夢を読み解くことの価値|メリットを求めることの意味

どんな夢にも意味があります。

それが、支離滅裂に見えても、
深く掘り下げていくことで
潜在意識が何を伝えようと
しているのかを知ることが出来る。

ただ、誰も単なる夢にそれだけ
の時間と労力を使いたがらない。

人は常に合理的です。

出来ればネット検索で簡単に済ませて、
” 答え ” を得たいと思う。

なので、大抵は情報の提供者側も、
初めて来た人でもすぐに理解できる
範囲の浅い話しかしない。

深い話には需要が無いのです。

ある意味、インターネットで得られる
情報の多くは、本で言うならば
粗筋や序章のようなものです。

あちこちに飛び回って、
ネット情報を集めたところで、
それはいくつかの本の序章だけを
読み漁っている状態に似ています。

結局、完結した知識ではない。

それ以上に知識を追求するので
あれば書籍を手に取ったり、
学校で学んだり、自分自身の経験
として積み上げるといったことが
必要になってくるのでしょう。

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メリットを追求する意味

さて、夢の意味が分かったところで、
一体、何のメリットがあるのでしょう?

そこまでの労力と時間を
かける価値があるのでしょうか?

ただ、この疑問は、
生きることに意味があるのか?
という疑問とさほど変わりません。

私たちは、人生に置いて
様々なことをします。

仕事で良い業績を収めることや、
結婚して家庭を作ること、
お金を稼ぐこと、車を買うこと、
ゲームで勝つこと、

その全てに何の意味が
あるのでしょう?

人生には生きる価値が無い
と嘆いているわけではありません。

人は、もっとシンプルな
動機によって行動する。

評価されたい。
安心を得たい。
誰かに勝ちたい。
束縛から逃れたい。
愛されたい。

世界を平和にしたい。
貧しい人々を救いたい。
自然を守りたい。

全ての動機は、
” 衝動 ” から始まる。

そして、その為に ” 人生 ”
という膨大な労力と時間を使って、
それを成し遂げようとする。

” 夢の意味を知りたい ”

動機がそれだけでは、
ダメなのでしょうか?

メリットがあるのか無いのか、
それを追求することに、
本当に意味があるのか?

そもそも、” メリット ”
とは何でしょう?

*

私たちの行動の源は衝動です。

例えば、お金を稼ぐことが
メリットだと考えた場合、
お金は何かを得るための
チケットのようなものですから、
実際、価値を持たない。

何かと交換出来るから
価値があるわけで。

銀行にたくさん貯金することを
人生の目標にしている人はいません。

彼らが目標にしているのは、
何かを買いたいと思ったときに
すぐに使える十分なお金、
言い換えるなら ” 選択の自由 ”
を担保したがっているだけです。

それは保険のようなものです。

何も選択せずにお金に執着し続け、
寿命を全うする人もいますが、
それは、” 選択の自由 ” を
手元に置いて安心を得たいという
” 気休め ” でしかない。

その気休めが欲しいというなら、
銀行預金の額は重要なのかも
しれませんが・・

だとして、それが億万長者であっても
人生の不安から逃れたいという
” 衝動 ” が行動の源になっている。

*

メリットとは、結局、
喉の渇きを癒すための水を
得るための手段に過ぎない。

炭酸ジュースが一本あれば、
喉の渇きは癒せるでしょう。

それを毎日飲めるように、
常に1ダース分のジュースを
冷蔵庫に保管しておくことに
意味はあるでしょうか?

メリットを求め続けること、
常に合理化し多くを求め続けることは、
返って余計な時間と労力の浪費を生む。

丁度、お金持ちが使う予定の無い
資産を守るために節税対策に
頭を悩ませているように。

企業が売れもしない商品の在庫を
大量に抱えて経営を圧迫して
しまうように。

着ることのない服を買い、
クローゼットを占領してしまうように。

不必要な不安

大したことでは無いですが、
夢を読み解くことで解消する
不安というのもあります。

例えば、ある夜、悪夢を見て、
何か悪いことが起こる前兆
なのではないかと不安になる。

正しく夢を読み解けば、
その不安が無意味であると
知ることが出来る。

それが誤った認識で生まれた
ものならば、それは抱える必要の無い
” 幻想の不安 ” です。

この ” 幻想の不安 ” は、
夢解釈だけでなく、日常生活に
いくらでも見つかります。

心配性の人は常に苛まれている。

もし、この病気になったら・・

私の知らないところで
恋人が別の人と会っていたら・・

友達が私のことを
本当は嫌っていたとしたら・・

幸せになる努力が
報われなかったとしたら・・

未来の自分に尋ねたとしたら、

” バカ、何を心配しているの?
そんなことは起こらない ”

