夢解釈をする上で気をつけるべきマインドがあります。
それは、” 価値のある情報 ” への信仰。例えば、世間一般常識とか、権威ある人の発言、体系化された学問なども入ってくるでしょう。
それが、なぜ、問題となるのか?
また、それは夢解釈だけに留まらず、難しい時代を生きる私たちが何を選択し、何を優先するか、といったことにも関わってくる。
今回は夢解釈の観点から、” 価値 ” について考えていきましょう。
削ぎ落とされたもの
例えば、新型の感染症が流行した場合、医療機関は急激な発熱があるとか、咳が出るとか、潜伏期間がどれぐらいかという対策に必要なデータを収集します。
それが多くの人に共通することならば、そのデータは普遍性があり、人の命を救うための ” 価値ある情報 ” になる。
ただし、人によっては、かかり始めに耳鳴りがするとか、口の中が乾くといった特有の症状が現れる場合も。しかし、それらは多くの人には共通しない個別の症状であり、個別情報は価値の無いものとして切り捨てられる。
医療の話だけでなく、アカデミズムについても同じことが言えます。” 学問 ” というからには、多くの人に共通して役立つ知識を集積しなければ成立しません。
誰にも当てはまらない知識を学んだところで意味はありませんし、誰も学ぼうとは思わないでしょう。学問が体系化されていく過程で、 そういった多くの ” 普遍性の無い情報 ” が削ぎ落とされていく。
さて、夢について考えてみます。
夢とは極めて個人的な創造物。夢の作り手である潜在意識にとって ” 個人 ” こそが世界の中心であって、どこかの誰かと共通する普遍的な情報は大した意味を持たない。
言うなれば、潜伏期間が統計データ上、何日だろうとそれはどうでもよく、今、耳鳴りがしているという事実が夢になる。
夢は無価値な情報として削ぎ落とされた ” 私事 ” によって構成された創造物です。つまり、夢に普遍性は無く、学問として最も取り扱いにくいテーマです。
強いて言うなら ” 普遍性が無い ” ということだけが、普遍的な情報と言えるかもしれません。また、こういった抽象的な話は、一般化しにくい。
夢を分析するために必要なのは、心理学の知識よりも、その夢を見た人の心を理解する姿勢です。夢を理解するために、それを作り出した人を理解するのは必然であり、一人一人の人格や置かれた環境について理解することが重要になってきます。
ただ、こういった形で夢解釈を行うのは、とても非効率で時間がかかる。そもそも人間一人を理解するわけですから、テンプレートにはめ込んで手短にぱっと済むわけがありません。
学問とは、ある意味、効率を求める人類の合理的マインドが作り出したテンプレートのようなものです。
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英会話でも、投資でも、占いでも、それらをカリキュラムとして教えることで人材育成しようという動きは資本主義の中で必ず起こります。
英会話なら身に着けることで、キャリアアップになるかもしれません。投資もチャートの読み方を習得すれば損失のリスクを減らせるかもしれない。
タロットカードを習得すれば、占い師として生計を立てられるかも。まさか、自分の人生を占うためだけにタロットの学校に行く人はいないでしょう。
つまり、普遍的情報がビジネスになるのも、そこに価値があり、ニーズが存在するからです。
夢解釈についてはどうでしょう?
