運命は変えられる?|未来を知ることの意義

人は、未来を知りたがる。

未来を知ることが出来れば、人生を思いどおりにコントロール出来るかもしれない。

それが都合の悪い未来なら回避するために努力するでしょう。都合の良い未来ならば、そのチャンスを最大限に生かそうとする。

何らかの方法によって未来を予知することが、もし、出来るとしたら・・

果たして、未来を変えることは出来るのでしょうか?

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” 未来を変える ” という意味

未来を変えるためには、まず、予定された未来を知らなければなりません。

例えば、明日、会社に出勤する未来があるとしましょう。それは、健康状態や交通手段に問題が無ければ、ほぼ、確定した未来です。

そうなると、この場合 ” 未来を変える ” としたら、明日、会社を休むという選択をすることになります。

いや・・

元々” 未来を変える ” と言って、明日、会社を休むという選択をするという未来だったのかもしれない。

ならば、” 会社を休む ” という未来を変えてみましょう。

しかし、それも、結局は裏の裏は表となり、最初から会社に行く未来だったのかもしれない・・

一体、何が、私たちの ” 未来 ” なのでしょう?

つまり、未来を変える行為自体が ” 未来 ” の範囲に含まれているかもしれないということです。

このように、” 未来 ” とは、どこまでの範囲を指しているのか、そもそもが曖昧ですから、その ” 未来 ” というものを変えることが出来たかどうかを検証することは、事実上、不可能です。

ならば、未来は全てが確定しており、変えることは出来ないとするならばどうでしょう?

つまり、運命として、全ては予め定められている。

これについても同じことが言えます。例えば、ある青年が、” どうせ、未来は決まっているのだから、努力しても無意味だ ” と言って諦める。

その諦めさえも、最初から確定した未来の出来事だったとしたら?

逆に、青年が奮起して、” 運命は自分で切り開くものだ ” と言って、人一倍努力し、何らかの目標を達成したとします。

それは、彼が運命を自ら切り開いたのではなく、最初から彼の行動の全てが決められていた未来だった。

要するに ” 運命に逆らう ” という運命に従って彼は動いていた。としたら・・・

つまり、こういうことです。

私たちは、” 運命 ” の範囲外に出ることは出来ない。

範囲外に出られないのですから、何が運命で、何がそうでないのかを判別することも出来ない。

判別するためには、運命では定められていない領域を認識しなければならないが、私たちには、その能力は無い。

ただ、次のように言うことも出来る。

全てが確定しているというなら、逆を言えば、全てが未確定であるということです。

あなたがどんな選択をしようと、それは全て確定された未来。つまり、あなたの行動に制限は何一つかからない。

完全なる自由

どれを選択しても、それが運命に従っているというなら、あなたは何を選択してもよいのです。

運命を言い訳にして諦めてもいいし、諦めずに努力を続けてもいい。

あなたが裏をかいても、裏の裏をかいても、運命の範囲外に出ることは出来ない。

つまり、生きて行く上で ” 運命 ” について、あれこれ考えて選択する必要など無いということです。

さて、誰もが未来を知りたがるわけですが、その根底には未来を知ることで誤った選択を避けたいという心理が働いているからです。

つまり、未来を知りたがる人は、未来は不確定で運命を変えることが出来ると思っている。

例えば、転職を考えている人が占い師に占ってもらったとしましょう。水晶玉をのぞいた占い師は次のように言う。

” 転職はやめた方がいい。良くない未来が待っている ”

彼は転職を諦め、今の仕事を続けることに。

ここで問題なのは、彼の ” 運命は変えられる ” という信念によって、転職するか、しないか、という二つの選択肢を、実質、一つに制限していることです。

つまり、未来は自分の選択によってコントロール出来ると信じる人は、それ故に、選択に不要なバイアスがかかり、自身の可能性を自ら狭めている。

むしろ、全ての運命は初めから決められており、自分の力では変えることが出来ないという方が ” 完全なる自由 ” を得られる。

この場合の占い師のアドバイスは、予定されていた出来事。彼の行った選択は現実世界の ” リアルな選択 ” です。

あなたが自分の力を発揮して、何かを変えようとすることすら、運命の範囲内ですし、自分の力では変えることが出来ないと言って、努力をやめてしまったとしても、それも運命の範囲内です。

つまり、あなたには ” 自身の力 ” を使うか使わないかという裁量が与えられている。

結局は、全てが運命の範囲内なのですから、必要なら好きなように使えばいいのです。そして、それによって、あなたは変えることが出来る。

運命ではなく、現実を。

そっちの未来は分からない

さて、何らかの方法によって、例えば、予知夢とかタロットカードによって未来を知ることが出来たとしましょう。

仮に、未来を知ったからと言って、それを回避したり、コントロールすることが出来るかどうかは、また、別の話です。

コントロールしているように見えているだけで、実は神の手の上で転がっているだけなのかもしれない。
 
先ほどの占い師のアドバイスを信じて、転職を諦めた人は本当に危機を回避したのでしょうか?

結局、転職という選択をしなかったわけですから、選択した場合の未来を検証することは永久に出来ない。

” 運命は、変えられるのか? ”

この問いかけ自体が、無意味です。

一度、選択してしまえば、別の選択をした場合の未来など、確かめようが無いからです。

しかし、実際に、私たちは未来に予測される悪い出来事を回避するために様々な努力をします。例えば、老後が不安ならば貯蓄をする。万が一のために保険に入る。将来のために勉強をする。

この場合の ” 未来 ” とは、単なる予測としての未来です。だから、保険を使う機会が来ないかもしれない。

ただ、それが私たちが出来る未来に対する最大限の努力であることには違いないのです。

こうした現実的な予測ではなく、本当の未来、言い変えるなら ” 運命 ” は、変えることが出来ないと言うより、変えることが出来るかどうかを確かめる術が無い、と言う方がいいでしょう。

ただ、人は、未来をより良いものにしたいがために ” 運命 ” という限りなく不確かなものに関心を抱く。

運が良いとか、運が悪いということを気にする。

場合によっては、” 運命 ” という曖昧な概念に囚われるあまり、人生の選択肢に制限を設けてしまう。

この曖昧な概念である ” 運命 ” というものについて、あれこれ頭を悩ます必要があるのでしょうか?

そもそも ” 運命 ” にそれだけの時間を費やす価値があるのでしょうか?

” 運命 ” とは、一体、何でしょう?

 

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