真面目な人が損をしてしまう理由|天罰の仕組み

不真面目な人が得をして、真面目な人が
損をしてしまうという場面があります。

例えば、会社で真面目な人に仕事を
押し付けて先に帰ってしまうとか、
一生懸命、資料を準備した人ではなく、
それを報告する人だけが評価されるとか、

恋愛においても、真面目に生きている人
ではなく、不真面目に生きている人の方が、
どういうわけか異性にモテたりする。

そういった要領の良し悪しで損をしたり、
得をする人というのが必ずいるものです。

一体、なぜ、このような理不尽なことが
起こるのでしょう?

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シンプルな原理

ルールを守らない人が得をするというのは、
とてもシンプルな原理です。

得をしてしまうから、ルールで制限している
わけですから。

例えば、株取引で内部情報を元に株の売買を
すれば、無論、優位に決まっていますから、
インサイダー取引行為として禁止している
わけです。

受験でも替え玉を使ったり、カンニングを
すれば、いい成績を取れることは当然です
から、ルールとして禁止しなければならない。

得をする人と損をする人が生まれてしまう
のを防ぐためにルールがある。

不真面目な人は、それを守らない
わけですから、当然、得をすることになる。

つまり、人間社会には初めから損得が偏る
” バグ ” が至る所に存在するのです。

それが、あまりに目立ち過ぎると法律や
企業の規約としてルール化し、秩序を
保とうとしてきたという簡単な話です。

ただ、日常生活や職場での行動や人間関係
での振る舞いという小さなレベルまで
ルール化することは出来ない。

そこは、モラルとかマナーという言葉で
カバーしようというのが今の社会の状況
だと思います。

そう考えると、真面目な人は、社会が
決めたルールやモラルといったものを
守りながら生きている人。

不真面目な人は、それを守らずに
生きているということになります。

天罰が下らない理由

ただ、ルールを守りながら生きている人は、
ルールの下で当然ながらバックアップも
受けている。

例えば、悪い人がコンビニ強盗をした時、
店長に殴られたからといって、警察に
届け出るわけにはいきません。

当然、悪いことをしていない店長は、
被害届を出すでしょう。

これは法律に関わる明確なケースですが、
日常生活に当てはめると、どうなるでしょう?

例えば、狡い人が誰かに仕事を押し付けて、
さっさと帰ってしまう。

きっと、その人は逆に誰かが休んだせいで
結果、仕事を押し付けられても文句を言う
ことが出来ない。

いつも自分がしていることだから。

例えば、面倒な準備は他人任せの要領の
いい人はプレゼン用の資料にミスがあった
としても、いつも準備してくれる人を責める
わけにはいきません。

もし、文句を言って機嫌を損ねられたら、
” 自分でやれば ” と言われてしまう。
次回からサポートは受けられなくなるでしょう。

” ズルをしてばかりいると、
必ずしっぺ返しが来る ”

と言いますが、これは損をした真面目な人
たちの単なる恨み節が言葉になっただけ
なのです。実際に ” しっぺ返し ” が
来ているわけではない。

この罰の仕組みを簡単に説明するならば、

” 規範を破る者に
規範の恩恵は受けられない ”

当たり前過ぎますが、ただ、これだけの
ことなのです。

つまり、不真面目な人に、なかなか天罰が
下らないというもどかしい状況は、
具体的には、その人が破った規範に頼ら
なければ永遠に天罰は下らないということです。

例えるなら、スマホを購入し、
不正アプリで改造したとします。

その時点で企業規約に違反しているわけ
ですから、無論、何か不具合が出たとしても
サポートは受けられない。

しかし、故障しない限りサポートに頼る必要
はありませんから、その人が罰せられること
は無いわけです。

神様が人々の行いを観察しながら、罰を
与えるタイミングを見計らっているわけ
ではありません。

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羊飼いと狼

” 羊飼いと狼 ” という童話は誰もが知って
いると思います。

とある羊飼いが ” 狼が来た!” と嘘を
ついて村人を驚かす。最初、村人たちは
それを信じて、狼を退治しようと集まる。

それが二度、三度と続くと村人は羊飼いを
信用しなくなり、最後は、本当に狼に
襲われた羊飼いが助けを求めても誰も来ない。

この物語は、人々が理想とする ” 完全な罰 ”
を描いている。

でも、現実の世界ではドラマや童話のように
分かりやすく罰が与えられたりはしません。
大抵は、うやむやのままいつの間にか消えるのです。

それは、悪い人や狡い人が罰を与えられない
まま、逃げ切ってしまったということなの
でしょうか?

いえ、彼らは目に見える罰ではなく、
” 消極的な罰 ” を絶えず受け続けている。

” 消極的な罰 ” とは、罰を受けないために
自ら行動に制限をかけている状態のことです。

言い換えるなら、
” 表面化しない不自由さ ” です。

先ほどのプレゼン資料の例で言えば、
会議中、資料のミスで恥をかいたとしても、
準備をしてくれた人を責めることが出来ない。

つまり、規範の盾に跳ね返された状態、
これが ” 消極的な罰 ” です。

不真面目な人が罰を避けるために、自らの
行動に制限をかけるという表面的には分かり
ずらい罰が常に付きまとっているのです。

真面目な人が損をしない為に

では、この仕組みを逆に考えてみましょう。

ルールを守る真面目な人は
本当に損ばかりをしているのでしょうか?

規範に従った者だけが受けられる恩恵、
” 見えない盾 ” によって常に守られている。
真面目に生きてきた人には、ルール範囲内の
自由は補償されているわけです。

スマホが故障すればサポートが受けられる。

仮に、不正な使い方をしているというので
あれば、サポートセンターに電話をかけ
なければいけないトラブルを避けるために、
日頃から気を使わなければならないでしょう。

トラブルが起これば、自力で解決する
しかない。もし、不都合なことを隠して
電話をすれば担当者に次のように聞かれるのです。

” 最近、インストールされたアプリは
ありませんか? ”

しかし、あなたは、そのような面倒事とは
無縁です。要するに ” 突かれると痛い弱み ”
が無いということが真面目な人の強みです。

ただ、サポートとは関係無いところで、
真面目な人が損をしてしまうことは、
実際にあるでしょう。火災保険が水害を
補償しないのと同様に、それはサポート
範囲外の出来事。

真面目に生きてさえいれば、全ての権利が
保障されるわけではない。それについては、
個々の補償に応じたサポートが別途必要だ
というだけのことです。

真面目に生きてきて損をしてしまう人は、
自分の受けた損害がどのタイプの損害なのか
分からないまま ” なぜ、自分ばかりが ” と
不満を募らせてしまう。

大切なのは自分がどのルールを守って
生きているのか、それを見定めることです。

ルールとは人が作ったもの。
人は完璧ではない。

ルールにも恩恵を受ける ” 有効範囲 ” が
あるのです。

 

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