空気を読むというのは、一見、良い事の
ように思えますが、歯車が狂ってしまうと、
その人自身を苦しめることにもなる。
また、空気を読むためには、常に周りに
気を配らなければならないわけですが、
裏を返せば、周りが気になって仕方がない
という場合も、いわゆる ” 空気を読む人 ”
と言えます。
今回は ” 空気を読む ” という行為と、
それによって何が起こるのか、
そのプロセスを見ていきましょう。
そこに対処のヒントがあるかもしれません。
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” いい人 ” が消える瞬間
よく気がつく人とか、さりげない優しさ
を持っている人は、自分の周囲の出来事や
様子について常にアンテナを張っている。
裏を返せば、そのアンテナは、当然、
ネガティブな電波もキャッチするわけです。
誰かが悪口を言えば引っかかりますし、
ちょっとした無作法な態度も見逃さない。
ただ、表立って口に出さないだけで。
そして、アンテナの感度が高いゆえに
周囲の人たちのネガティブな言動に
ストレスを感じやすい。
一度、ネガティブな電波をキャッチして
しまうと、そればかりが気になって、
アンテナの感度がさらに鋭敏になっていく。
結果、心をすり減らしていく。
対人関係、外部環境が良好で、キャパの
範囲内であれば、空気を読む人は周りに
気を配る ” いい人 ” で居られるのです。
ただ、外部環境に影響を受けやすいという
性質が仇となり、周りと歯車が噛み合わず、
キャパオーバーに達すると、その笑顔が
失われ、メンタルが脆くも崩れ去る。
それまで周囲から ” いい人 ” だと思われ、
職場での評価も高く、社交的だった人が、
突然、鬱になり、パタッと職場に来なくなる。
” 昨日まで、元気だったのに・・ ”
同僚たちは、気づかなかったのでしょう。
その人の笑顔が数日前からぎこちなかった
ことに。
*
大抵、大人になれば誰でも、世の中の
厳しさ、理不尽さを体験し、生きていく
上で ” いい人 ” であり続けることが困難
であることを学びます。
他者には親切でありたいと願っていても、
恩を仇で返す心無い人間もいれば、最初から
騙すつもりで近づいてくる人間もいる。
筆者にも経験があります。玄関のベルが
鳴り、顔を出すと、ボランティア団体を
名乗る女性が立っていた。フェアトレード
に関する活動をしているということでした。
” フェアトレード ” とは、途上国で生産
された作物を適正価格で買い取ることを
目的とするものです。女性は寄付を求め、
コーヒー豆を二箱買ってくれと言います。
価格を尋ねると結構な値段だったので、
筆者は一箱だけ購入しました。
後日、その団体についてインターネットで
調べていると、同様の団体を語った手口で
被害が出ているという注意喚起の書き込み
を見つけました。
その団体は存在しなかったのです。
*
親切にリスクが伴うと知った時、人は
親切をやめ、無表情な冷たい仮面を被る。
そして、誰かが困っていても見て見ぬふり
をするようになる。その時、ある種の
嫌悪感を持つ。イジメを目撃したが、
何もしなかった時の胸元に残る苦々しさ
と同じ、あれです。
実は、数日前から同僚の何人かは、
” いい人 ” の笑顔に異変が起こっている
ことに気づいていた。
でも、誰も声をかけなかった。だって、
面倒事に巻き込まれたくないから・・
とは言え、消えようとしている ” いい人 ”
から空気を感じ取ってしまった事実は
変わりません。それは、紛れもなく
” 読みたくもない空気 ” ですが、それが
ストレスに感じてしまう。
不条理な世の中を生きていれば、
” 良心 ” を試される瞬間が様々な場面で
あります。その時、社会という集団の中で
空気を察知してしまった私たちは決断を
迫られる。
目を背けるか、もしくは、向き合うか。
多分、それに立ち向かえる人は、極少数
でしょう。大半の人間は前者を選択する。
そして、それは私たちが本来持っている
” 良心 ” の否定ですから、その自己否定に
苦しむことになる。
ただ、私たちは大人ですから、思春期の
若者のようにセンチメンタルに浸ったり、
誰かを指さして他人のせいにするといった
格好悪いことができない。
そこで大人たちは、言い訳を考え出す。
” 世の中、綺麗ごとじゃ生きていけない。
私は現実主義者だ ”
良心を否定したことを正当化するため、
現実主義者の仮面をつけるのです。故に、
同調圧力や権力に逆らえない長いものに
巻かれる人は、大抵、” 現実主義者 ” を
名乗る。
人から格好悪いと思われないように、
現実主義者を気取ることもあれば、
被害者よりも加害者であることを選び、
悪事に自ら手を染める人もいる。
いずれにせよ、私たちは冷静に現実を
受け止めたが故に現実主義に至ったのでは
なく、単に ” 良心 ” を守れなかった言い訳
として現実主義者になったのです。
フィルタリングの失敗
