人が夢占いを信じない理由|心の証明不可能性

夢占いについて批判的意見もあります。
夢が未来の出来事を暗示するという現象が、
非科学的であり得ないという。

これは、基本的にスピリチュアリズムに
対する批判と同じものです。科学的に証明
出来ないものは存在しないと考える人たち。

人それぞれがどういった考えを持つかは
自由ですから、そういった意見がある
ことには、何ら疑問はありません。

むしろ、あった方がよい。

ただ、否定的意見の一方で、それに対する
肯定的意見というのをあまり聞いたことが
ない気がします。

このブログも一応は、夢に関することを
書いていますので、その辺りの話題を、
一度、取り上げてみてもよいでしょう。

今回は、夢占いに関する批判について
考えてみましょう。

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凡人の視点

その前に、筆者の立場について少し説明
しておきましょう。筆者は、いわゆる
” スピリチュアリスト ” ではありません。

これといった心霊体験もありませんし、
特別な能力など無い、どこにでもいる
ごく普通の人間です。

では、なぜ、夢占いというスピリチュアル系
のブログを書いているのか?

そもそも、筆者は、このブログを
スピリチュアル系だとは考えていません。
むしろ、” 夢 ” が占いのカテゴリーに区分
され、” 夢占い ” と呼ばれていることに、
若干の疑問を感じています。

とは言え、ブログタイトルには ” 夢占い ”
とある。現時点、それ以外に適切な
カテゴリーが無いというのが正直なところ
ですが、もしかしたら、いずれ外すかも
しれません。

いずれにせよ、筆者は、
スピリチュアリスト側の人間でも、
アンチ側の人間でもありません。
強いて言うならば、筆者側の人間です。

人は、特別な能力を欲しがるものです。
また、自分には、特別な能力があると
信じたがるものです。

夢の中にイエス・キリストが現れれば、
人は自分を ” 選ばれし者 ” だと信じたがる。
そして、” 選ばれなかった人たち ” は、
自称 ” 選ばれし者 ” を非難する。

人にはそういった性質があり、
これによって対立が生まれてしまう。

筆者には、特別な能力などありませんが、
その方が都合が良い。なぜなら、特別で
ない多くの人たちと同じ目線で世界を
見ることが出来るからです。

そして、凡人である筆者が、多くの夢を
観察していく中でとある現象を
目の当りにする。つまり、夢が未来の
出来事を予知することがあると。

永久に得られない確証

仮に、夢が未来の出来事を予知していた
としても、現時点でそれを証明する方法が
ありません。そもそも、夢自体を証明する
ことすら出来ない。

例えば、ある人が夢を見たとして、
それをどうやって証明するのでしょう?

脳のイメージを映像化して、モニターに
映し出す技術があれば別ですが・・

これは、恋人の ” 愛している ” という
言葉が永久に不確かなのと同じ原理です。
人の心の中は、証明出来ない。

そして、夢とは心の中の創造物です。

そして、その夢が未来を暗示していた
としても、無論、それを証明する方法は
無い。

夢占いの信憑性について議論する前に、
まず、このことを理解しておかなければ
いけません。

夢が未来を暗示するなどありえないと
主張する人たちは、科学的根拠を示せと
言うわけですが、それは、結局
” 心の中を証明せよ ” と言っているのです。

人が心の中で何を考えているか、
何を感じたのか、それをどう証明するか?
顔の表情? 行動? それらは、あくまで
間接的なものに過ぎない。

夢に物的証拠や科学的根拠を求めている
とすれば、それは、夢の本質を理解して
いないということです。

100%の確証など、永久に得ることは
出来ない。

ただ、見た夢を他人に証明することは
不可能ですが、一つだけ、確証を得る
方法があります。

自分自身に対しては、自分が見た夢を
証明することが出来る。

デカルトの有名な言葉、
” 我思う故に我あり ” とは少し違いますが、
あなたが夢を見たとして、あなた自身は、
” 自分は、今朝夢を見た ” という確証を
得ることは出来るわけです。

自分には嘘をつけません。

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折れてしまった鍵

ここまで読んで、次のような疑問が浮かぶ
人がいるかもしれません。

” 出来事が起こるよりも前に
夢の内容を記録すれば証明になるのでは?”

