愛が憎しみに変わる。カップルや夫婦間で
よく問題となるあの状況です。
なぜでしょう?
” 愛 ” が、なぜ、正反対の ” 憎しみ ” に
変わってしまうのか。
単純に嫉妬心や所有欲が歪んだ形として
表れた結果なのでしょうか?
*
例えば、恋人の束縛が激しいという悩みを
抱えている人がいます。
スマホの中身をチェックされ、
常にプライベートを監視されている。
酷いケースでは、何かするごとに連絡を
要求し、報告を怠れば腹を立てて暴力に
及んだりもする。
愛するはずの存在を傷つけてしまうという
おかしな状況。
それを単純なDV案件として捉えてしまう
ことも出来ますが、もう少し、この心理
について深く探っていきましょう。
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感情に罪は無い
あなたは、” 嫉妬 ” を感じたことは
ありますか?
多分、無い人はいないでしょう。無論、
筆者も例外ではありません。
まず、DV問題と嫉妬心は因果関係があり
ますが、切り分けて扱う必要があります。
嫉妬をしたからといって暴力に発展するか
どうかは感情的な問題というより、習慣に
よるところが大きいと筆者は考えます。
それが常態化しているというのであれば、
特に。
*
とある公共の場所で筆者が目にした
出来事です。
母親が三歳ぐらいの男の子を叱りつけ、
頬をパチンと叩きました。一度だけでは
ありません。
そして、我が子に向かって
” お前が悪いんだろ! ” と怒鳴った。
( 実際は、もっと酷い発言でした )
それから母親は歩きだし、置き去りになった
男の子は泣きながら、さっさと行ってしまう
母親の後を追った。
筆者は、何とも後味の悪い気持ちに
なりました。
子育てのストレスがかかり過ぎて、普段は
手を上げない人が、不意に手を上げて
しまったというなら、まだ理解のしようも
ありますが、
” 子供は叩いて教え込まなければ理解しない ”
という感じの当たり前のような顔で叩いた。
*
この一件は感情的な部分もありますが、
どちらかと言えば、当事者の子育てに対する
見識が影響していると言うべきかもしれません。
これは、カップルや夫婦間のDV問題とは
違いますが本質的な部分は一致しています。
加害者側の人権を軽視する姿勢です。
そして、それを弱い立場である被害者も
やむなく受け入れてしまっている。
人権の軽視は ” 感情 ” ではありません。
その人の ” 考え ” です。
なので、DV問題と人の感情は区別して
考えなければならない。
嫉妬心や執着はDVのような問題を引き起こす
きっかけにはなりますが、それは誰でも持つ
ことがある一般的な感覚です。
感情がどういった形の行動に結びつくかが
問題なのであって、感情そのものが問題
ではない。
例え、それがネガティブな感情であった
としても。
腹が立ったから、相手に非があるからと
言って誰かを殴ってよい理由にはなりません。
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その怒りは、どこから来るのか?
例えば、恋人に裏切られ、とても腹が
立った。それは、当然の感情です。
ならば、設定を少し変えてみましょう。
すでに別れた元恋人が、自分と付き合って
いた頃に実は浮気をしていた。
この事実を知った時、どう感じるか・・
次のような意見もあるかもしれません。
” ああ、そうだったんだ。
やっぱり別れて正解だった ”
” 知らなかった。それを聞いて呆れた ”
” 今となってはどうでもいい ”
” そんな奴と付き合ってた私って
バカだったね ”
この設定ならば、多分、怒りというより、
どうでもよいこと、くだらないこと、として
片づけてしまうのではないでしょうか。
*
それが過去とはいえ、裏切った事実は
変わらないわけですから、腹が立っても
不思議ではないが、そうならない。
なぜでしょう?
それは、その人が想定する人生に元恋人は
既に存在していないからです。
人は過去ではなく、現在を見ている。
つまり、怒りの感情は、その出来事が
実際に起こったのかどうか、という点で
着火しているわけではない。
それが事実であることに怒っているわけ
ではなく、現在の人生に実質的な影響を
与えるかどうかにかかっている。
影響が無ければ、まさに、
” どうでもよいこと ” として認識され、
影響があるなら、心をかき乱す
” 見過ごせない事実 ” になるわけです。
*
では、次のような設定ならどうでしょう?
