夢の中で再現された美しい風景。それは、
自然であったり、街並みであったり、
平凡な日常であったり、もしくは、
現実ではありえない幻想的風景であったり。
そこで過ごす一時が、現実世界の喧騒や、
嫌な事を束の間だけ忘れさせてくれるのです。
こういった ” 美しい風景 ” を描く夢には、
どんな意味があるのでしょう?
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自ら渦の中へ
次は、筆者自身が見た夢の一例です。
高台の上によじ登り、景色を見下ろす。
そこには、美しい丘陵地が広がっている。
特にこれといってストーリーも無く、
単に、高い丘に登って見下ろすと、
のどかでなだらかな丘が延々と続いている
というだけの夢です。
筆者は、そこで ” 平穏な時間 ” を独り占め
することが出来た。
こういった夢を見る場合、それを見た
本人が現実ではどういった状況に置かれて
いるのか、という視点が必要です。
例えば、日頃から混雑した場所にいたり、
人づきあいに疲れている人ならば、
一人になりたい時もあるでしょう。
夢の中にそういった場所を用意して、
心を休めようとするのは極自然な心理です。
人は少なからず、何かしらの心労を抱えて
生きているのが普通ですから、筆者にも
心のどこかで休息を欲する気持ちがあった
のかもしれません。
それは単純な ” 現実逃避 ” です。
*
ただ、筆者の経験上、不安や心配事を抱え、
ストレスがかかった状態の心は、
返って美しい風景の夢をあまり作らない
ように思います。
なぜなら、潜在意識は美しい風景を作って
間接的に心を癒すよりも、不安の種に直接
メスを入れて対処することを選ぶからです。
例えば、明日テストを控えている受験生が、
その夜テストを受ける夢を見る。
プレッシャーを緩和したいなら、
海で泳いでいる夢でもよいでしょう。
しかし、そうならない。
受験生はテストについて考えずには
いられない状態になっており、彼にとって、
最も有効なプレッシャーの緩和方法は、
すぐにでもテストを受けて自分の実力を
確かめることです。
海で泳ぐよりは、ずっと効果的でしょう。
*
人は仕事やプライベートで問題を
抱えている時、その問題を解消することに
意識を向けるために、美しいものを見て
心を癒そうとは思いません。
” こんな状況で、悠長に
海なんか見てる場合じゃない! ”
そう言って、問題の渦に自ら飛び込んで
いくのです。
美しい夢をあまり見ないとしたら、それは
日常生活に何かしらの課題を抱えており、
潜在意識が処理しなければならない優先事項
があるということです。
裏を返せば、活動を続けるそれだけの体力
があり、今の段階では休息を必要として
いない状態と言うことも出来る。
即ち、現在、日常生活で仕事に忙殺され
心身共に疲れていながら、美しい風景の
夢を見るとしたら、それは、休息を必要
とする時期に差し掛かっているのかも
しれません。
要するに、問題に向き合って対処する
エネルギーが尽きかけている。
美しさへの不安
次は、とある女性が見た夢の一例。
野原一面に咲く花々。
大樹に向かって歩いていく。
” これは、もしかして・・
あの世の風景なんでしょうか? ”
彼女は夢から目覚めて不安になったと
言います。夢の中で見た風景は日常とは
かけ離れた幻想的な景色だった。
” なぜ、そう思われるのですか? ”
” 現実には無いような景色だったので、
逆に怖くなってしまって ”
” 花々というのは、一種類ではなく、
色々なタイプの花が咲いていた? ”
” ええ、一種類ではないです。
細かくは見てないですけど ”
” 大樹というのは、どれぐらいの? ”
” そうですね・・
10メートルぐらい・・ですかね ”
” 結構、大きいですね。樹種は? ”
” 木に詳しくないので・・
クスノキみたいな感じですかね ”
ここまでの彼女の話を聞き、筆者は、
この風景が彼女の中の何らかのイメージが
映像化されているのだろうと思いました。
*
” あの世とおっしゃいましたが、
何か心当たりがあるのでしょうか? ”
” 心当たり・・? ”
” そうですね・・
最近、人生や死について考えることが
あったというような・・ ”
” いや、得にそういったことは ”
” 本当に、大丈夫ですね? ”
” ええ、続けてください ”
” では、精神的、肉体的に疲れている
といったことは? ”
” 少し疲れているとは思います。
昨日も寝不足でしたし ”
彼女の話を聞く限り、現実逃避として
今回の夢が作られたとすれば、少々、
動機が弱い気がします。
*
” 大樹に向かって歩いていたとありますが、
それは何か目的があって、
ということですか? ”
” 分かりません。ただ、黙々とそっちに
向かって歩いてました ”
” 黙々と・・ですか。
ぶらぶら散歩していたわけではない? ”
” あまり、景色を楽しみながら歩くという
感じではなかったです ”
これが架空の風景であり、大樹は何かの
象徴であることは間違いないでしょう。
例えば、彼女にとって目標となる何か。
もしくは、大樹の下に入ることで安心を
得ようとしているのか。
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大樹の役割
彼女の潜在意識は、なぜ、日常風景では
なく、花々の咲く原野をロケーションに
選んだのか?