つまり、何か夢を見て、その内容を記録し、
信じていない人に前もって見せておく。
そうすれば、出来事が実際に起こった時に
否定のしようがありません。

しかし、この方法では、証明することは
出来ないのです。

なぜなら、夢には、それを見る人の主観を
描くという性質があるから。この性質を
具体的に説明すると次のようなことです。

例えば、ある女性が意中の男性に恋人が
いたという事実を知り、奈落に突き落と
されるほどショックを受けたとしましょう。

彼女は、その夜、高層ビルから突き落と
される夢を見る。

つまり、それぐらいショックを受けた
という ” 例え ” に過ぎないのですが、
夢は主観を描くので、それがイメージ
として再現される。

この夢の性質は未来の出来事に対しても
同じく働きます。つまり、好きな男性に
恋人がいるという事実を知る数日前に
高層ビルから突き落とされる夢を見る
わけです。

そう。夢は未来の出来事を直接描かない。
描かれるのは、その出来事に対する彼女の
” リアクション ” です。

それは、どこまで行っても ” 主観 ” でしか
ないわけですから、都合良く書き換えられる。

例えば、意中の人とその恋人が出会って
しまうのを阻止するために、落下中に
過去にタイムスリップをするといった、
もはや、事実とは全く無関係の空想物語
になったりする。

例え数日後の失恋とタイムスリップの夢に
因果関係があったとしても、信じない人
には無関係な事実と夢を無理矢理結び付けて
いるようにしか見えない。

” 後付けで解釈しているだけ ”

という考えにはまり込んでしまった
彼らの状況は、丁度、鍵穴に差し込まれた
鍵の持ち手が折れてしまった状態に
似ています。

彼らを納得させる回答は、現実世界には
存在しません。

それは、事実と夢に元々、因果関係が
無いからではなく、因果関係を証明する
術が無いからです。

つまり、因果関係が無いということも
証明出来ない。

夢は、そもそも ” 主観 ” を描いた世界
ですから、どのようにでも解釈出来る。
その ” 曖昧さ ” が、彼らに信じない理由を
与えるのです。

数日後の事実と、昨晩見た空想物語の間に
関連性があることに気づく可能性がある
とすれば、唯一、夢を見た本人のみです。

永久に疑わしき世界

例えば、お昼下がりに居眠りをした時、
次のような短い夢を見たとしましょう。

自分の顔を見上げている猫。

ストーリーも無く、登場人物はペットの
猫だけです。

これが餌の時間の直前に見た夢ならならば、
” ああ、そろそろご飯の時間だ ”
という飼い主の気がかりが描かれていると
解釈することが出来ます。

もし、最近、ブラッシングしていないなら、
この夢の意味は、
” ブラッシングをしなければ ” でしょう。

同じ夢であっても状況によって考えられる
解釈は無数にあるわけです。そして、
そのどれもが証明することは出来ない。

その時の解釈によって、繋がりがある
ように見えるというだけです。

夢は、精神世界の産物であり、常に主観
だけを描くというこの二つの性質によって、
どこまで行っても ” 疑わしき世界 ”
でしかない。

それが、見えない障壁となって、
信じない人と信じる人を隔てる。

唯一、自分自身が体験し、確かめるという
方法でしか確証を持つことは出来ない。

あなたが、この記事に書いてあることを
信じるかどうかは分かりませんが、
一つ言えることは、あなたは判定員
ではなくプレイヤーだということです。

あなたは、コートの外で試合を見物して
いる観衆の一人ではなく、コートの中で
試合を行っている当事者です。

試合中、心の中でどんな葛藤があったのか、
あの時の一打にどんな意味があったのか、
その真実を知っているのはあなただけです。

真実にたどり着けるのは、観衆でも、
審判員でも、スポーツアナリストでも
ありません。

さて、今回は、夢占いに対する批判に
ついて解説しましたが、実は、夢占い
というジャンルは他にも問題を抱えて
います。

それによって信憑性を得られないのです。

これ以上は話が長くなってしまうので
止めますが、その問題については別の
記事で改めて取り上げようと思います。

 

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