例えば、浮気をされ腹を立て、その日から
一切の連絡手段を断ち、そのまま自然消滅。
その後、実は自分の勘違いで浮気の事実は
無かったことを知る。
そして、現在、元恋人は別の異性と出会い
幸せな家庭を築いている。一方、自分は、
恋人もおらず独身を続けている。
もしかしたら、
次のように思うかもしれません。
” なぜ、あの時、ちゃんと
話してくれなかったんだろう? ”
” 一度や二度、無視されたからって
簡単に諦めるなよ ”
過去のことですから ” どうでもよいこと ”
として片づけてしまうことも出来る。
しかし、心のどこかで引っ掛かり続けるのです。
それは、過去への後悔というより、何かが
欠けてしまっている ” 現在 ” に対する
苛立ち。
因みに、現在の自分が充実した人生を
送っているなら、過去、自分がしていた
勘違いなど ” どうでもよいこと ” になる
のでしょう。
過去に起因する感情
” トラウマ ” という言葉があります。
過去、傷ついた体験によって何かを必要以上
に恐れたり、正常な判断を妨げたりする。
しかし、これは過去の出来事に対して、
” 恐れ ” を抱いているわけではない。
その出来事は、もう終わってますから。
” また、同じ結果になったらどうしよう ”
現在、もしくは将来的に同じ苦しみを体験
することに対して恐れているわけです。
例えば、失恋によって深い傷を負った。
そのために新しい出会いを避けるようになった。
そもそも、出会いが無ければ、わざわざ
回避行動を取る必要もありません。
職場でもプライベートでも恋愛対象となる
異性が存在しない環境で生活している限り、
過去のトラウマは何の影響も及ぼさない。
仮に、恋愛対象となる異性が現れたなら、
多分、過去の失恋はトラウマとして、
その人の行動を縛るのでしょう。
*
” 怒り ” という感情とは、常に現在に起因
するものです。しかし、過去について
腹を立てることもある。
” あの時のこと、まだ、許していないから ”
許す、許さないという気持ちと ” 怒り ” は
別物です。” 許さない ” という気持ちは感情
ではなく、どちらかと言えばポリシーです。
そして、終わった過去に対して怒りの感情を
持ち続けることは、事実、不可能。
故にポリシーという形で心に誓うわけです。
魚拓を取るように。
” あの時の仕打ちは、絶対、忘れない ”
怒りは、忘れ去られることが前提の感情
なのです。
*
では、話を戻しましょう。
愛が憎しみに変わる時、心の中で何が
起こっているのか?
その憎しみは、要するに ” 怒り ” ですが、
何に対して怒っているのでしょう?
その ” 怒り ” は、現在に起因している。
つまり、恋人が裏切ったから怒っている
わけではない。それは、すでに終わった
出来事です。
その裏切りによって、自身の思い描いていた
未来が打ち砕かれたこと、これからも続くと
思っていた人生が狂ってしまったこと、
これまで築いてきた信頼関係が破られ時間を
無駄にした ” 現在 ” に怒っている。
*
人は頭の中で勝手な理想を思い描く
ものです。
恋人が、いつまでも自分を中心に考えて
くれればいい。
自分は誰にも束縛されず自由に生きたいが、
恋人にはルールを守ってほしい。
結婚したら妻には仕事を辞めてもらい
家庭に入ってほしい。
結婚後も独身のように気楽な生活がしたい。
もちろん、慎ましく質素な家庭を築きたい
というような真面目な理想もあるでしょう。
そういった ” 理想の世界 ” が何かの理由で
脅かされる時、人は恐れから憤りを感じる。
建築物としての ” 理想 “
” 理想の世界 ” を支える柱の一つ ” 愛 ” が
失われることによって、思い描いたそれが
崩れゆくことが心をかき乱すのです。
もし、その櫓が ” 愛 ” という支柱だけで
支えられているならば、とても不安定な
建築物になるでしょう。
それは、他人本位の理想です。
また、浮気癖のある人、恋多き人は、
要するに、何本かの柱によってそれを支え
ようとしている。
しかし、実際、柱どうしがお互いを排除し
合うので長続きはしない。
設計した櫓が大き過ぎる割に細い柱一本で
それを支えようとしている人もいます。
相手に求め過ぎて失敗するパターン。
無論、櫓を支える柱にも ” 理想の世界 ”
があります。そちら側では、あなたが柱に
なっているかもしれません。
*
要するに、櫓が傾くことなく安定して
いれば問題は起こらないのです。
ならば、櫓を支える柱の本数を増やす
としたらどうでしょう。
一本が無くなったとしても他にも支える柱
があるなら、倒壊を免れるのかもしれません。
一つの柱に必要以上に要求することも
ありませんし、ちゃんと支えてくれない
ことに不満を持つ必要もない。一見すると、
合理的にも思えます。
ただ・・ 何の見返りもなく、
支えてくれる人などいるのでしょうか?
何人も?
よほど愛される存在でもない限り、
それを実現することは出来ないでしょう。
そもそも何本もの柱がなければ、支えきれ
ない大きな櫓を、なぜ、設計したのでしょう?
ならば、櫓の規模を縮小し、細い柱一本でも
支えられるようにすればよいのでしょうか?
しかし、それも本質ではない。
あなたは櫓の設計者であり、その櫓を支える
大黒柱なのです。
もちろん、他の柱があってもよいのですが、
やはり、大きな櫓を支えるのならば、自身が
もっと強くなければいけない。
その役目を誰かにやってもらうことは
出来ないのです。
*
” 自分のことを裏切るなんて許せない! ”
もし、怒りが込み上げ悔しくてたまらない
ときは、次の問いかけをしてみてください。
自分の設計した櫓は適切なものだったか?
裏切者を許せとは言いません。彼らは、
単に一本でも多くの柱を必要とする幻想、
” 砂上の楼閣 ” を支えようとしているだけ
なのです。
その怒りは、前進しようとするあなたを
一ヶ所に縛り付けようとする。
とは言え、” 怒り ” が全く不必要だという
わけではありません。それは、時に、
生きる上での原動力になることもある。
原始時代に火を手に入れた人類のように
使い方によっては文明の発展に貢献する。
ただ、使い方を誤れば、
私たちの人生さえ、奪うのです。
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