夢を読み解くことで、どんなメリットが
あるのでしょう?
夢に限らず、どんなことにも言えること
ですが、忙しい現代人にとって、メリット
があるのか、無いのか、という疑問は
常に気になる点です。
大きなメリットがあるというなら、
人生の貴重な時間を使ってもいい。しかし、
大したメリットが無いというのであれば、
無駄な行為を続けることに意味は
ありません。もっと有益なことに時間を
使うべきでしょう。
・・ああ、そうですね。
記事を読んでいる時間が無いと言うなら、
先に結論を述べておきましょう。
夢を読み解くことに、
メリットはありません。何も・・
今回は、現代人が常に追い求めている
” メリット ” について考えてみましょう。
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メリットだけを追求する世界
多分、冒頭を軽く流し読みして、
ページから離脱された方も多いでしょう。
今、この一文を読んでいるということは、
” 時間的ゆとりのある人 ” という想定で
話を進めていきたいと思います。
*
さて、1分以内に離脱していった人々の
マインドについて考えてみましょう。
時間に追われる現代人がネット検索で
情報を求める時に考えることとは、
多分、次のようなことでしょう。
1分で理解出来なければ、そこで時間を
潰すよりも、もっと分かりやすい解説が
載ったウェブサイトに行けばよい。
情報など、どこにでも転がっているはず・・
ただ、この考えは特定の分野について
だけ有効なマインドです。
それがスマホ操作に関する情報とか、
健康に関すること、お金に関すること、
政治に関することなど、多くの人が関心を
持ち、常に検索される情報であれば、
それだけニーズがあるということですから、
無論、ウェブサイト側もページビューを
獲得するために多くの情報を提供しよう
とする。単純な市場原理です。
しかし、ニッチな分野、例えば、極めて
稀な難病の情報を検索しようとすると、
もはや、学会に提出された専門用語ばかり
の論文ぐらいしか求める情報が無い
といった状況が起こります。
また、クエン酸の健康効果について解説
するウェブサイトはいくつもありますが、
クエン酸が健康効果を発揮するその
メカニズムまでを詳しく解説するサイトは
ほとんどありません。
*
では、ウェブサイト側のマインドについて
考えてみましょう。
ニッチなニーズに答えられる情報を提供
するには、まずはその専門的な知識が
必要になります。
無論、そこには学習コストがかかる。
仮に、知識を習得したところで、ほとんど
検索されない情報を提供することに
ウェブサイト側にとってメリットは
ありません。彼らもビジネスとして運営
しているわけですから。
ニッチな分野を開拓するウェブサイトも
ありますが、それが広告収益に支えられて
いる限り、結局のところ、ビジネスとして
成立するギリギリの線を攻めているに
過ぎない。
このメリットを求め続ける消費者と、
メリットを追求するウェブサイトによって
作られる世界とは、次のようなものです。
ウェブサイト側は、初めて来た訪問者でも、
すぐに理解できる範囲の浅い情報しか
提供しなくなる。なぜなら、簡単には
理解出来ない深い情報に需要が無いから。
ある意味、インターネットで得られる情報
の多くは、本で言うならば粗筋や序章の
ようなものです。
1分間隔であちこちに飛び回って、
ネット情報をかき集めたところで、それは
いくつかの本の序章だけを読み漁っている
状態に近い。要するに ” 付け焼刃 ” です。
つまり、忙しい現代人の多くは、豊富な
知識を持ってはいるが、その一つ一つに
深い知見を持っていないという状態です。
SNSを観察すれば、知識だけが豊富で
知見を持たない人々が、表面的な部分だけ
を見て、誰かを批判しているのを見ること
が出来るでしょう。
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そもそも ” メリット ” とは?
冒頭では ” メリットが無い ” と言いました。
その人が1分で理解できる解説を求めている
とするなら、夢解釈は、その浅いレイヤー
にメリットが存在しないという意味です。
つまり、より深く探求することで、ようやく
メリットと言えるものが見えてくる。
それは、日記を書くことや、瞑想を習慣に
することと似ています。一日だけ日記を
つけても何も変化は無いでしょう。
瞑想についても、1分だけ瞑想して得られる
効果は微々たるものです。
自己観察、内省が習慣になれば、そこから
” 気づき ” を得ることもあるでしょう。
その ” 気づき ” をどうするかは、その後の
本人の行動次第です。それを人生の糧に
することも、全く無意味だと切り捨てて
しまうことも出来る。
目先の利益だけを求める人々にとっては、
神託ですら、老人の小言に聞こえるでしょう。
筆者にとっては夢を読み解くことは、
メリットと言えます。自身のメンタルの
状態を把握することで、今、自分に何が
必要か、何をすべきかを知る手がかりに
なるから。
*
また、その人が何を期待するかによって、
” メリット ” の定義は変わってきます。
例えば、ハイスペックPCがあったとして、
単にメールやインターネットをする
だけなら、” ハイスペック ” に大した
メリットはありません。
しかし、3Dグラフィックソフトで大量に
レンダリング処理を行うというなら、
ハイスペックであることは大きな
アドバンテージになる。
ただし、3Dグラフィックソフトを操作する
スキルが無ければ、ハイスペックPCを
持っている意味はない。
要するに、メリットを求め続ける人が
陥りがちなのは、実際、求めている
メリットがハイスペックな ” 何か ” で
ありながら、それを探すアプローチが
1分毎にサイトをジャンプするという
浅いレイヤーだけに留まっていることです。
深いレイヤーに存在するメリットを得る
ためには、それなりのスキルを持つことが
必要であり、それが無ければ、メリットを
認識することすらできない。
それは、再生資源と同じです。再生技術
のある企業にとっては、それは ” 資源 ”
ですが、技術の無い企業にとっては、
単なる ” ゴミ ” です。
つまり、” メリットが無い ” として切り捨て
られた情報の多くは、メリットが無かった
のではなく、メリットに転換する発想、
より深いレイヤーでそれを抽出する技術が
その人に無かったから、と言うことも
出来る。
*
そもそも ” メリット ” とは何か?
