夢の中で ” これは夢だな ”
と気づくことがあります。
この現象を ” 明晰夢 ” と呼びます。
明晰夢を見る理由は、眠りが浅く、
脳が半覚醒状態であり、
そのために日常的な思考力が夢の中でも保たれ、
ストーリーの矛盾に気づきやすいというのが
一般的解説です。
さて、脳科学の話は、
他のウェブサイトにお任せするとして、
ここでは別の視点で明晰夢について
考えていきたいと思います。
例えば、自分の見ているものが
夢であることに気づくと、
その夢自体にどういった影響を与えるのか?
仮に、夢に潜在意識からのメッセージが
託されていた場合は、その解釈は
果たしてどうなるのでしょう?
今回は明晰夢が夢そのものに与える
影響について見ていきましょう。
広告
無関係なシナリオ
夢に客観的な視点が紛れ込むと、
目的を持って組み立てられた
夢のストーリーに ” ブレ ” が生じます。
目的とは願望を満たすということですが、
そこに別の視点が加わることで、
ストーリーの一貫性が失われるのです。
具体例で説明してみましょう。
次は、筆者が見た夢の一例。
気持ちよく歌を口ずさんでいる。
夢であることに気づく。
目覚めると歌詞を忘れてしまうと思い、
今のうちにスマホのボイスレコーダーで
録音しようとする。
ポケットに手を入れると、
スマホではなく、
電子書籍リーダーを発見する。
夢の中で歌っているわけですが、
その歌は実在するものではなく、
聴いたことのない架空の歌でした。
ただ、その歌詞が何か意味ありげな
言葉に感じ、記録しようとした。
歌詞が夢の意味を解く
ヒントになると思ったのです。
この夢の特徴的な点は、
筆者に最初から夢を見ている
自覚があったということです。
筆者の場合、常に夢か現実かを
疑う習慣があるからなのか、
割と早い段階で気づくことが多々あります。
残念ながら歌の歌詞は目覚めた時点で
忘れてしまいましたが、多分、
何かのメッセージだったのでしょう。
*
歌を口ずさんでいるという部分では、
まだ、この夢はストーリーを保っています。
歌詞にメッセージが託され、
潜在意識が筆者に何かを伝えようと
しているわけです。
この夢の本来の目的を果たそうとしている。
しかし、夢であることに気づいた時点から
ストーリーに余計な思惑が加わっています。
” これを記録しなければ ”
という思惑です。
そして、夢の中で記録する方法を
あれこれ考えながら、結果的に
ポケットから電子書籍リーダーを見つける。
電子書籍リーダーとは、
電子書籍専用のスマホよりは
大きめの液晶タブレットです。
実際に筆者が持っているものです。
因みにタブレットもあります。
つまり、途中から加わった余計な思惑のために
ストーリーに本来は不必要な場面を付け加えている。
電子書籍リーダーを発見するという。
しかし、なぜ、ボイスレコーダー機能
のついていない電子書籍リーダー
だったのでしょう?
*
スマホでもなくタブレットでもなく、
電子書籍リーダーという中途半端なアイテム。
録音記録やメモ機能が
付いていそうで付いていない、
文章を読むためだけの専用機。
筆者は夢の中で、
どうにかして書き残す手段は無いか、
電子書籍リーダーの画面を
タッチして調べていました。
夢の中で記録しても意味が無いのに。
夢が、もはや歌詞によって
メッセージを伝えるという目的を見失い、
” 記録する方法を探す ” という
目的のためのストーリーにすり替わっている。
さて、潜在意識がポケットに
書籍リーダーを仕込んだわけですが、
そのデバイスを選んだ理由は、まさに
” 録音出来ないから ” なのです。
これは目覚めの直前によく起こる現象で、
眠り続けたい潜在意識が意識を夢に
留めておくための ” 時間稼ぎ ” です。
筆者は夢の中で機能探しに気を取られ、
その行為自体に意味が無い事に気づいていません。
広告
ノイズ
では、次に悪夢と明晰夢の関係について
考えてみましょう。
夢の中で幽霊や怪物から逃げる夢。
はやり、夢である自覚がある場合と
無い場合では解釈に違いが出てきます。
例えば、怪物に追われながら
どこかの時点で、
” これは夢で
あの怪物は本物ではない ” と気づく。
それが自分が主役の
冒険ファンタジーということなら、
主人公が死ぬことはありません。
意気揚々と振り返って反撃に転ずる。
そこで怪物を退治出来たとしても、
” 困難に立ち向かう勇気 ”
を示すことが出来たとは言えない。
なぜなら、それは、もはや
張りぼての怪物でしかないのだから。
気づいた時点で怪物は
” 困難の象徴 ” としての役割を
果たさなくなっている。
*
物語がフィクションだと
気づいたことによる影響は、
夢解釈にとって ” ノイズ ” のようなものです。
ストーリーとしては繋がっていますが、
