ネットの誹謗中傷について|SNSとの付き合い方

このブログでは、あまり時事について
触れることはありませんが、
最近、巷で流れているネット上の
誹謗中傷に関するニュースを見て、
筆者にも思うことがあったので
この機会に述べておこうと思います。

ニュースでは有名人に対する誹謗中傷
などが取り上げられやすいですが、
一般の方であっても必ずしも
誹謗中傷の矛先になる可能性が
ないわけではない。

事実、子供たちの間でSNSを介した
” イジメ ” は存在しています。

そして、SNSが私たちの生活の
身近なところまで普及し、
全く関わらずに生きていく
ということも難しくなってきている。

私たちは、このSNSというもの、
そして、その中で行われている
他人に対する誹謗中傷という現象に
どう向き合っていけばよいのでしょう?

石を投げ続ける人々

ネット上では汚い言葉によって
誰かを傷つけるという行為が、
当たり前のように行われている。

人は、これほどまでに攻撃的で
会ったこともない他人に
憎悪を抱けるのか?

筆者が疑問だったのはその点でした。

実際に会ってみて迷惑をかけられ、
不快な思いをしたわけではない。

金を取られたり、大切なものを
奪われたわけでもない。

しかし、標的となった人に向かって、
その存在を否定するような言葉を
彼らは投げかけるのです。

そして、最も相手が傷つくであろう
言葉を選びながら、効果があるか
無いかを見ている。

仮に、それが相手にダメージを
与えたとして、
だから、どうだと言うのでしょう?

それが自分の人生のプラスに
なるわけでもないのに。

*

もし、石を投げる人全員に
” なぜ、石を投げるのですか?”
と聞いたとしても
” むかついたから ”
というような、ありきたりな
回答しか得られないでしょう。

多分、彼らも石を投げている理由を
よく分かっていないと思います。

これは、筆者の個人的な意見ですが、
彼らは標的に刺々しい言葉を
投げかけながらも、実は、
その言葉は標的に向かって
投げられているわけではない
ということです。

的となった人は、実際、名誉と
尊厳を傷つけられてしまったわけですが、
それは、間違いなく、その人に
投げつけられた言葉が原因でしょう。

被害者と加害者の関係は明らかです。

しかし、それを投げる人は、
二種類の石を使い分けながら投げている。

一つは、標的になった被害者に、
もう一つは、私たちであり、あなたです。

また、私たちに投げられた石は、
標的に投げられたものより大きい。

二つの石

筆者もTwitterを見ていますが、
時折、タイムラインで行われている
誹謗中傷を目にすることがあります。

そこで、疑問なのが
誰かの投稿に対する中傷が
” リプライ ” としてコメントされる
という部分です。

リプライとは、誰かのツイートの下に
自分のツイートがぶら下がった
形で表示され、皆がそれを確認できる。

なぜ、ダイレクトメールという形で
直接、相手に向かって石を投げずに、
リプライに書くのでしょう?

その誹謗中傷は、最初から、
運悪く的になった人にではなく、
私たちに投げるつもりの石だからです。

例えば、有名人に投げられた石。

自分がどんな石を投げ込んだのか、
私たちに見てほしいのです。

多分、” 知性 ” という宝石のつもりで
加害者はそれを投げている。

” どう、この鋭い意見。
俺って凄いでしょ? ”

” 皆、あんな奴より私の方が
マシなこと言っていると思わない? ”

このリプライに書き込まれる
誹謗中傷は、被害者を傷つける
という目的よりも、閲覧者に対する
パフォーマンスとしての性質が
大きいと筆者は考えます。

要するに、被害者はそのために
利用されているのです。

これは、被害者の投稿に直接書き込まれる
リプライだけではなく、被害者に味方する
投稿に対するリプライも同じです。

*

有名人に投げつけられる誹謗中傷は、
単純に成功した人に対する嫉妬が
噴出した結果でしょう。

人生がうまくいかず、
現実に打ちのめされた人々が、
運命の女神に微笑まれた
” 運のいい人 ” に石を投げる。

” なぜ、あんな奴が幸せな人生を送れて、
真面目に生きている私がこんな惨めな
人生を送っているの? ”

有名人に投げられた石は、
私たちに向けて投げかけられた

” こんな社会って
おかしくないですか? ”

