時に、幸せな気分に浸る夢を見ることがあります。
片思いの人と理想のひと時を過ごしたリ、素晴らしい景色に感動したり、優雅な暮らしをするといった幸福感の漂う夢。目が覚めると、現実世界に引き戻された感じがして、淡い切なさだけが残る。
こういった夢を見ると、将来、良いことがありそうな ” 幸運の兆し ” のようにも思えます。
ただ、全く逆の性質を持つ悪夢が、必ずしも災いを暗示しているわけではないのと同様に、幸福な夢が来るべき
幸運を暗示しているとは限らない。
では、幸福感に浸る夢は、どのように解釈するべきでしょう?
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悪夢の原理と期待感
幸運な夢について解説する前に、真逆の性質を持つ ” 悪夢 ” について少し考えてみましょう。
まず、最初に理解しておくべきは、悪夢が作られる理由は、夢を見る本人がそれを求めているからです。
” そんなはずはない。誰が夢の中に幽霊や悪魔を呼びたがるんだ! ”
と思うかもしれませんが、夢に登場する幽霊や悪魔は、その夢に必要だからキャスティングされた ” 役者 ” です。
例えば、ある人が幽霊に追いかけられる夢を見たとしましょう。その人は、実生活で将来に対して漠然とした不安を抱えている。
さて、” 漠然とした不安 ” という形無き者から逃れるとしたら、どう逃げましょう?
趣味に興じて発散する。ジムで汗を流す。おいしいものを食べる。それで一時的に忘れることは出来ても、不安自体を解消することは出来ません。それは眠っている時でも同じです。
潜在意識は夢を作って、その不安に対処しようとする。形無き不安に形を与えるのです。幽霊、悪魔、怪物、不法侵入者・・
漠然とした不安も形ある存在に置き換えてしまえば、対処のしようがあります。とにかく走って逃げる。出来るだけ遠くに離れ、見つからないように隠れる。
現実世界では、そんなことをしても無駄でしかありませんが、夢の世界で形を与えることができたなら、物理的な方法でそれが回避できる。故に、幽霊や悪魔を登場させて自分を追わせるのです。
そして大抵は、一時的に逃げ切ることが出来たとしても、目覚めるまで逃走劇が終わることはなく、つかまる寸前でベッドから飛び起きる。
幽霊が延々と追ってくるのは、夢を作ったあなた自身が、自分を追い詰めているものが本当は幽霊ではなく、現時点で解決不可能な問題であることを潜在的に自覚しているからです。
目覚めてしまえば、それは形を失い ” 漠然とした不安 ” に戻る。故に、仮想の中に意識を引き留め続けなければならない。これが悪夢の基本的な原理です。
*
では、幸福感の漂う夢については、どうでしょう?
悪夢と同じように、形無きものに形を与えたということなのでしょうか? つまり、夢の中の美しい風景や理想の恋人、真新しい新居などは、何らかの ” 例え ” であると。
少し整理してみましょう。悪夢を作る ” 漠然とした不安 ” とは、結局、何なのか?