多くの人は、抗えない現実を経験し、
” 良心 ” を封印する。そして、それを
正当化するために現実主義者になる。
本来は望んでいなかった薄汚れた大人に
なってしまった自分。抵抗できなかった
臆病な自分。自己否定によって傷ついた
プライドを修復するため、私たちは
自己肯定感を渇望するようになる。
しかし、よく考えてみると奇妙な状況です。
自ら良心を裏切り、自分で自己否定して
おきながら、後から言い訳で自己肯定を
行っているわけですから。最初から良心を
裏切らなければ問題は起こらなかった。
臆病でプライドの高い人は、このジレンマ
に陥りやすい。
*
では、空気を読むことによってジレンマ
が生まれるまでのプロセス、心の中で何が
起こっているのかを順を追って見ていき
ましょう。
まずは、” 空気を読む ” とは、厳密には
何を意味しているのか?
それは外部環境を認識することであり、
その認識には影響を受けるリスクが
伴います。こんな感じでしょうか。
図1
中央の円が自己であり、周りに散らばって
いるのが、外部環境に存在する ” 影響を
発信する因子 ” です。因子には、PとNが
あり、Pは自己にとってポジティブな存在、
Nはネガティブな存在。矢印はそれらから
受ける実際の ” 影響 ” です。
” 空気を読む ” とは、こちらからわざわざ
読みに行くというイメージがありますが、
実際、問題となりやすいのは、向こう側から
読みたくもない空気がやってきた場合です。
言い方を変えるなら、気にし過ぎて影響を
受けてしまうという状況。
ポジティブな影響は円を通過し ” self ” に
到達していますが、ネガティブな影響は、
円の外側で跳ね返っています。これは、
私たちが日常的に行っていることです。
自己を守るために、都合の悪いことから
目を反らし、都合の良いことは受け入れる。
外部環境に全く影響を受けない鉄の心を
持っている人はいません。誰であっても、
生きていく中で、図1のような処理を
行っているでしょう。とは言え、常に
N因子から放たれた影響を跳ね返せる
というわけではなく、それが円を通過し、
” self ” に刺さってしまうこともある。
外部環境がネガティブな因子ばかりで、
絶えずそれらが放つ影響に晒され続ければ、
全てを防ぎきることは難しいでしょう。
*
さて、図1に戻ります。中央に ” self ” と
書かれた四角形がある。これは私たち自身
であり、あなた自身です。
先ほどは、中央の破線で描かれた円を
” 自己 ” と表現しましたが、厳密に言うと、
円は ” 価値観 ” を意味します。それは、
自身があるべき理想像であり、善悪の観念、
受け入れるべき影響と受け入れざる影響の
判別基準でもある。人生における ” 指針 ”
と言ってもよいでしょう。
そして、この円は、” self ” が本来持つ
” 良心 ” を基礎に形成される。
ある意味、円は外部環境の影響から自身を
守るためのフィルターのような役割を
果たしています。価値観に合うものと、
そうでないものを判別し、受ける影響の
選択をするわけです。
では、防ぎきれなかったネガティブな影響
によって、心が傷つくプロセスを見て
いきましょう。
図2
図2では、ネガティブな影響を跳ね返す
ことが出来ずに self に到達しています。
そして、フィルタリングに失敗した円は
凹んで外形が崩れてしまう。
ここで私たちは、信じていた価値観では
対応できない影響が存在することを認識し、
心に動揺が生じる。
フェアトレード詐欺に騙された筆者の場合
ですと、” 寄付のために、わざわざ人を
疑わなければいけない ” という事実を認識
したわけです。それまで筆者の価値観は
” 寄付 = 良いこと ” でしたから、この
ケースで対応出来なかった。
” 自分の価値観は正しいのか? ”
この動揺が、私たちにストレスを与える。
形が綺麗な円なら、私たちのメンタルは
健康でいられるのですが、図2の状態に
なると、作り上げた価値観に自信を失い、
自己肯定感が下がっていく。
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偽装フィルターの構築
self の周囲を取り囲む ” 価値観 ” は、
私たちにとって外気から身を守る衣類、
もしくは、家のようなものです。
価値観とは、生きていく上でのノウハウ
であり、注意点をまとめた外部環境取扱い
説明書です。それが無ければ、私たちは
素っ裸で外を歩かねばならない。
そうなれば、たちまち傷だらけになり、
風邪を引いてしまうでしょう。外部環境と
共生していくには、間に緩衝材としての
” 家 ” が必要なのです。
とは言え、フィルターが全てを防いで
くれるわけではありません。先ほども
話したとおり、保護機構が働かず、
通過してしまう影響もある。そういった時
” self ” は傷を受ける。
さて、ネガティブな影響によって損傷した
フィルターは、その後どうなるのか?
