過去の出来事が夢になるといったケースがあります。
例えば、学校でテストが終わった後にテストを受けている夢を見たり、外出先から家に戻ったその日の夜、夢の中で ” 早く家に帰らないと ” と焦って車を走らせているなど。
すでに終わったことを夢の中で、なぜか、もう一度やり直している夢。なぜ、夢の中で終わったことを再現する必要があるのでしょう?
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フラッシュバック
過去の記憶が、映像として脳裏に蘇る現象を ” フラッシュバック ” と言います。
過去に強いストレスを受けた場合、その時の状況が何かをきっかけに記憶に蘇ったり、夢の中で再現されたりすると言った現象で、心的外傷ストレス障害( PTSD ) の症状の一つとされています。
ここでは、重度の心的外傷をきっかけとしたものではなく、日常的な夢による過去の再現という意味で、フラッシュバックについて見ていきたいと思います。
次は、筆者自身が見た夢の一例です。
セルモーターを回すがエンジンがかからない。
何度か回しているうち、
少しだけかかるが、すぐに止まる。
実は、この夢を見た前日、実際に車のバッテリーが上がってしまうというトラブルに見舞われたのです。
以前から、バッテリーが古くなってきて、時々、かからなかったりしていたのですが、今回、寿命が来てしまったようです。
それで、仕方なく近くにあるオートバックスに行き、バッテリーを交換した。そして、一日が終わり、床に就いてから先ほどの夢を見た。
*
さて、問題はすでに解決されているはずが、なぜ、夢になったのでしょう?
気がかりな事などありませんでしたし、もちろん、強いストレスがかかっていたわけでもない。 ただ、筆者には、その夢が何を意味しているのか、思い当たることがありました。
その頃、筆者は体力的にも、メンタル的にも停滞期で、何事をするにも気力が続かず、心のどこかで焦りを感じているという状態でした。” やる気スイッチ ” が入らなかったのです。それはまるで、エンジンのかからない車のようなイメージ。
潜在意識は、昨日あった車のトラブルに関する記憶を利用して、それを材料に夢を作った。
自分のやる気スイッチを入れるのは難しいですが、バッテリートラブルならば交換すれば済む。潜在意識は過去の出来事をヒントに、特定の問題を解決できる都合の良い形に置き換えています。
現実世界の時間、意識世界の時間
つまり、筆者は過去のフラッシュバックを夢で見たわけではなく、過去の記憶を利用して、現在、抱えている問題を解消しようとしているのです。
PTSDと診断された人がフラッシュバックを見るのと、今回の夢のように日常生活の何気ない出来事が夢になる場合とでは、そのプロセスが根本的に違います。
何気ない夢に登場する ” 過去 ” は、潜在意識にとっては、キャンバスに目的の絵を描くために用意した、単なる筆であり、色彩です。PTSDに関する夢は、過去そのものが目的として描かれる。
なので、日常風景が夢で再現されたとしても、それは、フラッシュバックというよりは、他の夢と同じ理由で作られたものだと考えた方がよいかもしれません。
では、もう一つ、夢を紹介しましょう。仕事から帰宅したとある女性が、その夜、次のような夢を見ます。
パソコンに向かって、
入力された数字のチェックをしている。
ファイルを閉じようとするが
閉じることが出来ない。
これは、彼女の潜在意識が、終えた仕事をチェックしなおすように言っているのです。つまり、彼女の中の ” 何か見落としている気がする ” という気がかりが夢になっている。
過去の仕事を再現しているというよりは、その仕事が不完全であることを夢が伝えているのです。つまり、それは彼女にとって ” 過去 ” ではなく、あくまで現在を描いている。
このケースのように、一見、過去を描いているように見えて、実際は現在の問題を描いていることはよくあります。潜在意識が、ある時点で ” 気がかり ” と共に留まっているならば、夢はその時点を現在として描く。
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ここで ” 時間 ” について少し説明しておきましょう。
今、例に挙げたデスクワークの夢は、潜在意識がどのように時間を認識しているかを端的に表しています。
例えば、歳を取ると若い頃に比べて、時の流れを早く感じるという現象がありますよね。時間が進むスピードは変わっていないはずなのに、なぜ?
それは私たちの意識が、現実世界の時間のスピードに
追いつけなくなっていくからです。生きていれば、躓き留まることもあれば、後悔から過去に執着する時もある。その度に、実際の時間と意識の中の時計の針はズレていく。
それは、心理的に認識している時間の流れと、現実世界の時間の流れの間に生じる感覚的ズレです。それが単なる物理的な遅れであれば、時計を見て認識を改めればよいだけです。つまり、感覚のズレを修正し、” 同期 “ を行う。
“ あら、もうお昼ね。ランチにしましょう ”
ただ、それらズレを実務として処理できたとしても、実際は完全に処理出来たわけではありません。過去に囚われることはよくあることですし、自身を守るため外界をシャットアウトすることもよくあることです。生活習慣として次の行動に移ったとしても、心が同期していない状態がある。
では、この感覚として私達の中にある時間の流れを
“ 意識時間 ” と呼ぶことにしましょう。
この ” 意識時間 ” は、止まったり、動いたりする。機械のように一定の速度で進む現実世界の時間とは違います。この二つの時間の間に生じたズレを同期によって解消することは出来ても、その時に ” 認識されなかった時間 ” は失われていきます。
まだ、11時30分ぐらいだと思っていて、時計を見たら12時だった場合、同期した時点で、30分が消えたことになる。その時、私達は思う。
“ いつの間にか、時間が過ぎてしまった ”
この消失体験が蓄積していくほど、現実世界の ” 現在 ” と、自分の中の ” 現在 ” との距離は開いていきます。つまり、歳を重ねるほど時の流れを速く感じる現象は、私たちが時々、意識時間を止めることで生まれる ” 時差 ” によって起こる。
*
では、” 時間が止まる “ という現象は、どういった状況で起こるのか。具体例で説明してみます。
作業場に二人います。Aには仕事を与えます。Bには与えません。二人を1時間拘束します。どうなるでしょう?
