空気を読むことのリスクと対処|自己防衛の心理

空気を読むというのは、一見、良い事の
ように思えますが、歯車が狂ってしまうと、
その人自身を苦しめることにもなる。

また、空気を読むためには、常に周りに
気を配らなければならないわけですが、
裏を返せば、周りが気になって仕方がない
という場合も、いわゆる ” 空気を読む人 ”
と言えます。

今回は ” 空気を読む ” という行為と、
それによって何が起こるのか、
そのプロセスを見ていきましょう。
そこに対処のヒントがあるかもしれません。

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” いい人 ” が消える瞬間

よく気がつく人とか、さりげない優しさ
を持っている人は、自分の周囲の出来事や
様子について常にアンテナを張っている。

裏を返せば、そのアンテナは、当然、
ネガティブな電波もキャッチするわけです。
誰かが悪口を言えば引っかかりますし、
ちょっとした無作法な態度も見逃さない。
ただ、表立って口に出さないだけで。

そして、アンテナの感度が高いゆえに
周囲の人たちのネガティブな言動に
ストレスを感じやすい。

一度、ネガティブな電波をキャッチして
しまうと、そればかりが気になって、
アンテナの感度がさらに鋭敏になっていく。
結果、心をすり減らしていく。

対人関係、外部環境が良好で、キャパの
範囲内であれば、空気を読む人は周りに
気を配る ” いい人 ” で居られるのです。

ただ、外部環境に影響を受けやすいという
性質が仇となり、周りと歯車が噛み合わず、
キャパオーバーに達すると、その笑顔が
失われ、メンタルが脆くも崩れ去る。

それまで周囲から ” いい人 ” だと思われ、
職場での評価も高く、社交的だった人が、
突然、鬱になり、パタッと職場に来なくなる。

” 昨日まで、元気だったのに・・ ”

同僚たちは、気づかなかったのでしょう。
その人の笑顔が数日前からぎこちなかった
ことに。

大抵、大人になれば誰でも、世の中の
厳しさ、理不尽さを体験し、生きていく
上で ” いい人 ” であり続けることが困難
であることを学びます。

他者には親切でありたいと願っていても、
恩を仇で返す心無い人間もいれば、最初から
騙すつもりで近づいてくる人間もいる。

筆者にも経験があります。玄関のベルが
鳴り、顔を出すと、ボランティア団体を
名乗る女性が立っていた。フェアトレード
に関する活動をしているということでした。

” フェアトレード ” とは、途上国で生産
された作物を適正価格で買い取ることを
目的とするものです。女性は寄付を求め、
コーヒー豆を二箱買ってくれと言います。
価格を尋ねると結構な値段だったので、
筆者は一箱だけ購入しました。

後日、その団体についてインターネットで
調べていると、同様の団体を語った手口で
被害が出ているという注意喚起の書き込み
を見つけました。

その団体は存在しなかったのです。

親切にリスクが伴うと知った時、人は
親切をやめ、無表情な冷たい仮面を被る。
そして、誰かが困っていても見て見ぬふり
をするようになる。その時、ある種の
嫌悪感を持つ。イジメを目撃したが、
何もしなかった時の胸元に残る苦々しさ
と同じ、あれです。

実は、数日前から同僚の何人かは、
” いい人 ” の笑顔に異変が起こっている
ことに気づいていた。

でも、誰も声をかけなかった。だって、
面倒事に巻き込まれたくないから・・

とは言え、消えようとしている ” いい人 ”
から空気を感じ取ってしまった事実は
変わりません。それは、紛れもなく
” 読みたくもない空気 ” ですが、それが
ストレスに感じてしまう。

不条理な世の中を生きていれば、
” 良心 ” を試される瞬間が様々な場面で
あります。その時、社会という集団の中で
空気を察知してしまった私たちは決断を
迫られる。

目を背けるか、もしくは、向き合うか。

多分、それに立ち向かえる人は、極少数
でしょう。大半の人間は前者を選択する。
そして、それは私たちが本来持っている
” 良心 ” の否定ですから、その自己否定に
苦しむことになる。

ただ、私たちは大人ですから、思春期の
若者のようにセンチメンタルに浸ったり、
誰かを指さして他人のせいにするといった
格好悪いことができない。

そこで大人たちは、言い訳を考え出す。

” 世の中、綺麗ごとじゃ生きていけない。
私は現実主義者だ ”