という問いかけなのです。

*

ただ、ダイレクトメールに
誹謗中傷コメントを直接書く人もいます。

直接、テレビ局や芸能事務所に
電話でクレームを入れる人もいます。

ここには、” 閲覧者 ” は介在できない。

不特定多数に向けたリプライとは
違いますが、結局、これも
社会に対する不満が別のアプローチ
をとっているに過ぎない。

テレビ局にクレームを入れる
クレーマーが言いたいのは、つまり、

” おたくの番組のせいで世の中が
間違った方向へ行くじゃないですか ”

ダイレクトメールで批判をする人は、

” あなたのせいで
こんな人々が増えるじゃないですか ”

要するに、影響力のある存在に、
” 変なことを発言するな ” と
クレームをぶつけることで
世の中を正しい道に戻そうとしている。

本人は正義感による正当な行為だと
思っているのでしょう。

しかし、実際は、単なる
” 自分が幸せになれない社会 ” を
是正したいだけなのです。

*

ある意味、社会が疲弊して多くの人々が
苦難を強いられている今この時代に
SNS上でこうした問題が持ち上がるのは
必然なのかもしれません。

きっと、社会がもっと住みやすい環境ならば、
人々が幸せを感じることが出来る人生を
送っているならば、このような問題は
小さな範囲で収まっていた・・

SNSで起こる誹謗中傷の数々は、
希望の無い人生を送る人々の
” 憤怒 ” が形となった結果なのかも
しれません。

石を投げる人。

もしかすると、筆者も
周囲の状況や環境によっては、
そちら側になっていたのかもしれない。

言葉には言葉を

さて、誹謗中傷は、絶対に
無くならないのでしょうか?

ネット上の誹謗中傷の原因が、
人々の幸福感の不足が招いたことならば、
” 幸せを実感できる社会づくり ”
というのはシンプルな回答です。

多分、それが正攻法でしょう。

しかし、それは政治によって
ようやく実現出来るかどうかという
大きなテーマです。

私たちが出来るのは、
基本、投票することだけ。

ならば、個人として
SNSのこういった問題について
どう向き合っていくべきでしょう?

*

筆者はTwitterのタイムラインで
石を投げ続ける人々を見ていて、
とあることに気づきました。

彼らが誰かに投げつけるための石を
拾う時に軽いものを選んでいることに。

つまり、自分が幸せになるために
彼らは一生懸命、社会を変えようと
しているわけですが、

実際に行動していることと言えば、
思ったことを ” 呟く ” だけです。

” 自分のツイートが誰かに届き、
社会が変わるきっかけになればいい ”

と言う意図がそこにあるわけですが、
幸せになるための努力としては
あまりに小さく、遠回りです。

多分、SNSに素晴らしいコメントを
書き残したところで人生が
変わることはない。

彼らが期待していることは
明らかに ” 幻想 ” です。

*

私たちがネット上の誹謗中傷を
し続ける人々に出来ることは、
単純明快です。

反応しない。リアクションを取らない。

そういった人々の発言に反論する
必要もありません。

それは、誹謗中傷者の言葉を
拡散しないためと言うよりは、
彼らが、私たちの反論によって
変わることは、まず期待できないからです。

彼らが ” 呟き ” によって
社会や自分の人生を変えることが
出来ないのと同じく、私たちも彼らを
変えることは出来ない。

幻想を信じ続ける人々に真実を教える
というような使命感も必要ありません。

その考えが ” 幻想 ” だからです。

彼らは、それを私たちに
しようとしているのです。

それで、あなたの考えは変わりましたか?

*

” ならば、あんな酷い行いを
野放しにしておけと言うのか? ”

という疑問を持つかもしれません。

無論、法的手続きを踏んで
しっかりとした対応を行う必要があれば、
そうすべきです。速やかに。

ただ、野放しになった獣を
” 呟き ” で食い止めることは出来ない
ということも理解しておくべきです。

むしろ、焼石に水、火に油という
結果になる可能性の方が大きい。

しかし、これだけはSNSで
やってもいいと思えることが
一つだけあります。

それは、傷ついた人に励ます言葉を
投げかけることです。

言葉の暴力によって負った傷を
癒すのは、やはり、言葉なのです。

だから、もし、誰かの酷い言葉に
腹が立ったとしたらそれに反論する
のではなく、傷ついた人に向けて
自分は何が言えるのか、それを考えるべきです。

それが何気ない一言であったとしても、
傷を負った人の命を救うこともあるのです。

 

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