心理学を勉強し、資格をとってセラピストになるというなら、夢解釈について学ぶことは一定のメリットはあると思いますが、それ自体がビジネスになるかと言えば難しい。
このブログも人材育成を目的としたものではなく、自身の夢を解釈することを前提としています。それは、筆者がビジネスに関心が無いからというより、夢解釈自体がカリキュラムで学べるようなものではないことを依頼者の夢を分析しながら感じたからです。
夢をテンプレートに無理矢理はめ込むことはできない。むしろ、依頼者を理解するよりも遠回りになる。
故に、夢解釈をアカデミックな形で学びたいと考えている人にとっては、他人の夢を延々と解説するブログに物足りなさを感じるかもしれません。そんなことより、ノウハウを教えてくれと。
ただ、先ほども言いましたが、夢解釈において、誰もが活用できる普遍的情報、いわゆる ” ノウハウ ” はそれほど重要ではありません。
筆者が推奨する夢解釈とは、どちらかと言えば、アスリートが行うトレーニングに似ています。
スポーツの世界では、スポーツ科学や筋肉の構造について学ぶことも必要かもしれませんが、それ以上に重要なのは、自己の身体について理解を深め、パフォーマンスを上げるために自分に適した練習を積み重ねることです。
アスリートは、自分の身体についての知識はプロフェッショナルと言えます。足のサイズ、フォームの癖、体重の変化、エネルギー消費量、食事といった細かなデータを把握している。
しかし、他のアスリートにとっては、それら詳細なデータに価値はありません。もし、あなたがアスリートだったとして、ウサイン・ボルトの足のサイズがいくつかなんてどうでもよい情報です。
ウサイン・ボルトの脅威の身体能力をわざわざ学ぶ必要は無いですよね? それは彼にしか活用できない知識です。
つまり、あなたにしか活用できない知識が重要であり、あなたは、あなた自身の取扱い説明書をマスターする必要があります。それを教えてくれる学校は存在しません。
価値のない ” 価値 “
ここまでの話をまとめます。私たち一人一人には、他者と共通する普遍的部分と、そうでない私的部分がある。
図1
そして、普遍的部分はアカデミズムと相性が良く、抽出すればノウハウ、知識として多くの人に活用可能な価値ある情報となる。逆に私的部分は価値のないものとして削ぎ落される。
しかし、図1では、他者と共通する普遍的領域よりも、私的領域の方が面積が大きい。これは、あなたの人生はあなたが主役であり、他者との共通点はあなたの人生にとって大して重要ではないという意味です。
夢解釈においても同じことが言えます。私たち一人一人が活用すべきリソースがあるのは私的領域が主であり、普遍的領域にあるのは僅かです。
私的領域を積極的に活用する姿勢、いわゆる ” 自己探求 ” は、フィジカル面では、スポーツの世界や健康管理において普通に行われています。しかし、メンタルという側面では、瞑想といった形で一部行われているだけで一般的とは言えません。
自己啓発の本を何冊読んでも何も変わらない、といったことはよくあります。
それは、自己啓発のノウハウが普遍的領域から抽出されたエッセンスであり、変わらないのは、知識が不足しているからではなく、私的領域への探究が置き去りになっているから。
筆者は、アカデミズムを否定しているのではなく、知識として学ぶことも必要だが、それ以上に活用すべきリソースが、あなた自身の中にあるということを伝えたいのです。
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では、なぜ、人々は私的領域に目を向けないのか?
理由の一つは、メリットが見えにくいから、ということだと思います。
私たちはフィジカル面では、自身の体がどういった状態なのかを日々観察する。例えば、健康に気を使う人なら、毎日、体重や血圧をチェックし、冷え性に困っている人なら、厚めの靴下を履いたり、腹巻をすることもあるでしょう。
そうやって自身の体と相談しながら、個人個人でそれなりの対策、生活習慣といったものを確立していく。そして、フィジカルとしての自己探求は目に見える形で成果を得ることができる。
しかし、メンタルに関する問題は、数値化することが難しく、自身が問題を抱えていることに気づかないことすらある。
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もう一つの理由は、普遍的領域から抽出された知識が世間一般に評価されやすいという現象です。
私的領域に存在する知識は、その人個人に深く関わるものですが、他人にとっては価値の無い情報です。例えば、あなたが記録している体重のデータを欲しがる人など主治医でもない限りいないでしょう。
だから、インターネットであっても、書籍であっても、ビジネスとして提供される情報のほとんどは、普遍的領域から取り出されたものです。より幅広く多くの人に受け入れらるとしたら、無論、世間一般の評価が高くなる。
人は世間の評価に流されやすいものです。自分が毎日書いている日記よりも、ベストセラーのビジネス書に価値があると思ってしまう。しかし、人生においてあなたに最も価値あるものとは、あなたの経験であり、気づきであり、作り上げた価値観です。
棚卸し
とは言え、ベストセラーの書籍に全く価値が無いと言うわけではありません。筆者も本は読みます。人生の糧になった本もいくつかある。
普遍的領域から取り出された人類の叡智を有効活用することには、全く反対していませんし、むしろ積極的に活用すべきだと思います。
ただ、忙しい現代人は時間に追われて、コストパフォーマンスを重視するあまり、倍速で動画を観たり、SNSでトレンドをチェックしたり、普遍的領域の情報を収集することだけに終始しているようにも見える。そして、そういった合理化が私的領域への探求心を奪っていく。
また、現代人の多くは、自己肯定感に飢えています。自分に自信を持つことが出来ず、劣等感に苦しんでいる。誰かの足を引っ張ったり、見栄えを気にしたリ、何かについて自慢したり、勝ち負けに拘ったり。
なぜ、飢えているのでしょう?
