人は自分を理解して欲しいと思う一方で、
心を見抜かれることを恐れる。
つまり、” 理解して欲しい ”
という言葉の裏には、
” 都合の悪い部分を除いて ”
という前提がある。
” まるで私のことを理解してくれない ”
と常に不満に思っている子供が、
親に一言、忠告を受ける。
それが図星だったので子供はイラッとする。
それは、忠告をした親が、
我が子をしっかりと理解している証です。
そして、心を言い当てられてしまった
子供にとっては、そっちの方の ” 理解 ” は
求めていなかったというだけです。
広告
” 共感 ” と ” 理解 “
例えば、動物や昆虫の生態を理解するためには、
客観的に観察するわけです。
科学的視点で。
しかし、その対象が人ならば・・
多分、ほとんどの人は、
良い気分ではないでしょう。
人には、美しい部分もあれば
醜い部分もあります。
両方が揃わなければ、
” 人 ” として成立しない。
前向きに生きることは美しい。
しかし、立ちはだかる障害を
取り除くために戦う必要もある。
無論、争うことは醜い。
生と死がそうであるように、
これらは表裏一体です。
*
だから、誰かを理解しようとすれば、
その両方を知る必要がある。
しかし、両方を知ろうとすれば、
それは人の心を傷つける
単なる ” 好奇心 ” でしかない。
なので、正確には、
人は ” 理解 ” を求めているわけではなく、
提示したことに対する ” 共感 ” を
求めているだけです。
” 共感 ” は ” 理解 ” とは、
似ているように見えて丸っきりの別物です。
これを分からないまま、言葉を真に受けて
誰かを理解しようとすれば、結果、
その人を傷付けることになるかもしれません。
だから、人を理解するという行為は、
慎重に進めなければいけない。
広告
表裏一体
ここに、綺麗好きな女性がいます。
部屋はいつも完璧に片付いている。
やがて、結婚して子供が生まれる。
子供が部屋を散らかすようになる。
それが許せない彼女は、
いつもイライラしている。
さて、彼女の ” 綺麗好き ” という性格は、
長所でしょうか? それとも短所でしょうか?
それは、どちらでもよいことです。
環境が変わって、彼女の性格が
裏目に出てしまっているだけなのですから。
彼女に何ら問題は無い。
*
では、冒頭の問いかけに戻ってみましょう。
人は理解を求めながらも、
全てを知られることを恐れる。
本当に理解して欲しいのは、
共感して欲しい部分のみです。
綺麗好きの彼女が知られたくないのは、
どの部分でしょう?
綺麗好きが仇となって
イライラしているところでしょうか?
そして、彼女が一緒に住む家族に
共感して欲しい部分とはどの部分でしょう?
綺麗好きなところでしょうか?
この二つは同じです。
隠しておきたい部分と、
理解して欲しい部分は分けることが出来ない。
表裏一体です。
人から見えているもの
でも、実生活で人は、自分の
隠しておきたい部分とそうでない部分を
使い分けて生きている。
表裏一体ならば、それは不可能のはず。
いえ、誰も使い分けてはいません。
それを隠せていると思っていても、
人は、すでに見抜いている。
あなたがどうしようもなく優柔不断だったとしても、
人には ” 優しすぎる心 ” が見えている。
あなたが自分の笑顔が嫌いだったとしても、
周りにはその笑顔が魅力に見えている。
あなたが自分のことを真面目過ぎて
つまらない人間だと思っていても、
人は、そこに ” 誠実さ ” を見ているのです。
人前で見せる ” あなた ” から、
人は多くのことを見抜いている。
良い意味でも、悪い意味でも。
逆に、あなたが見て欲しくて頑張っても、
人には見えてないこともある。
例えば、仕事でなかなか評価しない上司や、
髪型を変えても気づかない恋人のように。
つまり、あなたが見せたい部分と、
人が実際に見ている部分は
違っているかもしれない。
見せたくない部分と人が見ていない部分は
ズレているかもしれません。
*
筆者は、こう思います。
自身の短所や長所に拘り過ぎるべきではないと。
あなたが隠しておきたいと思っている
自身の短所は、周りの人にとって、
本当に短所として認識されているのでしょうか?
セルフプロデュースのために費やした時間と
エネルギーが全て自分の利益になっている
かと言えば、正直、分かりません。
実は、隠さなくていい長所を
隠してしまっている可能性もある。
人が、あなたと同じものを見ているとは
限らない。
コンプレックスに対する苦しみは、
実は自分だけにしか見えていない
” 幻想 ” なのかもしれません。
だから、苦しんで何かを変える必要もなく、
苦しんで同じ場所に留まり続ける必要もない。
まさに、” ありのまま ” で
いいんじゃないでしょうか。
関連記事 : 思いやりの形|価値観のズレを感じるとき
広告