無論、修復されるのですが、絆創膏を
張り付けて簡単に治るものではない。
それは ” 価値観 ” ですから、なかなか
変えることが出来ない。自分が信じ続けて
いたものが壊れてしまったわけですから。
ここで私たちが取りうる対処は、
二通りあります。
一つは、状況を受け入れ、心の成長による
自然治癒を待つ。もう一つは、
フィルターが壊れていない ” 振り ” をする。
自身の価値観に固執すると、敗北を認める
ことが出来なくなります。ネガティブな
影響によってフィルターの弱点が露呈した
として、それを認めれば価値観の否定。
つまり、それを築き上げた自己否定です。
” 自分の考えが間違っていたわけじゃない ”
自己肯定感が強くプライドの高い人ほど、
自身の考えを変えることに抵抗を示す。
プライドとは、フィルターへの信頼度です。
*
さて、フィルターの損傷に直面して行う
” 傷ついていない振り ” とは、具体的に
どのようにして行われるのでしょう?
図3
図3では、元々あったフィルターを覆い隠す
ように偽装フィルターが形成されています。
フィルターは ” 価値観 ” ですから、外から
目で確認できるわけではなく、あくまで
自己認識の中に存在するものです。だから、
誰にもダメージを知られることなく、
あたかも最初からそうだったという顔を
していれば体裁は取り繕える。
” 最初からこういう考えですけど、何か? ”
自身に嘘をついた瞬間。つまり、価値観の
否定を避け、自己肯定感を守るために偽装
を行うのです。
さて、元々存在した純正フィルターと、
偽装フィルターは何が違うのでしょう?
純正フィルターは、ネガティブな影響を
防ぎきることが出来ず損傷した。それを
踏まえて偽装フィルターはネガティブな
影響に対応する形でアップデートされる。
とは言え、ネガティブな影響を跳ね返せる
ように改良されたわけではありません。
結局、跳ね返すほどの実力がないという
事実は変えられないので、価値観の方を
作り変えるのです。
つまり、ネガティブな影響を肯定する。
例えば、権力に逆らえない人が、あえて
権力者の意見になびく心理とは、これです。
自分から賛成しておけば、価値観の否定
にはならず、自己肯定感を守ることが
出来る。
” 権力者の意見は正しい。正しいと思う
から従っているのであって、権力に
逆らえないから従っているわけじゃない ”
という言い訳が成り立つ。
しかし、実際は、こういう状態です。
図4
偽装フィルターは、ネガティブな影響を
肯定し、受け入れるように作られたもの
ですから、放たれた二本目の矢は、
フィルターを通過します。そして、内部に
隠された純正フィルターは破壊される。
もし、外部環境にN因子の数が多ければ、
偽装フィルターは次々に矢を内側へと通過
させてしまうでしょう。そうやって純正の
フィルターは、自然治癒が追いつかない
スピードで破壊されていく。
偽装フィルターの愛用者から次のような
意見があるかもしれません。
” 私の考えは言い訳じゃない。
正しいことを正しいと言って何が悪い ”
ここで ” 正しさ ” の定義をはっきりさせて
おいた方がよいでしょう。それは世間的に
常識となっている正しさでも、論理的に
整合性があるという意味の正しさでも
ありません。
決めるのは、” self ” です。
selfが納得できなければ、それは誤りであり、
同意できれば、それがその人にとっての
” 正しさ ” です。別の言い方をするなら、
” 魂による判断 ” でしょうか。論理や
一般常識は関係ありません。
だから、純正フィルターであっても、
何を通すか、何を通さないかは、
人それぞれです。例えば、あなたにとって
苦手な人でも、別の人にとってはそうでは
ないといった場面があるでしょう。
” 何であんなのと付き合えるの?
