自分は運が無いと思う人へ|” 運 ” とは何か?

占いの世界では、次のような表現がよく使われます。” 運気上昇 ” もしくは、” 運気低下 ”

この漠然とした表現。占いですから、そんなものだと言えば、そうなのかもしれませんが。

無論、漠然とした言葉の裏には、あまり、限定的な表現を使うと的中率が落ちるからという理由もあるわけです。言わば、抽象的な表現をしておけば、ある程度の誤差を吸収出来るというギミックです。

業界の事情はさておき、そもそもが運気とか、運勢とも呼ばれるそれは、古くから人々の間で認識されていますが、とても大雑把な概念です。

ここで一度、立ち返って ” 運 ” について整理しておいてもよいでしょう。筆者は、” 運 ” とは、もっと明確な事象だと考えています。

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健康運の変わり目

例えば、胃の調子が悪かったとします。確か雑誌の占いのページでは健康運が下降気味と書いてあった。

そして病院に行き、医師の診察を受け、薬を処方してもらい、徐々に回復しつつあるというなら、それは ” 健康運の上昇 ” と考えるべきでしょうか?

つまり、病院に行くタイミングが運気の変わり目だったと。

” いやいや、そういう話じゃない。もっと全体的な気の流れについて言っているんだ ” という声も聞こえてきそうですが、よく考えてみましょう。

仮に、一年全体の健康運が悪かったとして、一日、何事もなく過ごせたのなら、その日に限っては、” 平穏な一日 ” には違いないわけです。

それが、良い年回りの何事もなく過ごした一日に比べて劣っているわけではない。

つまり、健康運が下降気味であったとしても、それは、病気の症状が現れた期間だけに限ったことであって、普通に生活が出来ているそれ以外の日は無関係と言えます。

極端な話、片頭痛が20分続き、薬を飲んだらスッキリしたという場合、健康運が下降したのは片頭痛が始まってからの20分間だけです。ある意味、この時の頭痛薬は、健康運上昇のための即効性ラッキーアイテムです。

体力が低下して病気にかかりやすい状況が健康運低下と言うなら、体力作りに努めるだけのこと。今年の健康運が悪いから、医師の治療や処方された薬の効果が下がるというわけではありません。

しかし、健康に対する不安には、季節性の風邪のように一週間安静にしていれば治る病気もあれば、命に関わる、生活に支障を来す重篤な病気もあるでしょう。何年も闘病生活を強いられることもある。

それらが健康運の低下によって引き起こされたとするならば、誰もが20代よりも40代の方が、40代よりも60代の方が健康運は低いに決まっている。

多少の波はあるでしょうが、全体的には健康運のグラフは必ず右肩下がりになる。過去十年間のグラフが今後十年間のグラフよりも高い位置にあるのは変ですし、あった場合、その時点でその運勢表は破綻しています。

それが ” 運 ” であるなら、本来は良い時もあれば、悪い時もあるはず。しかし、年齢を重ねるごとに間違いなく低下していくことが約束されているなら、もはや、” 運 ” でも何でもありません。単なる体力測定の数値と同じです。

歳を取りつつ、運動しない生活を続けていれば足腰が弱るのは当然ですし、若い頃と同じく暴飲暴食を40代でも続けていれば血圧がどうなるかは明白です。

人によって症状が現れるタイミングが、多少前後することはありますが、それは別に奇妙なことでない。

つまり、健康運とは、体力測定の ” 誤差 ” のようなものです。呪いのように、あなたの人生を支配しているわけではありません。

私たちがすべきことは、年齢に応じて、健康に配慮した生活を心がけること。それは、運が良くても、悪くても同じです。

現実的な ” 金運 “

夢占いにも金運にまつわる夢というのがあります。よく知られた例で言えば、” 白蛇 ” が登場する夢は金運上昇の暗示とされている。

次は、とある女性の見た夢の一例です。

草むらを歩いている。
草がサワサワと動き、白蛇を見つける。

この夢を見た女性は、白蛇が金運上昇の暗示だと知っていたので、何か予期せぬ収入があるかもしれないと期待をします。

しかし、二週間経っても何も起こらない。

彼女は、夢が実現するのはいつのなのか、それとも今回の夢は、単なる夢なのかを知りたがっているようでした。

筆者は尋ねます。

「近々、予定されている収入はありますか?」

彼女は、数日後に会社からボーナスが出ると告げました。金額は前年をベースに考えれば予測でき、その使い道もショッピングのローンに消えると言います。

彼女は白蛇の夢を ” 予期せぬ収入 ” の暗示だと思い込んでいた。しかし、実際は、すでに予定されていた収入を暗示していた。

確かに、ボーナスという始めから予定されていた収入であっても ” 金運上昇 ” には違いありません。

一般的な会社員の方ならば、勤めている会社から収入が入る以外に収入の発生源はそれほど多くはありません。考えられるのは、宝くじやギャンブル、税金の払い戻しなどでしょう。

