最も心が軽くなる気持ちの置き方|心のデフォルト

人生には色々なことがあります。仕事、
人間関係、健康、学業、恋愛、家族、
将来について考えたり、過去を省みたり、

そういった場面で、前向きな考えが出来る
ポジティブな人と、後ろ向きな考えを
持ってしまうネガティブな人がいます。

と言っても、人は、必ず、この二つの
タイプのいずれかに分かれるということ
ではない。そもそも人は、その両方を
使い分けながら生きていくのですから。

今回は ” ポジティブ ” そして ” ネガティブ ”
という二つのキーワードから、心に負担の
かからない気持ちのあり方について探って
いきましょう。

広告

アクセルとブレーキ

野生の肉食動物は勝算が無い限り、
自分より強い相手に挑んだりはしません。
必要とあれば戦いを回避することもある。

自身の命を守るために恐怖心は必要です。
しかし、怖がってばかりでは獲物を得る
ことが出来ない。生きるために気持ちを
奮い立たせる前向きな感情も必要。
彼らは、それを自然に身に着けている。

ただ、人間は、野生動物のように
シンプルに生きているわけではありません。

状況によっては、悲観的に考え過ぎて行動
出来なかったり、楽観的過ぎて努力を
怠ったりすることもある。

それは、ポジティブ、ネガティブの
どちらかに偏った心のバランスが崩れた
状態です。

例えば、悲観的な人は楽観的な人を見て、
” 現実が分かっていない ”
” 世の中そんなに甘くない ”
と批判をする。

一方、楽観的でポジティブ思考の人は、
悲観的な人を見て、
” 愚痴ばかりで行動を起こそうとしない ”
” そんなふうに生きて何が楽しいの? ”
と批判する。

こういった批判や議論の行きつく先に、
答えはありません。

前向きに生きるべきか、現実的に生きる
べきか、という問いかけは、車の運転で
例えるなら、
アクセルペダルを踏み続けるのか、
ブレーキペダルを踏んだまま留まるのか、
という問いかけと同じです。

もちろん、二つのペダルを踏み分けることで
安全に走行し、目的地へ行けるのですから、
どちらか一つを選べというのは、おかしな
話です。

” 明るい人 ” の周りに集まる心理

” ポジティブ ” という言葉には、
良いイメージがあります。前向き、建設的、
楽観的、明るい、希望・・・

逆に ” ネガティブ ” には、悪いイメージが
ある。消極的、悲しみ、暗い、重たい・・

例えば、暗くてジメジメした人。

誰だって暗くてジメジメした世界には、
行きたくないでしょうから、そういった
雰囲気の人とは距離を置きたがる。

そして、明るくて、いつも笑っている人の
周りに人が自然に集まる。

ここで、一つ理解しておくべきは、
暗い人から距離を置き、明るい人の周りに
集まる人の心理とは、
” 自分も明るい人になりたい ” では無く、
” 明るい人からエネルギーを貰いたい ”
ということです。

この二つの心理は似ているようで根本的に
違っている。

言わば、その人たちにとって、
” 明るい人 ” は、パワースポットであり、
サプリメントです。

あくまで、” 明るい人 ” と自分は、
別の存在であり、自分自身を保持しながら、
エネルギーだけを頂くために集まっている。

自分自身がパワースポットになりたい
わけではない。

無論、憧れの対象として、そこを目指す人
もいますが、常に明るく居続けることに、
いつか疲れてしまうことを大抵の人は
知っている。

” 明るい人 ” であり続ける、もしくは、
常に一緒にいるというのは、かえって
エネルギーを消費してしまう。

そして、明るい人の元へ行きたくなる時は、
自分には前向きなエネルギーが必要だと
感じている時だけです。

人は、自分のメンタルコンディションに
応じて、パワースポットとの距離感を
調整している。

広告

適温とは?

