” ストレス ” と一言でいっても、様々な
ものがあります。
例えば、
会社の上司にパワハラを受けている。
家庭で夫婦関係が上手くいっていない。
健康や将来についての漠然とした不安など。
慢性的なものもあれば、突然、降りかかった
災難のようなストレスもある。
人はその時の状況によって、様々な形の
ストレスを抱えている。
一般的に言われる ” ストレス ” という
ワードが、これら全ての総称として
扱われてしまっていることに、筆者は
何となく違和感があります。
要するに、様々な形の心の負荷によって、
私たちは日々疲労困憊させられている
ということは紛れも無い事実。
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当たり障りのない
ストレスには様々な形がある。そして、
実際にストレス解消法として様々な方法が
ありますが、そのどれもが全てのストレス
を対象としたものです。
例えば、運動をする。
これ一つで、あらゆるタイプのストレスに
対応しようとするわけです。
つまり、上司のパワハラも、失恋も、
将来への不安も、心に受けた傷をまとめて
面倒を見ようとしている。
ここで、一つの疑問。
本来は、それぞれのストレスの形に
合わせて、個別に対応するべきでは?
*
もちろん、全てに通じる方法はあるかも
しれません。
例えば、最近、巷で話題に上がる
” マインド・フルネス ” いわゆる瞑想ですが、
心を無にして頭の中をカラッポにする。
ストレスによる苦痛は先々を考えることで
感じるものですから、” 何も考えない ”
という状況を作り出せれば、確かに全ての
ストレスに対応できる。
ただ、全てに通じる方法というのは、
どの世代でも見ることが出来る当たり障り
のないTV番組のような気もするのです。
多くの人が支持しますが、その支持に
それほどの熱量がない。
一人一人は、ただ何となく見ている。
それとは、反対にあまり支持されないが
一部の熱狂的なファンが見ている番組も
あります。
彼らにとってはピンポイントの番組です。
つまり、マインド・フルネスに限らず、
万人に効果のあるストレス解消法が、
必ずしもあなたの抱えているものに最適か
と言えば、それは、また別の話だと思う
のです。
どうにもならない現実
では、あなたにとって、どんなストレス
解消法が最も適切なのでしょう?
もちろん、筆者が、それを知る由も
ありません。あなたのことを何も知らない
のですから。
ただ、ストレスの原因が特定できている
というなら、それを解決することが
ピンポイントの解消法です。
当たり前過ぎますが、それが、
いいに決まっている。
ただ、” 解決 ” と言っても、そう簡単では
ないのが現実です。それが出来るなら
既にやっているでしょうし、そもそも
解決できるのですから、ストレスとして
抱えてない。
*
ある一人の男性のケースを考えて
みましょう。
彼は、会社上司のパワハラによって、
胃潰瘍寸前のストレスを抱えている。
彼には、車や住宅のローンがあり、
今まで培った経験や実績もある。
上司の件は別としても、良い条件の会社を
簡単に辞めることは出来ない。また、
異動願いを出しているが聞き入れてくれる
様子は無いという八方塞がりの状態。
彼はストレスを解消するために、ジムに
行き、黙々とランニングマシンで汗を流す。
そして、次の日、また、上司からパワハラ
を受けるのです。
彼のストレスを本当の意味で取り除く
ためには、もはや何もかも捨てて会社を
辞めるしかない。
しかし、現実的に考えるとそれは不可能。
現実と仮説
ただ、何か引っかかるのです。
それは、解決することのない問題を
抱えながら、運動することで一時しのぎ
として気を紛らわしていることでは
ありません。
それについては正しい対処だと思います。
生きていく上では、一時しのぎが必要な
時も多々ありますから。そうやって動くべき
タイミングを待って、耐えしのぐことが
必要な時期もある。
*
彼は、一見、上司のパワハラについて
悩んでいるように見えてそうではない。
彼を本当の意味で苦しめているのは、
” 会社を辞めることが出来ない ” という
固定的考えなのです。
会社を辞めることはいつでも出来る。
辞表を書いて出すだけです。
なぜ、出さないのか?