もし、事業や副業をしている人ならば、突然、大きな仕事が入ってくるということも考えられますが、ほとんどの収入は予定されており、予測出来るものです。

なので、” 金運上昇 ” を暗示する夢と言っても上記の夢のように現実的なパターンがほとんどです。

言ってみれば、今月の金運を上げたければ、先月よりも残業を少し多めにすればよいというわけです。当然のことのように思えますが、それが ” 金運 ” の実際です。

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恋愛運と出会い

恋愛運がある意味、最も ” 運 ” に左右されやすいのかもしれません。

それは人と人の出会いであり、感情によって起こることですから、予測不可能な部分があることは確かです。

” 偶然 ” や ” 縁 ” といったものは、ある意味、不可抗力です。誠意や努力をどれだけ積み重ねようと、これが無ければ関係を築くことは出来ない。

性格が良くて美男美女であっても、なぜか恋人がいないというパターンも、結局、そういうことです。

また、近年ではマッチングアプリによる出会いもありますが、必ずしも気に入った異性と出会える保証はありません。残念ながら ” 偶然 ” というキューピットは、誰にでも公平に微笑みかけてくれるわけではないようです。

ただ、恋愛における重要な要素である ” 偶然 ” でさえ抗えないものがある。それは ” 外部環境 ” です。

例えば、日本の低迷する経済状態が続けば、未婚化や少子化の拡大要因になることは、ほぼ、確実でしょう。

本来は結婚を諦めなくても良かった人が、経済的理由からそれを諦める。結婚には二人必要ですから、その片方が結婚への意欲を失ってしまえば、もう片方は他の誰かを探さなければならなくなる。一度に二人分の機会が失われるわけです。

仮に残された者が、外部環境に抗えたとしても、やはり、縁が無ければパートナーを見つけることは出来ない。しかも制限時間付きで。

マクロ視点で見れば、ここ近年では国民全体の恋愛運は低下しつつあります。

無論、外部環境を個人の努力で解決するというのは、ほぼ、不可能でしょう。私たちに出来ることは政治経済に関心を持ち、選挙に行くことだけです。

つまり、偶然性が影響しやすい恋愛運においても、外部環境によってコントロールされてしまうということです。

結婚適齢期を迎える若者全体の恋愛運を下げる方法は簡単です。増税すればよい。上げる方法も簡単、減税すればいい。

無論、世の中の動きがどうであれ、結婚出来る人はいるでしょう。縁があれば。あなたに限っては、努力が実り、良い縁をつかむことが出来るかもしれない。

しかし、良縁に恵まれなかったとしたら、果たして救いの手はあるのでしょうか?

外部環境の影響から逃れるのは難しいかもしれませんが、個人が恋愛運を上げるために出来る努力としてはサイコロを振り続けるしかありません。

宝くじは買わなければ当たらないと言いますが、買う、買わないという選択は私たちが ” 運 ” に対して出来る唯一のアプローチです。

つまり、出会いの場に積極的に出ていき、オンラインであろうと、オフラインであろうと機会を作る。そして、条件は許容できる範囲でなるべく下げる。

恋愛運が低下していようと、縁があろうと無かろうと、何もしないより ” 偶然 ” が起こる可能性は高くなる。無論、ある程度のリスクも予想されるでしょう。

出会いとは、結局、確率論です。

運命的な出会いだけを待ち続けるロマンチストは、確率論を使うギャンブラーには勝てない。と言うよりは、偶然の結果が、私たちに ” 運命的出会い ” として認識されるのです。

” 運 ” とは何か?

さて、” 運 ” というものが人生の全てを支配しているわけではないと言いました。しかし、世の中には運の良い人、運の悪い人というのは実際にいます。

筆者の知人にアパート経営をされている方がいました。毎年、多額の不労所得が入り、経済的不況に苛まれたこのご時世で、彼は恵まれた状況にあった。

父親から土地を相続したことがきっかけでした。

筆者は、不動産について詳しくないのでアパート経営がどういうものかは分かりませんが、容易に利益を出せるとは思えません。

ただ、彼の場合は元々建築関係の仕事をしていたということもあり、建設資材も可能な限りコストカットし、メンテナンスは業者に頼まず、自ら補修をするそうです。

彼は、言いました。

” 親父に土地を貰わなければ、アパート経営なんて考えもしなかった。それが無ければ、多分、今でも前の会社で働いていただろう ”