それは、現時点でその人にとって利益に
なる何かであり、それ以外は、再生活用
出来なかった廃棄物です。
その人が何のスキルも持たなかったと
すれば、享受できるメリットは少ない。
また、より大きなメリットを求めるなら、
それに応じたスキルが必要になる。
ここに、メリットを追求することの ” 罠 ”
があります。
スキルを持たない人にとって深いレイヤー
に存在するメリットを認識することが
出来ない。” これって何の役に立つの? ”
という状態です。
メリットを追求する人は、メリットが無い
としてそれを切り捨てるわけですが、
結果、現時点で認識できるメリットだけを
選択することになります。そして、スキル
を身に着ける努力を避けるようになる。
なぜなら、メリットになるかどうか分から
ないから。先行投資が必要なメリットは
常に過小評価されがちです。彼らにとって
それは、” 時間の無駄 ” にしか見えない。
つまり、メリットに固執し過ぎると、
全体で得られるメリットの総量は少なくなる。
私たちは、自身にとってメリットがあるか
無いかを判断するときに、対象を観察
します。企業面接なら、面接官が就職希望
する若者を。婚活アプリなら、相手の
プロフィールや写真を。
でも、自分自身の判断力について疑うと
いったことはありません。そして、
多くの ” メリット ” を見逃している。
行動の源
さて、先ほどは、より多くのメリットを
得るためには、メリットに拘り過ぎては
いけないと言いましたが、このマインドも、
結局はメリットを追求した考え方です。
目先の利益だけを追求するよりは、合理的
というだけで。
筆者はメリットだけを求めて、夢について
探求しているわけではないということを
一応、話しておいた方がよいでしょう。
人は、メリットが無いと分かっていても
探求することがあります。例えば、宇宙に
ついて探求する。人類の発展のためには
価値ある研究かもしれませんが、多分、
研究をする科学者自身が生きているうちに
その恩恵を受けることはないでしょう。
論文が評価されて名誉を得るためだけに
研究をしているというなら、もっと
割が良くて評価されやすい分野を研究
すればいい。
” 宇宙の起源とは? ”
” ブラックホールの正体とは? ”
そんなことが分かったから、一体、
何の役に立つのでしょう?
メリットを求める行為も同じです。
私たちは何のためにメリットを求める
のでしょう?
人は人生において様々なことをします。
仕事で良い業績を収めることや、
結婚して家庭を作ること、お金を稼ぐこと、
車を買うこと、ゲームで勝つこと、
その全てに何の意味があるのでしょう?
それが実現したからといって、それから
どうなるのでしょう?
評価されたい。安心を得たい。
誰かに勝ちたい。束縛から逃れたい。
愛されたい。世界を平和にしたい。
貧しい人々を救いたい。自然を守りたい。
全ての動機は ” 衝動 ” から始まる。
そして、その為に ” 人生 ” という膨大な
労力と時間を使って、それを成し遂げ
ようとする。その中でメリットがあるか
無いかという評価軸が生まれる。
筆者が夢を探求する理由は、単なる
” 好奇心 ” という衝動からです。
*
メリットとして最も分かりやすい指標は、
” お金 ” でしょう。
お金を稼ぐことがメリットだと考えた場合、
お金は何かを得るためのチケットですから、
実際、価値を持たない。何かと交換出来る
から価値があるわけで。
しかし、世の中には、お金を貯めることが
生き甲斐になっている人もいます。
彼らが目標にしているのは何かを買いたい
と思った時、すぐに使える十分なお金、
言い変えるなら ” 選択の自由 ” を担保
したがっているだけです。
それも結局、制限や束縛から逃れたい
というある種の ” 衝動 ” でしかない。
メリットとは、結局、喉の渇きを癒す水を
得るための手段に過ぎない。
炭酸ジュースが一本あれば、喉の渇きは
癒せるでしょう。それを毎日飲めるように、
常に1ダース分のジュースを冷蔵庫に保管
しておくことに意味はあるでしょうか?
メリットを求め続けること、
常に合理化し多くを求め続けることは、
返って余計な時間と労力の浪費を生む。
お金持ちが使う予定の無い資産を守る
ために節税対策に頭を悩ませているように。
企業が売れもしない商品の在庫を大量に
抱えて経営を圧迫してしまうように。
着ることのない服を買い続け、
クローゼットを占領してしまうように。
重要なのは ” メリット ” ではなく、自身の
” 衝動 ” を客観視点で捉えることです。
そして、本当に自身が求めていることを
見極める。
それは、コップ一杯の水で満たされる
” 渇き ” だったとしたら・・
メリットだと信じ込んで膨大なエネルギー
を注いできたものが、実は、どうでも
よいことだったとしたら・・
人生は、もっとシンプルなのかも
しれません。
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