単なる夢・・
確かに、あなたの見たものは
” 単なる夢 ” です。
ただ、神秘的なそれにはメッセージが
隠されているような気がしてくるのです。
あなたを含め、夢に関心を持つ人は、
その価値を直感的に理解している。しかし、
それ以上に多くの人が夢に価値が無いと
思っているのも事実。
私たちは毎日のように夢を見ていますが、
何の必要があって見ているのでしょう?
一見すると、その支離滅裂なストーリーは、
日常生活には何の関わりも無く、無意味に
思えます。
それは、単なる脳の記憶の整理の過程で
生まれた副産物なのでしょうか?
それとも、実生活に影響を与える
” メッセージ ” なのでしょうか?
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子供の絵
” 夢には意味が無い ” と言う人もいますが、
それが支離滅裂に見えるからと言って、
意味が無いことを証明したわけではないのです。
そもそも、夢は支離滅裂ではない。
” いや、どう見たって支離滅裂だ。
そうじゃなければ理解出来るはずだ ”
果たして、そうでしょうか?
例えば、幼児が描いた絵を見て、大人は
それを理解することが出来ません。
見た通り滅茶苦茶だから。
しかし、幼児は至って健康的な精神を持ち、
子供らしくすくすくと育っている。
心を病んでいるわけでも、錯乱ているわけ
でもない。
では、なぜ、あのような滅茶苦茶な絵を
描くのでしょう?
” 絵が下手だから・・? ”
最初に思い浮かぶ理由としては、
絵を描く技術という問題かもしれません。
しかし、この読みは誤りです。
そもそも、彼ら、彼女たちは出来るだけ
見た形状を正確に再現しなければならない
という大人のような固定観念がありません。
” ヘビを描いて ” と頼めば、
白い画用紙の真ん中に緑のクレヨンで
曲線を一本引くだけで彼らにとっては、
十分 ” ヘビ ” なのです。
上手とか、下手というのは、
大人のものさしに過ぎない。
つまり、子供の絵を見て ” 支離滅裂 ” に
見えるのは、大人が自分のものさしに
はめ込んで理解しようとしているからです。
描いた本人にとっては、率直な自己表現
でしかない。私たち大人に言葉として
説明出来ないというだけで。
*
夢は、言わば、幼児が描いた絵のような
ものです。
つまり、現実世界のものさしでは、
支離滅裂に見えるが、潜在意識にとっては、
何もおかしなところは無い至って真面目に
作られた映像作品なのです。
さて、この ” 夢 ” が、私たちの日常生活に
何の価値も無いように見えてしまうのは、
なぜでしょう?
” それを見せて、
私にどうしろって言うの? ”
いかにも意味深な夢を見た後に、
そんな疑問を抱いたとしたら、
” 何もしなくていい。もう終わった ”
と潜在意識は答えるでしょう。
そう、夢は私たちに何かを要求している
わけではない。つまり、夢はメッセージ
ではありません。
このブログでは、
” 潜在意識からのメッセージ ” という表現を
よく使いますが、これは、そう言った方が
受け入れられやすいという理由で、便宜上、
そう表現しているだけです。
実は、そうじゃない。
*
潜在意識は、心のバランスを
取り戻すために夢を作る。言い換えれば、
” 心の治癒 ” もしくは ” ガス抜き ” と
言うことも出来る。
そして、その過程でメッセージや未来予知
を見出すことが可能だというだけで、
潜在意識が意図的に何かを警告したり、
指図したりはしないのです。
もし、私たちの言う ” 価値あるもの ” が
実生活で役に立つものという意味なら、
夢は直接的には何の価値も提供していません。
それを晴れた空に浮かぶ一辺の雲のごとく
” 単なる現象 ” として無視することも可能。
傷を癒す場所
野戦病院をイメージしてください。
前線で戦っている兵士が傷ついた時、
戻ってきて治療を受ける場所。
前線が私たちの生きている現実世界なら、
夢の世界は野戦病院です。そこでは、
縫合手術や痛み止めを処方する代わりに
物語と映像によって崩れてしまった
心のバランスを正常に戻すための治療を
している。
そして、体力を回復した兵士は、再び、
前線へと向かう。
つまり、” もう、終わった ” というのは、
心の処置が終わったという意味です。
*
合理的な私たちは、実生活に役立つものを
” 価値 ” と呼びます。例えば、車や家、
お金、保険、情報、実生活に新しい価値を
付加するもの。
しかし、夢は何も提供してくれない。
ただ、心を本来の状態に戻そうとしている
だけです。
野戦病院は、前線で起こっている現実を
どうすることも出来ない。ただ、兵士たち
のフォローアップをしているだけです。
しかし、” 現実 ” というフィールドで
戦い続ける兵士たちには間違いなく
必要なのです。
実生活では、直接、役に立たなくても、
私たちは ” 夢 ” によって、心の負荷を
軽減し、見えない形で生きる力を貰っている。
*
ここで、一つ、夢を紹介しましょう。
次は、筆者自身が見た夢です。
部屋に閉じ込められている。
少し高い位置に小さな窓がある。
よじ登って脱出する。
この夢を見た時期、筆者は繰り返される
マンネリ化した毎日に飽き飽きしていました。
夢の中で、自らを閉じ込めて ” 脱出 ” を
体験させています。
現実世界の退屈な日々から抜け出すことが
出来ない代わりに、架空のシチュエーション
の中で鬱積したストレスを軽減しようと
しているのです。
恩恵
もちろん、夢によって現実を変えることは
出来ない。ただ、現実を変えるための
” 気力 ” を回復させることは出来る。
それが例え一時的なものであっても、簡単に
崩れ去ったりしないために、その耐久性が
必要なのです。
無論、それ以上の負荷がかかる場合は、
フォローアップにも限界はある。そして、
夢を観察し続けることで限界が近いのか、
そうでないのかを知ることも可能です。
それが近いのであれば、現実世界の私たちが
崩落が始まるより前に、行動を起こして
対処しなければならない。
ある日、脈絡もなく訪れる ” 不調 ” に
” 一体、何が起こっているの? ” と言って、
取り乱したりしないためにも。
*
多くの人は知らず知らずのうちに、
夢による恩恵を受けています。
” メンタルの維持 ” という消極的な形で。
例えば、ラッキーな出来事があれば、
人々はそれに感謝するでしょう。しかし、
今日一日、何も無かったという場合は、
誰も感謝しない。
何も無い一日にするために、あなたの
心臓は休むことなく鼓動を打ち続け、
血液は滞りなく流れ、自律神経が働き
続けている。
社会には食糧や水が供給され、
スーパーに行けばそれを買うことが出来る。
電源にプラグを差し込めば、必要な時に
必要な分だけ充電できる。
あなたにとって大切な人の声を今日も
聞くことができる。
そして、あなたが
” あなた ” で居続けることが出来る。
” 現状維持 ” とは、私たちに与えられた
最大の恩恵です。
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