本来の目的ではない別の思惑が
割り込んでいる状態。
明晰夢は夢をコントロールすることが
出来るという自由を手に入れることが出来ますが、
実際は、夢が伝えるメッセージに
余計な要素を追加してしまい、
夢解釈をより複雑なものにしてしまうのです。
と言っても、夢だと気づかないよう
気をつけることも出来ません。
気をつけている時点で
意識しているわけですから。
*
夢を観察していると、
その設定が潜在意識の思惑によって、
緻密に計算された上で作り込まれた
構造物であることに気づかされます。
例えば、隣り合う二つの家が
一つの敷地内に建っているという
シチュエーションの夢を見たとしましょう。
二つの家は架空の建物で
夢の中ではその内の一つに自分が
住んでいるという設定。
この夢における自分の住んでいる家は、
” 自身の価値観 ” を表しています。
つまり、自分とは異なる価値観との
融和をこの夢は描いているわけですが、
設定としては別の価値観は、あくまで
” 隣の家 ” として建っています。
認めつつあるが、まだ一つ屋根の下で
暮らすほど仲良くはない。せいぜい
部分的な融和に過ぎないという
微妙な距離感を同じ敷地内に二軒の家
という物理的シチュエーションで表現している。
二つの価値観を ” 家 ” に置き換えた理由も
過ごし方によっては、
全く隣人と顔を合わせることなく
生活することが出来るという
都合の良さがあるからです。
頭の中に入り込んだ別の価値観は
追い払うことは出来ませんし、
無視することも出来ない。
潜在意識はこうした緻密に
仕組まれた設定で夢を作り上げる。
ただ、緻密であるからといって
強固ではないのです。
それは ” 気づき ” によって脆くも崩れ去る。
繊細なガラスで作られた彫刻のように。
もし、この夢にノイズを与えると
どうなるのでしょう?
気に入らない隣人に対して
この敷地は自分のものだと主張し、
追い払う展開になっていたかもしれませんし、
隣人を好きな芸能人や美しい異性に置き換えて、
楽し気な共同生活を始めるかもしれない。
その時点で ” 価値観の融和 ”
というテーマはどこかに消えてしまう。
夢の中で必ずしも一貫したテーマが
描かれるという保証は無く、
それは夢を見ている本人の気分次第で
どのようにでも変わるのです。
夢をコントロールする
夢をコントロールしたいという気持ちは、
誰にでもあると思います。
自由に好きな異性を登場させてデートしたり、
好きな観光地に行ったり、空を飛んでみたり、
もちろん、それは自由ですし、
ストレス解消になるかもしれません。
ただ、そのストーリーは、
夢の中で新しく生まれたあなたの思惑に
答えるために作られたのです。
そこに夢占いや深層心理に関する
メッセージが隠されているわけではない。
*
全ての夢は
願望を満たすために作られます。
それが悪夢であったとしても。
つまり、夢を見ている途中で何かを思いつき、
別の思惑が生まれたとしたら、
元々の願望が別の願望によって
阻害されてしまうということでしかない。
夢をコントロール出来ないと言うよりは、
厳密には、コントロールの主導権を
どの願望に持たせるのか、
という覇権を争っているだけなのです。
夢は最初から、あなたによって
全てコントロールされている。
なので、夢をコントロールするための
訓練というものは、あまり意味を
持たないと筆者は考えます。
*
夢の中では、
なかなかスポットライトが当たらずに
気が付きにくい願望、欲求、不安が
描かれることがあります。
先ほどの例では、潜在意識が夢によって
” 別の価値観を認めつつある自分 ” に
気がつく機会を与えようとしていますが、
それが、即物的な願望によって
主導権を奪われてしまうのです。
どうしても、現実問題を
取り上げた大切なテーマよりも、
好きな異性とデートをしている方が
楽しいに決まっていますから、
そういった展開に偏りやすい。
夢をコントロールしてはいけないとは
言いませんが、明晰夢によって結果
夢をコントロールできたとしても、
それによって得られるメリットは
あまり無いでしょう。
*
夢解釈では、明晰夢による” 気づき ” が
確認された時点から後のストーリーに
ついては精査し、ここまでは本来の
テーマを描いているが、ここからは
ノイズが入り込んでいるといった見極めと
願望の分離が必要かもしれません。
実際は、明晰夢に限ったことではなく、
夢の中の体験の途中で
新たに生まれるインスピレーションが
新しい場面となって追加されていくという
現象は常に起こっているのです。
それによって思考のストーリーが
紡がれていく・・
この話は、また別の機会にしておきましょう。
関連記事 : 夢の中の ” 懐かしさ “|デジャブ現象と夢
広告