嫌いなタイプが、なぜ嫌いなのか?|自己投影という誤解

誰にでも、嫌いなタイプの人
というのは存在します。

特に何かされたわけではないが
見ていると苛ついてしまう。

なぜか、その人にだけ
冷たい態度を取ってしまう。

一目見ただけで
ろくな人間じゃないと思ってしまう。

これら一般的には
” 生理的に受け付けない ” とか、
” 鼻につく態度が気に入らない ”
というような、よく分からない
理由をつけられて嫌われてしまう人たち。

一体、この嫌悪感は、
どこからやってくるのでしょう?

私たちは、一体、その人物の
何に苛ついているのでしょうか?

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理由なき嫌悪感

心理学では、特に理由も無く
誰かを嫌ってしまう心理は、
その人に自分の ” 嫌いな部分 ” を
投影しているからだ
という一説があります。

つまり、” 認めたくない自分 ”
” 嫌いな自分 ” をその人の中に見つけ、
それを嫌っているのだと。

ある意味、
自己嫌悪の延長でしょうか。

筆者は、そうではないと
考えています。

*

一人の男性がノートパソコンを開き、
カフェでコーヒーを飲んでいる。

筆者は、この人物を見て
” 嫌いなタイプ ” だと思う。

しかし、筆者と一緒にいた
知人が次のように言います。

” 別にカフェに来ている普通の
男性客にしか見えないが・・ ”

同じ人物を見て、人それぞれの
印象が違うというのは
よくあることですが、なぜ、
違っているのでしょう?

知人が言います。

” ただ、コーヒーを飲んでるだけだ。
周りに迷惑をかけているわけでもない。
君は、あの男に
何か恨みでもあるのか? ”

確かに、言われたとおり、
開かれたノートパソコンと、
コーヒーを飲んでいる以外に
その人物に関して得られる
情報は何もありません。

筆者は答えます。

” よく分からないが、
生理的な問題だと思う・・ ”

知人は詰め寄る。

” 適当な理由で誤魔化すな。
あの人物が嫌いである根拠を
教えてくれ ”

そこで筆者は、その人物を
よく観察することにしました。

やがて、男性の視線が
パソコンのディスプレイから
ときおり離れて、遠くを
見ているのを発見します。

それだけなら、単なる
目が疲れたからなのでしょう。

しかし、男性の視線は
ディスプレイを見ている時間よりも、
遠くを見ている時間の方が長い。

男性が何を見ているのかを
確認すると、視線の先には
二人の若い女性が座って談笑
している。

キーボードの上に置かれた
彼の両手は、ほとんど動いておらず、
ウェイトレスが後ろを通りがかる
時にだけ動き出すのです。

ノートパソコンのディスプレイは、
女性たちを観察するための
カモフラージュなのです。

そして、しばらくして女性たちが
立ち上がり店から出ていくと、
男性はそれを目で追いながら、
ノートパソコンを閉じる。

*

さて、筆者がこの男性に
良くない印象を持った理由は、
男性が何を目的にカフェに
訪れていたのか、それを
何となく察したからなのでしょう。

この ” 何となく ” という部分を
今、細かく分析し、言語化して
解説したわけですが、そのような
ことをしなくても、好き嫌い
という判定だけなら、直感的に
行うことが出来るでしょう。

それを言葉にする段階で、
” 生理的に ” とか、
” 胡散臭い “というような曖昧な
表現になってしまっているだけで、
実際には、何らかの理由らしき
ものはあるのです。

では、なぜ、私たちは、
与えられる情報が少ない中で
特定の人物の人間性を好き嫌いで
判別できるのでしょう?

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見えないバリヤー

とある人物に対する印象は、
情報が一切与えられない状況では
プラスでもマイナスでもなく、
” ゼロ ” になるはずです。

会ったことも無い人に抱く
感情などありません。

あなたの目の前には、誰も
座っていない椅子が置いてある。

この時点で、あなたの前に
人物はまだ存在していないので、
無論、何らか印象を持つことは無い。

ただし、あなたが面接官で
その椅子にすでに座っているはずの
人物が、まだ面接会場に
現れていないというのであれば、
あなたは、まだ見ぬ人物に対し、
” 遅刻をするいい加減な奴 ”
という印象を持つことになります。

つまり、人物そのものを
目撃しなかったとしても、
シチュエーションによっては、
その人物に関する ” 情報 ” は
伝わるわけです。

人物の印象とは、容姿や服装、
言動だけではなく、
シチュエーションによっても作られる。

カフェの例に戻りましょう。

*

筆者は、カフェで男性が一人で
コーヒーを飲みに来ているという
シチュエーションに若干の違和感
を感じた。

しかし、どこで暇を潰そうと
それは個人の勝手ですし、
誰かに迷惑をかけているわけではない。

つまり、男性には、
批難をする ” 隙 ” が無いのです。

そして、つけ入る隙が無いため、
筆者が、嫌悪感を示すとしても
” 気に入らない ”
としか言えないわけです。

仮に、それ以上、男性に対して
容姿を馬鹿にしたり、
あれこれ文句をつけるとしたら
それは、単なる ” 決めつけ ” ですし、
むしろ、筆者の人格が疑われます。

あなたにも、
経験があるでしょう。

相手がモラルに反しているわけでも、
ルールを破ったわけでもないという
” 見えないバリヤー ” に守られている
ために、それ以上のことが言えずに
” 何か気に入らないんだよね・・ ”
としか言葉に出来ない瞬間が。

