ほとんどの夢は夢占いで調べるには、
複雑すぎて正しい解釈を得ることが出来ない。
筆者自身、何か夢を見た時に、
インターネットでキーワード検索して
意味を調べるといったことはしません。
夢から目覚めた直後、
それがシンプルな夢なら何を意味しているのか
すぐに理解出来る場合もありますが、
そうで無い場合は記録だけしておき、
あえて、放置します。
そして、数日経った頃に
ここ数日間にあった出来事を思い返しながら、
ちょっとした ” 気づき ” を得る。
夢解釈のイメージは、例えば、
考古学者のように多くの書物に囲まれながら、
古文書を読み解くような御大層なものでは
ありません。
ほとんどは自己観察、心の探求なのです。
自己の内面に目を向けるという意味では、
椅子に座ってぼんやり考え事をしている
といった地味な作業が大半です。
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削ぎ落とされたもの
心理学の分野でも夢を分析することがありますが、
それは、あくまで治療を必要とする人の心理を
分析するための一環として行われるものです。
つまり、それは、
他人の夢を分析するための知識。
そして、その知識は、多くの人に共通する
普遍性のあるものでなければ
学問としての価値はありません。
*
医学の世界でも同じことが言えます。
例えば、新型インフルエンザが流行した場合、
急激な発熱があるとか、咳が出るとか、
潜伏期間がどれぐらいかというような、
対策に必要なデータを収集するわけです。
それが多くの人に共通することならば、
そのデータは普遍性があり、
人の命を救うための価値ある情報になる。
ただ、人によっては、
かかり始めに耳鳴りがするとか、
目が乾いてシバシバするといった
特有の症状が現れるかもしれません。
しかし、それは、多くの人には共通しない
個別の症状だった場合、その情報は、
価値の無いものとして切り捨てられる。
*
学問というからには価値ある知識を
集積しなければなければならないわけですが、
その過程で、多くの ” 普遍性の無い情報 ”
が削ぎ落とされていくのです。
これは、医学や心理学に限らず、学問として
存在するあらゆる分野に言えることです。
誰も特定のどこかの誰かにしか当てはまらない
知識など学ぼうとは思わないでしょう。
さて、夢について話を戻しましょう。
夢とは極めて個人的な創造物です。
夢を作る潜在意識にとって、
” 個人 ” こそが世界の中心であって、
どこかの誰かと共通する普遍的な事柄など、
大した価値を持たないのです。
言うなれば、インフルエンザの潜伏期間が
統計データ上、何日だろうとそれはどうでもよく、
今、耳鳴りがすることの方が重要なのです。
*
夢は無価値な情報として削ぎ落とされた
” 私事 ” によって構成された創造物です。
つまり、夢に普遍性は無い。
ゆえに、学問として
最も取り扱いにくいテーマです。
夢を分析するために必要なのは、
分厚い心理学の本ではなく、
その夢を見た人の心を理解することです。
夢を理解するために、
それを作り出した人を理解するのは必然です。
つまり、個々を一つ一つ、
理解することが夢解釈には重要なのです。
それは、とても非効率で時間がかかる。
そもそも、生の人間一人を理解するわけですから、
テンプレートにはめ込んで、
手短にパパッと済むわけがありません。
学問とは、ある意味、効率を求める人間が
生み出したテンプレートのようなものです。
誰も語ることは出来ない
とは言え、この記事自体が、ある意味、
抽象的でテンプレートのようにも
見えるかもしれません。
でなければ、誰もこの記事を
読んではくれないでしょう。
ただ、この記事、もしくは、
このブログは ” 夢の本質 ” そのものを
語っているわけではありません。
” 夢の本質は、こういった
抽象的な話の中には存在しない ”
ということを伝えたいのです。
*
あなたにとって
真に価値あるものとは、何か?
それは、あなた自身です。
ノーベル賞科学者の論文でもありませんし、
何百万人ものフォロワーを抱える
インスタグラマーの投稿写真でもありません。
それは、” あなたの世界 ” から見れば、
脇役に過ぎない。
いくら外の世界で
誰かが夢について論じたとしても、
結局、あなたの夢について語っている
わけではないのです。
*
夢の本質とは、
それを見る人それぞれの中にある。
だから、何を、どう論じたとしても、
最終的に夢の本質そのものを
論じることは出来ない。
夢を見た本人以外は。
そして、本人が論じることが出来るのは、
自分の夢だけです。
多くの夢から、万人に通じる
ある傾向や法則を発見したとしても、
それは夢の本質ではありません。
そして、発見されたその法則は、
夢を見た人たちにとっては、
どうでもよいことです。
このブログで語られていることは、
あなたの夢とは無関係。
ブラウザを閉じてください。
あなたの求めている ” 答え ” は、
世界のどこにも無い。
無論、この記事にも。
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見落とされた鍵
さて、誰にも答えることが出来ないというなら、
それをどうやって見つければよいのでしょう?
” 見つける ” という言い方は、
いささか誤解を生む表現です。
厳密には、” 再認識 ” と言った
方がよいかもしれません。
そもそも、夢を作っているのは、
それを見た本人なわけですから、
視野の届かない場所に ” 答え ”
が存在することはない。
それが見つからないという状況は、
考えることが多すぎて、
足元に落ちている小さな鍵に気づかないか、
不都合な事実を封じ込めた箱を
開きたくないから鍵を失くしたと
思い込んでいるだけなのか、
理由は色々考えられますが、
いずれにせよ、” 答え ” は、
すでに手元にあるのです。
手元になければ、そもそも夢は作られない。
言わば、試験問題の制作者が、
正しい解答を知らなければ、
問題を作れないのと同じです。
つまり、私たちは、
答えを見落としているだけです。
*
しばしば、筆者は夢の真意を探るためには、
外部情報が邪魔になるということを
言ってきました。
皮肉にも現代はインターネットという
ツールによって、あらゆる情報を
得ることが出来る。
そして、情報の質は玉石混合です。
何か分からないことがあれば、
キーワード検索をすれば
すぐに答えが見つかるというマインドが、
筆者を含め、現代人である私たちに
根付いているのも確かです。
そういった意味では、現代人は、
外側にある ” 答え ” を見つけることには
長けていても自身の中にある ” 答え ” を
見つけ出すことには、
不慣れになっているのかもしれません。
外部情報は、無論、役立つものもありますが、
そればかりに目を奪われて、自分について
じっくり考える時間を削っているとしたら、
外部情報に触れる割合を
少し調整すべきかもしれません。
夢解釈とは、結局、自己観察なのです。
*
見落とされた鍵を見つけるには、
遠くに向けた視線を足元に移すだけです。
ただ、視線を遠くに向け続け過ぎた私たちは、
それをやめることに不安を感じる。
何か重要なことを見逃して
しまうのではないかと。
また、自分に自信を持つことが出来ない
という自己評価の低さは、
” 自分の中に重要なものは無い ”
というマインドを作ります。
つまり、” 答え ” を自分の中ではなく、
どこか遠くに求めようとする。
*
あなたが探している ” 答え ” が、
一体、何か、筆者には分かりません。
ただ、検索結果の1ページ目に
それが載っているとしたら、
それは、元々、あなたを悩ますほど、
重要な問題ではなかったということでしょう。
つまり、そこに ” 答え ” は無い。
重要なのは、誰にも
答えることが出来ない問い。
そして、自分で判断
しなければならない問いです。
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