テレビを見ている夢|画面の向こうに入り込む

夢の中でテレビを見ている
という場合。

例えば、家族とリビングで
テレビを見ているという場合も
あれば、夢自体が、テレビ画面
になっており、自分自身が
夢の中には登場しないという
場合もあります。

ケースによっては、テレビの中に
自身が入り込んで、番組に参加
することさえあります。

そして、テレビの中の人物が、
こちら側の世界に入ってくる
という逆のパターンもある。

*

夢の中では、画面のこちら側と
向こう側との境界が曖昧になり、
融合してしまうという現象は、
しばしば起こります。

また、テレビとは限らず、
最近では、スマホやタブレット
などで動画を見る機会も多いので、
動画視聴をしているという夢でも
やはり、この現象は起こる。

いずれにせよ、夢の世界の
画面の中に別の世界が
存在するという ” 入れ子 ”
のような少々、複雑な構造で
夢が作られています。

これは、どのように解釈したら
よいのでしょう?

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画面の中の出来事

次は、とある男性が見た
夢の一例です。

テレビで ” 警視庁24時 ” の
ドキュメンタリーを見ている。
 
暴走族と警察官の乱闘が始まる。
 
いつの間にか現場にいる自分。
 
乱闘騒ぎの中に入っていき、
どうにかして、喧嘩を
止めようとしている。

こうした ” 画面の中の世界 ” を
シチュエーションとして、
取り込んでいる理由は、
夢を見ている本人が客観的に
それを眺めるためです。

画面の中の出来事は
外側にいる私たちには、
直接の影響がありません。

銃弾の飛び交うアクション
映画を観ていても、画面の中から、
弾丸が飛んできて怪我をしたりも
しませんし、こちらから、
登場人物に話しかけることも
できない。

潜在意識は、この性質を
演出として利用します。

*

こういった自分を客観的な
立場に置いているのは、

” 画面の中の事に
関わりたくない ”

という気持ちの表れと
考えることができます。

と言っても、
関わりたくなければ、そもそも
夢を作らなければよいのです。

しかし、潜在意識は、あえて
それを作り、私たちに見せる。

そこには、人の裏腹な気持ちが
表現されている。

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裏腹な心

さて、裏腹な気持ちとは、
どういったものでしょう。

例えば、夢の中で
ドラマの結婚式のシーンを
見ているという場合、

” 結婚には興味があるが、
当事者になるのは抵抗がある ”

という場合、
自分自身を画面の外に置き
” ただ見ている人 ” という
気楽な立場にすることで、
自身の中の結婚願望を間接的
な方法で描写して ” 気休め ”
にするのです。

つまり、自分には必要だが、
ある程度、距離を置きたい事を
画面の中に入れておくという
” 逃避技法 ” の一つです。

全く関わらないという姿勢
ではなく、少なからず関わりを
求めながらも正面から
受け止める勇気がないと
いった場合に、画面の中に
それを置き、自分は画面の
外側にいるという設定を
作ります。

*

では、今回の夢は、
どのように解釈すべきでしょう?

テレビの中で、暴走族と
警察官との乱闘シーンが
繰り広げられている。

これは、現実であっても、
関わりたくない物騒な現場です。

そして、この夢で特徴的なのが、
途中から本人がテレビの中に
入ってしまうという点です。

一旦は、現場から距離を
置こうとしていますが、結局は
自ら関わっていくという流れ。

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小さ過ぎた箱

乱闘する暴走族と警察官は、
この夢を見た男性の
心の状態を表しています。

心の中で対立する二つの感情が、
ぶつかり合っている状態を
” 暴走族グループ ” と
” 警官隊 ” の衝突という形で
描いている。

この夢の内容だけでは、
どういった感情が衝突して
いるのか、具体的なことは
分かりませんが、

” 暴走族 ” と ” 警察 ”
という対照的な存在から、
” 善良な心 ” と ” 悪い心 ”
または、
” 理性的な部分 ” と
” 感情的な部分 ”
といったものが、対立
しているようにも見えます。

この心の葛藤が、
” 乱闘騒ぎ ” として描かれ、
それをテレビの中の出来事
にすることで、彼の抱える
心の問題を ” 他人事 ” として
処理しようとしているのです。

