夢解釈という作業は、一見すると謎解き
をしているようにも見えます。
シャーロック・ホームが現場に残された
僅かな痕跡から事件の全容を推理して
いくように。
ただ、違っているのは痕跡は僅かではなく、
全てが痕跡です。また、推理小説のように
わざとミステリアスな演出を行っている
わけでもありません。
そもそも、夢は ” 謎 ” ではない。
と言っても、謎と言うほど難しいものでは
ないという意味ではなく、難解であること
には違いないのです。
例えるなら、” 侘・寂 ” ( わび・さび )
という言葉があります。日本人ならば、
多分、この精神を理解するのは、それほど
難しいことではないでしょう。
しかし、西洋の外国人にこれを教えるのは、
日本の美意識について学ぶというところ
から始めなければいけない。きっと、
外国人には、とても難しく感じるでしょう。
西洋の文化に当てはめて ” 侘・寂 ” を
説明することは極めて困難です。
近い概念として ” ミニマリズム ” という
言葉もありますが、どちらかと言えば
合理主義的観点から必要最小限を求めた
結果がそれであり、精神性を重んじる
” 侘・寂 ” とは別の概念のように思います。
夢が支離滅裂で難解に見えるとしたら、
それは西洋の観点から ” 侘・寂 ” を眺めて
いるような状態です。
夢が難解に思えてしまう理由が、
” 文化の違い ” であるならば、夢の世界には、
一体、どんな文化があるのでしょう?
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夢と映画の違い
筆者は、時折、夢を映画に置き換えて
例えることがあります。
夢を見ている人は、同時に夢の作り手
でもあるので、主役、そして映画監督
という二つの役割を持ちます。
つまり、主役であるあなたは、夢の中で
様々な出来事に遭遇するわけですが、
それら演出を仕掛けているのも、結局は
あなた自身なのです。
例えば、追跡者から逃げている夢は、
誰もが一度は見たことがあるでしょう。
あなたは追手を撒くために、どこか狭い
場所に身を潜める。絶対に見つかるはずの
ない見知らぬ家のベッドの下に。
しかし、追手は選りによって家を特定し、
寝室まで入ってきて探し始める。あなたは
いたたまらず、飛び出して逃げる。
なぜ、追手はあなたの居場所を容易に
割り出せたのでしょう?
それは、演技が始まる前に監督である
あなたが追手を演じる役者にこう言った
のです。
” 主人公 ( 私 ) がベッドの下に隠れるから、
君は後から寝室に入ってきてそれを
探してくれ ”
無論、そのような演技指導が夢が作られる
前に行われたわけではありませんが、
基本的に夢に登場している人物は全て
あなたがキャスティングした ” 役者 ” です。
だから、夢に登場する役者の動きは、
全て監督であり、主人公であるあなたの
指示通りの動きなのです。
厳密に言うなら、指示は撮影と同時に
行われています。映画撮影ならば、
カメラを止めた状態で演技指導が入る。
夢の場合は、カメラは止められない。
あなたの脳裏がスクリーンだから。
そして、脚本は全て監督であるあなたの
アドリブです。
あなたが追手を撒けると思えば、
追手はいなくなり、見つかるかもしれない
と思えば、追手は寝室に入ってくる。
あなた次第でストーリーはどのようにも
変化するイメージの世界です。
故に、ストーリーの次の展開が読めて
しまったり、登場人物に共感を抱いたり
するのも、結局は、全ての脚本をあなたが
書いたからです。
*
また、夢と映画の相違点として、
” 前置き ” があるか、無いかという違い
があります。
映画は万人に向けて作られるものですが、
夢は本人が見るために作られたもの。
作られた目的によってストーリーの構成に
違いが出てきます。
まず、映画やドラマでは、視聴者が
ストーリーについていけるように前置きが
挿入されますが、夢の世界には前置きが
ありません。
例えば、電話で誰かと話している場面が
あったとして、これがドラマなら誰と
話しているのか、話の内容について、
前置きがあるのが普通です。
冒頭、謎の人物から電話がかかってきて
物語が始まるといった演出もありますが、
いずれにせよ電話の相手は後に明かされる。
もし、ストーリーの途中に見知らぬ人から
突然電話がかかってきて、無関係な話を
したあげく一方的に切れるなら、ドラマを
見終わった観客は思うでしょう。
” あれは、一体誰だったの?