*

さて、視点を
ひっくり返してみましょう。

実は、筆者も、この透明の
” バリヤー ” を利用することが
あります。

とあるガソリンスタンドで
車のオイル交換を頼んだ時のことです。

若い男性の店員がやってきて、
どのオイルを入れるのかを
尋ねてきました。

筆者は、特に車にこだわりは
ありませんので、一般的な
ランクのオイルを指定したのですが、
店員はグレードが一つ上のオイルを
薦めてきました。

この時、筆者は、
店員の押しの強い態度から、
多分、この会社は従業員に
ノルマが与えているのだろう
と思いました。

働く若者にはかわいそうですが、
筆者は、丁寧な口調で次のように
返します。

” ごめんなさい。
今は持ち合わせが無いので
このオイルでお願いします ”

店員には、筆者の財布を取り上げて
本当に持ち合わせが無いか
どうかをチェックすることなど
出来るはずもありませんし、
仮に、財布の中身をチラッと
確認出来たとしても、
” 持ってるじゃないですか! ”
と反論出来るはずもありません。

店員は、筆者の物腰の柔らかい
対応を見て、
” 多分、この客なら押し切れるだろう ”
と思ったのでしょうか、
オイル以外のオプションサービスを
薦め始めました。

筆者は、彼のセールスを遮っては
悪いと思い、長い説明を全て
聞き終えた後に、一言返します。

” ごめんなさい。また、
機会あればお願いしたいところ
なんですが・・ ”

店員は、その一言を聞き、
” ああ、そうですか・・ ” と言って
引き下がるしかなかった。

このやりとりで筆者が利用したのは、
” 善良な一般市民 ” と
” スタンドの利用客 ” という
二つの仮面です。

普通、誰でも日常的に
このようにいくつかの仮面を
使い分けているものです。

筆者は、こうした ” バリヤー ” を
利用して、相手につけ入る隙を
与えないという手法を使う自分を
嫌いでも好きでもありません。

これは、単なる自己防衛のための
手段に過ぎない。

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合鍵とポリシー

カフェで出会った見知らぬ男性に
対する嫌悪感。

果たして、筆者は、その男性の中に
” 嫌いな自分 ” を見たのでしょうか?

確かに、その男性が ” バリヤー ” を
利用していたという部分は、
筆者と同じ手法を使うという点で
共通しています。

そういった意味で彼の中に、
自身を見たと言えるかもしれない。

しかし、筆者はその性質について
特に嫌悪しているわけでも、
認めたくないわけでもありません。

そこではなく、それを利用して、
女性をこっそりウォッチしていた
という部分が鼻についたのです。

*

人には、それぞれ道徳観や
ポリシーがあるでしょう。

それによって生き方を選択する。

生きていれば、必然的に自分の
ポリシーに合わない考えや行い
に出会うことがある。

それが嫌悪感の原因になることは
ありえます。

ただし、それが自分の中にあるか
どうかは、また、別の問題です。

ある場合もあるでしょうし、
無い場合もある。

*

理由なき嫌悪感は、
一体、どこから来るのか?

筆者は、こう考えています。

自身の ” 嫌いな部分 ” を
その人の中に投影しているからではなく、
体験者同士の ” 共感 ” が働いたのだと。

つまり、こういうことです。

なぜ、何の情報も与えられていないのに、
誰かのことを嫌いになれるのか?

この質問を言い換えれば、
なぜ、その人の人間性を
見抜くことが出来たのか?

まずは、心を見抜かなければ、
” 嫌い ” という感情を抱くことは
ありません。

なぜ、心を見抜けるのか?

自身がその心を体験したからです。

*

体験者にしか分からないこと
というのがあります。

例えば、事故で大切な人を失った
残された者を慰めることが出来るのは、
同じ経験をした人だったりします。

体験者は、その固く冷たい表情だけで
その人が今何を感じているのか、
どれほどの悲しみを抱えているのか、
自身のことのように理解できる。

心という内側を知るからこそ、
言葉に出来ない些細な文脈であっても
それを理解出来るのです。

同じ心を体験した者であれば、
普通ならば気づきにくい小さな
兆候だけで、その人が何を
考えているかをある程度推測できる。

例えるなら、体験者同士は、
心の扉の ” 合鍵 ” を
持っているようなものです。

とある人物の人間性を見抜いたとして、
それは、合鍵を使って部屋に入った
ということでしかない。

そこに、ポリシーに反するものが
無ければ嫌う必要はありませんし、
” 同情 ” や ” 共感 ” するものがあれば、
むしろ、親近感を抱くでしょう。

そこに ” 未熟さ ” を感じたならば、
人生の先輩として道を示すための
アドバイスを与えたくなるでしょう。

” 合鍵 ” そのものが
理由なき嫌悪感の原因ではない。

普通ならば、誰も足を踏み入れることが
ないはずの部屋に入ったあなたが、
そこで、何を見たのか? 

それが ” 理由なき感情 ” の根拠です。

とある人物に自分の嫌いな部分を
投影しているというよりは、
その人の中に嫌いな部分があり、
それを体験者しか持たない合鍵を
使って見つけ出した
と言った方がよいのかもしれません。

見つけ出したものが、
自分の中にも存在した場合に
自己を投影しているように
見えるというだけで、
それは、単なる結果論です。

*

” どうしても好きになれない ”
” なぜか分からないが気に入らない ”
という言葉として説明することが
出来ない感覚。

それは、あなたが ” 合鍵 ” を
持っているということかもしれません。

もし、あなたが、そういった
人物に出会ったとしても、
それは、あなた自身の欠点とは
直接的な関わりがあるわけではない。

大切なのは、
今、あなた自身がどうあるか?
ということです。

苛つく存在の中に ” 答え ” は
ありません。

あなたは、あなた。
その人は、その人です。

 

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