愛が憎しみに変わる時|その怒りはどこから来るのか?

愛が憎しみに変わる。カップルや夫婦間でよく問題となるあの状況。

なぜでしょう?

” 愛 ” が、なぜ、正反対の ” 憎しみ ” に変わってしまうのか。単純に嫉妬心や所有欲が歪んだ形として表れた結果なのでしょうか?

例えば、恋人の束縛が激しいという悩みを抱えている人がいます。スマホの中身をチェックされ、常にプライベートを監視されている。

酷いケースでは、何かするごとに連絡を要求し、報告を怠れば腹を立てて暴力に及んだりもする。

愛するはずの存在を傷つけてしまうというおかしな状況。

それを単純なDV案件として捉えてしまうことも出来ますが、もう少し、この心理について深く探っていきましょう。

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感情に罪は無い

あなたは、” 嫉妬 ” を感じたことはありますか?

多分、無い人はいないでしょう。無論、筆者も例外ではありません。

まず、DV問題と嫉妬心は因果関係がありますが、切り分けて扱う必要があります。

嫉妬をしたからといって暴力に発展するかどうかは、感情的な問題というより、習慣によるところが大きいと筆者は考えます。

それが常態化しているというのであれば、特に。

とある公共の場所で筆者が目にした出来事です。

母親が三歳ぐらいの男の子を叱りつけ、頬をパチンと叩きました。一度だけではありません。

そして、我が子に向かって ” お前が悪いんだろ! ” と怒鳴った。( 実際は、もっと酷い発言でした )

それから母親は歩きだし、置き去りになった男の子は泣きながら、さっさと行ってしまう母親の後を追った。

筆者は、何とも後味の悪い気持ちになりました。

子育てのストレスがかかり過ぎて、普段は手を上げない人が、不意に手を上げてしまったというなら、まだ理解のしようもありますが、

” 子供は叩いて教え込まなければ理解しない ” という感じの当たり前のような顔で叩いた。

この一件は感情的な部分もありますが、どちらかと言えば、当事者の子育てに対する見識が影響していると言うべきかもしれません。

これは、カップルや夫婦間のDV問題とは違いますが本質的な部分は一致しています。

加害者側の人権を軽視する姿勢です。

そして、それを弱い立場である被害者も、やむなく受け入れてしまっている。

人権の軽視は ” 感情 ” ではありません。
その人の ” 考え ” です。

なので、DV問題と人の感情は、区別して考えなければならない。

嫉妬心や執着はDVのような問題を引き起こすきっかけにはなりますが、それは誰でも持つことがある一般的な感覚です。

感情がどういった形の行動に結びつくかが問題なのであって、感情そのものが問題ではない。例え、それがネガティブな感情であったとしても。

腹が立ったから、相手に非があるからと言って誰かを殴ってよい理由にはなりません。

その怒りは、どこから来るのか?

例えば、恋人に裏切られ、とても腹が立った。それは、当然の感情です。

ならば、設定を少し変えてみましょう。

すでに別れた元恋人が、自分と付き合っていた頃に実は浮気をしていた。この事実を知った時、どう感じるか・・

次のような意見もあるかもしれません。

” ああ、そうだったんだ。やっぱり別れて正解だった ”

” 知らなかった。それを聞いて呆れた ”

” 今となってはどうでもいい ”

” そんな奴と付き合ってた私ってバカだったね ”

この設定ならば、多分、怒りというより、どうでもよいこと、くだらないこと、として片づけてしまうのではないでしょうか。

それが過去とはいえ、裏切った事実は変わらないわけですから、腹が立っても不思議ではないが、そうならない。

なぜでしょう?

それは、その人が想定する人生に、元恋人は既に存在していないからです。

人は過去ではなく、現在を見ている。

つまり、怒りの感情は、その出来事が実際に起こったのかどうか、という点で着火しているわけではない。

それが事実であることに怒っているわけではなく、現在の人生に実質的な影響を与えるかどうかにかかっている。

影響が無ければ、まさに ” どうでもよいこと ” として認識され、影響があるなら、心をかき乱す ” 見過ごせない事実 ” になるわけです。

では、次のような設定ならどうでしょう?

例えば、浮気をされ腹を立て、その日から一切の連絡手段を断ち、そのまま自然消滅。

その後、実は自分の勘違いで浮気の事実は無かったことを知る。

そして、現在、元恋人は別の異性と出会い幸せな家庭を築いている。一方、自分は恋人もおらず独身を続けている。

もしかしたら、次のように思うかもしれません。

” なぜ、あの時、
ちゃんと話してくれなかったんだろう? ”

” 一度や二度、無視されたからって簡単に諦めるなよ ”

過去のことですから ” どうでもよいこと ” として片づけてしまうことも出来る。しかし、心のどこかで引っ掛かり続けるのです。

それは、過去への後悔というより、何かが欠けてしまっている ” 現在 ” に対する苛立ち。

因みに、現在の自分が充実した人生を送っているなら、過去、自分がしていた過ちなど ” どうでもよいこと ” になるのでしょう。

過去に起因する感情

” トラウマ ” という言葉があります。

過去、傷ついた体験によって何かを必要以上に恐れたり、正常な判断を妨げたりする。

しかし、これは過去の出来事に対して ” 恐れ ” を抱いているわけではない。その出来事は、もう終わってますから。

” また、同じ結果になったらどうしよう ”

