嫌いなタイプが、なぜ嫌いなのか?|自己投影という誤解

誰にでも、嫌いなタイプというのは存在します。

特に何かされたわけではないが見ていると苛ついてしまう。なぜか、その人にだけ冷たい態度を取ってしまう。初対面のはずが何かが気に入らない。

” 生理的に受け付けない ” とか、” 鼻につく態度が気に入らない ” というような、よく分からない理由をつけられ嫌われてしまう人たち。

一体、この嫌悪感は、どこからやってくるのでしょう?

私たちは、一体、その人物の何に苛ついているのでしょうか?

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理由なき嫌悪感

心理学では、特に理由も無く誰かを嫌ってしまう心理は、その人に自分の ” 嫌いな部分 ” を投影しているためだという説があります。

つまり、” 認めたくない自分 ” ” 嫌いな自分 ” をその人の中に見つけ、それを嫌っているのだと。ある意味、自己嫌悪の延長でしょうか。

筆者は、そうではないと考えています。

一人の男性がノートパソコンを開き、カフェでコーヒーを飲んでいる。

筆者は、この人物を見て ” 嫌いなタイプ ” だと思う。しかし、筆者と一緒にいた知人が次のように言います。

「別に、カフェに来ている普通の男性客にしか見えないが・・」

同じ人物を見て、人それぞれの印象が違うというのはよくあることですが、なぜ、違っているのでしょう? 

知人が言います。

「ただ、コーヒーを飲んでるだけだ。周りに迷惑をかけているわけでもない。君は、あの男に何か恨みでもあるのか?」

確かに言われたとおり、開かれたノートパソコンとコーヒーを飲んでいる以外に、その人物に関して得られる情報は何もありません。

筆者は答えます。

「よく分からないが生理的な問題だと思う・・」

知人は詰め寄る。

「適当な理由で誤魔化すな。あの人物が嫌いである根拠を教えてくれ」

そこで筆者は、その人物をよく観察することにしました。

やがて、男性の視線がパソコンのディスプレイから、時折、離れて遠くを見ているのを発見します。それだけなら、単なる目が疲れたからなのでしょう。

しかし、男性の視線はディスプレイを見ている時間よりも、遠くを見ている時間の方が長い。

男性が何を見ているのかを確認すると、視線の先には二人の若い女性が座って談笑している。

キーボードの上に置かれた彼の両手は、ほとんど動いておらず、ウェイトレスが後ろを通りがかる時にだけ動き出すのです。

ノートパソコンのディスプレイは、女性たちを観察するためのカモフラージュ。

そして、しばらくして女性たちが立ち上がり店から出ていくと、男性はそれを目で追いながらノートパソコンを閉じる。

さて、筆者がこの男性に良くない印象を持った理由は、男性が何を目的にカフェに訪れていたのか、それを何となく察したからなのでしょう。

この ” 何となく ” という部分を、今、細かく言語化して解説したわけですが、そのようなことをしなくても、好き嫌いという判定だけなら直感的に行うことが出来るでしょう。

それを言葉にする段階で ” 生理的に ” とか ” 胡散臭い ” というような曖昧な表現になってしまっているだけで、実際には、何らかの理由らしきものはあるのです。

では、なぜ、私たちは与えられる情報が少ない中で、特定の人物の人間性を好き嫌いで判別できるのでしょう?

見えないバリヤー

とある人物に対する印象は、情報が一切与えられない状況では、プラスでもマイナスでもなく ” ゼロ ” になるはずです。普通は会ったことも無い人に抱く感情などありません。

あなたの目の前には、誰も座っていない椅子が置いてある。

この時点で、あなたの前に人物はまだ存在していないので、無論、何らか印象を持つことは無い。

ただし、あなたが面接官で、その椅子にすでに座っているはずの人物が、まだ、面接会場に現れていないというのであれば、あなたは、まだ見ぬ人物に対し、” 遅刻をするいい加減な奴 ” という印象を持つことになります。

つまり、人物そのものを目撃しなかったとしても、シチュエーションによっては、その人物に関する ” 情報 ” は伝わるわけです。

人物の印象とは、容姿や服装、言動だけではなく、シチュエーションによっても作られる。

カフェの例に戻りましょう。

筆者は、カフェで男性が一人でコーヒーを飲みに来ているというシチュエーションに若干の違和感を感じた。

しかし、どこで暇を潰そうとそれは個人の勝手ですし、誰かに迷惑をかけているわけではない。つまり、男性には批難をする ” 隙 ” が無いのです。

そして、つけ入る隙が無いため、筆者が嫌悪感を示すとしても ” 気に入らない ” としか言えないわけです。

仮に、それ以上、男性に対して容姿を馬鹿にしたり、あれこれ文句をつけるとしたら、それは単なる決めつけですし、むしろ筆者の人格が疑われます。

あなたにも経験があるでしょう。

相手がモラルに反しているわけでも、ルールを破ったわけでもないという ” 見えないバリヤー ” に守られているために、それ以上のことが言えずに、

” 何か気に入らないんだよね・・ ” としか言葉に出来ない瞬間が。

さて、視点をひっくり返してみましょう。

実は、筆者も、この透明の ” バリヤー ” を利用することがあります。

とあるガソリンスタンドで車のオイル交換を頼んだ時のことです。若い男性の店員がやってきて、どのオイルを入れるのかを尋ねてきました。

筆者は、特に車にこだわりはないので、一般的ランクのオイルを指定したのですが、店員はグレードが一つ上のオイルを薦めてきました。

この時、筆者は店員の押しの強い態度から、多分、この会社は従業員にノルマが与えられているのだろうと思いました。

働く若者にはかわいそうですが、筆者は丁寧な口調で次のように返します。

「ごめんなさい。今は持ち合わせが無いのでこのオイルでお願いします」

店員には、筆者の財布を取り上げ、本当に持ち合わせが無いかチェックすることなど出来るはずもありませんし、仮に財布の中身をチラッと確認出来たとしても ” 持ってるじゃないですか! ” と反論することも出来ない。

