見過ごされる ” 心の負荷 “|瞑想している夢

普通、人は、何事も無い時は、自分自身を
見つめ直すということはしないものです。

見つめ直したところで、それが物質的な
豊かさを提供してくれるわけではない。

ならば、SNSでトレンドをチェックしたり、
ジムで汗を流す方が、まだ時間の有効利用
だと考える。

現代人は生活を豊かにするために忙しい。
悠長に自分を見つめ直している暇などない。

ただ、これだけは言えます。

心は、あなたを支えるために働き
続けている。そして、いつしか休息を
必要とする時は、必ずやってくる。
それを無視し続けることは出来ない。

心のメンテナンスは、いずれは必要に
なるのです。

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瞑想教室の夢

次は、とある男性の見た夢の一例です。

どこかのお寺で一般の人たちと
瞑想教室に参加している。
 
自分は、一番、端に座り、
足を投げ出してサボっている。
 
向うから警策を持ったお坊さんが
静かに歩いてくる。
 
座禅を組んでやり過ごす。
 
お坊さんが通り過ぎると、
再び足を崩してサボる。

夢の舞台は、架空のお寺で開かれていた
一般人が参加できる瞑想教室ということに
なっています。

” 教室には何人ぐらいの方が
参加していましたか? ”

筆者が尋ねると、彼は ” 10人ぐらい ”
と答えます。

そして、とある著名な政治家が参加者の中に
混じっていたと言います。その人物は、
彼とは反対側の端に座っていた。

” それ以外に、
知っている顔はありましたか? ”

彼は、政治家以外は見知らぬ人とだった
と答えます。

なぜ、潜在意識は、全ての登場人物を
” 見知らぬ人 ” にしなかったのでしょう?

つまり、この夢において登場している
政治家は、何か意味があってそこにいる
わけです。

そして、その政治家は、最近、スキャンダル
が発覚し、テレビのワイドショーで、度々、
批判を受けていた人物ということで、

夢の中で政治家を見かけた時、
” ああ、スキャンダルの件で反省するために、
この教室に参加したのだな ” と思った。

一体、この夢は
何を意味しているのでしょう?

” 普通 ” という罠

夢を解釈する前に、まず、彼の今の状況を
理解しておく必要があります。

夢の舞台が瞑想教室という、あまり、
馴染みの無い場所が選択されているという
ことから、筆者は、彼の中に、何か、
自身を見つめ直したい心理があるのでは
ないかと思いました。

そこで、最近、ストレスに感じていること
が無いか尋ねると、彼は次のように答えます。

” 通常運転だと思う ”

つまり、何事も無い、至って普通の状態
だと言うのです。

この ” 普通の状態 ” という言葉には注意が
必要です。そもそも ” 普通 ” とは何でしょう?

例えば、職場のトイレの衛生状態が悪い
としましょう。そこで働く社員は、それに
不満を持っている。

しかし、そればかりを気にしていては
仕事になりませんから、ある程度、
我慢をします。

やがて、会社のトイレの衛生状態が
悪いのは、彼らにとって ” 普通のこと ” に
なってしまう。

仕事やプライベートで何らかの問題を
抱えていたとしても、それが慢性化し、
変化の無い日常の一つになると、
その人にとっては ” いつものこと ” という
認識になっていく。

そもそも、何一つ悩みの無い大人など
いるのでしょうか?

そして、” 普通 ” として片づけられて
しまった見過ごされた問題意識は、
確実に心に負担をかけ続ける。

それが、ある一定の限界を越えると
夢に表れるようになる。

彼の答えた ” 通常運転 ” という表現。

筆者は、その ” 通常 ” とは、どういった
意味の通常なのか、それを知る必要が
あったのです。

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忘れていた ” 何でもないこと “

” 実際に瞑想教室というものに
参加したことは? ”

彼は、参加したことは無いが、
興味があって、インターネットで検索した
ことは何度かあると答えます。

なぜ、それを検索していたのか、その理由
を尋ねると、彼の話した経緯は次のような
ものでした。

最近、自分の生活習慣に乱れを感じ始めて
いたと言います。不規則な食事や睡眠、
やる気も起こらずにダラダラとした生活が、
このところずっと続いており、
今月に入ってから、立て続けに会社を遅刻
して上司に怒られてしまった。