現在、もしくは将来的に同じ苦しみを体験することに対して恐れているわけです。

例えば、失恋によって深い傷を負った。そのために新しい出会いを避けるようになった。

そもそも、出会いが無ければ、わざわざ回避行動を取る必要もありません。

職場でもプライベートでも、恋愛対象となる異性が存在しない環境で生活している限り、過去のトラウマは何の影響も及ぼさない。

仮に、恋愛対象となる異性が現れたなら、多分、過去の失恋はトラウマとして、その人の行動を縛るのでしょう。

” 怒り ” という感情とは、常に現在に起因するものです。しかし、過去について腹を立てることもある。

” あの時のこと、まだ、許していないから ”

許す、許さないという気持ちと ” 怒り ” は別物です。” 許さない ” という気持ちは感情ではなく、どちらかと言えばポリシーです。

そして、終わった過去に対して怒りの感情を持ち続けることは、事実、不可能。故にポリシーという形で心に誓うわけです。魚拓を取るように。

” あの時の仕打ちは、絶対、忘れない ”

つまり、怒りは、忘れ去られることが前提の感情なのです。

では、話を戻しましょう。

愛が憎しみに変わる時、心の中で何が起こっているのか?

その憎しみは、要するに ” 怒り ” ですが、何に対して怒っているのでしょう?

その ” 怒り ” は、現在に起因している。

つまり、恋人が裏切ったから怒っているわけではない。それは、すでに終わった出来事です。

その裏切りによって、自身の思い描いていた未来が打ち砕かれたこと、これからも続くと思っていた人生が狂ってしまったこと、これまで築いてきた信頼関係が破られ、時間を無駄にした ” 現在 ” に怒っている。

人は、頭の中で勝手な理想を思い描くものです。

恋人が、いつまでも自分を中心に考えてくれればいい。

自分は誰にも束縛されず自由に生きたいが、恋人にはルールを守ってほしい。

結婚したら妻には仕事を辞めてもらい、家庭に入ってほしい。

結婚後も独身のように気楽な生活がしたい。

もちろん、慎ましく質素な家庭を築きたいというような真面目な理想もあるでしょう。

そういった ” 理想の世界 ” が何かの理由で脅かされる時、人は恐れから憤りを感じる。

建築物としての ” 理想 “

” 理想の世界 ” を支える柱の一つ ” 愛 ” が失われることによって、思い描いたそれが崩れゆくことが心をかき乱すのです。

もし、その櫓が ” 愛 ” という支柱だけで支えられているならば、とても不安定な建築物になるでしょう。

それは、他人本位の理想です。

また、浮気癖のある人、恋多き人は、要するに、何本かの柱によってそれを支えようとしている。

しかし、実際、柱どうしがお互いを排除し合うので長続きはしない。

設計した櫓が大き過ぎる割に細い柱一本でそれを支えようとしている人もいます。相手に求め過ぎて失敗するパターンです。

無論、櫓を支える柱にも ” 理想の世界 ” があります。そちら側では、あなたが柱になっているかもしれません。

要するに、櫓が傾くことなく安定していれば問題は起こらないのです。

ならば、櫓を支える柱の本数を増やすとしたらどうでしょう。

一本が無くなったとしても他にも支える柱があるなら、倒壊を免れるのかもしれません。

一つの柱に必要以上に要求することもありませんし、ちゃんと支えてくれないことに不満を持つ必要もない。一見すると合理的にも思えます。

ただ・・ 何の見返りもなく、支えてくれる人などいるのでしょうか?

何人も?

よほど愛される存在でもない限り、それを実現することは出来ないでしょう。

そもそも何本もの柱がなければ、支えきれない大きな櫓を、なぜ、設計したのでしょう?

ならば、櫓の規模を縮小し、細い柱一本でも支えられるようにすればよいのでしょうか?

しかし、それも本質ではない。

あなたは櫓の設計者であり、その櫓を支える大黒柱なのです。

もちろん、他の柱があってもよいのですが、やはり、大きな櫓を支えるのならば、自身がもっと強くなければいけない。

その役目を誰かにやってもらうことは出来ないのです。

” 自分のことを裏切るなんて許せない! ”

怒りが込み上げ悔しくてたまらない時は、自分の設計した櫓は適切なものだったか、振り返ってみてください。

裏切行為を許すとか、許さないとか、それは問題ではありません。あなたには関係ないことです。

” これからの未来をどう形作っていくのか? ”

これが、あなたが本来持っていた問いかけであり、怒りの起源です。

過去を忘れ、前向きに生きるという単純な話でもありません。元々、前向きであるがゆえに、恐れ、怒りという感情を持つのです。だから、前向きであるか、後ろ向きであるかという問題でもない。

では、何が、私たちの解決すべき問題なのでしょう?

それは、コントロールです。

ただ、” 感情をコントロールする ” ということとは少し違います。深呼吸で苛立ちを鎮めるとか、気を紛らわすという意味でのコントロールではなく、感情の起源を捉え、正しい方向を導き出す。

無論、感情が高ぶった状態では、冷静に考えることすらできませんから、その時は深呼吸は必要でしょう。冷静さを取り戻したら、問いかけます。

あなたの思い描く ” 理想 ” に、時間を費やし続けることに、どんな意味があるのか?

その ” 理想 ” の実現可能性はどれぐらいあるのか?

実現するために、何を調整し、何を諦めるべきか?

どのラインで決断するのか?

そうやって問いかけ続けることで、櫓の輪郭がくっきりと見えてくる。本当の意味で、人生をコントロールするのです。

 

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