ぼやけた映像の夢|一瞬だけ見えるビジョン

ランチを食べ終わった後、ついうとうと
してしまい、一瞬、意識を失う。
夕方、帰宅途中の電車の中で仕事の
疲れから、一瞬、眠ってしまいそうになる。

日常の中でうたた寝をしてしまう瞬間。

この一瞬の隙に、脳裏にすかさず
入り込んでくる夢を覚えていますか?

それは、あまりに短く、
容易に捉えることが出来ないビジョン。

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ストーリーの構成

夢は少しでも意識が失われる瞬間があれば、
その隙間に入り込んでくるのです。

眠りが浅いうちは、ぼんやりとした映像が
見え、深くなるにつれ、はっきりと映像化
されていく。

大抵は、入眠時、いつの間にか夢の中に
いたという認識だと思います。夢の始まりを
明確に意識することは、よほど注意深く
観察していないと無理でしょう。

夢が描かれる最初の段階は、ぼんやりとした
シルエットです。

居眠りといった短い時間に見る一瞬の
ビジョンは、それが完全に映像化される
前の段階で目覚めるために、ぼんやりした
映像になることが多い。

それは、まだ、形にもなっていない状態
ですから、私たちにとっては、
” 何か見たような気がするけど・・ ”
という程度の気がかりを残して時間と共に
忘れ去られていくものです。

こういった幻にも似たぼやけたビジョンを
夢解釈として分析するのは、やはり、
困難です。手がかりが無いわけですから。

潜在意識が夢を作る場合、通常は何らかの
ストーリーがあります。と言っても、
意識を失った直後に、映画で言えば
オープニングシーンからエンディングに
向けて順番に映像化していくわけでは
ありません。

眠りの深さから意識を失っている時間が
十分に確保されている場合、それに応じた
長さのストーリーが作られる。

一方、入眠時のいつ覚めるか分からない
浅い眠りの状態の時には、それに応じて
短い夢が作られる。

もし、極めて眠りが浅い場合は、
一場面だけのぼやけた映像が作られる。

潜在意識は最初に、最も優先度が高い
事柄をシンプルに描こうとします。
推理サスペンス映画に例えるなら、
開始1分で事件の核心部分を映像化する
わけです。

それから睡眠時間に応じて、最初のシンプル
なストーリーを再び作り直し、もう少し複雑
な設定のストーリーにします。それを最初の
ストーリーの後ろに接続していきます。

このプロセスを繰り返しながら、いくつかの
場面が繋ぎ合わされた長い夢になっていく。

つまりは、シチュエーションを変え、
核心部分を何度も撮り直しながら、それを
順番に繋ぎ合わせて一本の映画を作るような
ものです。

要するに、長い夢を見ている私たちは、
同じテーマの物語を何度も繰り返し見ている
ことになります。しかし、実際は、
各パートのシチュエーションが違っている
ために、映画のようにいくつかの場面転換
を含む一つの物語を見ている錯覚に陥る。

一見すると、物語として起承転結がある
ようにも思えますが、基本的なストーリー
の構成は ” 結結結結 ” です。

無論、夢を見ている最中にも心は変化
していくので、繰り返される ” 結 ” は、
全く同じものではありません。
より巧妙に、よりスケールアップした形で
描かれる傾向がある。

目覚めの時が近いと察知した潜在意識が
長い夢の最後に、ストーリーとは無関係な
場面を付け加える場合があります。
それは、一瞬のビジョンと同じく、
シンプルに核心部分を描くためのものです。

曖昧な被写体

では、一瞬のビジョンが核心部分を描く、
ということを具体的な事例で見ていき
ましょう。次は、筆者が、仕事の休憩中、
一瞬意識を失ったときに見た夢です。

ぼやけた映像。
 
目の前にいくつかの黒い点が
飛び回っている。

丁度、度の合っていないメガネをかけて
いるようなピントが合わないイメージの
シンプルなビジョンです。

通常、現実世界ではカメラで写真を
撮る時に、ピントを合わせますよね。
ぼやけた状態から調整して、被写体が
はっきり見えるようにする。この場合、
被写体は既に存在しているわけです。