筆者は思います。情報社会の中で普遍的領域からの情報収集ばかりに囚われて、私的領域への探求を疎かにした結果、自身の中の ” 価値 ” を見つけられないのではないか。
潤沢にあるリソースを見過ごし、自分の中に ” 価値 ” が無いと思い込んでしまっているのではないか。それが、結果的に自信喪失へと繋がっている。
一度、立ち止まって、自身の中にある ” 価値 ” を棚卸しすることは、決して、あなたにとって無駄な時間にならない。
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さて、棚卸しをするとして、私的領域へのアクセスが必要になります。
フィジカル面で私的領域にアクセスする方法については先ほども触れましたが、メンタル面でのアクセスとなると一般的には瞑想のイメージがあります。
しかし、瞑想の基本は、頭を空っぽにし、呼吸に集中するというトレーニングなので、自己探求といった動的処理との並行は難しい。
気づきを得るとは、まずは ” find ” が必要ですから動かなければならない。座って待っていても答えは得られないでしょう。
人によっては瞑想中に頭の中で声がするのかもしれませんが、筆者も含め、多くの人はそういった特殊な体験が出来るとは限らない。
筆者は、瞑想の意義とは、脳と心の歩調を合わせることだと考えています。
頭だけで考えても気持ちが追いつかない。気持ちだけが焦って冷静な判断が出来ないといったことはよくあります。瞑想によって一旦、感情と思考をリセットし、最適解を得るための安定したメンタルを取り戻す。
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ここでは、瞑想ではなく別の方法でのアクセスを提案したいと思います。
それは、単純に日記をつけるというだけですが、厳密には、わざわざ日記をつける必要も無いでしょう。ただ、静かな場所があって、一人考え事をする。何か気づいたことがあればメモをするといった程度で十分だと思います。
今朝見た夢の意味を自分なりに考えてみるというのもよいと思います。そこには、あなたにとって大切な何かが描かれているわけですから、今、考えるべきテーマには違いないでしょう。
正解に拘る必要はなく、あなたの中に何らかの ” 気づき ” があれば、棚卸しをした意味がある。
人間ですから考え事が、仕事への不満や人間関係への不満といったネガティブな感情に囚われる時もあるでしょう。それを生産的な方向へシフトする努力は必要だと思います。
これは、メンタルに関する活動ですから、目に見える成果を期待すると、あまり、役立っていないようにも思える。
それは健康と同じです。病気になり、気分が落ち込み体が動かない。そんな時、健康であることが、どんなに素晴らしいことかを思い知らされる。健康な時は考えたこともなかったのに。
あなたが、今こうしてつまらぬ記事に付き合って目を通している。しかし、それだけメンタルにゆとりがあると言うことも出来る。それは幸運なことであり、手放すべきではない平穏。
暗い穴に落ちてしまわないためにも、あなた自身の中にある ” 価値 ” を見つけてください。