良心を否定したことを正当化するため、
現実主義者の仮面をつけるのです。故に、
同調圧力や権力に逆らえない長いものに
巻かれる人は、大抵、” 現実主義者 ” を
名乗る。

人から格好悪いと思われないように、
現実主義者を気取ることもあれば、
被害者よりも加害者であることを選び、
悪事に自ら手を染める人もいる。

いずれにせよ、私たちは冷静に現実を
受け止めたが故に現実主義に至ったのでは
なく、単に ” 良心 ” を守れなかった言い訳
として現実主義者になったのです。

フィルタリングの失敗

多くの人は、抗えない現実を経験し、
” 良心 ” を封印する。そして、それを
正当化するために現実主義者になる。

本来は望んでいなかった薄汚れた大人に
なってしまった自分。抵抗できなかった
臆病な自分。自己否定によって傷ついた
プライドを修復するため、私たちは
自己肯定感を渇望するようになる。

しかし、よく考えてみると奇妙な状況です。
自ら良心を裏切り、自分で自己否定して
おきながら、後から言い訳で自己肯定を
行っているわけですから。最初から良心を
裏切らなければ問題は起こらなかった。

臆病でプライドの高い人は、このジレンマ
に陥りやすい。

では、空気を読むことによってジレンマ
が生まれるまでのプロセス、心の中で何が
起こっているのかを順を追って見ていき
ましょう。

まずは、” 空気を読む ” とは、厳密には
何を意味しているのか?

それは外部環境を認識することであり、
その認識には影響を受けるリスクが
伴います。こんな感じでしょうか。

図1
自己と外部環境

中央の円が自己であり、周りに散らばって
いるのが、外部環境に存在する ” 影響を
発信する因子 ” です。因子には、PとNが
あり、Pは自己にとってポジティブな存在、
Nはネガティブな存在。矢印はそれらから
受ける実際の ” 影響 ” です。

” 空気を読む ” とは、こちらからわざわざ
読みに行くというイメージがありますが、
実際、問題となりやすいのは、向こう側から
読みたくもない空気がやってきた場合です。
言い方を変えるなら、気にし過ぎて影響を
受けてしまうという状況。

ポジティブな影響は円を通過し ” self ” に
到達していますが、ネガティブな影響は、
円の外側で跳ね返っています。これは、
私たちが日常的に行っていることです。
自己を守るために、都合の悪いことから
目を反らし、都合の良いことは受け入れる。

外部環境に全く影響を受けない鉄の心を
持っている人はいません。誰であっても、
生きていく中で、図1のような処理を
行っているでしょう。とは言え、常に
N因子から放たれた影響を跳ね返せる
というわけではなく、それが円を通過し、
” self ” に刺さってしまうこともある。

外部環境がネガティブな因子ばかりで、
絶えずそれらが放つ影響に晒され続ければ、
全てを防ぎきることは難しいでしょう。

さて、図1に戻ります。中央に ” self ” と
書かれた四角形がある。これは私たち自身
であり、あなた自身です。

先ほどは、中央の破線で描かれた円を
” 自己 ” と表現しましたが、厳密に言うと、
円は ” 価値観 ” を意味します。それは、
自身があるべき理想像であり、善悪の観念、
受け入れるべき影響と受け入れざる影響の
判別基準でもある。人生における ” 指針 ”
と言ってもよいでしょう。

そして、この円は、” self ” が本来持つ
” 良心 ” を基礎に形成される。

ある意味、円は外部環境の影響から自身を
守るためのフィルターのような役割を
果たしています。価値観に合うものと、
そうでないものを判別し、受ける影響の
選択をするわけです。

では、防ぎきれなかったネガティブな影響
によって、心が傷つくプロセスを見て
いきましょう。

図2
純正フィルターの破損

図2では、ネガティブな影響を跳ね返す
ことが出来ずに self に到達しています。
そして、フィルタリングに失敗した円は
凹んで外形が崩れてしまう。

ここで私たちは、信じていた価値観では
対応できない影響が存在することを認識し、
心に動揺が生じる。

フェアトレード詐欺に騙された筆者の場合
ですと、” 寄付のために、わざわざ人を
疑わなければいけない ” という事実を認識
したわけです。それまで筆者の価値観は
” 寄付 = 良いこと ” でしたから、この
ケースで対応出来なかった。

” 自分の価値観は正しいのか? ”