私、絶対無理なんだけど ”
” え、何がいけないの? ”
誰かにとってはN因子であっても、別の
誰かにとってはP因子であるといったことは、
実際ありえます。
修復のプロセス
言うなれば、純正フィルターは、
selfの ” 良心 ” から生成された天然物。
そして、偽装フィルターは、外部環境の
常識、論理といった素材を元に作られた
人工物です。
ここで重要なのは、偽装フィルターを
構築し、N因子を肯定することで価値観の
否定を回避できたとしても、本当の意味
での回避になっていないという点です。
それは後から都合よく作られた人工物を
守っているに過ぎず、実際には、価値観も
自己肯定感も守れていない。
ただ、それが偽装であっても 一応、
自身の作り上げたものですから、ある意味、
” 人工的価値観 ” です。
言わば、偽装フィルターを構築し、それを
守ることで自己満足を得ようとする行為は
” 錯誤 ” と言えます。
例えるなら、ゲームプレイ中にアバターに
食事をさせて実際の空腹感を満たそうと
する行為と同じです。
なので、偽装フィルターを使って自己肯定
したところで、どこか物足りなさを感じる
ことになる。そして、永久に得られない
満足感、達成感を求めるようになります。
そこで偽装フィルターが、本物であること
を対外的に証明すれば満足感を得られると
考え、より偽装の価値観を固めようとする。
論理武装の心理です。
しかし、誰かに ” 自分の考えは正しい ” と
理詰めで説得しても満足感には繋がらない。
そもそも、self が納得していないから。
ここで、少し余談ですが、
心理学には ” 認知的不協和 ” という概念
があります。自己の中に矛盾があると
不快感を生じる心理。自身が過去行った
主張に囚われ、主張を変えられなくなる
のもその一つです。
ただ、筆者は認知的不協和は存在しない
と考えています。それは自己矛盾に対する
不快感ではなく、価値観の否定によって
起こる。
つまり、矛盾とは価値観の綻びですから、
自身の価値観に執着するほど、それを
認めることが出来なくなる。
もし、認めれば脆弱な価値観を作った
自身の能力の低さを認識することになり、
結果、自己否定に陥る。
要は、小学校の美術の授業で自分の絵を
周りの生徒に馬鹿にされた時の恥ずかしさ
と同じです。
つまり、価値観とは、
その人にとっての ” 作品 ” です。
*
さて、偽装フィルターを使わずに、
本来、取るべき対処とは、どういった
ものになるのでしょう?
先ほども言いましたが、自然治癒を待つ
ことが、最も適切な対処だと筆者は
考えます。それは、価値観が変化していく
過程そのものですから、傷ついた皮膚が
再生していくように時間がかかる。
皮膚の再生について、少し考えてみます。
例えば、転んで擦りむいた膝にすることは、
まず、汚れを落とし消毒します。次に
軟膏を塗って乾燥を防ぎ、抗菌状態を作る。
最後にガーゼで覆う。
ここで行っている処置とは、自然治癒の
邪魔になる要素を排除し、外部から隔離し、
状態を温存することです。積極的に何か
しているわけではない。
そもそも、傷ついた純正フィルターは
” 価値観 ” ですから、実際には皮膚のように
ほっておけば勝手に治るといったものでは
ありません。ただ、日常生活を送りながら、
少しずつ自分が受けた傷について理解を
深めていくといったことで治癒される。
具体的には、何を妥協すべきか、妥協せず
にすむことは何か、修正すべきことは何か、
自分に出来ることは何か、そういった反省
を行うことで少しずつ心が変化し、傷が
修復されていく。
筆者の場合ですと、善意を利用され金銭を
騙し取られたことによって、それまでの