それは ” 主観 ” です。
つまり、将来、実際には何も起きなくても、その人が心配性ならば、きっと ” 漠然とした不安 ” を感じるでしょう。この場合、不安は単なる幻想です。
それが幻想であっても、本人が不安を感じている限り悪夢は作られる。故に、悪夢の全てが災いの暗示、悪い出来事の予兆とは言えないのです。
夢とは、そもそも、その人の ” 主観 ” を映しているのであって、現実に起こった出来事、もしくは、これから起こる出来事を映しているわけではない。
幸福な夢についても同じです。
実際にラッキーなことが起こらなくても、その人の勘違いで期待に胸が膨らめば、その高揚感から夢は希望を描く。
では、具体例を挙げて説明しましょう。次はとある女性が見た夢の一例です。
列車に乗っている。
トンネルを抜けると素晴らしい景色。未来都市のような街並みと、そこで優雅に暮らす人々。
自分の住む予定の素敵なハイツが見える。
彼女は都心で新しい仕事に就くために、面接試験を受ける予定になっていました。もし、合格すれば、地方から上京することになります。この夢はシンプルに、彼女の新生活への期待感が描かれています。
ただ、夢の内容を見る限り、実際には、試験に合格するのかどうかまでは保証していません。
彼女の中の ” ・・だったらいいな ” という気持ちが夢になっているだけです。
仮にこの夢を見た後、彼女がこれを試験に合格する吉兆だと考えてしまい、手を抜いて面接を受け、不採用になったとしても、それは逆夢だったというよりは、単純に解釈を誤った結果としてそうなったのです。
反対に合格したとしても、それは彼女の頑張りが報われただけで、夢が合格の暗示だったというわけではありません。
そもそもこの夢は試験結果について描いておらず、彼女の心境を忠実に再現しているだけです。ただ、この夢から、次のような解釈は可能かもしれません。
” 気を引き締めるべき試験直前に、楽観的になり過ぎている心理 ”
通常なら、大事なイベントの前には不安がつきものですが、夢の内容を見る限り、合格することが前提として描かれている。
自身の中の ” 気の緩み ” を自覚しているなら、多分、夢を見た時点でそれが何を意味しているのか気づくでしょう。
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心の中の現実主義者
潜在意識は私たちが思うよりも、幸運に対して現実的な反応を示します。例えばあなたに、会話もしたことのない意中の人がいたとします。
その人と、突然、予想外の場所でバッタリと鉢合わせになったら、どうしますか?
とっさに最高の笑顔で微笑みかけ、会釈をしますか?
いいえ。
大抵は、一瞬、固まり、目を合わせない。そして、逃げるようにその場を退却。
人は、なぜ、こんな風に訪れたチャンスを不意にするような行動を取るのでしょう?
それは単純な防御本能です。女性なら、メイクや着ている服に問題があったのでしょう。
” 今はマズい。とりあえず、スルーしておこう ”
恋愛に限らず、あらゆる幸運に対しても、この ” 防御本能 ” が影を落とします。
もし、突然、宝くじで一億円が手に入ったとしたら、一旦は大喜びしても、後から人生の運を全て使い果たしたような気がして怖くなったりするものです。
これが、幸運に対する普通の人の正常な反応です。
*
無論、この反応は夢にも影響を与える。
つまり、将来、幸運な出来事が起こるとしたら、その出来事に潜在意識は現実的な反応を示します。
その幸運が罠ではないかと疑ったり、自分にそんな幸運は起こらないと斜に構えたり、逆に不安になったり、幸運の度が過ぎるほど、夢は素直に理想のシチュエーションを描かない。
逆に言えば、夢の中で完璧な理想が描けるのは、それが本物の幸運ではないことを潜在意識が知っているから。
では、実際に幸運を暗示する場合は、どういった夢になるのでしょう?
