なぜ、今朝見た夢の意味を調べようと
思ったのでしょう?
それは、単なる ” 夢 ” です。
夢に特に意味など無い・・
そう思って忘れてしまえばいいのです。
大勢の人は、夢について深く追求する
こともなく、いつもどおりの日常を
送っています。
忘れてしまったからといって、
支障など起こらない。
何も。
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小さな棘
人が眠っている時に見た ” 夢 ” に関心を
持つとしたら、それはどういった時か?
もし、仕事が上手くいっており、
目標に向かって着実に前進している時、
充実感のある日常を送っている時、
その人は、今朝見た夢の意味に関心を
持つでしょうか?
おそらく、目覚めて10分も経てば、
忘れてしまうでしょう。
それよりも、今日一日を充実感あるもの
にすることの方が、その人にとっては
重要です。
しかし、心に迷いや不安が生じた時、
人は答えを求めて神秘的な夢の世界に
関心を持つ。
それは、ある意味 ” 心の隙 ” です。
隙があることは問題ではない。完璧な
メンタルを持っている人はいないから。
問題なのは、その隙間が大き過ぎた
場合です。
*
メンタルが落ち込み過ぎて、もはや自身で
立ち直ることが難しい状況になった時、
例えば鬱といったような。
その人が精神的に不安定な状態ならば、
ちょっとした体の不調で大病を患っている
かもしれないと危惧したり、誰かの言った
何気ない一言に深く傷ついたり、何かが
頭から離れなくて眠れなくなったりする。
心がガラスのように脆くなっている。
健全な心なら跳ね返すことが出来た小さな
棘の一刺しが致命傷になりかねないのです。
そこに来て、ある夜、意味深げな夢を見る。
夢の内容が何であれ、
メンタルがボロボロの状態の人にとっては、
それは、左右対称の模様が描かれた
ロールシャッハテストの絵と同じです。
見たいものが見える。
絶望しているなら模様は地獄の炎に見え、
悲しみの海に漂っているならば、
それは口を開けたサメに見えるでしょう。
夢とは幻影です。答えは無い。
幻影の中に何を見るかは、本人に委ねられて
おり、それを誰かが正すことは出来ない。
そう見えてしまったものをやり直すことは
出来ないのです。
*
筆者が伝えたいのは、
心が不安定な状態で夢と向き合った時に
それが ” 棘 ” になりうるということです。
本来は形無き幻影であったとしても、
本人がそう認識すれば、
それは、紛れも無く ” 棘 ” です。
これは、不幸な境遇に置かれた人が
怪しげな霊感商法に引っ掛かってしまう
状態に似ています。
救いを求めるがあまり、不確実なものに
手を伸ばしてしまう。普通ならば、
そのような話を信じ込んだりはしない
でしょう。
しかし、心の状態が普通ではなかった場合、
売りつけられた水晶玉の中に光の屈折を
見つける。
それが、死の予兆に見えた・・
ただ、それは水晶ではなくガラス、
本当は、そこには何も映っていない。
心で求めている虚像が、そこに映っている
ように見えただけです。
無論、死を求めたわけではありません。
心配事が実現するかどうかの ” 確証 ” を
求めていただけです。災いを回避する
ために。
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” 前向きな気持ち ” というリスク
とある依頼者からメールを頂きました。
夢の意味について教えてほしいと。
何度かメールのやり取りをしている中で
彼女が今、鬱を患っており、治療中だと
いうことが分かりました。
夢の内容は複雑なストーリーで
容易に読み解けるようなものではなく、
もしかしたら彼女の心の傷にメスを
入れなければならないかもしれない。
それが依頼者にとって、
大きな負担になる可能性があった。
筆者は依頼を受けられない理由を説明し、
信頼できる医師の元で治療に専念すべき
だと伝えました。
自分の要望が通らなかったことに不満
だったのか、その後、彼女からの返信は
ありませんでした。
彼女の抱えているものは大きく、筆者が
口を差し挟めるような事案ではなかった。
筆者に出来るのは、彼女が、いつか元気に
なって社会に復帰できるのを願うことだけ
でした。
*
もし、あなたの心が今ボロボロだと
言うなら、夢と向き合う時期では
無いかもしれません。
灰色の世界から抜け出すために
無理に ” 答え ” を求めるべきではない。
無理に求めれば、何かしらそれらしき
ものが見つかる。
ゆえに、厄介なのです。
どんな答えであろうと取り出せてしまう
という夢の性質が、本来、必要の無かった
別の苦しみを作り出してしまう。
心の底で恐れていることが夢という形
となって現れ、それが、あなたに新たな
インスピレーションを与える。
悪い意味の。
それが、より不安を煽る結果へと
あなたを導く。
*
自力で起き上がろうという意思は、
最終的には必要なのです。
ただ、その気持ちが強すぎるがゆえ、
休息を必要としている自身の心を
追い詰めてしまうこともある。
” こんな状態いつまでも続けていられない。
早く復帰しなければ・・早く、早く・・”
この焦りを ” 前向きな気持ち ” と
捉えることも出来ますが、それは・・
今、思うことではないのかもしれません。
そして、何よりも危険なのは、
その高まった前向きな気持ちが思わぬ障害
によって挫かれてしまった時、その落差から
” 虚しさ ” だけが残るということ。
それは、海溝のごとく果てしなく深い。
トリエステの挑戦
状況は常に変化しています。
今日、毒だと言われたものが、
明日、薬になることもある。
一般世間から薬だと言われていることが、
今のあなたには毒になる場合もあります。
無論、その逆も。
それを素人の私たちが見極めるのは
とても難しい。だから、医師やその道の
専門家がいるのです。
夢は、あなたを治療出来ない。
答えを提示することもありません。
ただ、元気になるために前を向いて歩く
あなたを支えるだけです。
*
北西マリアナ諸島の東に世界で最も深いと
言われているマリアナ海溝があります。
その深さは、水面下10,911m
イタリア製の有人深海探査艇 “トリエステ ”
は、1960年1月23日、二人の探検家を乗せて
マリアナ海溝の最深部に挑戦します。
海底に辿り着く途中、途轍もない水圧に
耐える船内で聞こえた衝撃音に
当時、28歳のアメリカ海軍大尉だった
ドン・ウォルシュは恐怖を感じたと言います。
しかし、問題は見つからず潜航を続行。
やがて、4時間48分かけて最深部へと到達。
トリエステ号は地球上で最も深い海底に
達した最初の探査艇となった。
丸窓から外をのぞいた二人は、海溝の
最深部で海の生物が普通に生息している
ことに驚いたそうです。それまで生物は
生存できないと思われていたのです。
そこは、無の世界ではなかった。
*
” 自分は大丈夫だろう ” と思っていても、
何かの拍子に深く暗い溝に落ちてしまう
ことは誰にでも起こるのです。
それは、
” あの人は元々メンタルが弱かったから ”
という安易な言葉で片づけることは
出来ない。
むしろ、ありえないほどの水圧に
耐えながら深海でも生き続けている
海洋生物よりも、何事もなく平穏な
日常を送れている私たちの方が脆弱
なのかもしれません。
” 強さ ” とは何か?
勝負に勝つことが強さなのでしょうか?
心を病んでしまったことは、
本当に ” 弱さ ” なのでしょうか?
普通の人には何でもないことを踏み出す
ことが出来なかった人の踏み出した一歩は、
本当に ” 一歩 ” なのでしょうか?
その曖昧な基準を使って、
私たちは何を評価するのでしょう?
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