店員は筆者の物腰の柔らかい対応を見て、” 多分、この客なら押し切れるだろう ” と思ったのでしょうか、オイル以外のオプションサービスを薦め始めました。

筆者は彼のセールスを遮っては悪いと思い、長い説明を全て聞き終えた後に、一言返します。

「ごめんなさい。また、機会あれば、お願いしたいところなんですが・・」

無論、機会があってもお願いするつもりはありません。店員は、その一言を聞き、

「ああ、そうですか・・」と言って引き下がるしかなかった。

このやりとりで筆者が利用したのは ” 善良な一般市民 ” と ” スタンドの利用客 ” という二つの仮面です。

普通、誰でも日常的に、いくつかの仮面を使い分けているものです。

筆者は、こうした ” バリヤー ” を利用して、相手につけ入る隙を与えないという手法を使う自分を嫌いでも好きでもありません。

これは、単なる自己防衛のための手段に過ぎない。

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合鍵とポリシー

カフェで出会った見知らぬ男性に対する嫌悪感。

果たして筆者は、その男性の中に ” 嫌いな自分 ” を見たのでしょうか?

確かにその男性が ” バリヤー ” を利用していたという部分は、筆者と同じ手法を使うという点で共通しています。そういった意味で、彼の中に自身を見たと言えるかもしれない。

しかし、筆者はその性質について特に嫌悪しているわけでも、認めたくないわけでもありません。

そこではなく、それを利用して女性をこっそり観察していたという部分が鼻についたのです。

人にはそれぞれ、道徳観やポリシーがあるでしょう。それによって生き方を選択する。

生きていれば、必然的に自分のポリシーに合わない考えや行いに出会うことがある。それが嫌悪感の原因になることはありえます。

ただし、それが自分の中にあるかどうかは、また、別の問題です。ある場合もあるが、無い場合もある。

理由なき嫌悪感は、一体、どこから来るのか?

筆者は、こう考えています。

自身の ” 嫌いな部分 ” をその人物の中に投影しているからではなく、体験者同士の ” 共感 ” が働いたのだと。

つまり、こういうことです。

なぜ、何の情報も与えられていないのに、誰かのことを嫌いになれるのか?

この質問を言い換えれば、なぜ、その人の人間性を見抜くことが出来たのか?

まずは、心を見抜かなければ ” 嫌い “という感情を抱くことはありません。

なぜ、心を見抜けるのか?

自身がその心を体験したからです。

体験者にしか分からない事というのがあります。

例えば、事故で大切な人を失った残された者を慰めることが出来るのは、同じ経験をした人だったりします。

体験者は、その固く冷たい表情だけで、その人が今何を感じているのか、どれほどの悲しみを抱えているのか、自身のことのように理解できる。

心という内側を知るからこそ、言葉に出来ない些細な仕草であっても、それを理解出来るのです。

同じ心を体験した者であれば、普通ならば気づきにくい小さな兆候だけで、その人が何を考えているかをある程度推測できる。

例えるなら、体験者同士は、心の扉の ” 合鍵 ” を持っているようなものです。

とある人物の人間性を見抜いたとして、それは、合鍵を使って部屋に入ったということでしかない。

そこに、ポリシーに反するものが無ければ嫌う必要はありませんし、” 同情 ” や ” 共感 ” するものがあれば、むしろ、親近感を抱くでしょう。

そこに ” 未熟さ ” を感じたならば、人生の先輩として道を示すためのアドバイスを与えたくなるでしょう。

” 合鍵 ” そのものが理由なき嫌悪感の原因ではない。

普通ならば、誰も足を踏み入れることがないはずの部屋に入ったあなたが、そこで何を見たのか? 

それが ” 理由なき感情 ” の根拠です。

とある人物に自分の嫌いな部分を投影しているというよりは、その人の中に嫌いな部分があり、それを体験者しか持たない合鍵を使って見つけ出した、と言った方がよいのかもしれません。

見つけ出したものが、自分の中にも存在した場合に自己を投影しているように見えるというだけで、それは、単なる結果論です。

無論、その嫌悪感が単なる思い込み、勘違いで生まれた可能性もありますが。

” どうしても好きになれない ” ” なぜか分からないが気に入らない ” という言葉として説明することが出来ない感覚。

それは、あなたが ” 合鍵 ” を持っているということかもしれません。

もし、あなたがそういった人物に出会ったとしても、それはあなた自身の欠点とは直接的な関わりがあるわけではない。

大切なのは、今、あなた自身がどうあるか?ということです。

苛つく存在の中に ” 答え ” はありません。あなたは、あなた。その人は、その人です。

 

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