自分でも ” 気の緩み ” を実感し、メンタル
を強くするための情報を探している時、
” 瞑想 ” というキーワードに行き当たった
ということでした。

それから、行けそうな距離に瞑想教室が
無いか調べたが、見つからないまま、
その時は諦めた。

彼は、筆者に質問をされて、
一週間ほど前にインターネットで瞑想に
ついて検索したことを思い出したようでした。

それはまでは、全く、今回の夢とその
出来事が繋がっていることに気づかなかった。

確かに、一週間前に自分が
インターネットで何を検索したかなど、
普通なら誰も覚えていないでしょう。

彼にとっては、その出来事は、忘れていた
” 何でもないこと ” だったのです。

政治家という囮

彼から経緯を聞くと、この夢が何を
意味しているのか見えてきます。

つまり、夢の中で瞑想教室に参加して
いるのは、自分の中の ” 気の緩み ” を
正そうとしている。

しかし、夢の中の彼の態度は、少々、
問題ありです。

警策 ( 肩を叩くときに使う棒 ) を持って
お坊さんが前を横切る時だけ座禅を組んで、
通り過ぎると再び足を投げ出す。

気持ちを引き締めたいという潜在意識の
思惑とは裏腹に、彼の中の ” 怠けたい ”
” ダラついていたい ” という抜けきれない
甘えがこの場面に表れている。

そして、教室に参加する著名な政治家。

この夢の文脈から察するに、スキャンダル
を起こした政治家が瞑想教室に参加して
いる意味は、

政治家の汚職に比べれば、彼自身の
” 気の緩み ” は、何でもない小さな事として
片づけることが出来ます。

問題を起こした政治家を登場させることで、
自分自身の気の緩みを目立たなくしようと
している。

” 本当に反省が必要なのは、あの政治家
の方でしょ。俺は、まだいい方さ ”

反省することを回避するために取り入れた
都合の良い設定です。

一方、自身を戒めようとする心が、
生徒の前を巡回するお坊さんとして
登場しています。

この夢は、彼の中の自身を戒めようと
する心と、それをやり過ごしたい怠け心が、
折り合いをつけるために作られた。

足を崩してサボっていたとしても、一応は
瞑想教室に参加したことにはなりますし、
お坊さんに肩を叩かれなければ真面目な
参加者を演じたことになります。

つまり、サボりながら、改心も出来る
という都合の良い状況を描いている。

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見過ごされるシグナル

慢性的な悩みを抱えている場合、
心は常に、そればかりに囚われている
わけにはいきません。

日常生活を送り続けるために、その状態に
順応して徐々に慣れていきます。

しかし、心の負荷が完全に消え去るわけ
ではなく、やはり、どこかですっきり
しない感覚として蓄積していくのです。

それは、日々の生活習慣や、人生観、
価値観といったものに、土に浸透する水
のようにしみ込んでいく。

” 現実は厳しいもんさ ”
” どうせ、世の中そんなもんでしょ ”

というネガティブな考えで抱えている問題を
一時的に処理することは出来ます。しかし、
その考えは意識しないところで自身の行動を
制限していくのです。

そして、ある時、こう思う。

” なぜ、いつも上手くいかないんだろう? ”

その原因は特定できない。なぜなら、
見過ごしてしまうほど、小さな負荷が、
長年、心に積み重なっていった結果なのです。

いつから始まったことなのかも分からない。

今回のケースでは、彼が感じていた
” 気の緩み ” を戒めようとして夢が
作られています。この夢を今までどおり、
” 何でもないこと。ただの夢さ ”
と片づけてしまうことは出来る。

また、自分自身を見つめなおす一つの
きっかけにすることも出来る。

夢は、知らず知らずのうちに私たちの中に
蓄積されていく ” 心の負荷 ” に気づく
きっかけを与えてくれます。

それが、体調の変化や、実際に生活に支障
をきたすよりもずっと前からシグナルを
送り続けているのです。

その小さなシグナルに気づくかどうか、
そして、それに対してどう答えるかは、
結局、夢を見た本人次第なのです。

 

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