次は、とある女性が見た夢です。
彼女はこの夢を見た数週間後に、友人の伝手で一人の男性を紹介されます。
入浴中、電話がかかってくる。
取らなければ二度とかかってこないと思い、裸でバスルームを飛び出す。
リビングに向かう途中、着信音が切れる。
夢の内容としては、恋愛的要素が直接描かれているわけではありません。ただ、彼女の説明では、誰からの電話か分からないが、絶対に取らなければいけない、という焦りがあったと言います。
今、取らなければ、次は無いと。
無論、突然かかってきた電話とは、出会いの機会を表しているわけですが、夢の内容から、彼女の恋愛に対する考え方が伺えます。
それは、出会いとは、いつも悪いタイミングでやってきて、自分は毎回、不意にしてしまう。
つまり、この夢は、彼女が異性との出会いに直面した時のリアクションが描かれている。要するに、
” 私って、いざという時、いつもこうなんだよね ” が、夢になっているわけです。
多分、彼女は、人生の中でこういった苦い経験を何度かしているのでしょう。だから、新しい出会いの訪れに対し、また同じ失敗を繰り返すのでは、という懸念と投げやりな気持ちが夢に反映された。
厳密には、この夢は出会いの予兆として作られたわけではなく、過去の失敗を思い返し、反省を促すために作られたものです。
注目すべきは、なぜ、今、反省が必要なのかという点。
無論、彼女は数週間後に出会いがあることを知りませんから、その時点では、過去を反省するきっかけがありません。
しかし、彼女は、なぜかこの夢を見た・・
つまり、潜在意識は事前にそれを察知し、彼女はその出来事に対してリアクションをとっているのです。数週間前に。
潜在意識としては、出会いを暗示するために夢を作ったわけではなく、将来の出来事を前提に、その時の感情を処理するために夢を作っています。
その結果、間接的に出会いを暗示しているというだけです。
さて、ここで疑問。
なぜ、異性との出会いを突然かかってきた電話として描いたのでしょう。男性と直接会うという設定でもよかったのではないでしょうか。
彼女が出会いの機会を取り損ねた電話として描いたのは、電話ならば、もし、取り損ねてもどうにかなります。
相手が友人なら後から連絡は取れますし、職場の誰かなら、折り返し電話をすればよいのです。非通知であったとしても履歴は残る。
しかし、素っ裸で風呂場から飛び出してまでそれを取に行った。彼女はそれが本当は電話ではなく、出会いの機会であることを知っているのです。
理想を実現するために
電話の夢では、新たな異性との出会いという幸運に対して、彼女のリアルな反応が描かれていました。
夢の内容は、決して幸福感があるわけではなく、どちらかと言えば悪夢です。
しかし、彼女の元々持っていた恋愛観、幸運に遭遇した時の心理を理解すれば、この夢が間接的に幸運を暗示していると推測することが出来ます。
幸運を暗示する夢が、必ずしも朗らかで楽しい夢であるとは限りません。重要なのは、そこに描かれる ” リアルな心理 ” を見つけることです。
では、朗らかで楽しい夢は幸運の暗示ではない、ということでしょうか?
気分が高揚している自覚があるなら、潜在意識が楽し気な夢を描く可能性もありますが、それが暗示であるかどうかという判断は、最終的には、あなた自身が幸運をどう受け止めるか、ということだと思います。
例えば、あなたが来るべき幸運に対し、何の疑いも抵抗もなく腕を広げて受け止める自信があるというなら、それはピュアな状態で夢に反映されるかもしれません。
ただ、小さな子供でもない限り、社会人である私たちがそういった心の状態を保つのは難しいでしょう。
大抵は、何らかの執着がありますし、何らかの恐れがあるものです。そして、夢は必ずそれらの影響を受ける。
*
夢の中の幸福感。
心理学的に言えば、それは現実逃避の一種として片づけられてしまうかもしれません。しかし、全ての夢は現実逃避として作られるわけですから、それで全てを説明できたとは言えない。
私たちは、それがどういった形の逃避なのかを見極める必要があります。そこに今必要なことや、将来への暗示を見つけることができる。
最初に紹介した、上京する夢を振り返ってみましょう。
それは、夢を見た女性の理想の生活に対する期待感が描写されているだけだった。
しかし、彼女が夢を見て ” ダメダメ、気を引き締めないと ” とメッセージを正しく受け取ったなら、多分、その夢は彼女にとって、心の隙に気づくきっかけを与える幸運の暗示にもなりうるでしょう。
暗示とは、私たちのその後の行動によって定義が変わる。
主体は常に、現実世界にあるということを忘れてはいけません。そして現実世界は、あなたの行動と選択によって作られていく。
夢は、それを映すだけです。
” それじゃあ、私の見たのは、ただの夢だったの? ”
そんなふうに肩を落とさないで。
例えその夢が、未来の幸運を暗示しなかったからと言って、気にする必要はありません。
夢があなたの人生を作るわけじゃない。あなたの方がその夢を作ったのです。
もし、幸運を暗示する夢を見たいのなら、あなたが自ら作ればよいのです。
もっと現実的な方法で。
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