真面目に生きる人が評価されない理由

” 真面目さ ” と言っても、
様々な種類があります。

職場で上司に忠実だとか、
地域のボランティアに
参加しているとか、
浮気はしないとか、
勉強熱心だとか、
常に謙虚だとか・・

*

例えば、ボランティア活動に
熱心な人が、週末の
ボランティアについて
考えてばかりで仕事に
身が入らないと言う場合、

活動家という面では、常に、
社会奉仕について考える
素晴らしい人材です。

しかし、職場では、
仕事の遅い不真面目な
人として評価されてしまう。

*

もし、上司が見かねて、
仕事にプライベートの活動を
持ち込まないようにと
忠告をしたとします。

すると、彼は、貧困に
よって多くの子供たちが
適切な医療を受けられない
実情を熱く語る。

きっと、上司も、
彼の伝えたいことは、
理解出来るのです。

ただ、彼に、真面目に
仕事をして欲しいだけなのです。

*

一体、何をもって
” 真面目 ” と言うのでしょうか?

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真面目な人生を送る人たち

もしかしたら、
次のような意見が
出るかもしれない。

” 仕事とプライベートは
しっかり分けるべきだ ”

” どちらかに
専念するべきだ ”

社会のルールとして
どうすべきか。

*

ただ、それは、
大した問題ではないのです。

全てのケースが、
同じ問題に発展するとは
限らないですし、各人が、
個々の事情に合わせて
調整すればいいのですから。

わざわざ ” 共通の型 ” に
はめ込む必要は無い。

つまり、筆者が言いたいのは、
何を持って ” 真面目 ” と呼ぶのか、

そこに決まりは無い
ということです。

*

居酒屋で二人の男性が、
話している。

背広姿のサラリーマン風の
男性が呟く。

” お前はいいなあ。
好き勝手に生きて・・ ”

それを聞いていた
色黒の男性は答える。

” 自営業は大変なんだよ。
お前こそ、遊んでないで
さっさと身を固めろよ ”

二人の男は、
自分に比べて、友人は、
好き勝手に生きていると
お互いに思っている。

そして、自分こそが
真面目な人生を
送っているのだと。

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面接の評価基準

筆者から見れば、
どんな人にも
” 真面目な部分 ” は、
あるのだと思います。

もっと言えば、
” 日々を生きている ”
” 生活のために頑張っている ”
ということだけで、
十分、真面目なのです。

むしろ、真面目な部分を
全く持っていない人を
見つける方が難しい
かもしれません。

*

アスリートが毎日こなす
トレーニングメニューから
比べれば、公園を
ブラブラ散歩する老人の
健康管理はささやかな
努力ですが、老人が、
体作りに不真面目という
ことにはならない。

仕事に対して、
厳しく、情熱的な人は、
企業としては、必要な人材
なのかもしれません。

しかし、職場で、
周りの人にも、自分の
ポリシーを押し付けて、
かえってチームワークを
乱すこともあります。

” 真面目さ ” の定義など、
あって無いようなもの。

*

この何だか分からない
評価基準を使って、
人は誰かのことを

” あの人は真面目な人だ ”
” 彼は不真面目だ ”

などと言ったりする。

この基準に
大した意味は無いのです。

企業の面接担当者が、
もし、面接に来た人が
真面目かどうかを
知りたがっているとしたら・・

一体、その面接に意味は
あるのでしょうか?

*

とにかく、条件の良い
会社に入れるのなら、
誰だって、作り笑顔で
心にも無いことを言うでしょう。

そして、判を押したような
模範解答をする。

彼らは、将来を考えた上で、
そこに座っているのです。

ただ、面接時に取り繕って
嘘をついたからといって、
その人が会社にプラスに
ならない人材だとは限らない。

不採用続きで人生に
絶望していた人を、唯一、
採用してくれた会社に
恩を感じて、その人は、
頑張るかもしれない。

*

面接で高評価だった
有能な人が活躍して、
会社は大きなプラスを
得るかもしれない。

しかし、その有能さゆえに
会社の体質に疑問を持ち、
数年後に、さっさと
独立してしまうかもしれない。

長い期間で見れば、
目立った功績は無いが、
コツコツと働いている
平凡な人の方が、結果、
会社にとってプラス
なのかもしれません。

*

もし、ニ、三の質問、
もしくは、5分、10分という
短い時間で人を評価出来る
と考えている会社が
あるならば、それが、
その会社の ” 人 ” に対する
向き合い方なのです。

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人の核

” あなたは真面目ですか? ”

と問いかければ、
大抵の人は、
” 真面目な方だと思う ”
と答えるでしょう。

よほど不真面目な生き方を
していない限りは。

なぜなら、” 真面目 ” とは、
普通に生きることだからです。

*

皆、自分は普通の人生を
送っていると思っている。

空調の効いたオフィスで
働く人たちも、

炎天下の中で汗を流して
働く人たちも、

誰もが、自分の取り巻く
状況を普通だと思い、
今すべきことをしている。

それが、それぞれの
” 普通 ” なのです。

不真面目とは、その
” 普通 ” を逸脱すること。

*

” 普通 ” を逸脱することなど、
日常生活の中で滅多にある
ことではありません。

だから、いつもどおりの
日常を送る誰もが、
自分は真面目だと考える。

その ” いつもどおり ” が
第三者から見て、普通か
どうかは、別として。

例えば、
子育て中の人の生活は、
その人にとっては、
いつもの日常ですが、

一人暮らしの独身者にとっては、
その日常は、とてもハードな
ものに見えるのでしょう。

ただ、この二人は、
それぞれの日常を知らない。

そして、自分の日常こそが、
” 普通 ” だと思っている。

*

普通に生きることを
” 真面目 ” だとするなら、
それは、キャンピングカーに
住所を与えるようなものです。

そもそも、それぞれの
” 普通 ” が違うわけですから、
そこに ” 真面目さ ” を
定義することは出来ない。

もし、あなたのことを
誰かが真面目だと評価したり、
不真面目だと言ったりした
としても、

それは、その人にとっての
” 真面目さ ” でしかない。

あなたのことを誰かが
どう言おうと、そこに
普遍性など無いのです。

ただ、その人には、
そう見えたというだけに
過ぎない。

あなたの生き方が決して、
間違っているわけでは
ありません。

そして、その逆に、
あなたが誰かのことを
真面目だとか、不真面目だと
思ったとしても、それは
あなたから見た ” 真面目さ ”
でしかないのです。

*

筆者は、思うのです。

人の評価を気にし過ぎて、
自分の生き方を制限する
べきではないと。

人の評価とは、主観的で
バラバラで曖昧です。

そこに全てを委ねることは
出来ない。

だから、” 自分 ” という
核が必要なのです。

進むべき道を
見失わないために。

*

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真面目な人が損をしてしまう理由|天罰の仕組み

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