空気を読むことのリスク|気配りに疲れたら

空気を読むというのは、
一見、良い事のようにも
思えますが、

歯車が狂ってしまうと、その人
自身を苦しめることにもなる。

例えば、空気を読むためには、
常に周りに気を配らなければ
ならないわけですが、

裏を返せば、周りが気になって
仕方がないという人も、
いわゆる ” 空気を読む人 ”
なのです。

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歯車が狂うとき

よく気がつく人とか、
さりげない優しさを
持っている人も、はやり、
自分の周辺の出来事や
様子について、常に
アンテナを張っている。

そのアンテナは、当然、
ネガティブな電波も
キャッチするわけです。

誰かが、悪口を言えば、
引っかかりますし、
ちょっとした無作法な
態度も見過ごさない。

そこで、メンタルの弱い人は、
アンテナの感度が高いゆえに、
周囲の人たちのネガティブな
言動にストレスを感じやすい。

そして、一度、ネガティブな
電波をキャッチしてしまうと、
そればかりが気になって、
アンテナの感度がさらに
鋭敏になっていく。

その結果、神経を
すり減らしていくのです。

*

例えば、特定の人のことが、
どうしても気になって
しまうということがあります。

それは、恋愛感情として、
異性に対する場合もありますが、
同性どうしであっても、

” あいつよりも、俺の方が・・ ”
” なぜ、あの人ばかりが・・ ”

というような比較対象として
個人を意識してしまうのも、
一つの執着心です。

相手よりも、自分が優位
でありたい、誰かと比べて
自分の存在価値を明確にしたい
という欲求によって、他人の
行動を逐一、チェックしてしまう。

*

インターネット上では、
有名人の ” アンチ ” と
呼ばれる人たちがいますが、
結局、彼らは、その有名人
のニュースを常に監視し続ける
ある意味、” コアなファン ”
と言えます。

この特定に人の言動に過剰に
反応し過ぎている状態も
” 空気を読む力 ” が 暴走
してしまった結果なのだと
思います。

それが、特定の人間に
対するものであっても、
不特定多数の周囲の人たち
に対するものであっても、

結局、自分を見失い
何をするにも、他人本位
になってしまうという
リスクが、” 空気を読む ”
ことには潜んでいる。

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ゼロ・ダーク・サーティ

過剰に空気を読んでしまう
ことで、返って、他人の
言動に振り回されたリ、
自身を苦しめるというなら、
筆者は、むしろ、
” 空気を読めない人 ”
であるべきだと思います。

自分をよりネガティブな
方向へと導かないために
他人への執着を一旦、切り離す。

空気を読むことにエネルギー
を浪費して疲れてしまう前に、
外側に向けられた視点を
内側へ戻すために。

*

ただ、執着し続けている人は、
相手の足を引っ張ることや
比べた先に ” 希望 ” が
あると思い込んでいますから、
多分、誰に忠告されても
聞く耳を持たないでしょう。

( そのような人は、そもそも
この記事を読むことは
ないでしょうが・・ )

しかし、もし、小さなことに
こだわって、狭い世界で
生きている自分に嫌気が
差しているというなら、
それこそが、本当の意味の
” 希望 ” なのです。

*

人は、本来、
自由であるべきです。

誰かと比較されるために
そして、誰かに勝つために
人生があるわけではない。

アスリートですら、
最後は自身との闘いです。

誰かに勝つための人生を
送り続けていると、
いつの間にか見落として
しまうのです。

もっと、別の生き方が
あるということを。

*

2012年に公開されたアメリカ映画
” ゼロ・ダーク・サーティ ” では、
同僚を失ったCIA分析官マヤが、
執念によって、貿易センタービル
のテロを指示した首謀者
ビン・ラディンを追跡します。

最後は、長い時間をかけた
綿密な追跡捜査が実を結び、
彼女はターゲットの居場所
を突き止め、急襲部隊を
送り込む。

そして、ようやく彼岸で
あった首謀者を仕留める
ことが出来た。

この映画の最後に、
輸送機に搭乗するマヤに
何気に操縦士が尋ねるのです。

” どこへ行く? ”

彼女は、それに
答えることが出来ず、
暫くの沈黙の後、
一滴の涙を流すのです。

復習を遂げた後に彼女に
あったのは、満足感でも
達成感でもなく、ただ、
人生の長い時間をこのため
だけに費やした虚しさと、
悲しみだけだった。

*

仮に、あなたに見返したい
相手がいたとします。

それを見返すことが
出来たとして、果たして、
その後に何が残るのでしょう?

何も・・

本当に、何も残らない。

嘘だと思うなら、人生の
貴重な時間を費やして、
試してみてください。

他人本位に生きる
ということは、
どういうことか。

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空気を読むことに疲れたら

もし、あなたが、空気を
読むことに疲れてしまった
のなら、

また、誰かと比較する
生き方に疲れてしまった
のなら、

それを止めるべきです。

周りから、
” 空気が読めない奴だ ”
と言われてしまうかも
しれない。

勝負に負けた脱落者だと
言われるかもしれません。

しかし、それは、
他人に振り回されて
人生の貴重な時間を失う
ことに比べれば、とても
些細な敗北に過ぎない。

*

周囲にさりげなく気を
配ることが出来ることは
立派ですが、そのために
アンテナを張って、余計
な雑音を拾うこともある
でしょう。

周囲に翻弄されながらも、
自分を維持しなければならない。

強いメンタルが必要です。

メンタルに自信が無いというなら、
無理に気配り上手になる必要は
無いと思います。

無理矢理すれば、
自分を苦しめることになる。

*

気配りがストレスになれば、
その人は、さらに心のゆとりを
失うことになるでしょう。

遅かれ、早かれ、
気配りをし続けることは
難しくなっていく。

そう見せかけることは可能でも、
実際は、人はそれほど強くは
ないのです。

*

人が、最も魅力的に見える
瞬間とは、どんな時か?

筆者は、その人が自然体
であるときだと思います。

理想の人物を演じている
人ではなく、そうではない
自分を許して生きている人。

と言っても、空気を全く、
読んではいけないと言って
いるわけではありません。

自分を苦しめてまで、
するほどのことではない
と言いたいのです。

*

弱くてもいい。

自然体でいてください。

 

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