夢に関心を持ってはいけない人|心の病気と夢

なぜ、今朝見た夢の意味を調べようと
思ったのでしょう?

それは、単なる ” 夢 ” です。

夢に特に意味など無い・・
そう思って忘れてしまえばいいのです。

大勢の人は、夢について深く追求する
こともなく、いつもどおりの日常を
送っています。

忘れてしまったからといって、
支障など起こらない。

何も。

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小さな棘

人が眠っている時に見た ” 夢 ” に関心を
持つとしたら、それはどういった時か?

もし、仕事が上手くいっており、
目標に向かって着実に前進している時、
充実感のある日常を送っている時、
その人は、今朝見た夢の意味に関心を
持つでしょうか?

おそらく、目覚めて10分も経てば、
忘れてしまうでしょう。

それよりも、今日一日を充実感あるもの
にすることの方が、その人にとっては
重要です。

しかし、心に迷いや不安が生じた時、
人は答えを求めて神秘的な夢の世界に
関心を持つ。

それは、ある意味 ” 心の隙 ” です。

隙があることは問題ではない。完璧な
メンタルを持っている人はいないから。
問題なのは、その隙間が大き過ぎた
場合です。

メンタルが落ち込み過ぎて、もはや自身で
立ち直ることが難しい状況になった時、
例えば鬱といったような。

その人が精神的に不安定な状態ならば、
ちょっとした体の不調で大病を患っている
かもしれないと危惧したり、誰かの言った
何気ない一言に深く傷ついたり、何かが
頭から離れなくて眠れなくなったりする。

心がガラスのように脆くなっている。

健全な心なら跳ね返すことが出来た小さな
棘の一刺しが致命傷になりかねないのです。

そこに来て、ある夜、意味深げな夢を見る。

夢の内容が何であれ、
メンタルがボロボロの状態の人にとっては、
それは、左右対称の模様が描かれた
ロールシャッハテストの絵と同じです。

見たいものが見える。

絶望しているなら模様は地獄の炎に見え、
悲しみの海に漂っているならば、
それは口を開けたサメに見えるでしょう。

夢とは幻影です。答えは無い。

幻影の中に何を見るかは、本人に委ねられて
おり、それを誰かが正すことは出来ない。
そう見えてしまったものをやり直すことは
出来ないのです。

筆者が伝えたいのは、
心が不安定な状態で夢と向き合った時に
それが ” 棘 ” になりうるということです。

本来は形無き幻影であったとしても、
本人がそう認識すれば、
それは、紛れも無く ” 棘 ” です。

これは、不幸な境遇に置かれた人が
怪しげな霊感商法に引っ掛かってしまう
状態に似ています。

救いを求めるがあまり、不確実なものに
手を伸ばしてしまう。普通ならば、
そのような話を信じ込んだりはしない
でしょう。

しかし、心の状態が普通ではなかった場合、
売りつけられた水晶玉の中に光の屈折を
見つける。

それが、死の予兆に見えた・・

ただ、それは水晶ではなくガラス、
本当は、そこには何も映っていない。
心で求めている虚像が、そこに映っている
ように見えただけです。

無論、死を求めたわけではありません。

心配事が実現するかどうかの ” 確証 ” を
求めていただけです。災いを回避する
ために。

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” 前向きな気持ち ” というリスク

とある依頼者からメールを頂きました。
夢の意味について教えてほしいと。

何度かメールのやり取りをしている中で
彼女が今、鬱を患っており、治療中だと
いうことが分かりました。

夢の内容は複雑なストーリーで
容易に読み解けるようなものではなく、
もしかしたら彼女の心の傷にメスを
入れなければならないかもしれない。

それが依頼者にとって、
大きな負担になる可能性があった。

筆者は依頼を受けられない理由を説明し、
信頼できる医師の元で治療に専念すべき
だと伝えました。

自分の要望が通らなかったことに不満
だったのか、その後、彼女からの返信は
ありませんでした。

彼女の抱えているものは大きく、筆者が
口を差し挟めるような事案ではなかった。

筆者に出来るのは、彼女が、いつか元気に
なって社会に復帰できるのを願うことだけ
でした。

もし、あなたの心が今ボロボロだと
言うなら、夢と向き合う時期では
無いかもしれません。

灰色の世界から抜け出すために
無理に ” 答え ” を求めるべきではない。
無理に求めれば、何かしらそれらしき
ものが見つかる。

ゆえに、厄介なのです。

どんな答えであろうと取り出せてしまう
という夢の性質が、本来、必要の無かった
別の苦しみを作り出してしまう。

心の底で恐れていることが夢という形
となって現れ、それが、あなたに新たな
インスピレーションを与える。

悪い意味の。

それが、より不安を煽る結果へと
あなたを導く。

自力で起き上がろうという意思は、
最終的には必要なのです。

ただ、その気持ちが強すぎるがゆえ、
休息を必要としている自身の心を
追い詰めてしまうこともある。

” こんな状態いつまでも続けていられない。
早く復帰しなければ・・早く、早く・・”

この焦りを ” 前向きな気持ち ” と
捉えることも出来ますが、それは・・
今、思うことではないのかもしれません。

そして、何よりも危険なのは、
その高まった前向きな気持ちが思わぬ障害
によって挫かれてしまった時、その落差から
” 虚しさ ” だけが残るということ。

それは、海溝のごとく果てしなく深い。

トリエステの挑戦

状況は常に変化しています。

今日、毒だと言われたものが、
明日、薬になることもある。

一般世間から薬だと言われていることが、
今のあなたには毒になる場合もあります。

無論、その逆も。

それを素人の私たちが見極めるのは
とても難しい。だから、医師やその道の
専門家がいるのです。

夢は、あなたを治療出来ない。
答えを提示することもありません。
ただ、元気になるために前を向いて歩く
あなたを支えるだけです。

北西マリアナ諸島の東に世界で最も深いと
言われているマリアナ海溝があります。

その深さは、水面下10,911m

イタリア製の有人深海探査艇 “トリエステ ”
は、1960年1月23日、二人の探検家を乗せて
マリアナ海溝の最深部に挑戦します。

海底に辿り着く途中、途轍もない水圧に
耐える船内で聞こえた衝撃音に
当時、28歳のアメリカ海軍大尉だった
ドン・ウォルシュは恐怖を感じたと言います。

しかし、問題は見つからず潜航を続行。

やがて、4時間48分かけて最深部へと到達。
トリエステ号は地球上で最も深い海底に
達した最初の探査艇となった。

丸窓から外をのぞいた二人は、海溝の
最深部で海の生物が普通に生息している
ことに驚いたそうです。それまで生物は
生存できないと思われていたのです。

そこは、無の世界ではなかった。

” 自分は大丈夫だろう ” と思っていても、
何かの拍子に深く暗い溝に落ちてしまう
ことは誰にでも起こるのです。

それは、
” あの人は元々メンタルが弱かったから ”
という安易な言葉で片づけることは
出来ない。

むしろ、ありえないほどの水圧に
耐えながら深海でも生き続けている
海洋生物よりも、何事もなく平穏な
日常を送れている私たちの方が脆弱
なのかもしれません。

” 強さ ” とは何か?

勝負に勝つことが強さなのでしょうか?

心を病んでしまったことは、
本当に ” 弱さ ” なのでしょうか?

普通の人には何でもないことを踏み出す
ことが出来なかった人の踏み出した一歩は、
本当に ” 一歩 ” なのでしょうか?

その曖昧な基準を使って、
私たちは何を評価するのでしょう?

 

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