何かの伏線かと思ったけどストーリーに
関係無いじゃない・・ ”
しかし、夢ではこういった状況が起こる。
それは、夢が無意味で支離滅裂だから
ではありません。そのシーンが自らに
向けて作られたものだからです。
夢の中で、あなたのスマホに脈絡も無く
見知らぬ人物から電話がかかってくる。
あなたは間違い電話だと思う。
いえ、脈絡はあるのです。
ただ、それが夢の中に無いと言うだけで、
その電話がかかってくる理由は現実世界
にある。本人が気がついていないだけで。
そして、それは夢が作られた動機でもある。
もし、現実世界で人見知りのあなたが、
悩みを打ち明ける相談相手がいないことに
孤独を感じていたとしたら電話の声が言った
” 間違い電話でもしなきゃ、あなた
知らない人と会話なんてしないじゃない ”
という脈絡の無いセリフには、前置きが
あると言えます。
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再構成された世界
完成したジグソーパズルを思い浮かべて
ください。
そこに、美しいヨーロッパの庭園が
写し出されている。それは、多くの
パズルピースによって構築されている。
現実世界でも同じです。一つ一つの
ピースの組み合わせによって ” 現実 ” は
作り出されている。
美しい庭園ならば、庭師のきめ細やかな
手入れであり、青々と生い茂る木々であり、
枯れることの無い水辺、そこで寿命を
全うする花々、一つ一つのピースが
組み合わさることで、それが ” 現実 ”
という作品になっている。
大都市の夜景でも、人々の雑踏でも、
オフィス街でも、あなたの日常風景でも
いいでしょう。それが何であれ、
現実世界とは、数多くのピースによって
構築された1分の1の立体パズルです。
厳密には、現実世界を認識したあなたの
頭の中にそのパズルはある。
これを額縁から外し、バラバラにします。
もう一度、一から作り直すのです。
しかし、作り直すのはあなたではなく、
あなたの潜在意識です。それは、
意識の世界ですから瞬時に終わる。
そして、どこにそんな絵柄があったのか
分かりませんが、完成したパズルは全く
違う絵になる。
それが、夢です。
*
普通ならばピースの形状や絵柄の整合性が
ありますから、同じピースを使って別の
絵を作ることは出来ないはずですよね。
しかし、潜在意識に形状は関係ありません。
もっと言えば、一般常識や社会のルール、
物理法則も関係ありません。
固定観念が無く、自由です。
そこで、潜在意識は私たちの常識を超えて
それを組み立てる。
夢には、どこか矛盾した部分があったり、
脈絡が無いように見えたり、曖昧で辻褄の
合わないことが多々あります。つまり、
ピースがしっかり噛み合っていないのです。
噛み合わない部分をぼかしたり、
誤魔化したリしながらその絵は作られる。
しかし、そこに描かれているのは、
紛れも無く ” 現実 ” です。あなたの ” 心 ”
という現実を忠実に再現している。
そして、心を再現するためには、現実世界
の制約が足枷になる。人間は空を飛べない
とか、さっきまで喋っていた人が突然、
犬になったりしないとか、ペガサスは存在
しないとか・・
一見すると現実世界に比べ、曖昧な
夢の世界は不完全にも思えます。しかし、
それは誤った見方です。
そもそも、完全とは何でしょう?
氷の彫刻で美しい城を作ったとします。
それは、完全な状態から少しずつ溶けて
形が崩れていく。いわゆる、不完全な
状態への変化。
しかし、自然現象に従って溶けていく過程
すら美しい。むしろ、それは ” 水 ” という
元の状態、完全形への変化と言うことも
出来る。
誰が、完成した直後の彫刻こそが
完全だと決めたのでしょう?
私たちです。
私たちの一方的なルールによって、
それを完全だと定義しているだけなのです。
主観で創造された世界
冒頭では、西洋的価値観に当てはめて
” 侘・寂 ” を理解することは困難だと
言いましたが、夢解釈でもそれと同じ
現象が起こっているのです。
現実世界に生きる私たちは、現実世界に
当てはめて夢を理解しようとしてしまう。
ストーリーが繋がっていないとか、
辻褄が合わないと思ってしまうのです。
しかし、夢世界の視点では、
そのストーリーは紛れもなく成立している。
突然かかってきた間違い電話の声が、
なぜか、自分の一番気にしていることを
ペラペラ喋り始めたら、誰もが戸惑って
しまうでしょう。
” 何で、そのこと知ってるの?
おかしい、辻褄が合わない! ”
しかし、その電話は、あなた自身が
かけさせたものですし、話の内容に
心当たりがあるのも当然です。わざわざ
そのためにかけた ” 間違い電話 ” ですから。
何一つ、おかしな点は無い。
夢を一般常識で読み解こうとすれば、
必ず破綻します。常識とは、
私たちの決めた現実世界のルールです。
*
私たちが日々生きているこの社会は
あらゆる常識によって成り立っています。
人々が社会生活を営む上では、それは
必要不可欠。
ただ、人は ” 主観 ” でしか生きられない。
人々の主義主張がバラバラなのも主観の
違いがあるからです。そして、夢は、
その ” 主観 ” によって作られている。
とは言え、夢にも常識的描写があります。
例えば、夢の中でドライブをしている。
あなたはハンドルを回し、右折をする。
現実世界と同じです。
しかし、実際はハンドルによって車を
コントロールしているわけではありません。
厳密には、
” ハンドルを右に回せば右に曲がる ”
という固定観念によって車が動いている。
もちろん、車だけでなく、車が走っている
道路も、流れていく街並みや通行人も
全て ” 主観 ” によって作り上げられたもの。
そして、それは主観ですから、都合の良い
形へと作り変えることが出来る。渋滞が
煩わしいと思えば、誰も走っていない道路
を出現させることが出来る。制限時速の
標識を取っ払って、信号を全て青にする
ことも出来る。
夢を読み解くには、この主観によって
創造された世界の特性をよく理解して
おく必要があります。
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