彼にとっては、” 土地の相続 ” が人生を切り開くきっかけになっている。それは努力の賜物と言うより、相続出来る立場にいたという ” 運 ” です。

ただ、彼は自分に転がり込んだ ” 幸運 ” を上手く活用し、元々建設業に精通しているというキャリアを生かして、低コストでアパート経営を始めた。

また、アパート経営というアイデアを思いついたのも、サラリーマン時代、彼の人脈に不動産関係者が多かったということがきっかけです。

いずれにせよ、建設業のキャリアは彼の積み上げによって手に入れたものです。

自分の力でコントロール出来ない事象を ” 神の意思 ” と呼ぶなら、神は一度だけ彼にチャンスを与えた。

ここで筆者が伝えたいのは、” 幸運 ” とは、継続的に運のいい人の頭上に降り続けるものではないということです。

たまたま、” 幸運 ” が降ってくる場所に立っていた人が、建設業と不動産に詳しい人だった。

その後、チャンスを生かして彼が財を成したとしても、それは金運が良かったからではなく、彼の起こしたアクションに対する結果に過ぎません。

だから、” 今年の運勢 ” という言い方は、少々誤解を招く言い方です。その年に降ってくる ” 幸運 ” とは、せいぜい一回か、多くても二回でしょう。一年中、神様が見方をしてくれるわけではない。

ただ、降ってきたたった一度の隕石が人生におけるクリティカルヒットになったというだけで、立っている場所が 1mずれていれば、彼の人生に変化は訪れなかったでしょう。

サクセスストーリーの構造

世の中には ” 成功者 ” と呼ばれる人たちがいます。そして、彼らは、偶然、隕石の落下地点に立っていた。掴んだ幸運を利用して原資を作り、資産の再投資を行っていった。

サクセスストーリーの単純な仕組みです。そこに再現性が無いのは、最初の発端が ” 偶然 ” によって支えられているから。

そして、彼らが宝くじを買い続けていたというのも事実でしょう。もちろん、チャレンジに失敗し、散っていった多くの同胞たちの屍の上で引いた当たりくじです。

では、成功者は単なる ” 運のいい人 ” に過ぎないのかと言えば、それは単純化しすぎです。

ビジネスを大きくするノウハウがあり、確率を見極めて行動をした結果として ” 成功 ” があるわけですから、それだけの才能はあったのでしょう。

とは言え、散っていった多くの同胞の中にも同じぐらい、もしくは、それ以上の才能ある挑戦者はいた。ただ、彼らに女神は微笑まなかった。

成功者と成功できなかった挑戦者たちの間に、努力の総量や才能といった部分では大した違いはありません。

これは、私たちとは関係のない世界で生きている成功者に限った話ではない。

世界には、過酷な環境でも生きていかなければいけない人々がいます。治安の悪い地域に住んでいたり、学校で学ぶことすら出来ず家族を養うために働かなければならない子供たちもいる。

多分、あなたは日本人でしょう。それは努力によって得られた ” 成果 ” ではない。平和な日本という国に生まれたことは、紛れもなく ” 運 ” が良かっただけなのです。

そして、たまたま、治安や医療体制、食料の供給が不安定な地域に生まれてしまった人々に比べて、私たちは何の努力もせずに、それらを享受している。

さて、自分に運が無いと感じている人は、一体、どうすればよいのでしょう?

一つ言えるのは、” 運の良い人 ” にその質問をしても、人一倍努力したとか、計画性とか、ポジティブ思考とか、結果論でしか答えてはくれないでしょう。

成功した第一要因が ” 偶然 ” だとすれば身も蓋もありません。彼らは自身の人生を否定しないためにも、それ以外の理由を挙げるしかないのです。

また、人生に一度だけ起こった出来事がクリティカルヒットになっただなんて、夢を壊すような回答よりは、人は成功者の結果論の方を信じたがるものです。

筆者は、こう思います。

運があっても無くても、自分がそうしたいと思うことがあれば、それをすればいい。

仕事でも、恋愛でも、人生の目標でも、どんなことであれ、自分が好きで選択した道ならば、それが結果的に大きな何かに結実しなかったとしても ” 不幸な人生 ” だったとは思わずに済むから。

運が良くても、心を病む人はいます。運が良くても、周りに理解者がいない人もいます。運が良くても、自分の欲しいものが最後まで手に入らない人もいる。

運が良くても、不幸な人もいる。

あなたが欲しいのは、本当に ” 運 ” ですか?

 

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