夢で見たその場面で何を感じたか?|” 感覚 ” という鍵

夢は、それを見る人にとって、都合良く書き換えられる。仮に、それが未来の出来事であったとしても。

つまり、夢の作り手である潜在意識は、その出来事が現在であれ、未来であれ、事実をそのまま描かない。

例えば、とある女性に、明日、電話で恋人と口論になって、喧嘩別れしてしまう未来が待っているとしましょう。

その数日前に、彼女は、携帯を落として壊してしまう夢を見る。

つまり、彼女の潜在意識は、恋人との関係が壊れるという事実を ” 携帯が壊れる ” という出来事に置き換えて描いているのです。

恋人との関係を修復するのは難しいですが、携帯ならば修理に出せば済む。

より解決しやすい形にシチュエーションを置き換え、これから訪れる予定のトラブルを疑似的に解決しようとしている。

ただ、出来事が起こった後に夢を見るならまだしも、数日前見るわけですから、夢と数日後の出来事に関連性があることに気づける人は、ほとんどいません。

非科学的なことを信じない人ならば、なおさら関連性を否定するでしょう。

このようにして、多くは ” 単なる夢 ” として片づけられていく。

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無形のピース

夢を作ったのは、それを見た本人です。

なので、一見、事実と全く無関係に見える設定に置き換わったとしても、夢の製作者である本人は、元となる出来事が何かを知っているわけです。

先ほどの女性のケースで言えば、彼女は夢の中で携帯を落として壊してしまうのですが、壊れた携帯を手に取り、ひび割れた画面を見て、なぜか、とても悲しくなり止めどもなく涙が流れた。

携帯電話が壊れただけです。それだけで、そこまで悲嘆するでしょうか?

夢の作り手である彼女は、ひび割れた画面が何を意味するか、壊れるのは携帯ではないことを知っているのです。

このように夢の内容に対して、感情がミスマッチな状態になることが、夢の中ではよく起こります。

そういった場合、その設定がカモフラージュとして作られている可能性があります。もし、夢から目覚めて、

” 大したことでも無いのに、なぜ、あんなに動揺していたのだろう? ”

” なぜ、私は、あんなに怒っていたんだろう? ”

という感情の不一致を感じたら、その夢の内容は、何かが置き換えられた結果なのかもしれません。

つまり、分析対象は、夢の内容だけではなく、夢の中で何を感じていたのか、という目で捉えることの出来ない感情的要素も解釈する上では重要です。

例えば、あなたが夢の中で夕暮れの空を見たというなら、その空を見た時の感覚を思い出してください。

それは、言葉で説明すると ” 夕暮れの空 ” でしかないわけですが、それを見て、とても切なく感じた、不吉に感じた、もしくは、平穏なひと時に感じた、

あなたが体験した感覚は、景色に対する単なる感想ではありません。( 景色に対する感想をカモフラージュに使う場合もありますが )

