自分の居場所が無いと思ったら|知っておいて欲しいこと

” 自分には、居場所が無い ”

会社勤めの青年が、そう言ったのです。
筆者は、その時、アドバイスらしきことは
何も言えませんでした。

例えば、日曜日にテレビの前でゴロゴロ
していると、掃除機の先でつつかれて
妻に家を追い出されるとか、
隣の部屋から音楽が聞こえて、集中が
出来ないと受験生が図書館で勉強するとか、

これも、ある意味、” 居場所が無い ” と
言えるかもしれません。

しかし、青年の場合は、もう少し深刻な
心の悩みだったのです。

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” 居場所 ” って何?

そもそも ” 居場所 ” とは何でしょう?

先ほどの例のような物理的な問題ではなく、
精神的な辛さ。

青年を苦しめていた
それは、一体、どこから来るのでしょう?

青年に経緯を尋ねます。

彼は、職場で誰にも期待されることも、
頼られることも認められることもなく、

” 自分は何のために、ここにいるのだろう? ”

日々、自問を繰り返してたと言います。
そして、同じ職場で働く仲間の視線が、
何となく冷たく感じる。

” 給料泥棒 ” と言われ、
後ろ指をさされているようで。

つまり、彼を苦しめていたものは
” 疎外感 ” なのです。

例えば、学生時代、放課の教室で誰にも
話しかけられず独りぼっちでいる時に
感じるあの寂しさ。

知り合いのいないパーティーに参加して、
賑やかな場所で、ただ一人立っている時の
あの寂しさ。

自分という存在が無視されて、いなくても
誰も困らないという悲しい状況。

そう。

誰もが、人生で一度は体験したことのある
あの ” 疎外感 ” です。

しかし、これらは実際に居場所が
奪われてしまうという事とは少し違います。

教室には自分の座る椅子がありますし、
パーティー会場からつまみ出された
わけでもない。

職場で誰にも期待されなくとも、一応の仕事
はあるでしょうし、それに対する対価は
支払われる。

つまり、青年の言う ” 居場所が無い ”
という表現を正確に言うなら ” 居づらい ”
ということです。

そこに居ることは可能だが居ることが苦痛
だという状態。

ちょっとした実験

では、ここでちょっとした実験を
してみましょう。

青年の働いているオフィスに行き、社員が
使うデスクに全て仕切りを付けてみます。
映画でよく見る海外のオフィスのように、
社員が半個室の中で仕事をする感じですね。

どの社員がどんな仕事をしているのか、
他の社員からは見ることが出来ない。

仕事を必死でやろうと、パソコンで
こっそりソリティアをしていようと
他の社員に知られることはありません。

逆に他の社員がどんな仕事をしているのかも
知ることが出来ない。

つまり、自分の仕事が効率が良い方なのか、
悪い方なのかも分からない。

もしかしたら、本人が今日はかなり頑張った
と思っていても、実は平均よりも効率は
悪いのかもしれません。

比較が出来ない状況です。

さて、青年は、この状況でも、
” 居場所が無い ” と言うでしょうか?

お互いの仕事の出来高を知ることが出来ない
とすれば、この問題は消え去ってしまう。

つまり、問題は ” 人の視線 ” であって、
スペースが原因では無いのです。

例えば、あなたがパーティー会場で
独りぼっちだったとしても、会場が暗転し、
ステージの上でスライドが上映され
始めたら、途端に ” 居場所問題 ” は解決
してしまう。

会場が暗ければ、あなたが一人ぼっちで
いる姿を誰にも見られることがない。

つまり、自分が恥ずかしい状況の時、
” 他人にどう見られているか? ”
ということを考えてしまうことで
” 疎外感 ” は生まれる。

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ずっと変わらないもの

空気を読み過ぎる人は、常にアンテナを
張って、周囲の状況や人の反応を敏感に
察知しようとします。

それゆえに、自身がどうあるかよりも、
周りから自分がどう思われているかを
意識してしまう。

つまり ” 自分の居場所 ” を必要とする人。

それは、人に認められようと頑張る
原動力にはなりますが、その反面、
上手くいかない時、居場所を失って途方に
暮れてしまう。

今回の青年のように。

とあるアニメ映画を思い出します。

宮崎駿監督の ” 千と千歳の神隠し ” という
映画の中で、カオナシというキャラクターが
登場します。

カオナシは、自身の存在を人々に示すために
様々な手段を使う。

まさに、自分の ” 居場所 ” を求めて。

やがて、それは肥大化し暴走し始める。
そして、多くの人々が集まる湯屋は騒動に
巻き込まれていく。

水上電車の駅に向かう千を追うカオナシに
振り返って、千が言うのです。

” あの子は、
あそこに居ちゃいけないんだよ ”

筆者には、このセリフが居場所を失った
人たちへのメッセージのように思えるのです。

” 居場所 ” とは、人の集まりの中に
浮かび上がった蜃気楼のようなもの。

それは、人々が協力しあって意図的に
作り出したり、消し去ったりするもの
ではないのです。

そして、あなたに見えている ” 居場所 ” が、
他の人からも同じように見えているとは
限らない。

他の人は、自分の要望に合わせた
” 自分のための居場所 ” を勝手に作り上げて、
それを見ている。

そして、それは、あなたには見えない。

” 居場所 ” とは、一体、何でしょう?

人目を全く気にせずに生きることは難しい。
それは、筆者にも無理です。

ただ、下を向いたまま日々を送ってまで、
それが本当に必要なものなのでしょうか?

” 居場所 ” というものに
そこまでの価値があるのでしょうか?

どこにいようと、あなたは、あなたです。

これまでも、
そして、これからもずっと変わらない。

もし、それを変えることが出来るとしたら、
それは、周りの人じゃない。

唯一、あなただけです。

 

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