マナーを守らない人の心理|本当に伝えるべきこと

先日、筆者が車に乗って
信号待ちをしていた時のことです。

信号が青になると、筆者の前に
停止していた軽トラックの窓から、
タバコがポイ捨てされました。

軽トラックは、そのまま走り去っていった。

その交差点は、筆者の住んでいる地域の
すぐ近くだったのですが、
この辺では見かけない車でした。

多分、この地域に住んでいる住人では
無いのでしょう。

そう考えると、自分の住んでいる場所を
無責任な部外者が汚していったように感じて、
少し腹が立ったのです。

さて、マナーの悪い人は、一体、
どんな心境で、それを行うのでしょう?

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子供の頃の思い出

次は、筆者が小学生だった頃の話です。

日曜日の夕方、誰もいない学校の運動場で
友達二人とサッカーをしていました。

すると、足元に
何かが落ちてきたのに気づきました。

誰かが私たちに石を投げたのです。

遠くを見ると、
一人の上級生が立っていて、手招きをしている。

野球のユニフォームを着ていたので、
すぐに少年野球の部員だと分かりました。

状況がよく分からないまま、
三人は上級生の方に歩いていった。

*

” お前ら、何してんだよ! ”

唐突にそう言われて、
サッカーをして遊んでいただけだと答えると、
上級生は次のように言いました。

” 俺らのグランド、
勝手に汚すんじゃないよ!”

その時、三人は言い返す術も無く、
頭を下げると各自の家に帰ったのです。

今、考えてみると少年野球チームが
練習終わりにグランドの地面を
丁寧に整備しているのは知っていましたので、
彼は、きっと自分たちが大切に使っている場所を
汚されたような気持ちになって、
腹が立ったのでしょう。

学校の運動場を使用する権利は誰にあるとか、
少年野球チームにどこまでの権限があるのか、
という話もありますが、

ネット上でもよく起こるマナーに関する議論は、
悪者が誰かを決めることばかりが
焦点になりがちです。

もう少し、別の視点で考えてみましょう。

健全な世界

タバコのポイ捨ての件では、
筆者は腹を立てる側に、そして、
運動場の件ではその逆の立場になったわけですが、

いずれも、マナーの悪さに腹を立てる理由は、
自分のイメージしていた ” 健全な世界 ”
の一部を壊されたと感じたからです。

これは、住んでいる地域とか、
学校の敷地とか、物理的、地理的な問題ではなく、

頭の中に、その人の思う ” 世界 ” が
イメージとして既に出来上がっている
ということが重要です。

ネット上で顔も知らない人の発言で
炎上騒ぎが起こるのも、結局は、
その発言が、それを見た人が正しいと思っていた
” 世界 ” を汚したからなのでしょう。

*

それは、あくまで、
” イメージ ” なので個人差がある。

また、はっきりとした境界線の無い
曖昧なものです。

私たちは、この曖昧で、各々が、
個人的に作り上げたイメージの世界で
生きているわけです。

法律を守らないとか、確信犯として、
人に迷惑をかけるというのは論外ですが、

誰かの悪気の無い発言によって、
誰かが不快に感じるのは、結局、
双方のイメージする世界にギャップがあった
ということなのでしょう。

多くの人の抱く
” それぞれの世界 ” の共通する部分を
一般常識とか、世論と言うことも出来ますが、
それも、結局は、
個人的なイメージの集まりに過ぎない。

そう考えると、自分の個人的なイメージが
壊れるからという理由で、
周りの誰かに自分の世界を強要するというのも、
何だか、おかしな話です。

一体、私たちの頭の中にある
” 健全な世界 ” とは、何なのでしょう?

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公共的な ” 怒り “

人は、誰かのマナーの悪さに腹を立てます。

それが、直接、
迷惑になっていなかったとしても。

そこで感じた ” 怒り ” は、
私たちが自分の中に作り上げてきた
” 世界 ” が汚されてしまったことに対する憤り。

さて、ここからですが、
その ” 個人的世界 ” は、
一体、どうやって作られたのか?

別の言い方をするなら、その人の中にある
善悪の観念や倫理観、道徳観といったものは
何によって構築されたか。

両親の育て方、学校教育、環境、
確かに、そういった側面はあるでしょう。

ただ、それだけではなく、私たちが
人生の中で経験した様々な事柄が、
大きな影響となって今の自分を作っている。

つまり、その個人的世界は、
” 個人的体験 ” によって作られる。

例えば、誰かに裏切られた過去があるとして、
それがたった一度の経験であったとしても、
深く傷ついたその人の心に
” 他人を信用してはならない ”
という言葉が刻まれる。

その人にとっては、それが人生の格言です。

しかし、そうでない人から見れば、
単なる ” 猜疑心 ” です。

*

そういった経験による人生の学びが時として、
” 正義 ” とか ” 一般常識 ” という建前を偽って、
誰かを傷つける凶器となることがある。

過去、誰かの心無い一言に傷ついた
経験がある人が、ちょっとでも言い方を
間違えた人を見つけると必要以上に非難する。

元々、世の中に不満を持っている人が、
” 不真面目な奴ら ” に
制裁を加えたいという理由だけで
拳を振りかざすこともある。

自分を苦しめる ” 社会の元凶 ” を擬人化し、
それを誰かに当てはめるのです。

そして、彼らは言う。
” マナーを守れ ” と。

” 正義 ” という名目の下で
個人的な復讐を果たそうとしている。

直接関係が無かったとしても、
” 怒り ” や ” 苛立ち ” を感じるとしたら、
それは、単なる ” 腹いせ ” です。

社会の代弁者となり、誰かを批判する
といった ” 公共的な怒り ”
などという感情は無いのです。

逆ギレの心理

では、マナーを注意された人が、
” 逆ギレ ” するのは、なぜでしょう?

それが明らかに正しく、
言い返す言葉が無いから?

的を得たことを言われ、
非常識な自分に恥ずかしくなったから?

つまり、将棋で言う ” 詰み ” の状態。

本当に、それが理由なのでしょうか?

*

注意する側の個人的な腹いせのために、
自分が利用されていることに
怒っているということは無いのでしょうか?

注意される側には、注意した人が、
正義の仮面を被って人を攻撃する偽善者に
見えている。

そして、仮面をつけた人たちは、

” 君は、反論出来る立場じゃないだろ! ”

という言葉の盾によって、
正義の仮面を外そうとする手を払いのけている。

どんなに理論的な言葉を使って
相手を問い詰めようと、いかに
自分の主張が正しいことを立証しようと、

相手には見抜かれているのです。

ただ、人から逃げ場を奪うために、
人を傷つけるために、目の奥に
” 悪意 ” というナイフが握られているのを。

これでは、
マナーの悪い人に反省を促すどころか、
余計に反発されても不思議ではありません。

*

注意する側、注意される側に
立場上の優劣など無いと筆者は考えます。

同じ ” 人間 ” です。

そして、どちらにも信じた ” 世界 ” がある。

人の心を動かすのは、結局、人の心。

必要なのは、抑圧することでも、
コントロールすることでもなく、
互いの世界を認識し合うことです。

筆者としては、
人に迷惑をかけないために
無論、一般的なマナーは守って欲しい。

ただ、それを守らない人を
” 怒り ” によって責めたくはないのです。

もし、マナーの悪い人を見て
” 苛立ち ” を感じたのなら、
それが、どこから来たのか、
自分に問いかけてみて欲しいのです。

注意する側にも節度は必要です。

それは、相手に対する敬意でもあります。

そして、その ” 敬意 ” も
必ず相手に伝わる。

” 偽りの正しさ ” が伝わるのと同じように。

 

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