希望を持てない時に知って欲しいこと

” あなたは将来に希望を持てますか? ”

もし、そう聞かれたら、誰もが、十中八九こう答えるでしょう。

” いいえ ”

誰が、将来に希望が持てると胸を張って、言えるのでしょう?

それが言えるとしたら、現時点で成功しかけているか、新しく夢を持ったばかりの極一部の人たちだけです。

大抵は、現実の厳しさを知り、自分の思い通りの人生を生きることが出来ずに、苦しんでいる。

いつの時代にも、終末論を唱えるニヒリストは必ずいるものです。人生に絶望することは、今に始まったことではない。

次のような反論をする人もいるでしょう。

” ならば、私たちは、永久に希望の無い世界を生きて行かなければいけないのか? ”

と言いますか・・

人類はそう言いながらも、今の今まで普通に続いているわけですから、それ以上の証明は必要ないでしょう。

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希望が生まれる原理

そもそも、” 希望 ” とは何でしょう?

それは、マイホームのことでしょうか?

結婚して家庭を作ることでしょうか?

自由に使える時間とお金があることでしょうか?

ここで重要なのは、人々が呼んでいる ” 希望 ” とは、一人一人違うということです。つまり、定義は無い。

例えば、小さな子供なら、母親にぎゅっと抱きしめてもらうことが ” 希望 ” かもしれませんし、釣り人にとっては、大物を釣り上げるのが ” 希望 ” なのかもしれない。

科学者にとっては顕微鏡の向こう側に、それがあるのでしょう。

場合よっては、誰も見向きもしないゴミくずが、特定の再生資源の分野では ” 人類にとっての希望 ” になることもある。

では、ちょっとした実験をしてみましょう。

蟻の巣の近くに角砂糖を置いてみる。角砂糖は蟻にとっては ” 希望 ” です。

蟻たちは群がり、こぞって砂糖をくわえて巣穴に持ち帰る。しかし、その砂糖は、さっきまでキッチンテーブルの上に置いてあった、何の変哲も無いただの角砂糖です。

それが、突然、蟻たちの ” 希望 ” となった。

それを土の上に置くまでは、地球上のどこにも、その希望は存在しなかった。それまで、蟻たちも角砂糖の出現を想定していないのですから。

これが ” 希望 ” が生成される原理です。

なので、正確にはマイホームが ” 希望 ” なのではなく、” 希望 ” という言葉に ” マイホーム ” をはめ込んだのです。

結婚が ” 希望 ” なのではなく、” 結婚=希望 ” ということにしたのです。

そして、それを手に入れてしまった途端に希望の定義から取り外し、別のものに付け替える。まだ、手に入れていないもの、新しいものへと。

空白の15分間

では、もう一度 ” 希望の無い世界 ” について、考えてみましょう。

” 希望なんて無い ”

このセリフ、少し、おかしいと感じませんか?

あるとか無いとか、と言う前に、それは、元々自ら設定するものです。だから、最初がゼロの状態なのは当然なのです。

人生に希望を見い出せないと言う人は、厳密には希望となる何かを見つけられないのではなく、希望を設定するという手順を忘れているのです。

見たことも無いものを欲しいとは思わない。それが欲しいと感じるなら、すでに設定は終わっている。

欲しいと思うよりも前に、まずは、それを設定しなければ ” 希望 ” など生まれるはずもない。希望が生まれる瞬間とは、単に手順の一つが完了したということでしかない。

つまり、設定するためには、まず、それを知る必要がある。巣穴から出てきた最初の蟻が、巨大な白いキューブを発見したように。

では、実験の続きを再開しましょう。

蟻たちが、一生懸命巣穴に運び込んでいた残りの角砂糖を取り上げます。彼らにとっては、大きな希望が失われた瞬間です。

多分、彼らは嘆き悲しみ、それをつまんだあなたの指に噛みつく者もいるでしょう。10分間、その様子を観察します。

つまり、その10分間は、希望が無い状態。

彼らは口々に叫ぶ。
” この世界に希望なんて無い! ”

角砂糖が置かれる前の状態に戻っただけなのに、その時点では、なぜか、それが当然ということになっている。

これでは蟻たちが可哀そうだと思い、あなたは角砂糖の代わりに、人工甘味料を一つまみ地面にこぼす。

でも、蟻たちは人工甘味料を食べたことがないので、その白い粉末を無視します。

それから5分後、一匹の蟻がその粉末に近づき、匂いを嗅いでみると甘い匂いがする。それを巣穴に持ち帰ると、仲間の蟻たちもそれに続いて、人工甘味料を運び始める。

ここで注目したいのは、希望が失われた空白の15分間です。

蟻たちにとっては、それは15分です。

しかし、実際に第二の希望が地面に出現したのは、10分後です。はたして、出現から蟻たちがそれを発見するまでの5分間は、何だったのでしょう?

