人は、夢を見る。
しかし、大抵、忘れてしまう。
忘れてしまうことなら、それほど重要
ではないと考えることも出来る。
目覚めて10分も経てば忘れてしまうような
心の映像が、私たちに本当に必要なの
でしょうか?
行動こそが結果に繋がるのであって、
脳の作り出した ” 錯覚 ” が何の役に立つの
でしょう?
それは、単なる幻想に過ぎない。
それでも、人が夢に興味を持つのは、
誰もが ” 心 ” で生きていることを直感的に
理解しているから、ではないでしょうか。
そして、” 心 ” の伴わない行動が、良い結果
をもたらさないことも経験上知っている。
今回は自身の心とどう向き合っていく
べきか、それについて考えてみましょう。
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全ての行動の動機
筆者は、人が理論的思考や計画性だけで
生きられるとは思っていません。
どんなに頭が良くても、どんなに冷静で
あっても、その計算された行動の元々の
動機は、結局 ” 誰かに愛されたい ” とか、
” 大切なものを守りたい ” とか、
” 不安から逃れたい ” というような感情
なのです。
2004年公開のアメリカ映画
” アイ・ロボット ” では、未来都市で
ロボットと共存する人類の姿が描かれて
います。
ロボットの行動原理は、
SF作家アイザック・アシモフの提唱した
三原則に基づいており、
それは、次のようなものです。
原則1:
ロボットは人間に危害を加えてはならない。
原則2:
ロボットは人間に与えられた命令に
服従しなければならない。
原則3:
ロボットは、第一条、及び第二条に
反しない限り自己を守らなければならない。
この三つの原則がロボットが行動する動機
になるのですが、1と3は自分から進んで
何かするための動機ではなく、何かあった
ときに対処するための動機です。
極論、安全な場所で、ただ、動かなければ
1と3は守れる。
つまり、ロボットが何か行動を起こすため
には積極的な動機が必要なのです。
それが 2で定められている ” 人間に
与えられた命令に服従しなければならない ”
感情の無いロボットは、どんなに複雑な
作業やスケジュールを実行出来ても、
自らアクションを起こすことは出来ない。
そのために感情を持つ人間からの命令が
必要不可欠。
そして、人間もまた感情が無ければ、
自らアクションを起こすことは無い。
” 命令する ” というアクションにも、
それは必要なのです。
最も自身を苦しめること
感情は、全ての行動の源泉です。
そして、行動に移る前に自身の心中を
確かめるのは自然なプロセス。
自分が、本当は何をしたいのか?
この段階で誰もが自身と対話をする。
瞬時に結論が出る時もあれば、熟考する
事もあるでしょう。この対話フェーズで
人は自分の中の ” 嘘 ” と向き合うことに
なります。
この向き合い方には個人差がある。
そして、その差は、その後の行動に
違いをもたらす。
人は生きていく上で様々な事を
しなければならない。
お金のためにやりたくもない仕事をしたり、
言いたくもないお世辞を言ったり、
本当は発言すべき時に保身のために口を
閉じたり、
心の悲鳴に気づかない振りをして、
望んでもいない事を
” これが自分の意思だ ” と言い聞かせる。
自分に嘘をつき続ける。これは、とても
疲れることです。とても・・
*
嘘によって自分を騙すことは出来る。
周りの人に、自分には一片の迷いも後悔も
無いという ” 振り ” をすることは出来る。
その ” 振り ” を、あれこれ最もらしい理由
を見つけて正当化することも出来る。
そして、それを ” 振り ” ではないと
言い張ることも出来る。
” 振り ” をしていない大人など、
果たしているのでしょうか?
