なぜ、真面目に生きる人が評価されないのか?

” 真面目さ ” と言っても色々あります。

職場で上司に忠実であったり、
ボランティア活動に参加していたり、
浮気はしないとか、勉強熱心とか、
常に謙虚だとか・・

筆者の知人に人生で一度も交通違反をした
ことが無い人がいました。彼はゴールドの
運転免許証を自慢気に筆者に見せていた。

ただ、コミュニケーションが下手で
職場の人間関係を理由に定職には着かず、
アルバイトを点々としていました。

確かに車の運転は基本一人でするもの
ですから、全てはコントロールできる。
ルールを守るために個人の努力次第で
最善を尽くせます。

しかし、会社の人間関係となると簡単では
ありません。色んな人がいますから、
それらが彼にとってはコントロールできない
” 不可抗力 ” だったのでしょう。

交通課の警察官から見れば、彼は
” ルールを守る善良な一般市民 ” です。
一方、防犯課の警察官から見れば、彼は、
” 職を転々とする社会不適合者 ” です。

さて、 ” 真面目さ ” とは何か?

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” 真面目さ ” の定義

以前、同じ会社で働いている男性と交際中の
女性から夢に関する相談を受けたときの
ことです。

彼女の説明では、付き合っている男性は、
自分の上司で、部下からも慕われ、
頼り甲斐のある人物だと言います。

彼女が仕事で大きなミスをしてしまった時、
男性は彼女を家に帰し、自分は夜遅くまで
残ってその後処理をしていた。残業を
申し出た彼女に彼は次のように言った。

” こういう時にフォローアップするのが
上司の仕事だ。俺から仕事を取り上げ
ないでくれ! ”

そのことがきっかけで二人は交際すること
になったのですが、彼女の夢を分析して
いくと、どういうわけか彼女の中に、
男性との結婚を躊躇う気持ちがあることが
分かりました。

筆者が彼女にその理由を尋ねると
次のように答えます。

” 彼は、職場ではすごく頼れる人です。
でも、家庭を大切にしてくれる人
ではない気がするんです・・ ”

彼女は、彼の仕事に対する ” 誠実さ ” に
救われた。しかし、その誠実さは、結婚し
家庭を築くという側面では、家庭を省みない
” 不誠実さ ” になるかもしれない。

彼女は男性の中に ” 誠実さ ” と ” 不誠実さ ”
の両方を見たのです。

つまり、人々の言う ” 真面目さ ” とは、
その時々の都合によって評価しているという
事実に着目しなければならないでしょう。

先ほどの女性のエピソードについては、
会社では理想的な上司という意味で
” 真面目さ ” を評価しながらも、家庭では
その ” 真面目さ ” を評価しなかった。

もし、彼女の前に別の男性が表れ、
その人が仕事熱心ではないが家庭的な性格
の持ち主ならば、上司としては評価しないが
結婚対象としては評価するのかもしれません。

すなわち評価する側の都合によって、
” 真面目さ ” の定義は変わる。

ひと昔前は、男性にとって結婚しないという
選択は ” 身を固めない奴 ” という烙印を
押され、社会不適合者のような扱いを受ける
時代もありました。

今では、男女ともに未婚率が高くなり、
未婚であることがそれほど珍しいことでは
なくなってきている。世の中の情勢の変化
によって、評価基準も変転しています。

要するに ” 真面目さ ” の定義など、
あって無いようなものです。

この何だか分からない評価基準を使って、
人は誰かのことを ” あの人は真面目だ ”
” あいつは不真面目だ ” などと言ったりする。

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それぞれが信じる ” 普通 “

” あなたは真面目ですか? ”

と問いかければ、大抵の人は、よほど
いい加減な生き方をしていない限りは、
” 真面目な方だと思う ” と答えるでしょう。

なぜなら、” 真面目さ ” とは、普通に
生きることだから。皆、自分は普通の
人生を送っていると思っている。

空調の効いたオフィスでゴルフスイングを
練習している経営者も、炎天下の中で
汗を流して働く肉体労働者も、誰もが
自分の取り巻く状況を ” 普通 ” だと思い、
今すべきことをしている。

不真面目とは、
その ” 普通 ” を逸脱すること。

” 普通 ” を逸脱することなど、日常生活
の中で滅多にあることではありません。
だから、いつもどおりの日常を送る誰もが、
自分は真面目だと考える。

その ” いつもどおり ” が第三者から見て、
普通かどうかは別として。

普通に生きることを ” 真面目 ” だと
するなら、それは、キャンピングカーに
住所を与えるようなものです。

そもそも、それぞれの ” 普通 ” が違うわけ
ですから、そこに ” 真面目さ ” を定義する
ことは出来ない。

もし、あなたのことを誰かが真面目だと
評価したり、不真面目だと言ったりした
としても、それは、その人にとっての
” 真面目さ ” でしかない。

あなたのことを誰かがどう言おうと、
そこに普遍性は無いのです。
ただ、その人にはそう見えたというだけで。

そして、その逆に、あなたが誰かのことを
真面目だとか、不真面目だと思ったと
しても、それはあなたから見た ” 真面目さ ”
でしかない。

人の評価とは、主観的で、バラバラで
曖昧です。

なぜ、真面目な人間が評価されないのか?
という問いの ” 真面目 ” とは、一体、
何を指しているのか? 

もし、あなたが真面目に生きているとして、
周りから評価されていなかったとします。
しかし、それは、あなたのせいじゃない
ですよね?

評価する側にとって、あなたの真面目さは
単純にメリットが無かった。

ただ、それだけです。

あなたの信じる ” 真面目さ ” とは、あなた
にとって必要な生き方の指針でもある。
つまり、自身にとってメリットがあるから
その ” 真面目さ ” を実践するのです。

そして、誰しも自分なりの人生の指針が
あり、それを実践している。

それぞれが信じるものが違うだけです。

 

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