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三つの時代

蟻たちの認識では、希望が無い時代は確かに15分間あったのです。しかし、そのうちの5分間は、発見が遅れたことによる延長時間。

人類の歴史でも同じです。原始時代、火を起こすことが出来なかった人類が、火を使うようになった。火は自然界に最初からありましたし、石油も燃料として使われるずっと以前から地面の下に埋まっていた。

すでに存在した資源を人類が発見するまでの長い歴史、それが蟻にとっての5分間なのです。

つまり、希望に関する一連のプロセスは、三つの時代に区分できる。

希望となりえるものがそもそも存在しない ” 無の時代 ”

存在してはいるが、今だ見つかっていない ” 未発見時代 ”

希望の設定が終了し、それを回収するたの ” 収穫期 ”

ですが、実際、” 無の時代 ” というのは、ほとんど無視してもよいでしょう。

角砂糖はそもそもキッチンにあったわけですから、蟻がキッチンに忍び込んで発見すればよいことなので。

それに、あなたが宇宙の誕生と同時に生まれたというのでもない限りは、あなたが生まれる前から、世界は存在しているわけですから。

だから、実際、希望が失われた状態とは ” 未発見時代 ” に属することになる。蟻の実験で言う5分間です。

” 希望が無い ” と言う人のほとんどは、すでに設定された希望を追いかけているだけです。

つまり、現時点で設定された希望に、見合うものと出会っていない状態を ” 希望が無い ” と言っているだけなのです。

ここで、次のような疑問を持つかもしれません。

” それでは、欲しくもないものを希望にしろ、とでも言うのか? ”

これは、石油が発見されていない時代の人が ” もっと早い馬は無いのか? ” と馬を買い求めるのと同じです。きっと、その人に車を薦めても、次のように言うでしょう。

” 何だこの鉄の塊は? 私が欲しいのは早い馬だ!”

今、見えているものだけが ” 世界 ” ではありません。間違いなく、まだ見ぬものは世界に存在している。未設定の資源がそこには眠っている。

永久につかむことが出来ない幻想を追いかけ続けるよりも、気が向かない旅に出なければならない瞬間は、必ずやってくる。

一房の葡萄

希望など、この世界にはどこにも無いのです。厳密には、この世界に最初から存在する ” 希望 ” など無いのです。

世界の全ての希望は、結局、誰かによって勝手に定義されたもの過ぎない。

そもそも ” 希望 ” とは、取り外し可能のアタッチメントでしかないのです。あなたの ” やる気 ” は関係ありませんし、考え方を変えるという話でもない。

最初から、そういう仕組みで成り立っている。

まずは、取り付けから始まり、必要が無くなれば、別のものに付け替える。掃除機のノズルのように。無論、ノズルを付けずに掃除は始められない。

それがついて無ければ家の中を探し回るか、家電量販店に行って新しいのを買うか、すべきことは明確でしょう。

” ノズルが無い。ああ、もうダメだ!” と騒ぎ立てる必要はありません。

もし、あなたが ” 希望なんて無い ” と投げやりな気持ちになっていれば、現実世界は確実にその気持ちに答えて ” 何も変わらない日常 ” をプレゼントしてくれるでしょう。

それは、あなたがよく知っていること。

もし、あなたが旅の終わりに何かを見つけることが出来たなら、それは、幸運。もし、見つけることが出来なければ、単に旅が続くだけです。

希望が無さ過ぎて、旅をするモチベーションが無いというなら、暫く休憩してから出発してもいい。

最も良くないのは、既存の希望に執着し過ぎること。そして、外にも出ず、家の中で泣き続けることです。

一つの希望が叶わなかったからと言って、世界の全てが終わるわけじゃない。

ここに一房の葡萄があります。

その内の実の一つが虫に食われている。

あなたはその葡萄を、
一房、丸ごと捨てるのですか?

 

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