悪夢に関する記事を書く時、筆者が注意していることが一つだけあります。
それは、読者が不快にならないように、ある程度オブラートに包んだ表現をするということです。
” 悪夢 ” と言っても、様々な設定がありますが、人に説明できるレベルのものと、口に出すのも憚られるようなショッキングなものがあります。
それをそのまま記事にすれば、読む人に不快な気分を与えるだけで、誰にとってもマイナスにしかならないでしょう。
筆者自身もブログでは紹介していない ” 究極の悪夢 ” とも言える酷い夢を、これまで少なくとも数回は見たことがあります。
そのどれもが、ここで話すことが出来ないものばかりです。今後も一切公開することはないでしょう。
ただ、そういった理由で、筆者は ” 究極の悪夢 ” について語るのを避けているのですが、潜在意識は、一方的に夢を作り、眠っている私たちにそれを見せるのも事実です。
もし、あなたがそういった夢を見てしまった時、どう受け止めるべきなのか、という話を前もってしておいた方がよいでしょう。
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自分だけのスイッチ
” 究極の悪夢 ” は、それを見たら発狂するかもしれないと思うレベルの夢です。ただ、夢を見る人によって、その基準はまちまちなので実際の線引きは難しい。
例えば、神経が図太く、メンタルが強いと言われる人であっても、日常的なストレスなら大抵耐えられるが、オバケだけはNGという場合があります。
その逆に、ちょっと悪口を言われただけで凹む人が、登場人物が無残に殺されるホラー映画を見ても何も感じなかったり。
一体、何が、その人にとっての ” 発狂スイッチ ” になるのかは、見かけや性格、ストレス耐性だけでは分かりません。ある意味 ” 笑いのツボ ” にも似て、その個人差は大きい。
つまり、あなたが夢の中で感じた言い知れぬ恐怖感は、あなたの中にある ” スイッチ ” が入りかけたということかもしれません。
他の人が同じ夢を見ても、スイッチが入らない可能性もある。
ここで、浮かぶ一つの疑問。
夢の作り手が潜在意識なら、なぜ、自らを恐怖に陥れるスイッチを夢の中で入れようとしているのでしょう?
それによって最悪の気分になるのは、自分自身だというのに。
” 自由 ” は何をもたらすか?
夢の世界と現実世界の違いは ” 制約 ” が存在するか、しないかです。
例えば、現実では、ネットショッピングで服を買って、いざ届いてから袖を通すとイメージと違っているということがあります。
他にも、結婚してみたが自分の思い描いていた ” 幸せ ” とは違っていたとか、自分の主張はあるが言葉のボキャブラリーが少なくて上手く伝えられないとか・・
現実世界では全てが自分のイメージどおり、思いどおりにはならないという ” 制約 ” があります。
しかし、夢の世界、つまり、意識の中では、イメージを頭に浮かべることが出来さえすれば、その景色を再現できるわけです。
ボキャブラリーも映像技術も必要ない。何の制約も受けずに自由に表現することが出来る。
二次元とか三次元という制約もありませんし、時間の経過や物理現象についても、それらしきものがあるように見えているだけで、実際は制約されていません。
本人がアニメのキャラクターと会話したいと望めば出来ますし、自分は空を飛べると思えば簡単に飛ぶことが出来る。
要は、本人のイメージ次第の世界です。
さて、夢の世界に与えらえたこの” 表現の自由 ” は、ある意味、諸刃の剣のような側面を持つ。
それは、一体、どういうことでしょう?
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理解を越えたその先に
例えば、何もない無限の空間。
現実世界ではありえない場所です。しかし、夢の世界では潜在意識が望めば再現可能です。夢の世界の創造主が ” 無限 ” と設定したわけですから、それはどこまでも続く本当に無限の空間なのです。
つまり、現実では不可能な理解を越えた領域に足を踏み入れることが容易に出来てしまう世界。
例えば、死後の世界や未知の生物についてのエピソードや映像に対して、恐怖を感じることがあります。
結局、これも ” 理解を越えた領域 ” をのぞいてしまったから、ということなのでしょう。
*
現実世界に慣れた私たちは、夢の中でも自分の身に起こることを理解しようと努めます。
現実世界の尺度を使って。
しかし、その尺度では測りきれない出来事が、夢の世界では起こる。
その一方、人には、理解出来ないことがあっても柔軟に受け止める許容力がある。ある程度の悪夢ならば許容できるでしょう。
それが、キャパを越えてしまったとき ” 究極の悪夢 ” となる。
*
自らを恐怖に陥れる夢を、なぜ作るのか?
筆者は、究極の悪夢も通常の悪夢と何ら変わらないのだと考えます。
つまり、その理由も同じで、一方に傾き過ぎた心のバランスを取り戻すための ” ショック療法 ” のようなものです。
天秤測りをイメージしてください。
右に傾き過ぎたなら、左の受け皿に載せるおもりは、重たく強烈でなければいけない。
乗せるおもりの重量が ” 理解出来ない領域 ” に達したときに、それは ” 悪夢 ” になる。
ならば、究極の悪夢とは、おもりを乗せた直後に発生する ” 揺らぎ ” のようものかもしれません。
待ち受ける者、そして、その先に・・
夢の中では現実世界の常識は効力を持ちません。
そして、前置きの長い入り組んだ表現よりは、直感的でストレートな表現が好まれたりします。
例えば、頭を悩ます煩わしい問題を頭に生えてきた奇妙な植物として描いたり、広がっていく悪い噂を感染力の強い致死性のインフルエンザとして描いたりするわけです。
潜在意識は、現実世界の複雑な経緯や出来事を全て夢の中で再現するよりも、直感的な処理が出来る濃縮された演出を好む。
それゆえに、映像化されたものが強いインパクトと不安を与え、現実のものさしで理解しようとする私たちには、理解しがたいものに見える。
あなたが、もし、もの凄く怖い夢を見たとしたら、それは、あなたの理解を越えたからなのでしょう。
そして、その ” 理解 ” とは、現実世界のものさしによる理解なのです。
*
深い暗闇の中に
一人ぽつんと立っている。
視界はゼロ。
想像力豊かな人なら、
暗闇の彼方に暗黒世界が見える。
しかし、明かりをつけてみましょう。そこは、実際、何てことの無い四畳半の小さな部屋です。
では、もう一度、
明かりを消してみましょう。
暗闇は果てしなく広い空間となり、そこには想像したあらゆるものが現われる。
あなたが地獄の門とケルベロスを思い浮かべれば、それが現れる。
これが夢の世界です。
ケルベロスと対決するには、現実世界から持ってきたものさしを捨てなければいけない。
あなたの武器は
常識でもなく、知識でもない。
恐怖に屈しない精神力です。
その剣を怪物の脳天に突き立て、
地獄の門を開くのです。
潜在意識は、意味も無く、ただ悪夢を作ったりはしない。それが、今のあなたにとって価値があるからこそ作る。
門の向こう側には、それがあるのです。
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