ポジティブな生き方とは?|人生の選択に悩む人へ

” ポジティブ ” という言葉は様々な場面で
使われますが、とても扱いが難しい言葉
でもあります。

筆者が自己啓発系の本を読んでいて、
” ポジティブ ” というワードが出てくると、
まず、最初に、こう思うのです。

” この人の言うポジティブとは、
どのポジティブなんだろう? ”

その本の著者が、何と対峙して、
どれを ” ポジティブ ” と呼んでいるのか
が分からないのです。

” この記事は何を言っているの? ”

と思った人のために、分かりやすく、
具体例で説明してみましょう。

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夢か、愛か?

とあるサラリーマンの男性が、長い間、
勤め続けている会社に不満を持っています。
そして、彼には将来の夢がある。

夢とは、独立して小さくてもよいから
自分の会社を設立することです。しかし、
彼は踏み出すことを迷っている。

さて、私たちは、彼に、
どう、アドバイスするべきでしょうか?

例えば、独立を薦めることにしましょう。
すると彼は、こう答える。

” 長い間、お世話になった会社を裏切る
ことになるし、個人的な理由で周りの人に
迷惑をかけたくない ”

至って、誠実な回答。

つまり、この場合は、彼は会社に対する
” 愛 ” と ” 感謝 ” によって、夢を諦め
なければならない。

” 愛 ” と ” 感謝 ”

ポジティブな生き方を薦める本に
よく使われる言葉です。

では、彼に独立を薦めるということは、
ポジティブとは言えない生き方を
薦めているという事になるでしょうか?

つまり、ポジティブの反対はネガティブ
ですから、夢に向かって進むことは、
ネガティブな生き方?

そう言われると、何だか頭が混乱して
きますよね。

それ以前に、彼が本当に ” 愛 ” と ” 感謝 ”
を持っているのか、という疑問もあります。

つまり、彼は、独立の夢を持ってはいるが、
これまで長い間、積み上げてきたものを
捨て去り、0からのスタートを切ることに
不安を感じている。

そして、踏ん切りがつかないことに対して、
” 会社の恩義を台無しにはしたくない ” と、
自身に言い訳をしているだけなのかも
しれません。

そうなると、独立をすることがポジティブ
な生き方であって、会社に留まり続ける
ことが、ネガティブな生き方のようにも
見えてきます。

もしくは、新しい人生を踏み出す不安も
あり、会社に対する罪悪感もあるという
半々の気持ちなのかもしれない。

実際は、こういうグレーの状況が現実だと
思いますが・・

ならば、逆に独立ではなく、会社で勤め
続けることの大切さを説いたとします。
こう言うのです。

” そもそも君が独立したいのは、
自分の思い通りにならない現実から
逃げているに過ぎない ”

そう、確かに彼は会社に不満を持っており、
独立したいという夢も、結局は、
” 勝手気ままに自由にやりたい ”
という身勝手な動機から始まっていると
するなら・・

そんな言い方をすると、” 夢 ” という
ポジティブワードも、何だか
ネガティブワードに聞こえてきます。

” 夢を追う ” ということは、結局、
嫌な場所から好きな場所へ主体を移す
ことを意味するので、どうしても、
夢に向かって前進する時に ” 現実逃避 ”
という批判が付きまとう。

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グレーゾーン

さて、彼にとってのポジティブな生き方
とは、一体、どれなのでしょう?

一つ、言えることは、100パーセント
正しい ” ポジティブな生き方 ” など無い
ということです。

どこかポジティブっぽさがあり、どこか
ネガティブっぽさがある人生の選択。
それ以上でもそれ以下でもなく、ただ、
そこにそういった事実があるだけです。

もし、筆者が、彼に何かアドバイスする
としたら・・

・・ありませんね。

何も言えることはない。ただ、一つ、
彼が自身の選択によって何を得て、
何を失うのかをよく考えるべきだとは
思いますが・・

いずれにせよ、彼はそれを身をもって
知ることになるのでしょう。

筆者の知る限り、ポジティブな生き方を
薦める本のほどんどは、こうした矛盾に
明確に答えてはくれません。

そして、” ポジティブ ” という言葉の定義
も多面的で、本によってバラバラです。
その本の著者にとっては、普段から使う
言葉なのでしょう。しかし、それは、
その人にとっての ” ポジティブ ” に
過ぎない。

もしかしたら、その ” ポジティブ ” は、
あなたにとっては不要なもので、
必要なのは、別の ” ポジティブ ” かも
しれない。

もし、本の中にあなたの求める答えが
載っていないとすれば、それは、あなたの
理解が足りないのではなく、その主張は、
あなたの置かれた状況を想定していない
だけです。

