人生を変えるほどの出来事、いわゆる ” ターニングポイント ” が訪れる前に、その予兆が夢になることはあるのでしょうか?
ターニングポイントにも、色々あると思います。
例えば、第一志望の学校に入ることが出来た、資格を取ることが出来たというような ” 目標を達成した時 ”
それは目標に向かう状態から、次のステップに移るわけですから、ある意味、ターニングポイントと言えるでしょう。
確かに、目標を達成する少し前に、それを暗示する夢を見ることはあります。
” このまま行けば、あと少しで達成できる ” という自覚がきっかけとなり夢を作るわけです。
この場合、ある程度、見えている未来を暗示してるわけですから ” 予知 ” というよりは ” 予測 ” に近いのかもしれません。
ならば、ターニングポイントが予期せぬ出来事だった場合は、どのような夢になるのでしょう?
例えば、予期せず運命の人に出会う前に何か暗示があるのか?
例えば、人生が大きく転換する時に、何らかの啓示はあるのか?
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夢が作られる優先順位
まず、潜在意識が何を基準にして夢を作るのかを考えてみましょう。
それが平凡な日常であっても、何かしらの出来事はあるわけで、その全てを夢にするわけにはいかない。そうなると優先順位が必要になってきます。
その場合、その人にとって、最も強いインパクトを与えるものが夢になる。
例えば、医者から暴飲暴食を注意された人が全く健康に関心が無ければ、それが、その人にとって極めて重要なことであっても夢にはなりません。
しかし、交際中の恋人に体型のことを一言、言われてショックを受けるなら、それは夢になります。
物事の重要度よりも、その人の感じ方、捉え方、つまり ” 主観 ” によって夢は作られる。
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人生のターニングポイントについても同じです。
そのターニングポイントが、その人にとって人生を左右する重要なものであっても、本人に与える印象が薄ければ夢にはなりません。
人生が大きく変わるような出会いや出来事があるとしても、それは必ずしも衝撃的な展開で訪れるとは限らない。
人生を振り返って、
” そう言えば、あの時がそうだったのかな・・ ”
というような、後から思い返して、ぼんやりと気がつくという方が、むしろ現実的な ” 転換点 ” なのではないでしょうか。
そういった意味では、ターニングポイントの前兆として夢を見るという現象は、それが衝撃的な出来事ならばあるかもしれませんが、そうでない場合、夢によってそれを前もって知るということは難しいかもしれません。
また、夢になったとしても、潜在意識はターニングポイントを意識して夢を作ったわけではなく、単にその出来事の与えるインパクトが強かった、ということでしょう。
それが後に、人生にどんな影響を及ぼすかまでをフォローアップしているわけではありません。
いくら潜在意識でも、何年も先を予知することは出来ない。( 数年前の夢が、出来事を予知していたかどうかは断定することができないため)
運命の出会いとは?
例えば、一人の男性が、ある女性とドラマティックな出会いをします。二人は瞬く間に恋に落ちる。
しかし、しばらく付き合ってみると、お互いの嫌な部分が見えてしまい、やがて別れてしまう。
” 運命の人だと思ったが違っていた ”
つまり、その女性はターニングポイントでは無かったという認識です。
では、次のような展開ならどうでしょう。
お互いの嫌な部分が見えてしまい、それが溝となり二人は別れる。その後、彼は恋人を失ったことを後悔し、謝罪の電話をかけ関係は修復する。
二人の絆は、深まり、やがて結婚する。
そして、何十年も経った後に何気に妻を眺めながら、こんなふうに思う。
” この人と出会うことが運命だったんだろうな・・ ”
この場合、彼はターニングポイントに立っていた運命の女性を妻にしたのではなく、その女性が立っていた時点を自らの意思でターニングポイントにした、と言うこともできます。
一本の電話によって。
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では、少し時間を巻き戻します。
彼は、結局、電話をかけなかった。そして、別の女性と結婚した。それからしばらく経った後に、妻を眺めながら次のように思う。
” この人と出会うことが運命だったんだろうな・・ ”
つまり、人生の転換点とは、運命的に向こう側から訪れるわけではなく、私たちがチョイスした結果、それが人生に与える影響が大きい場合にのみ ” 転換点 ” として認識される。
仮に、二人目の恋人とも別れてしまい、三人目の女性と結ばれたなら、それが ” 運命の人 ” になるわけです。
また、チョイスはしたが、結果として人生に何の影響も与えなかった様々な出会いや別れ、出来事は忘れ去られていくため ” 転換点 ” として認識されなかった・・ということなのでしょう。
要するに、どの選択も、結果次第で ” 転換点 ” になりうるし、” 単なる出来事 ” にもなりうる。
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人生の全ての時点が、単なる思い出として終わる可能性も、ターニングポイントになる可能性もあるとしたら、私たちは、一体、何を基準に選択すべきでしょう?
