会社で働く上で、最も精神的負担になること。
それは、人間関係。
働く人は、様々な責任を背負うことになります。営業職なら与えられたノルマ。部下がいるなら上司としての監督責任。経営者ならば利益を上げ、株主や従業員に還元することでしょう。
そして、会社という集団の中で、各々が与えられた役割を果たさなければ、いずれ誰かに責任を追及される。
” 人間関係 ” が会社において、最も頭を悩ます問題になる理由は、会社で起こりうるほとんどの問題が、誰かの責任を追及することで解決できるかのように見える、からです。
今回は、組織の中で誰もが陥りやすい責任追及の心理と職場に潜む ” 人間関係の罠 ” について見ていきましょう。
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給料と仕事のバランス
例えば、給料が安いという問題。
もし、月に10万円の給料だったとして、それはとても低いと感じます。しかし、それが1時間12500円の週二日出勤なら、かなり割高なアルバイトでしょう。
要するに、給料が安いというより、額に見合った仕事量ではないということです。
また、仕事量ではなく仕事の内容という点では、正社員とパート社員との役割が曖昧になっている、という問題があります。
パート社員の給料で、正社員並みの仕事を押し付けられている。
平社員の給料で管理職の仕事を任され、会社に能力を買われているという都合のいい ” やり甲斐 ” によって、巻かれたネジが止まるまで、働き続ける若者もいます。
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給料の額というより、給料と仕事内容のバランスが適正なのかどうか、ということがこの問題の本質です。
なので、給料が月100万でも、仕事内容によってはバランスが崩れた状態はありますし、給料が月10万でもバランスの取れた状態はある。
年収が低くても、好きな仕事だから続ける人もいれば、年収が高くても、息切れしてリタイアする人もいる。
また、将来的に有望な仕事なら、現在の給料に少々の不満があったとしても、リターンを考えれば、長期視点でバランスがとれているというケースもあります。
問題はそれが相対的な基準なので、業種や地域、会社によってバランスの取れた状態というのが判別しにくいという点です。
仮に、バランスが若干悪かったとしても、簡単に転職が出来るような時代ではありませんから、多くの人が不満に思いながらも現状を甘んじて受け入れている。
そして、そういった不満を持ちながら働く人たちによって構成された ” 会社 ” というコミュニティ。
このコミュニティの中で、一体、何が起こっているのか?
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業界、地域、会社によってバランスの取れた状態がまちまちである。また、そのバラツキは、会社という集団の中にも、やはり存在しています。
とある部署では仕事配分のバランスが取れているが、こっちの部署は一部の社員に仕事が集中しているとか、同じ部署内であっても、ある社員は楽しているが、他の社員は苦しんでいるとか、
バランスの歪みは各レベルに存在しており、そこで割に合わない仕事をする人と、そうでない人を分ける。
もちろん、会社の中で誰一人割に合った仕事をしていない、というケースもあります。
それは会社自体のバランスが最初から悪いのか、そもそもその業種全体が低迷期なのか、もしくは国全体の問題なのか?
どのレベルのバランスが狂っているのか、まずは、この構造を理解しておく必要があります。
” 隣の庭の芝生 ” 問題
大抵、人は、隣の庭の芝生の青さを気にするものです。
その地域が海に近い場所で、潮風の影響でそもそも芝生の育成に不向きである、ということには注目せずに ” 隣の芝はなぜ青い ” と言う。
衛星写真で見れば、どちらの家も大して変わらないのに。
会社全体で、社員の働く環境を考えていかなければ解決しない問題を社員同士が、
” あいつ怠けているくせに俺と同じ給料を貰っている ”
” 何であいつの仕事を私がしなくちゃいけないの? ”
とぼやき合っている。
つまり、自分の仕事が割に合っていない、という問題を隣の家の芝生がどうこう、という隣人トラブルのレベルとして処理しようとしているのです。
本来の原因を棚上げした状態で、隣人を攻撃することで問題解決を図ろうとする心理。それが結果、人間関係の悪化へと繋がっていく。
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確かに隣人を攻撃すれば、解決する部分もあるでしょう。
例えば、仕事を隣人に押し付けてしまえば、自分の仕事量は減るでしょうから、少しは楽になります。
しかし、その次の日、仕事が減った人のデスクに上には、追加された資料が積まれていて、上司に肩を叩かれて次のように言われる。
” おお、暇そうだな。これもやっといてくれよ ”
誰かに仕事を押し付けて、数日間は楽が出来るかもしれないが、仕事を押し付けたがっているのは、その人だけではない、ということです。
会社という集団の中で、それぞれがバランスを調整しようとしているのです。人間関係の悪化と引き換えに。
集団の中で ” ゆとり ” というスペースが不足してくると、それをいかに奪うか、という局面に入っていく。
それは上下関係を利用して、上司が部下に命令するという形、いわゆる ” パワハラ ” として現れる場合もありますし、職場内での ” イジメ ” という問題に発展する場合もある。
強い者がスペースを勝ち取り、弱い者が搾取され、より苦しまなければならない。
しかし、結局は、全てが沿岸地域なので誰も幸せにはならない。なぜなら、それは元請け、下請けといった企業間レベルの問題でもあるから。
さしては、国全体の問題なのかもしれません。
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もし、隣人を攻撃することで解決するなら、そもそも目くじらを立てて騒ぎ立てるほどの問題ではない、と言うこともできます。
例えば、仕事で誰かがミスをしたなら、不満を言い続ける前に、正しい方法を教えれば済む話です。教える時間が無いというなら、それは、なぜでしょう?