” これは、俺のことじゃない。
ただのテレビ番組さ・・ ”

*

しかし、この夢では、
ストーリーの後半になると、
彼自身が、テレビの中の
騒動に自ら参加していく。

これは、彼がテレビの中に
入ったわけではなく、
テレビの中の世界が彼の側に
はみ出してきたと言った方が
よいかもしれません。

夢を作った潜在意識が
こう言っているのです。

” すまない。テレビ画面に
押し込めようとしたが、
事態が大き過ぎて入りきらなかった。
それに、これは、元々、
君の問題じゃないか ”

潜在意識は、自らテレビの中に
抱える問題を封じ込めようとするが、
その結果、失敗する。

それが、自分自身の問題である
ということに気づいていたから。

そして、乱闘騒ぎの中に
飲み込まれながらも、
彼は、必死に喧嘩を仲裁
しようと努力をしています。

感情の折り合いをつけるために
妥協点を探しているのです。

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画面サイズはどれぐらいだったか?

さて、今回はテレビ画面に
関わりたくないことを
封じ込めて処理する
というケースでしたが、

例えば、これが、テレビ
ではなく、タブレットなら、
さらに小さい、スマホなら、
解釈に違いはあるのでしょうか?

厳密な区切りなどありませんが、
一つの見方として、
画面が大きなものならば、
画面の中の世界とこちら側の世界は、
比較的、近いのかもしれません。

映画など大きな画面で見れば
それだけ臨場感は出ますから、
画面の中で起こっている出来事が
観客を飲み込む効果と同じで、
境界が曖昧になりやすい。

小さな画面よりは、大きな画面
である方が、それだけ、
差し迫った問題を取り扱っている
と考えることは出来ます。

*

逆に小さな画面ならば、そこで
ハルマゲドンが描かれたとしても、

” ああ、小さな画面で
何かやってるな ”

というような認識になるでしょう。

スマホ画面に収まるならば、
それだけ、本人にとっては、
” 小さな問題 ” に過ぎないと
考えることが出来ます。

画面の大きさによって、
取り扱われる問題の重要度を
見極める必要があります。

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ゲーム画面だった場合

では、テレビを見ている
のではなく、ゲームをしている
場合は、どうなるでしょう?

テレビとゲームとでは、
少々、性質が違います。

テレビは、ただ見ていれば
いいだけですが、ゲームは、
自ら画面の向こう側の世界を
コントロール出来るので、
ある意味、こちら側の世界と
非常に近い関係に見えます。

モンスターに襲われることも
ありますし、銃弾で撃ち抜かれる
こともある。

唯一の違いと言えば、
撃ち抜かれても自分が死ぬわけ
ではなく、ゲームキャラクターが
死ぬだけです。

そういった意味では、半分は、
こちら側の出来事、もう半分は、
画面の中の出来事なので、
ある意味、画面の中の世界と、
こちら側の世界の中間的な世界
と言えるかもしれません。

*

さらに、最近では、
VR( バーチャルリアリティ ) と
言われる技術が発達し、様々な
VRデバイスが存在します。

より、現実世界とゲームの世界が、
接近している。

ただ、ゲームの中に再現された
仮想世界は現実世界に似せては
ありますが、あくまで ” 仮想 ”
に過ぎないので、VRの世界が、
もし、夢になったとしても、
その違いを理解しておく必要は
あるでしょう。

例えば、仮想世界のルールは、
ゲームクリエイターが決定
しているわけです。

仮想世界で石を投げれば、
地面に落下するでしょうが、
それは、引力によって
落下しているわけではなく、
プログラムの物理演算によって
落下している。

同じようにも見えますが、

もし、夢の中で石を投げて、
なぜか、途中で消えたり、
同じ軌道をリピートしたり、
いつまでも落ち続けるという
バグが再現されたら、

潜在意識は、あえて仮想世界の
ルールを採用しているわけです。

そこには、現実世界の
ルールを採用しなかった
理由があるのです。

 

関連記事 : 夢の中の ” ゲーム “|現実と仮想世界の交差点

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