皆、どこかで自分に嘘をつきながら
生きている。社会で生きて行く上では
必要悪ですし、それが普通です。
別に、自分に嘘をつくことが悪いと言って
いるわけでは無いのです。それが、” 嘘 ”
であり ” 振り ” であることに気づき、
認識しているか、どうかが肝心です。
自分が嘘をついていると知っている人は、
それを正す方法を知っている。後は、
どのタイミングで修正するか。
最も、良くないのは、
” 自分は嘘などついていない ”
という嘘をつき続けること。
これほど苦しいものは無い。
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” 信念 ” という抑圧
” 心の声 ” という言葉を筆者はよく
使いますが、夢はまさにそれを映像として
見ることが出来る。
自身の内面にアクセスする方法としては、
分かりやすい導入です。
と言っても、夢だけが声を聞くための手段
ではありません。それは、いつでも聞く
ことが出来る。問いかけさえすれば。
ただ、常識や、人生経験、慣れによって
ほどけなくなってしまった固い結び目の
ような思考。それが、
小さな声をかき消してしまう。
” あの人は他人の意見を全く聞かない ”
と周囲から批判される頑固な人物は、
どこにでもいます。
人は、普通、迷うものです。別の意見や
視点に影響を受けて心が揺らぐのです。
それが人生経験豊かな人であろうと、
指導者であろうと、政治家であろうと。
” もしかして・・
自分の方がズレてるのか? ”
心の中で、ほんの一瞬だけ過った自身の声。
それは確かに、かすかに聞こえたのです。
ただ、その小さな声は、後から
覆い被さってくる大きな声
” そんなはずはない。馬鹿げている ”
” こんなことで私は動揺したりはしない ”
によって圧し潰され、消えてしまう。
故に、頑固な人の中では、常に ” 信念 ”
という名の元に抑圧が行われている。
心の揺らぎを認めないという ” 嘘 ” を
つき続けるのです。
*
” 信念 ” という単語には、ポジティブな
イメージがあります。” 信念を貫く ” と
聞くと恰好いいですよね。
なぜ、そう見えるか?
それは、誰もが ” 自分には無い強さ ” を
そこに感じ取るからです。ある種の憧れ。
ここで重要なのは ” 誰もが ” という部分。
つまり、周りの人から ” 信念を貫く人 ”
として思われている人ですら、その強さ
に惹かれ、時には演じる。
裏を返せば、信念を貫徹できた人など
存在しない。一人も。
” 信念を貫く人 ” というイメージは
葛藤や不安を巧妙にカモフラージュした
” 嘘 ” によって作られた虚構なのです。
もちろん、筆者にも、そのような強さは
ありません。夢解釈に関しても、
過去行った解釈を見直していると、
” ここは変だな。どうも間違っているぞ ”
ということは、よくあることです。
過去、正しいと思っていたことも、
今考えてみると ” あれ? ” という瞬間は
誰にでも起こる。しかし、大抵は無視
されてしまう。その方が楽だから。
そして、一つの考えを貫くよりも、
考えを変える方が実は難しかったりする。
“嘘” を観察する者
人は、本来、弱い生き物です。
知らず知らずに嘘もつく。
世の中に正直な人はいます。ただ、それは、
自分に対する嘘を除外した ” 正直さ ”
でしかない。
他者に対して嘘をつくことは、
批判されやすい。それは ” 裏切者 ” と
” 裏切られた者 ” の両者が存在するから。
でも、自身に対する嘘を批判する者は
いない。なぜなら、他者にはそれが
見えないから。ただし ” 傷つけられた ”
という事実は残る。
批判できるのは、唯一、
嘘をついた自分自身だけです。
誰も ” 聖人 ” にはなれない。あなたも、
もちろん、筆者も。
しかし、” 観察者 ” にはなれる。
自身の心を観察し続けるのです。そこには、
必ず ” 批判する者 ” を見つけることが
出来る。
ただ、その子は建物の影に隠れて、
何か言いたげな表情、悲しげな目をして
こちらを見ているだけです。
きっと怒鳴りつけてしまえば、途端に
引っ込んで、二度と出てこなくなって
しまうでしょう。
だから、そっと近づき、何やらモゴモゴと
動いている口元にマイクを近づけ、
ボリュームを上げる作業が必要なのです。
無視しても構わないほど小さな声、
その声こそが真実を伝える。
あなたは、
どんな ” 嘘 ” をついていますか?
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