そこには、出せない現実的な事情が
あるから。
彼の場合なら仕事を失うことで生活基盤が
揺らぐこと、培ったものが無駄になって
しまうことでしょう。それは、ゼロからの
再スタートを意味する。
*
筆者は次のように考えています。
パワハラ上司は、今、実際にある ” 現実 ”
彼が明日出勤すれば、職場のデスクの前に
上司が座っているのは、ほぼ、確定した
未来。
しかし、会社を辞めた後の想定する様々な
心配事は、まだ、現実にはなっていない
” 仮説 ” です。
道を切り開く可能性が残されているのは
どちらでしょう?
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自分を取り囲む壁
彼の四方八方に ” どうにもならない現実 ”
という壁が立ちはだかっている。
その中には
” 上司のパワハラを止めることが出来ない ”
という壁や、
” 異動願いは聞き入れられない ”
という壁、
その全ての壁が、確定された現実かと
言えばそうではない。その中には
” 仮説 ” として立っている壁もある。
そして、その仮説の壁には、それを選択
した時の良くない未来が映し出されている。
*
もし、彼が、その良くない未来が映る
仮説の壁を選択したら、どうなるでしょう?
すると、案の定、懸念していたとおりの
新たな問題が持ち上がる。
でも、これは、以前の問題は解消され、
別の問題を抱えるはめになったということ
ですよね。
抱える問題が移り変わったわけです。
さて、その新しい問題も、どうすることも
出来ない問題なのでしょうか?
そうかもしれないし、
そうじゃないかもしれない。
それは選択した後に分かるのです。
別の問題と置き換えるという条件ならば、
抱えるものを変更することが出来る。
もしかしたら別の問題に置き換えることで、
また違った解決の糸口が見つかるかも
しれません。
希望はどこにある?
ストレスを本当の意味で解消するためには、
その原因となっている問題と向き合って、
決断する必要があります。
つまり、抱えるストレスの種類を
選ぶのです。
先ほどの例で言えば、上司のパワハラで
苦しむのか、経済的困窮で苦しむのか、
彼は選ぶことが出来る。そして、すでに、
その一つを選んでいる状態なのです。
*
もちろん、選択にはリスクが伴う。
一つのリスクも犯さずに出来る決断は
限られています。
私たちは、厳しい現実に生きていかなければ
ならない。ただ、それが、良くなるとは
思えない未来であっても、常に ” 選択 ” は
出来るのです。
そして、その先に今まで見えていなかった
別の障害や問題、可能性が存在する。
” 希望 ” とは、
そうやって見つけ出すものです。
それは、キラキラと輝き、まさしく、
これこそ名案というような完成した状態で
目の前に現れるわけではない。大抵は、
最善とは思えない未来の向こう側に
隠れているのです。
*
さて、上司のパワハラで悩んでいる
という男性の例を挙げて説明しましたが、
これは、あくまで人生の課題に対する
一つの捉え方です。
職場の人間関係に悩んだら、さっさと
転職すればいいという安易な話をしている
わけではありません。
実際、人が抱える悩みは様々です。
例えば、夫婦間の問題。離婚すれば解決
するのでしょうが、子供がいた場合は
問題はもっと複雑になる。
例えば、健康上の問題。治療が出来れば
解決しますが、全ての病気が治療出来る
わけではない。
生きるか、死ぬかという二つの選択肢しか
与えられていないという場合もあるかも
しれません。
無論、誰にも救えない問題は、事実、
存在します。それは認めなければならない。
*
ただ、人は悲観的になるあまり、そして、
問題が複雑であるほど、選択肢を見落とす
ことがある。
もし、自分には希望は無いと思い込んで
いるならば、もう一度、問題一つ一つを
切り分けて、考えてみてください。
本当に選択肢は無いのか?
今は選択肢が無いかに思えても、
その状態は永遠に続くのでしょうか?
” 永遠 “とは幻想です。
人類はそれを追い求め続けているが、まだ、
手に入れてはいない。あなたの周囲の状況
だけがそうなっているとしたら・・
変だと思いませんか?
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