この動揺が、私たちにストレスを与える。
形が綺麗な円なら、私たちのメンタルは
健康でいられるのですが、図2の状態に
なると、作り上げた価値観に自信を失い、
自己肯定感が下がっていく。

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偽装フィルターの構築

self の周囲を取り囲む ” 価値観 ” は、
私たちにとって外気から身を守る衣類、
もしくは、家のようなものです。

価値観とは、生きていく上でのノウハウ
であり、注意点をまとめた外部環境取扱い
説明書です。それが無ければ、私たちは
素っ裸で外を歩かねばならない。
そうなれば、たちまち傷だらけになり、
風邪を引いてしまうでしょう。外部環境と
共生していくには、間に緩衝材としての
” 家 ” が必要なのです。

とは言え、フィルターが全てを防いで
くれるわけではありません。先ほども
話したとおり、保護機構が働かず、
通過してしまう影響もある。そういった時
” self ” は傷を受ける。

さて、ネガティブな影響によって損傷した
フィルターは、その後どうなるのか?
無論、修復されるのですが、絆創膏を
張り付けて簡単に治るものではない。

それは ” 価値観 ” ですから、なかなか
変えることが出来ない。自分が信じ続けて
いたものが壊れてしまったわけですから。

ここで私たちが取りうる対処は、
二通りあります。

一つは、状況を受け入れ、心の成長による
自然治癒を待つ。もう一つは、
フィルターが壊れていない ” 振り ” をする。

自身の価値観に固執すると、敗北を認める
ことが出来なくなります。ネガティブな
影響によってフィルターの弱点が露呈した
として、それを認めれば価値観の否定。
つまり、それを築き上げた自己否定です。

” 自分の考えが間違っていたわけじゃない ”

自己肯定感が強くプライドの高い人ほど、
自身の考えを変えることに抵抗を示す。
プライドとは、フィルターへの信頼度です。

さて、フィルターの損傷に直面して行う
” 傷ついていない振り ” とは、具体的に
どのようにして行われるのでしょう?

図3
偽造フィルターの構築

図3では、元々あったフィルターを覆い隠す
ように偽装フィルターが形成されています。

フィルターは ” 価値観 ” ですから、外から
目で確認できるわけではなく、あくまで
自己認識の中に存在するものです。だから、
誰にもダメージを知られることなく、
あたかも最初からそうだったという顔を
していれば体裁は取り繕える。

” 最初からこういう考えですけど、何か? ”

自身に嘘をついた瞬間。つまり、価値観の
否定を避け、自己肯定感を守るために偽装
を行うのです。

さて、元々存在した純正フィルターと、
偽装フィルターは何が違うのでしょう?

純正フィルターは、ネガティブな影響を
防ぎきることが出来ず損傷した。それを
踏まえて偽装フィルターはネガティブな
影響に対応する形でアップデートされる。

とは言え、ネガティブな影響を跳ね返せる
ように改良されたわけではありません。
結局、跳ね返すほどの実力がないという
事実は変えられないので、価値観の方を
作り変えるのです。

つまり、ネガティブな影響を肯定する。

例えば、権力に逆らえない人が、あえて
権力者の意見になびく心理とは、これです。
自分から賛成しておけば、価値観の否定
にはならず、自己肯定感を守ることが
出来る。

” 権力者の意見は正しい。正しいと思う
から従っているのであって、権力に
逆らえないから従っているわけじゃない ”
という言い訳が成り立つ。

しかし、実際は、こういう状態です。

図4
二本目の矢による破壊

偽装フィルターは、ネガティブな影響を
肯定し、受け入れるように作られたもの
ですから、放たれた二本目の矢は、
フィルターを通過します。そして、内部に
隠された純正フィルターは破壊される。

もし、外部環境にN因子の数が多ければ、
偽装フィルターは次々に矢を内側へと通過
させてしまうでしょう。そうやって純正の
フィルターは、自然治癒が追いつかない
スピードで破壊されていく。

偽装フィルターの愛用者から次のような
意見があるかもしれません。

” 私の考えは言い訳じゃない。
正しいことを正しいと言って何が悪い ”

ここで ” 正しさ ” の定義をはっきりさせて
おいた方がよいでしょう。それは世間的に
常識となっている正しさでも、論理的に
整合性があるという意味の正しさでも
ありません。