” 寄付=良いこと ” という価値観が一旦は
壊れます。
今回の件で筆者の中に、寄付を装った詐欺
の可能性もあるという認識が生まれた。
それを踏まえて、これまでの価値観に
” 実態がある ” という新たな条件が追加され
” 実態のある寄付=良いこと ” という価値観
にアップデートされる。
詐欺被害に遭って感情的になり、
” 寄付なんてするべきじゃない ” とか、
” 世の中は信用できない。善意は無意味 ”
というような極端な結論に至ることは
ありません。それは飛躍し過ぎですし、
それを新たな価値観に置けば、筆者は
もっと生きづらい人生を送らなければ
ならないでしょう。
” 実態の確認 ” という面倒な仕事が増えて
しまったのは、筆者にとって妥協であり、
敗北です。しかし、それをあえて受け入れ、
他の価値観との整合性を守ったわけです。
このケースは単純な価値観なので、変化
に時間はかかりませんでしたが、それが
複数の価値観と関連しあう複雑な問題で
あっても基本的には同じです。
図5
図5では傷が修復され、最終的に円の形状を
取り戻しています。ただ、右の円は少し
小さくなっている。それは妥協によって
” 自由 ” が減ったことを表していますが、
重要なのは、円が美しい形であるかどうか
です。それが歪であれば私たちのメンタル
は不安定になる。
円の大きさは、極端に小さくない限りは
あまり気にしない方がよいでしょう。
例えば、私たちは時価総額1兆円の企業を
買収できないからといって苛々したり
しません。誰もが身の丈にあった円の中で
人生を送っている。もし、あなたが
億万長者だというなら話は別ですが。
脳と心
ここで ” 脳 ” と ” 心 ” について話して
おくべきでしょう。
価値観とは、どちらかと言えば ” 脳 ” に
よって作られるイメージがあります。
先ほど挙げた筆者のケースでも適切な
対処を論理的に導き出しているように
見える。これは、分かりやすく文章で
伝えるために論理的説明になっただけです。
実際はそんなに簡単な話ではありません。
頭では分かっていても、気持ちがついて
こないといった状況はよくあります。
例えば、恋愛において、別れることが
最善だと分かっていても別れられないとか、
仕事で議論している時も、相手の主張は
理解できるが、心から納得できないとか、
理解と感情が離れてしまっている状態。
self の ” 良心 ” から生まれた価値観は、
心から納得できた価値によって構築されて
います。つまり、論理的に辻褄合わせした
頭だけの価値でも、感情的に先走って
強引に作り上げた価値でもなく、
理解と感情が一致した状態の価値観です。
それは心の安定をもたらす。
偽装フィルターは、ある意味、頭だけで
作り上げたものですから、どうしても、
selfの ” 良心 ” から離れてしまう。故に、
心が不安定化する。
つまり、純正フィルターの修復プロセス
では、論理的な理解だけでなく、心から
納得できるのか、ということが大切に
なってきます。
脳は計算機のように即座に計算し、
答えを導き出す。しかし、心はそんなに
簡単に動かない。条件が良いからといって、
出会った異性をすぐに好きになるとは
限らないのと同じで、気持ちの変化に
タイムラグがあります。
フィルターの修復に時間がかかのは、
論理的理解とは別に、感情の変化に足並み
を合わせる必要があるからです。そして、
感情が少しずつ変化していく中で新たな
” 気づき ” を得たり、何かを悟ったりする。
そうやって価値観がアップデートされて
いく。それが ” 自然治癒 ” です。
では、脳と心の足並みを揃えるために
何をすべきでしょう?
