争いを好まない人|議論を避け続けた先にあるもの

” 正しさ ” とは何でしょう?

こういった議論をする時に陥りがちなのは、
何が正しいのかを明確にしようとすることです。

誰かが誰かを批判し、
その批判に対して誰かが批判をする。

こうして私たちは分裂していく。

そして、この叩き合いによって
何かが生まれることはない。

多分、そういった世知辛い世間に嫌気が差して、
こうした議論を避けたがる人もいるでしょう。

” ああ、もう、そういう話はいいよ。
聞きたくない ”

それを避け続けることが可能なら、
筆者も同じ思いです。

ただ、” 批判的な考え ” を持つことなく
やり過ごし続けるのは実質、不可能なのです。

残念なことに、
それは、生きていれば必ずぶつかる。

もし、それが可能なら、
その人は人生で起こること全てを
許すことが出来る ” 聖人 ” でしょう。

無論、筆者も、あなたも聖人ではない。

問題は、それを避け続けることで何が起こるのか?
ということです。

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批判は胸にしまっておくべきか?

批判の言葉を持った時、
それを口にすべきでしょうか?

もしくは、
自分の中にしまっておくべきでしょうか?

現代社会において、
口にするという選択をした場合、多分、
思い浮かべるのは、日々SNSで繰り返されている
不毛な議論と批判の数々でしょう。

筆者もそういった議論に自ら加わったことは
ありませんが、
どうしても目に入ってくるのは確かです。

” この人たちは、何を揉めているのだろう? ”

そう思いながら、何となく気になって
議論の経緯を時系列をたどって確認してしまう。

大抵の場合、議論の結末は、
お互いを批判しあったまま、
有耶無耶な状態で終わるのです。

多分、双方がこう思って議論をやめたのでしょう。

” 頭が悪い奴に何を言っても無駄だ ”

口を開き、長い議論の末、行きついた結論が
” 相手がバカだった ” ということなら、
果たして、その時間は必要だったのでしょうか?

*

では、口を開かず、自分の中で留めておきましょう。

SNSの不毛な議論に加わらないという選択は、
一見するとかしこい選択のようにも見えます。

ただ、それは、その議論が
自身に直接的な影響が無かった場合の話です。

もし、あなた自身が批判されてしまった時、
あなたが善意と思って行った発言や行動によって
思わぬ反感を買ってしまった時、
あなたは今後、誰かを
助けることをやめてしまうのでしょうか?

救いの手が必要な人が目の前にいたとしても。

世の中は、うかつに人に親切にすることすら
出来なくなってしまう ” 全てに対する配慮 ”
を押し付け合うだけの世界になってしまう。

それが、” 平和 ” なのでしょうか?

次のように思う人がいるかもしれません。

” 困っている人を助けているのに、
それを批判する人などいるはずがない ”

” 今まで生きてきて、
そんな場面に出会ったことはない。
これからも、そんなことは起こらない ”

*

2016年に公開されたイギリス・フランス映画
「わたしは、ダニエル・ブレイク」では、
イギリス社会福祉制度の ” 負の側面 ” を
リアルに、そして切々と描きだします。

老齢で心臓病を抱え、ドクターから
仕事を止められている主人公ダニエルは、
生活するための収入を得るために
失業給付金の申請を行うが、
” 就労可能 ” と判断され却下されてしまう。

映画では、イギリス社会福祉制度の背景について
詳しい説明がされていないのですが、実は、
この時期のイギリスでは、2010年に就任した
デービッド・キャメロン首相が公約に掲げる
大幅な財政赤字削減に向けた改革が行われていました。

5年以上におよぶ緊縮財政、そして、
福祉制度の見直しによって、
イギリス市民に待っていたのは
” 弱者切り捨て ” という過酷な現実だったのです。

失業手当について言えば、
その条件は厳しくなり、重度の記憶障害、
半身麻痺を抱える男性が ” 就労可能 ”
と裁定されたことを地元紙が伝えるほどでした。

正直、筆者はこの映画を見て、
イギリスの印象が全く変わってしまった。

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批判を避けることで失われるもの

映画の中でこんな一場面があります。

失業給付の手続きを行うために
役所に訪れるダニエル。

そこで働くアンは、前回、役所の理不尽な
対応にクレームをつけ、追い返されてしまった
ダニエルを見つけ、丁度、手が空いていた
こともあり、親切心から手続きを手伝うのです。

しかし、上司がそれを見て、
アンを呼びつけ次のように言う。

” 例外を作るわけにはいかない ”

つまり、ダニエルにだけ特別待遇をすれば、
順番を待っている他の人に迷惑がかかる
というわけです。

あなたは、アンです。

もしかしたら、ダニエルだったかもしれない。

*

” 社会のルールを守ることで
全体としては多くの人を救えるはずだ ”
という意見もあるかもしれません。

そして、ルールを破ったアンを非難する
かもしれない。

ただ、映画の中でも描かれていますが、
イギリスでは多くの人が貧困に喘ぎ
苦しんでいるのです。

その守らねばならない ” 社会のルール ” とは、
本当に、適正な仕組みなのしょうか?

これに対し、イギリス国民は
議論に参加することや批判することを避けて、
何もせずに従っていればよいのでしょうか?

あなたには、無関係な話でしょう。

議論や批判をしなければならないという状況は
あなたの周りには無い。

今のところは。

しかし、もし、あなたが
批判をしなければならない立場、
もしくは、批判を受けなければならない立場、
誰かに助けを求めなければならない立場になった時に

そこに、アンは存在するでしょうか?

アンになれるでしょうか?

見せかけの平和

議論することや批判すること、
批判されることから距離を置けるなら、
誰もがそうしたいでしょう。

日頃のストレスから、
誰かを打ち負かしたいという衝動に駆られて、
見つけた攻撃対象に ” 意見 ” という名目の
石を投げつけるというのでもない限りは。

それは、単なる誹謗中傷です。

批判は必要です。

今はそう思えなかったとしても、
人生のどこかで必要になるのです。

誤解してほしくないのは、
SNSで誰かを攻撃してよいと言っている
わけではないのです。

むしろ、あらぬ誤解を生まないためにも、
SNSを使った議論は避けた方がよいかもしれません。

筆者もこうした意見を述べる場所は
自身の主張を最後まで伝えられるという意味で
ブログに限っています。

*

批判的意見を持つことは悪いことではない。

特定の個人、
立場の弱い人に向けたものでない限りは。

批判すること、そして、されることを避け続けた
” 見せかけの平和 ” の先にあるものとは、
コンクリートのような冷たい社会です。

映画の中で唯一、救いだったのは、
非情な政府の福祉政策に耐えながらも
イギリス市民同士が ” 親切心 ” によって
支え合っている描写でした。

ダニエルがパソコン操作について困っていると、
近くにいた若者がそれを助けてくれました。

彼自身も、二人の子供を抱え路頭に迷っていた
シングルマザーに、わずかですがお金を渡すのです。

そして、彼は批判し続けた。
非効率な役所の対応について、福祉政策について。
人が人であるために。

向き合いたくないものを避けるために、
あなたの中の ” 良心 ” を失わないでください。

 

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