決めるのは、” self ” です。

selfが納得できなければ、それは誤りであり、
同意できれば、それがその人にとっての
” 正しさ ” です。別の言い方をするなら、
” 魂による判断 ” でしょうか。論理や
一般常識は関係ありません。

だから、純正フィルターであっても、
何を通すか、何を通さないかは、
人それぞれです。例えば、あなたにとって
苦手な人でも、別の人にとってはそうでは
ないといった場面があるでしょう。

” 何であんなのと付き合えるの?
私、絶対無理なんだけど ”

” え、何がいけないの? ”

誰かにとってはN因子であっても、別の
誰かにとってはP因子であるといったことは、
実際ありえます。

修復のプロセス

言うなれば、純正フィルターは、
selfの ” 良心 ” から生成された天然物。
そして、偽装フィルターは、外部環境の
常識、論理といった素材を元に作られた
人工物です。

ここで重要なのは、偽装フィルターを
構築し、N因子を肯定することで価値観の
否定を回避できたとしても、本当の意味
での回避になっていないという点です。

それは後から都合よく作られた人工物を
守っているに過ぎず、実際には、価値観も
自己肯定感も守れていない。

ただ、それが偽装であっても 一応、
自身の作り上げたものですから、ある意味、
” 人工的価値観 ” です。
言わば、偽装フィルターを構築し、それを
守ることで自己満足を得ようとする行為は
” 錯誤 ” と言えます。

例えるなら、ゲームプレイ中にアバターに
食事をさせて実際の空腹感を満たそうと
する行為と同じです。

なので、偽装フィルターを使って自己肯定
したところで、どこか物足りなさを感じる
ことになる。そして、永久に得られない
満足感、達成感を求めるようになります。

そこで偽装フィルターが、本物であること
を対外的に証明すれば満足感を得られると
考え、より偽装の価値観を固めようとする。

論理武装の心理です。

しかし、誰かに ” 自分の考えは正しい ” と
理詰めで説得しても満足感には繋がらない。
そもそも、self が納得していないから。

ここで、少し余談ですが、

心理学には ” 認知的不協和 ” という概念
があります。自己の中に矛盾があると
不快感を生じる心理。自身が過去行った
主張に囚われ、主張を変えられなくなる
のもその一つです。

ただ、筆者は認知的不協和は存在しない
と考えています。それは自己矛盾に対する
不快感ではなく、価値観の否定によって
起こる。

つまり、矛盾とは価値観の綻びですから、
自身の価値観に執着するほど、それを
認めることが出来なくなる。
もし、認めれば脆弱な価値観を作った
自身の能力の低さを認識することになり、
結果、自己否定に陥る。

要は、小学校の美術の授業で自分の絵を
周りの生徒に馬鹿にされた時の恥ずかしさ
と同じです。

つまり、価値観とは、
その人にとっての ” 作品 ” です。

さて、偽装フィルターを使わずに、
本来、取るべき対処とは、どういった
ものになるのでしょう?

先ほども言いましたが、自然治癒を待つ
ことが、最も適切な対処だと筆者は
考えます。それは、価値観が変化していく
過程そのものですから、傷ついた皮膚が
再生していくように時間がかかる。

皮膚の再生について、少し考えてみます。
例えば、転んで擦りむいた膝にすることは、
まず、汚れを落とし消毒します。次に
軟膏を塗って乾燥を防ぎ、抗菌状態を作る。
最後にガーゼで覆う。

ここで行っている処置とは、自然治癒の
邪魔になる要素を排除し、外部から隔離し、
状態を温存することです。積極的に何か
しているわけではない。

そもそも、傷ついた純正フィルターは
” 価値観 ” ですから、実際には皮膚のように
ほっておけば勝手に治るといったものでは
ありません。ただ、日常生活を送りながら、
少しずつ自分が受けた傷について理解を
深めていくといったことで治癒される。

具体的には、何を妥協すべきか、妥協せず
にすむことは何か、修正すべきことは何か、
自分に出来ることは何か、そういった反省
を行うことで少しずつ心が変化し、傷が
修復されていく。

筆者の場合ですと、善意を利用され金銭を
騙し取られたことによって、それまでの
” 寄付=良いこと ” という価値観が一旦は
壊れます。

今回の件で筆者の中に、寄付を装った詐欺
の可能性もあるという認識が生まれた。
それを踏まえて、これまでの価値観に
” 実態がある ” という新たな条件が追加され
” 実態のある寄付=良いこと ” という価値観
にアップデートされる。