例えば、チューリップを撮影しようと
すると、ピントが合わずにぼやついている。
これでは花らしき何かが写っているのは
認識できるが、チューリップとまでは
分からない。

それは、カメラのレンズの問題であって、
被写体が最初からチューリップであること
には変わりません。

しかし、夢の世界では違います。

ボヤッとした映像に何かが映っていた
としても、その先に明確な被写体が存在
しているわけではない。そこには、まだ
” 存在 ” と言えるものは無い。言わば、
存在を作り出す途中のような状態。

つまり、そこに花らしき何かが映っている
場合、それは、チューリップでもなく、
カサブランカでもなく、
もしくは、花なのかどうかも定かではない
” 花のようにも見える何か ” という存在に
過ぎない。

言い換えれば、夢を見ている人には、
” ボヤッとした曖昧な存在 ” が明確に見えて
いるわけです。

では、今回の夢は、どのように解釈すべき
でしょう?

ぼやけたイメージを解釈する上で注意
しなければならないのは、例えば黒い点が
実は蝿かもしれないと推測して夢占いの
” 蝿 ” の項目を探すということです。

先ほどチューリップの例で説明したように、
それは、あくまで ” 黒い点 ” でしかない
のです。

蝿がぼやけた結果 ” 黒い点 ” に見えている
わけではなく、そこには最初から蝿など
存在しない。

潜在意識が、はっきりと ” 蝿 ” といった
明確な存在ではなく、” 黒い点 ” という
ボヤッとしたイメージを使った理由は、
それが蝿である必要がなく単なる黒い点
で事足りるからです。

潜在意識にとって、それが虫だろうと、
宙を舞うホコリだろうと、どうでもよい
ことなのです。

眠りは浅く、夢を見ていられる時間は短い。
一瞬の隙に夢を作るには、不必要な演出に
リソースを割けない。手っ取り早く目的を
達成するのに必要な演出だけを行った。

筆者はその時期、多くの雑務を抱えていて、
なかなか仕事を進めることが出来ない状況
でした。煩わしい雑務を夢の中で視界を遮る
” 黒い点 ” として表現しています。

なかなか片付かない雑務を容易に追い払う
ことが出来る飛び回る目障りな物体に
置き換えて解決しようとしているのです。

潜在意識の思惑はこうだったのでしょう。

” 視界を遮る煩わしい存在 ” でさえあれば、
目的は果たせる。それを形状を削ぎ落した
シンプルなストーリーによって描いた。

それがこの夢の核心部分であり、
物語の ” 結 ” です。

想念の世界で

ぼやけたイメージというのは、形がはっきり
定まっていないために解釈が難しいものの
一つです。

意味を明確にしたいばかりに
” きっと、あれのことだろう ” と既に現実に
あるものに当てはめて考えようとして
しまうかもしれません。しかし、それは、
あくまで ” ぼやけた曖昧な存在 ” という
明確な存在なのです。

今回は、一瞬の寝落ちに見るビジョンに
ついて解説しましたが、長い夢の途中で
形状がはっきりしないぼやけた映像が
演出効果として取り入れられることも
あります。

その場合も、やはり、レンズのピントが
あっていないから、ぼやけているわけでは
ないということに留意しましょう。
そこには、潜在意識の何らかの意図がある。

夢とは想念の世界です。

現実世界のように全てが明確に区切られて
存在しているわけではない。曖昧で
中途半端なものが、当然のように、そして、
自由に存在する世界です。

それゆえに現実世界で生きる私たちには、
理解しがたい世界でもある。なぜなら、
私たちは現実世界の ” 常識 ” に囚われながら
生きているから。

その曖昧さや、いい加減さ、矛盾は、
それが何かはっきりしなかったとしても、
” ありのまま ” を受け入れて解釈する必要が
あります。

現実世界では、許しがたい矛盾も夢の世界
では許される。あなたの潜在意識は
思ったよりも寛容なのです。

 

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