中には、” ポジティブな人が苦手だ ”
という人もいます。

例えば、前向き過ぎて暑苦しいとか、
自分とは波長が合わないと言って、あえて、
そういう人を避ける。

そういった人たちにとって、ポジティブな
エネルギーは、自分を疲れさせるマイナス
エネルギーなわけです。

それは、ポジティブな人の個性が強過ぎた
わけではなく、その人のメンタルが必要
以上のポジティブなエネルギーを求めて
いなかったというだけです。

ポジティブなものから距離を置きたがる
人が、必ずしもネガティブ人間かというと、
そうではありません。

この一人一人の感じ方の違いは、暑がり、
寒がりの違いに似ています。

暖房をつけていると ” この部屋熱くない? ”
と言われたリ、クーラーをつけていると
” 寒くない? ” と言われて、室内気温の
調整に困ることがあります。

一人一人が適温だと感じるラインが
バラバラなのです。例えば、北海道に
住んでいる人と、沖縄に住んでいる人は、
多分、肌で感じる適温は違っている。

ポジティブとネガティブについても
同じことが言えます。

自分はポジティブな方だと思っていても、
もっとポジティブな人から見ると、
ネガティブな人に見える。

逆に、自分はネガティブだと思っていても、
もっとネガティブな人から見れば
十分、ポジティブな人間です。

要するに、ポジティブとか、ネガティブ
という区別は無意味です。そして、
それぞれの適温が違うということだけが
事実。

沖縄の人に比べて北海道の人が暑がり
だったとしても、それは欠点でも長所
でもありません。

人が、同じ温度を ” 適温 ” だと感じる者
どうし集まるのも、結局は、その方が
疲れないからです。

この ” 適温 ” を別の言葉に言い換える
ならば、” 心のデフォルト ” とでも
言いましょうか。

アクセルを踏んでいるのでもなく、
ブレーキを踏んでいるわけでもない
ニュートラルな状態。

それこそが、その人にとって最も心に
負荷がかかっていない理想の状態。

心と身体

人は、生きて行く中で多くの選択をする。
それによって得るものもあれば、
失うものもある。その一つ一つが、
人生の分かれ道です。

決断しなければならない時に、どちらの
ペダルを踏むべきか、冷静な判断をする
ためには、バランスのとれた心の状態が
必要になる。

もし、あなたが自信を失った状態ならば、
きっと、ブレーキペダルから足を上げる
ことが出来ないでしょう。

それが、アクセルを踏み込む絶好の機会
だったとしても。

もし、あなたが高揚した気分に流されて、
計画性も無く大金を使おうとしているなら、
アクセルを緩めて、ブレーキペダルに
足を置くべきでしょう。

それが、絶交の機会に見えたとしても。

要するに、どちらかに偏り過ぎてバランス
を崩したメンタルをデフォルトに戻す
ために、時に前向きな気持ちを高めたり、
慎重に事を進めたりというだけで、何事も
ポジティブでさえあればそれでよいという
わけではありません。両方を調整する
そのプロセスが重要です。

問題は、デフォルトの状態をどうやって
作っていくか?

それは最も ” 楽な状態 ” ですから、
手探りで見つけ出すしかない。

もし、気分が落ち込んで誰とも話したく
ないというなら、心がそれを求めている
わけですから、それに従って、
ずっと部屋に閉じこもっていればいい。

一見すると、こうした後向きな姿勢は、
あまり良い対処ではないようにも思えます。
でも、それが、本人にとって一番楽だ
というならやむ得ないでしょう。

そこが、現時点でのデフォルトなのです。

つまり、デフォルトは固定されている
わけではなく、常に心の状態に応じて、
ポジティブ側に移動したり、ネガティブ側
に移動したりする変動的な基準なのです。

それは、毎回位置が変わるので、その度に
調整しなければならない。面倒ですが、
実際にそうなのだから仕方がありません。

とは言え、ネガティブな感情に囚われて、
ご飯も喉に通らないというなら、それは
健康に支障をきたしているわけですから、
どうにかしてご飯だけは食べてください。

どんなにメンタルが低下していたとしても、
最低限の健康だけは維持する必要が
あります。でなければ、立ち直るための
活力自体を失うことになる。

つまり、メンタルが求めている状態が、
メンタルにとってのデフォルトであっても
それが、フィジカルのデフォルトとは
限らないということです。

メンタルとフィジカルのデフォルトが
一致していることが理想的ですが、
そうでない場合は、試行錯誤して双方の
調整を行わなければならない。

メンタルが回復し、気力が充実している
からといって、これまで部屋に閉じこもって
いた人が突然、ランニングなど始めたら
息が続かないでしょう。

逆に、体力的には問題ないからといって、
心が病んだ状態で無理やり働き続ければ、
その歪はしわ寄せとなって、何かを
引き起こすことになる。

ポジティブとネガティブ、そして、
メンタルとフィジカルというそれぞれの
バランスを意識しながら、今、自分に何が
必要かを見極めるという作業が必要です。

意識せずに、ほとんど直感的に調整できる
人も稀にいますが、大抵は、自分の
進むべき方向もわからず、闇雲にもがいて
イライラしたり、体を壊したりする。

まず、心が何を求めているか、そして、
体が何を必要としているかを自己観察
することが最初のステップです。

 

関連記事


読む

読む

読む

広告

 

この記事をシェアする