見えない時間を節約するには、必要な時に最善を尽くせるための集中力と冷静な判断が必要なのです。

それは、純粋な休息によってのみ取り戻せる。

 

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