詐欺被害に遭って感情的になり、
” 寄付なんてするべきじゃない ” とか、
” 世の中は信用できない。善意は無意味 ”
というような極端な結論に至ることは
ありません。それは飛躍し過ぎですし、
それを新たな価値観に置けば、筆者は
もっと生きづらい人生を送らなければ
ならないでしょう。

” 実態の確認 ” という面倒な仕事が増えて
しまったのは、筆者にとって妥協であり、
敗北です。しかし、それをあえて受け入れ、
他の価値観との整合性を守ったわけです。

このケースは単純な価値観なので、変化
に時間はかかりませんでしたが、それが
複数の価値観と関連しあう複雑な問題で
あっても基本的には同じです。

図5
純正フィルターの修復

図5では傷が修復され、最終的に円の形状を
取り戻しています。ただ、右の円は少し
小さくなっている。それは妥協によって
” 自由 ” が減ったことを表していますが、
重要なのは、円が美しい形であるかどうか
です。それが歪であれば私たちのメンタル
は不安定になる。

円の大きさは、極端に小さくない限りは
あまり気にしない方がよいでしょう。
例えば、私たちは時価総額1兆円の企業を
買収できないからといって苛々したり
しません。誰もが身の丈にあった円の中で
人生を送っている。もし、あなたが
億万長者だというなら話は別ですが。

脳と心

ここで ” 脳 ” と ” 心 ” について話して
おくべきでしょう。

価値観とは、どちらかと言えば ” 脳 ” に
よって作られるイメージがあります。
先ほど挙げた筆者のケースでも適切な
対処を論理的に導き出しているように
見える。これは、分かりやすく文章で
伝えるために論理的説明になっただけです。
実際はそんなに簡単な話ではありません。

頭では分かっていても、気持ちがついて
こないといった状況はよくあります。

例えば、恋愛において、別れることが
最善だと分かっていても別れられないとか、
仕事で議論している時も、相手の主張は
理解できるが、心から納得できないとか、
理解と感情が離れてしまっている状態。

self の ” 良心 ” から生まれた価値観は、
心から納得できた価値によって構築されて
います。つまり、論理的に辻褄合わせした
頭だけの価値でも、感情的に先走って
強引に作り上げた価値でもなく、
理解と感情が一致した状態の価値観です。
それは心の安定をもたらす。

偽装フィルターは、ある意味、頭だけで
作り上げたものですから、どうしても、
selfの ” 良心 ” から離れてしまう。故に、
心が不安定化する。

つまり、純正フィルターの修復プロセス
では、論理的な理解だけでなく、心から
納得できるのか、ということが大切に
なってきます。

脳は計算機のように即座に計算し、
答えを導き出す。しかし、心はそんなに
簡単に動かない。条件が良いからといって、
出会った異性をすぐに好きになるとは
限らないのと同じで、気持ちの変化に
タイムラグがあります。

フィルターの修復に時間がかかのは、
論理的理解とは別に、感情の変化に足並み
を合わせる必要があるからです。そして、
感情が少しずつ変化していく中で新たな
” 気づき ” を得たり、何かを悟ったりする。
そうやって価値観がアップデートされて
いく。それが ” 自然治癒 ” です。

では、脳と心の足並みを揃えるために
何をすべきでしょう?

現代人は忙しい。故に、結論を先急いだり、
結果を早く出したがったりする。また、
頭脳明晰の人は問題解決を焦るばかりに、
心のタイムラグを無視してフィルターを
修復しようと頭をフル回転させてしまう。
その結果、脳と心の距離が広がり、返って
メンタルバランスを崩す。

それは、修復中の傷口をあれこれ
いじくり回しているのと変わりません。

すべきことと言えば、安全な環境で
心が追いつくのを待てばよいだけですが、
多分、周りの空気をいち早く読んだり、
偽装フィルターを作ってまで対処を
急いだりする人にとっては難しいでしょう。

いずれにせよ、焦らずに心のペースに
従うしかない。

では、次に、傷を受ける前に出来る
予防的対処について考えてみましょう。

N因子から身を守る方法は、二つあります。

まず一つは、フィルターの厚みを調整する
ことです。フィルターはN因子を排除し、
P因子を吸収するものですから、本来は
N因子を通さない仕様になっている。しかし、
周りの空気が気になってしまうといった
人の場合、フィルターが薄くN因子を
排除しきれていない。