社員に個々の能力差があったとして、チームに能力の低い人が一人混じっているせいで成果が出ないとしたら、そして、もし、その一人がチーム全員から攻撃を受けているとしたら、
その人が外れることで問題は解決されるのでしょうか?
いいえ。
次に能力の低い社員がターゲットになるだけです。
つまり、一時的に解決されたように見えるだけで、実際、問題は解決されていない。
個人の能力差を調整することで、解決できると考えていること自体が、問題を正しく捉えていないのです。
そのような人たちで構成されるチームに、どんな成果が上げられるのでしょう?
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隣人を攻撃することが唯一の問題解決法だと思ってしまう。多くの人がこのマインドに陥りやすい。
いえ、それでいいのです。
社員が会社に不満を持つことなく、原因は隣人にあると思い込んで、お互いにつつき合っていれば、一定のガス抜きにはなる。
給料を上げることもなく、新たな人材を雇うコストも、職場環境を改善するためのコストも払う必要はありません。
むしろ、下から不満が上がってこないのですから、経営者にとっては理想的状態に見えている。
この都合のよい状態を改善する動機は、経営者側には無いのです。
よって状況は改善されることなく、現場で働く人々の苦しみは終わることがない。これが、会社というコミュニティの中で起こっていることです。
裏側に潜むもう一つの問題
では、隣人を攻撃してしまうほど追い込まれた現場で、苦しみ続ける人々は、一体、どうすればよいのでしょう?
その土俵は間違いなく経営者が作ったものであり、それを一労働者が変えることは、まず不可能です。
家を建てた場所が沿岸地域ならば、芝生の育成に適した場所に引っ越すことが、最も理にかなった解決法でしょう。
しかし、それは大きなコストを必要とし、容易に決断できることではありません。全く不可能というわけでもないが、相当の準備と時間が必要になる。
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なぜ、その土地に、庭付き一戸建てを建ててしまったのか?
なぜ、青い芝生を欲しがっている人が、土地の気候について前もってリサーチをしなかったのか?
隣の芝生が云々と言う以前に、振り返るべきことが色々とあります。
無論、過去を振り返ってばかりいても何も変わりませんし、引っ越さない限り、その問題はこれからも解決されずに続いていくのです。
この手詰まりの状態に陥ると普通は、最もコストのかかる引越しという方法を避けて、別の方法を模索しはじめます。
肥料を撒いたり、品種を変えてみたり、塩害を防ぐために暴風壁を建設したり、いずれにせよコストはかかる。
そうやってコストをかけて現状を維持することは出来るかもしれませんが、より美しい青さを求めるならば、よい方法とは言えません。
つまり、過去の選択が、延々とその人から時間と労力を奪っていく。
残された選択は、芝生に青さを求めないか、諦めて芝生を剥がしてしまうかでしょう。
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そして、最も深刻な問題は、解決不可能な問題を解決できると信じ込み、そこに費やす時間や労力が、その後の選択に、実質影響を与えてしまっているということです。
職場に深く根を下ろしている問題を、隣人を攻撃することで解決できるという幻想を信じ続ける。
” あいつさえ辞めてくれれば ”
” もっと仕事が出来る奴が入りさえすれば ”
そこに希望を持ってしまうことで、本来、選択すべきタイミングで正しい選択が出来なくなってしまうかもしれない。
その他人本位な考えが、未来の選択肢を一つ一つ減らしていく。
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人生とは、それほど単純ではありません。
もしかすると、起死回生の逆転ができる他の方法があるかもしれない。ただ、それは、誰もが思いつきそうなアイデアではない、ということぐらいは分かります。
” じゃあ、具体的にどうすればいい? 難しい話はいいから、それを教えてくれ! ”
引っ越すことです。
そして、それが出来ないというなら、その問題は解決しないのです。私たちは、まず、解決できないという事実を受け止めなければならない。
幻想に足を取られて、これから待ち受ける未来までもを犠牲にするべきではないのです。
もし、1㎜も身動きが取れないほど対策の打ちようが無いと言うなら、きっと内輪揉めをしている時間すらないでしょう。
それが可能だと言うなら、まだ、救いはある。
過去の選択が間違いではないと証明するために奔走するよりも、未来のために、今、何をすべきかを明確にする方が大切です。
ああ、そうだ・・言い忘れました。
実は、あなたは、まだ家を建てていない。
10年後、お気に入りの庭を眺めて、過去の選択を思い返す時が来るとしたら・・
それを、どこに建てますか?
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