” あなたが歩いていた場所について、
そこに道はありましたか?
舗装された道、草を踏み倒した後のような
痕跡でも構いませんが ”
” いえ、無かったです。草は私の膝あたり
まで伸びていて、足に纏わりついて
歩きにくかったですね ”
” そうですか、結構な高さですね。
つまり、あなたはそんなに早くは歩いて
いなかった? ”
” ええ、足の踏み場を探しながら、
花を踏み潰さないように気を使ってました ”
” 結局、大樹には
たどり着いたのでしょうか? ”
” たどり着いたところで目が覚めました ”
” なるほど、
木の下に何かありましたか? ”
” 太い幹と・・太い根っこですかね。
私は根っこに腰かけて休憩しようと・・”
*
彼女の話から、大樹の役割が何となく
見えてきました。この夢における大樹は、
彼女にとって ” 休息する場所 ” として
存在しています。
そうであれば、足に纏わりつく膝ほどの
草花は、彼女が日々感じている何らかの
” 煩わしさ ” をイメージ化したものかも
しれません。
” 日常生活で
気を使われるといったことは? ”
” いつもそうですね・・
私の仕事は保育士なので ”
” もしかして、クラス名に花の名前が
ついてますか? ”
” あ・・ ”
*
彼女の潜在意識は、子供たちを原野に咲く
花々に例え、その中に身を置くことで
現在彼女が抱えている日常の ” 煩わしさ ”
を表現しようとしています。
彼女曰く、今の仕事は大変だが、子供たち
の純真無垢な笑顔を見ては、励まされている
気がすると。
彼女は疲れていたのでしょう。
” 子供たち ” という踏み潰してしまいそうな
小さく美しい存在から逃れ、夢の中で
一時の休息を求めた。
そして、自分よりも遥かに大きく、
ちょっとやそっとではびくともしない
安心して身を預けられる存在として
” 大樹 ” が登場しています。
現実世界、子供たちにとっては、彼女が
” 大樹 ” の役割を担っていた。彼女は
心の片隅でこんなふうに思ったのかも
しれません。
” 私にも寄りかかれる大樹があれば・・ ”
心象風景としてのイメージ
例えば、美しい自然であっても、地方の
農村に住んでいる人にとっては、それは
日常風景であり、時として刺激の無い
退屈な風景でもある。
都会に住んでいる人が、農村を訪れた時に
川のせせらぎ、砂利道の感触、澄んだ空気、
青々とした田園を眺めて感動を覚える。
同じ景色を見続けることで、いつしか
慣れてしまい、感動を忘れてしまう
ものです。
休暇が終わり再び都会暮らしに戻った時、
多分、農村で過ごした思い出は心の中に
刻まれ続けるでしょう。
ただ、それは不必要な記憶を削ぎ落し
ながら少しずつ美化され、正確な原形を
失っていく。やがて ” 心象風景 ” として
定着する。
今回の夢で彼女が日常的に接していた
子供たちを花々に置き換えた理由は、
日々の煩わしさによって忘れかけていた
子供たち本来の ” 美しさ ” を再確認する
ためだったのかもしれません。
それは、彼女が美しいと感じる
原形無き ” 心象風景 ” として再現された。
*
もし、あなたが美しい風景を夢に見た
としたら、どう解釈すべきでしょう?
まず、留意しておきたいのは、
潜在意識があなたの中にあるイメージを
目的達成のために利用するということです。
美意識、主観、心象風景、過去の記憶、
それが何であれ必要とあれば。
例えば、夢の中で写真が飾ってあるとして、
そこに美しい風景が写っている。当然、
” この写真は、なぜここに飾ってあるのか?”
という疑問を持つことになるでしょう。
わざわざ、写真をそこに配置した意図が
あるわけです。
それは、美しい瞬間を切り取って時間の
流れに抗う意思の表れかもしれませんし、
美化され過ぎた理想的人生のイメージ
なのかもしれない。
それを目の届く範囲に置くことで、
気休めにしようとしているのかも。
夢で見たものが ” 風景 ” であっても
同じです。額縁に入っていないか、
入っているかの違いに過ぎないだけで。
まずは、あなたが見たその ” 美しさ ” の
裏側に、何があるのか考えてみましょう。
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