と一喝されそうな悩み事。

確かに私たちには未来を知ることも、
人の心を覗くことも出来ませんから
それは仕方ないことですが、
結局、それら苦悩は幻想である
ということには変わらない。

*

それが夢の話ならば、
数日すれば忘れてしまうでしょう。

それほど、深刻な問題に
発展することはない。

実際、夢を読み解いたところで
人生を変えるほどの何かを
得ることが出来るかと言えば、
何とも言えません。

なぜなら、夢に限らず、
一冊の本を読むにせよ、
誰かのアドバイスにせよ、
それを ” 人生を変える出来事 ”
にするのは、その人のその後の
行動次第だからです。

高い授業料を払って、
知識を身に着けたからと言って、
参加者全員が幸せになれるわけ
ではない自己啓発セミナーと同じです。

多分、人生を変えるための努力を
したがらない人にとっては、
神託ですら単なる夢です。

人生を変えるために努力を
惜しまない人にとっては、
よくある日常的な出来事であっても、
きっと何等かの形で
プラスに変換するのでしょう。

そうなると、” メリット ”
という言葉の定義は変わってきます。

今まで メリットが無いとして
切り捨てられたものは、本当に
無価値だったのでしょうか?

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メッセージの送り主

神秘的な事に関心の強い人が、
夢に惹きつけられる理由の一つは、
夢がスピリチュアルな存在から
届いたメッセージかもしれない
という期待です。

確かに、正夢や逆夢という形で
夢は、時折、未来を映すことがある。

夢が未来を映すとなれば、
合理的な人も、それを
無意味とは言わないでしょう。

むしろ、その部分ばかりに注目して、
当った外れたと一喜一憂するかも
しれません。

夢は未来を映す。

いえ、正確に言うならば、
夢は未来を一足先に体験した
潜在意識のリアクションなのです。

未来自体を映しているわけではない。

潜在意識にとっては、
それを感じ取った時が ” 今 ” であり、
潜在意識の ” 今 ” が私たちにとっては、
未来だったというだけのことです。

*

無論、それは自分ではない他の誰か、
例えば、スピリチュアルな存在が
送ったメッセージではない。

単なる ” 潜在能力 ” です。

大罪を犯した者であろうと、
スピリチュアリズムを否定する科学者
であろうと、小さな子供であろうと、
老人であろうと、誰もが備えている
本来の能力に過ぎない。

そもそも、スピリチュアルな存在の
定義とは何でしょう?

幽霊はスピリチュアルな存在で、
私たちはそうではないというのも
妙な話です。

なぜなら、幽霊の存在を前提にするなら、
魂の存在を認めなければいけない。

生きている人間に魂があるならば、
まさに、私たちも
” スピリチュアルな存在 ”
と言えるわけです。

そして、人が作り出すものは全て、
スピリチュアルな存在による仕事である
と言うことも出来る。

芸術、音楽、建築物、自動車、
食料品、節税対策、政治活動、
人工衛星、軍事兵器・・

人が自らの潜在能力によって、
自分自身にメッセージを送るとしたら、
それは、ある意味
” スピリチュアルメッセージ ” とは
言えないのでしょうか?

それは存在するかどうかも分からない
神や霊魂からではなく、明らかに
存在する者からのメッセージです。

” 我思うゆえに我あり ”

メッセージの送り主は
確実に存在している。

それは、受け取ったあなたが送った
メッセージだからです。

スピリチュアルがどうこうという
議論に意味はありません。
そもそもの定義が不明確なのですから。

要は、あなたが存在しているかどうか。

存在していますよね?

*

夢は、私たちに
何をもたらすのでしょう?

” 夢に意味は無い ”

これは、ある意味、真理を突いた
言葉なのかもしれません。

ただ、そこにある。

それだけで、すでに
価値ある存在ではないか?

それだけで充分ではないかと。

人が生きる。

そこに ” 意味 ” など、
いるのでしょうか?

結局、夢とは人が生きているという
” 痕跡 ” に過ぎない。

人が生きることに意味など必要無い
と言うならば、夢を見ることにも
意味は必要ないのです。

*

明るい陽射しの中に立てば、
足元に影ができます。

別に無くてもよいのですが、
それでも影は存在する。

それとも、私たちの方が影で、
地面に映った人型こそが、
主体なのでしょうか?

どちらでもよいのです。

ただ、言えるのは、どちらも、
今、存在しているということだけです。

そこに、理由が必要でしょうか?

 

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