夕暮れの空を見て、子供の頃、学校帰りに友達とあぜ道を歩いた記憶が蘇ったとしたら、その思い出は夢の意味を読み解くための鍵です。

また、夢の中で取り立てて何かを見たわけでもないが、妙な嫌悪感を感じていたとか、胸騒ぎがしたという場合も、やはり、その ” 感覚 ” に注目すべきです。

” 感覚 ” だけでなく、頭の中に過った考えや思い込み、推測なども、同様に夢を読み解くための重要なピースとなる。

目視できる夢の内容だけではなく、感覚、思考といった無形の要素も作品の一部だということを忘れてはいけません。

招かれざる訪問者

次は、一人暮らしの女性が見た夢の一例です。

リビングの入り口で、泥だらけの野良犬がしゃがみこんでこちらを見ている。
 
慌てて野良犬に近づくと、犬は開きっ放しの玄関から逃げていく。
 
廊下には犬の足跡。

彼女は、この夢を見た数日後に悲劇に見舞われます。買って間もない新品の絨毯に、毛染め液を落としてしまったのです。

その日、浴室で毛染めをしている最中にリビングで携帯電話が鳴り、それを取りに行こうとした時、不覚にも、ポタッと毛染め液が落ちてしまった。

絨毯は選びに選び抜いたお気に入りで、値段もそれ相応したと言います。

それは小さな汚れでしたが、彼女にとっては、今年に入って犯した最も大きな “ミス ” でした。その日から、インテリアへの愛着が、全く持てなくなってしまった。

さて、この悲劇と彼女が数日前に見たという夢は、果たして関係あるのでしょうか?

「野良犬の印象について教えて頂けますか?」

筆者の質問に、彼女は次ように答えます。

泥だらけで濡れていたが、体毛から察するに元々は白い犬だと判別が出来た。そして、どこかで見たことのある犬、という認識があった。

「つまり、それは実在する犬ですか?」

彼女は、説明を続けます。

夢の中では ” 前から知っている ” という認識があったが、目覚めると、そんな記憶は無く、全くの架空の犬だった。

筆者は尋ねます。

「ちなみに絨毯の色は何色ですか?」

彼女は、” 白 ” と答えます。

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私たちの ” ミス “

彼女の潜在意識は、白い絨毯を架空の犬の姿に置き換えて夢に登場させています。

犬に対して ” 見覚えがある ” という奇妙な認識を持ったのは、その犬が、元々、普段から目にしている絨毯の身代わりだと知っているからです。

家を汚されたくないと思い、彼女は犬を追い払おうとする。

廊下の足跡を見て、彼女は、招かれざる訪問者によって、家が汚されてしまったことに強い憤りを感じた。

彼女の潜在意識は、汚れる予定の絨毯を泥だらけの犬に置き換え、家から追い出すことで問題を解決しようとしています。

” 大丈夫、汚れているのは、私とは無関係の野良犬のことだから ”

野良犬ならば、ただ、追い出せばよい。そして、廊下の足跡は簡単に拭き取ることが出来る。

しかし、夢の意味を知っている彼女の心には、大きな損失感と憤りだけが残る。もちろん、勝手に家に入られて、床に足跡をつけられたから、ではありません。

この場合の ” 家 ” は、単に彼女の自宅というだけではなく、彼女が思い描いていた ” 美しいインテリアに囲まれた理想の生活 ” を例えた結果であり、

野良犬は、うっかりドアを開けっ放しにした彼女のミスによって招かれた ” アクシデント ” を意味します。

抽象的な描き方をしていますが、実際の出来事と本質的な部分では一致しています。

さて、このように解釈すれば、今回の悲劇と夢に関連性があると考えることは出来ます。

しかし、それは、単なる憶測に過ぎず、確証を得ることは永久に出来ない。夢は、どこまで行っても幻影でしかないのです。

そもそもが幻影なのですから、100%の確証を求めるのはナンセンス。私たちは、それを ” 単なる夢 ” として片づけることも、こじつけだと言って否定することも出来ます。

そこから、重要なメッセージを見つけることも可能です。

信じたくなければ信じない理由が見つかり、信じたければ、そのための理由が見つかる。

ただ、夢の中で体験した感覚や憶測は、” あなた自身がそう思った ” という事実には変わりないのです。

私たちが最も犯しやすいミスとは、心では夢が何を伝えているのかを薄々感じ取っていても、

” いや、これは現実世界ではありえないことだから ”

という現実世界のルールを持ち込んで、夢の内容諸共、自身の感覚を否定してしまうことです。

大切なのは現実世界における事実ではなく、あなたの中で生まれた ” 感覚 ” という事実に着目すること。

それは、誰も知ることの出来ない個人的感覚ですから、気のせいにすることも出来る。

でも、見て見ぬふりをしたという事実は、あなたの中にあるわけです。

それを指摘できる人は、誰もいません。唯一、あなたを除いては。

 

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