どうすれば運命に導かれ、より良き人生を手に入れることができるのか?
言い換えましょう。
より良き人生を手に入れるために、何が必要か?
人生を切り開くために必要なのは、運命的な何かではありません。選択肢であり、自由です。
家庭の経済状態がどうであれ、学びたいと思う若者に十分な教育を提供できることであり、条件に合う仕事を選べることであり、生活するために別の何かを犠牲にしなくてもよい自由です。
運命に導かれて幸運をつかむ人は、一定数いるでしょう。しかし、そういったサクセスストーリーのほとんどは結果論であり、再現性は無い。
問題なのは、私たちが運命的な何かに囚われることで、別の大切なものを失ってしまうという事実。
それは、時間であったり、機会であったり、経済的損失であったり、人生における貴重な資源。そのリアルな損失は確実に私たちから選択肢を奪うのです。
ターニングポイントマネジメント
あなたは書店に行き、二冊の本を見つける。一つは、運命に導かれるためのHowToです。もう一つは、常々関心を持っていた資格を取るための参考書。ただし、二冊を買うお金はありません。
あなたなら、どちらを買いますか?
HowToを手に取れば、多分、あなたの中の可能性の一つが消えるでしょう。参考書を手に取れば、運命的な出会いをつかみ損ねるかもしれない。
筆者を含め ” 選ばれし者 ” になれなかった平凡な人生を送る私たちは、当てにならない大きな約束よりも、当てになる小さな約束を選ぶべきだと考えます。
もちろん、当てになる大きな約束があるなら、それに賭けてみるべきかもしれませんが、あればの話です。
時代の潮流に私たち一個人が抗うことは出来ない。しかし、自由を制限された刑務所に服役する囚人であっても、選択する場面はあるのです。サポートを受けながら技術や知識を得ることも出来る。
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人生が選択の連続であるならば、小さな選択の積み重ねによって望む方向へと一歩、一歩近づくことはできる。
あなたの前に現れた全ての分かれ道がターニングポイントの集合体なのです。別の言い方をするなら ” ターニングエリア ” とでも言っておきましょう。
そう、ターニングポイントは ” 点 ” とは限らない。
たった一度きりのターニングポイントに望みをかけるのではなく、小さなターニングポイントの集まりを関連づけて全体をマネジメントすることで、結果的に大きな流れへとシフトする。
点ではなく、面として考える。
とは言え、難しく考える必要もなく、あなたも日常生活の中で既に実践していることです。
シチューを作りたければ、食料品店で、じゃがいもを選択し、人参を選択し、玉ねぎを選択します。三つの選択が集約されてシチューという結果が生まれる。
ついでに、トマトスープとインゲン豆も買い物かごに入れましょう。これであなたの選択肢は二つになった。シチューを作るか、ミネストローネを作るか、どちらでもいけます。
まさに、望む方向へシフトするためのマネジメント。
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人々の多くは、人生の劇的な転換を期待するあまり、一点集中とビッグイベントに注目しがちですが、実際は、人生が変化していく過程とは、何気ない日常の選択と小さなイベントの累積によってコントロールされているのです。
私たちは、自身の人生をコントロールすべきです。幻想に期待して、ハンドルを手放すべきではない。
” 何をしても人生は変わらない ”
そう思うなら、それは劇的変化を求めているのです。音をたてることもなく、ゆっくりと動いている地面に私たちは気づかない。しかし、それが私たちを遠くまで運ぶ。
劇的な何かよりも。
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