Aは、作業に手間取ったり、手順を間違えてやり直したり、出来高を確認したり、そうやって仕事をこなしていきます。そして、1時間が過ぎた頃、時計を見てこう呟く。
” ああ、もうこんな時間か ”
Bは、何もせずに、ただAの作業を眺めているだけです。そして、1時間が経つのをひたすら待ち続ける。多分、こう言うでしょう。
” まだ、10分しか経ってない ”
二人の意識時間は、明らかに違っています。Aにとって現実世界の1分は、多分、30秒ぐらいの感覚でしょう。つまり、時間の流れを早く感じている。
Bにとって、現実世界の1分は、そのまま1分です。1分をしっかりと認識しつつ時を過ごしているわけですから。つまり、時間を遅く感じている… というより、それが本来の時間のスピードなのです。言い変えるならば、意識時間と現実時間が一致している状態。
二人を拘束した1時間を人生全体に引き延ばして考えても、同じことが起こります。歳を重ねると時の流れが速く感じるのは、人生において処理しきれない様々なタスクが一つ一つ増えていくから。
仕事、家計、人生の目標、家族のこと、健康、老いについて、時間がどれだけあっても足りません。学生時代のように授業が終わるチャイムをひたすら待ち、学校が終われば自由時間というわけにはいかない。
時間の流れを若かりし頃の感覚に戻したいと言うなら、その方法は単純明快です。タスクを減らす。それだけです。
しかし、抱えたものを降ろせと言われても、大人の事情があるので簡単にはいかないのも事実。ただ、一つや二つぐらいなら、降ろしても構わないものがあるかもしれません。それを諦めることさえできれば。
少し、話が広がりましたが、潜在意識の認識する ” 時間 ” は現実世界の時間とは進み方が違う。そして、潜在意識の見ている時計は、意識時間、すなわち、あなたの中にある時計です。
パンドラの箱
では、現在を描くための一つの表現として、または、時間認識のズレとしての過去描写ではなく、トラウマを原因とする夢の中のフラッシュバックについて、少し、考えてみましょう。
例えば、過去に大失恋し、それがトラウマになっている女性がいたとします。
彼女に新しい異性との出会いがあると、決まってトラウマになったあの日を夢に見る。彼女は出会いを受け入れることが出来ず、心の扉を閉ざしてしまう。
つまり、潜在意識は、再び誰かを好きになれば、また傷つくことになると彼女に警告するために、あの日を夢に再現したということなのでしょうか?
筆者は、この見方は誤りだと考えます。
まず、理解しておくべきは、潜在意識は警告を発しないということです。なぜなら、警告する以前に自ら問題に対処するからです。夢の中で。
“ 警告 ” とは、まだ起こっていない出来事に対して、注意を促すという行為。要するに、それを発する側にとって、その出来事は ” 未来 “ を指す。
つまり、潜在意識は未来を認識しません。なぜなら、認識したものを全て ” 現在 “ として扱うからです。それが現実世界の時間で言う未来だったとしても。
先ほど紹介したデスクワークの夢では、仕事の不備を警告していますが、厳密には、彼女の中の気がかりと ” 仕事を終わらせて早く帰りたい “ という願望の葛藤が描かれています。そして、その葛藤は意識時間という意味では ” 現在 ” の出来事です。
要するに、心の中の蟠りをPCトラブルという心の外の問題に置き換えて解決しようとしているわけです。その設定ならば、問題を自分の管轄外に置けますし、また、帰りたければ電源を入れっぱなしにして帰ればいいのです。
夢とは問題に対して潜在意識が対処している行為そのものです。ただ、私達がそれを警告として解釈することもできるというだけです。
*
では、警告ではないとしたら、彼女がトラウマとなったあの日を再現した理由は何でしょう?
それは ” パンドラの箱 ” です。
彼女の心の中にある鍵付きの箱には、目を背けておきたい忌まわしい記憶が入っている。
そして同時に、そこには、それを克服するための ” 答え ” も入っている。つまり、毒とそれを治療する血清が同じ場所に保管されているのです。
彼女は、血清を取り出すために蓋を開けなければならない。そのためには、一旦は、毒に冒される必要がある。
しかし、血清は取り出せず、失敗に終わる。
恐怖に耐えることが出来ず、途中で目がさめてしまう状態です。実はその後に、克服へと向かう再生のストーリーを描くはずだった。それを見ることなく後味の悪さだけが残る。
これが、夢の中でフラッシュバックを見る理由だと考えます。
人の心にある光と闇は表裏一体であり、どちらか一方だけでは機能しない。
悲しみを知らなければ、喜びを知ることも出来ない。
無情を知らなければ、何が愛なのかも分からない。
罪の深さが分からなければ、許すことも出来ない。
全ては、一つ。
つまり、血清は毒であり、毒は血清なのです。
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