現代人は忙しい。故に、結論を先急いだり、
結果を早く出したがったりする。また、
頭脳明晰の人は問題解決を焦るばかりに、
心のタイムラグを無視してフィルターを
修復しようと頭をフル回転させてしまう。
その結果、脳と心の距離が広がり、返って
メンタルバランスを崩す。
それは、修復中の傷口をあれこれ
いじくり回しているのと変わりません。
すべきことと言えば、安全な環境で
心が追いつくのを待てばよいだけですが、
多分、周りの空気をいち早く読んだり、
偽装フィルターを作ってまで対処を
急いだりする人にとっては難しいでしょう。
いずれにせよ、焦らずに心のペースに
従うしかない。
*
では、次に、傷を受ける前に出来る
予防的対処について考えてみましょう。
N因子から身を守る方法は、二つあります。
まず一つは、フィルターの厚みを調整する
ことです。フィルターはN因子を排除し、
P因子を吸収するものですから、本来は
N因子を通さない仕様になっている。しかし、
周りの空気が気になってしまうといった
人の場合、フィルターが薄くN因子を
排除しきれていない。
フィルターを物質的イメージとして説明
した場合はそうですが、それは ” 価値観 ”
ですから、この場合、厚みを調整する
というのは、小さな影響については無視
をするということになります。
よほど自分にとって影響のあること以外は
いちいち反応せずに、スルーしておけと
いった対処になるかと思います。そして、
よほど影響のあるN因子とは、日常生活の
中で限られてくるでしょう。
” 深く考えるな ”
” 小さなことは気にするな ”
よく耳にする定番のセリフですが、
論理的にも全く正しいアドバイスです。
無論、厚みが増すわけですから、外部環境
の変化には鈍くなります。P因子も吸収し
にくくなるというデメリットもある。
図6
図6では、小さなN因子はフィルターを
越えられずに排除され、大きなN因子は、
通過してはいますが勢いが弱まっています。
矢の軽量化
二つ目の対処は、安全な環境の確保です。
安全な環境の確保といっても現実的に
無理だという場合もあるでしょう。
どう抗っても現実を変えることが出来ない
とすれば、もはや、すべきことは敗北を
認め、諦めるしかありません。あなたが
一人で頑張ったとしても、そこには限界が
あり、大きな岩を動かすことは出来ない。
それは ” 解決できない問題 ” です。
しかし、永久に解決できない問題という
のは現実世界に存在しません。例えば、
あなたが職場で上司のパワハラに悩んで
いるとして、解決する方法はいくつか
ありますよね。
会社を辞める。もしくは、会社自体が
倒産して全員職を失うという可能性も。
結果、職を失うという大きな問題と
引き換えに、パワハラ問題は解消します。
望まない形でしょうが。
いずれにせよ、外部環境自体を変革すると
したら、大きなコストを払わなければ
ならない。計画を立て時間が必要です。
これは今すぐ出来ることじゃない。なので、
安全な環境の確保については少し工夫が
必要だと思います。
もちろん、ネガティブな影響から距離を
置くと言ったことは、出来る限りすべき
でしょう。なるべく影響を受けないために
N因子との接触を減らす。
そして、もう一つ、N因子から放たれた
矢の全てを回避することは不可能です。
毎日、何本もの矢が飛んでくるなら、
そのうちのどれかはselfに到達するでしょう。
諦めてください。
しかし、その矢が突発的なものではなく、
持続的に飛んでくることが分かっている
なら、その矢を軽くすることは出来る。
軽ければダメージが小さい。
*
例えば、健康に関するN因子が存在した
とします。最近、体の調子が良くない。
あなたは不安に駆られる。何か悪い病気に
かかっているのでは・・
普通ならば、病院に行って検査をする
でしょう。そして、医師から説明を受ける。
” 数値に異常はありません。暫く様子を
見てください。また、何かあれば来て ”
と言われ、あなたは、ほっと胸を撫で
降ろす。
さて、問題解決のプロセスを単純な例
として紹介しましたが、あなたは、
一体、何をしたのか?
体の調子が悪いことであなたは悩んで
いたわけですが、それはつかみどころの
ない漠然とした不安だった。そこで、
あなたは ” 範囲の確定 ” を急いだ。
まず、大病なのか、単なる疲労なのか、
精神的なものなのか、検査によって、
大病の可能性は除外され、問題の範囲が
より限定された。この時点で不安の半分は
消失する。心理的ダメージはかなり改善
されたでしょう。
ただ、気がかりは、調子の悪さの原因が
つかめないことです。それから一週間ほど
して、体の不調が食後に顕著であることに
思い当たり、特定の食材を使った時に
起こることを突き止める。アレルギーです。
問題が完璧に確定したことで、あなたの
不安はほぼ消失する。一生、その食材を
口に出来ないという問題を抱えてしまった
のと引き換えに。
このケースであなたが行ったことは、
解決できない問題に真っ向から挑んだわけ
ではなく、問題の範囲を確定し、隔離した
だけです。問題自体は解決できていない。
つまり、抱えている問題が解決できない
とするなら、対処として正攻法なのは、
範囲を確定し、隔離することです。
例えるなら、化石を発掘するような感じ
でしょうか。周囲の土を取り除き、
こびり付いた不要な泥を削り取って、
砂を払い落とし、化石の原形だけを
ガラスケースに保管する。
何年も、何十年も。もしくは、一生。
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