本の著者は、自分の考えが全ての人に
当てはまる普遍の法則かのようにそれを
主張するでしょう。

ただ、それは、その著者の想定する範囲内
に例外が無いというだけで、あなたが
その範囲に入っているとは限りません。

人は、” ポジティブ ” とか ” ネガティブ ”
という単純なワードで片づけられるような
人生を送っているわけではない。

100パーセント正しい選択など
存在しません。

どんなことであれ、どこか矛盾している。
物事は見方を変えれば、どのようにも
肯定出来るし、どのようにも否定出来る。
常にグレーゾーンです。

人は白黒ハッキリしないと、人生の指針を
見失ってしまいそうで不安に駆られる。
誰もが自信を持って選択した道を進みたい
と考える。

そのせいで ” ポジティブ ” とか ” 正義 ”
とか ” メリット ” とか ” 成功 ” といった
強い言葉に惹きつけられ、自分の人生を
それらテンプレートにはめ込んで、
定義しようとする。

” 前進 ” すること、” 後退 ” すること、
向きを変えるだけで言葉の意味を
入れ替えることが出来る。

私たちが使う ” 言葉 ” とは、一体、
何でしょう?

一つ言えることは、それらは、あなたが
これから築いていく人生とは関係が無い
ということだけ。

人生の選択と犠牲

人生の選択をする場面で誰もが悩むで
あろう一つの問題。

選択によって得るものがある一方、
失われるものがあるという現実です。

例えば、結婚することで人生において
得るものはあるでしょう。しかし、
何かを我慢しなければならなくなる。

進学においても、受験勉強に青春の
1ページを費やせば、その1ページに
書き込まれるはずだった何かを
失っているのです。

大切な何かを手に入れることが出来れば、
それを失うことを恐れ、リスクを避け、
神経をすり減らしながら、享受する。

この問題は個人単位だけではなく、
人間社会という単位でも存在します。
誰かが得をすれば誰かが損をする、
いわゆる、ゼロサムゲーム。

自分の選択が、結果、誰かを傷つける
としたら、その選択はポジティブなもの
と言えるのか? それが自分にとって
損失ゼロであっても。

多分、傷つけられた側から見れば、迷惑
この上ない ” ポジティブな選択 ” でしょう。
被害者が多ければ、それは、独り善がりの
” ポジティブ ” でしかない。

そして、自分でない誰かを犠牲にして、
何かを選択し続けたとしても、それで
損失から逃れられるわけではない。

人込みの中から伸びた手が、いつか
自分の背中を押すかもしれないという
妄想に囚われて、常に背後を気にする
ようになる。

今は、大丈夫です。大抵は、自分が
何を傷つけてきたのかを自覚し始める
人生の終盤に、それは始まる。

何かを選択すれば、そこには損失があり、
犠牲があるというなら、何も選択できなく
なってしまう。

私たちは、どうすればよいのでしょう?

人生を生きる上で、一粒の泥も許さず、
綺麗な手のままでいることは出来ない
というのは、自明です。

私の手も汚れている。無論、あなたの手も。

と言って、
” 綺麗事ばかりでは、何も解決しない ”
と泥の中に自ら手を突っ込み、その汚れた
手を人々に見せびらかすことが良いとは
思えない。

その選択をするまでに、他の選択肢を
模索し、回避するための最善の努力を
行ったか、それが ” やむ得ない決断 ”
だったのか、

もし、それがやむ得ない決断だするなら、
汚れた手を高々と掲げて、その勇気ある
行動を誰かに称賛してもらおうとは思わない
でしょう。それは本来、恥ずべきことだから。

決断とは、常に正しい側面があり、
間違った側面がある。” 英断 ” とは、
幻想であり、単なる自己正当化です。

だから、人生において何かを決断した時、
すっきりした気分にはならない。大抵は、
” これで本当に良かったのだろうか? ”
という疑念と不安が付きまとう。

それが、正解です。

現実世界は最初から、矛盾を抱えながら
成り立っている。これからも、ずっと
その状態は続くでしょう。

正しいものだけが残り、誤ったものが
駆逐される世界は永久に来ない。
なぜなら、それは一つの存在だから。

何かを選択しなければならない時、
自分の進むべき方向をコンパスの針が
指し示してくれさえすれば、迷うことは
ありません。こんなに楽なことはない。

” ポジティブ ” という言葉は、そうであり
さえすれば、人生が切り開かれるかの
ような錯覚を与えてしまう。そして、
悩み抜いて生きるという選択を避ける
ようになる。

ある時、眩しい光と共に言霊が降りてきて、
全ての霧が晴れ、澄み渡った景色に
一本の道が現れたりはしない。残念ながら。

人は、矛盾する世界の中で試行錯誤
しながら生きていくものです。

私たちに必要なのは、迷いを打ち消す
ための ” 指針 ” ではなく、迷いと後悔を
繰り返しながらも、より良い選択を模索
し続ける ” 探求心 ” ではないでしょうか。

あなたは、多分、
既に実践されているでしょう。

 

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