フィルターを物質的イメージとして説明
した場合はそうですが、それは ” 価値観 ”
ですから、この場合、厚みを調整する
というのは、小さな影響については無視
をするということになります。

よほど自分にとって影響のあること以外は
いちいち反応せずに、スルーしておけと
いった対処になるかと思います。そして、
よほど影響のあるN因子とは、日常生活の
中で限られてくるでしょう。

” 深く考えるな ”
” 小さなことは気にするな ”
よく耳にする定番のセリフですが、
論理的にも全く正しいアドバイスです。

無論、厚みが増すわけですから、外部環境
の変化には鈍くなります。P因子も吸収し
にくくなるというデメリットもある。

図6
純正フィルターの厚み調整

図6では、小さなN因子はフィルターを
越えられずに排除され、大きなN因子は、
通過してはいますが勢いが弱まっています。

矢の軽量化

二つ目の対処は、安全な環境の確保です。

安全な環境の確保といっても現実的に
無理だという場合もあるでしょう。

どう抗っても現実を変えることが出来ない
とすれば、もはや、すべきことは敗北を
認め、諦めるしかありません。あなたが
一人で頑張ったとしても、そこには限界が
あり、大きな岩を動かすことは出来ない。

それは ” 解決できない問題 ” です。

しかし、永久に解決できない問題という
のは現実世界に存在しません。例えば、
あなたが職場で上司のパワハラに悩んで
いるとして、解決する方法はいくつか
ありますよね。

会社を辞める。もしくは、会社自体が
倒産して全員職を失うという可能性も。
結果、職を失うという大きな問題と
引き換えに、パワハラ問題は解消します。
望まない形でしょうが。

いずれにせよ、外部環境自体を変革すると
したら、大きなコストを払わなければ
ならない。計画を立て時間が必要です。
これは今すぐ出来ることじゃない。なので、
安全な環境の確保については少し工夫が
必要だと思います。

もちろん、ネガティブな影響から距離を
置くと言ったことは、出来る限りすべき
でしょう。なるべく影響を受けないために
N因子との接触を減らす。

そして、もう一つ、N因子から放たれた
矢の全てを回避することは不可能です。
毎日、何本もの矢が飛んでくるなら、
そのうちのどれかはselfに到達するでしょう。
諦めてください。

しかし、その矢が突発的なものではなく、
持続的に飛んでくることが分かっている
なら、その矢を軽くすることは出来る。
軽ければダメージが小さい。

例えば、健康に関するN因子が存在した
とします。最近、体の調子が良くない。
あなたは不安に駆られる。何か悪い病気に
かかっているのでは・・

普通ならば、病院に行って検査をする
でしょう。そして、医師から説明を受ける。
” 数値に異常はありません。暫く様子を
見てください。また、何かあれば来て ”
と言われ、あなたは、ほっと胸を撫で
降ろす。

さて、問題解決のプロセスを単純な例
として紹介しましたが、あなたは、
一体、何をしたのか?

体の調子が悪いことであなたは悩んで
いたわけですが、それはつかみどころの
ない漠然とした不安だった。そこで、
あなたは ” 範囲の確定 ” を急いだ。

まず、大病なのか、単なる疲労なのか、
精神的なものなのか、検査によって、
大病の可能性は除外され、問題の範囲が
より限定された。この時点で不安の半分は
消失する。心理的ダメージはかなり改善
されたでしょう。

ただ、気がかりは、調子の悪さの原因が
つかめないことです。それから一週間ほど
して、体の不調が食後に顕著であることに
思い当たり、特定の食材を使った時に
起こることを突き止める。アレルギーです。

問題が完璧に確定したことで、あなたの
不安はほぼ消失する。一生、その食材を
口に出来ないという問題を抱えてしまった
のと引き換えに。

このケースであなたが行ったことは、
解決できない問題に真っ向から挑んだわけ
ではなく、問題の範囲を確定し、隔離した
だけです。問題自体は解決できていない。

つまり、抱えている問題が解決できない
とするなら、対処として正攻法なのは、
範囲を確定し、隔離することです。

例えるなら、化石を発掘するような感じ
でしょうか。周囲の土を取り除き、
こびり付いた不要な泥を削り取って、
砂を払い落とし、化石の原形だけを
ガラスケースに保管する。

何年も、何十年も。もしくは、一生。

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