見知らぬ場所にいる夢 |前から知っている感覚

夢の舞台が見知らぬ場所というのは、それほど珍しいことではありません。

ただ、不思議なことに、見知らぬ場所であるはずが前から知っているという奇妙な感覚。

例えば、住んだこともない家を自宅だと思い込んでいたり、なぜか、行ったことも無い外国に住んでいて、自分は現地人だと思いこんでいるというケースもあります。

そして、夢から覚めて、ようやく、その場所に心当たりが無いことに気づく。

一説では、前世の記憶という話もありますが、前世にしては夢の中に再現される場所が現代的な街だったり、時代設定に統一感が無かったり。

では、これら見覚えのない場所は、なぜ、夢の中に現われるのでしょうか? また、その場所は、一体、どこからやってきたのでしょう?

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行ったことのない場所

次は、とある女性が見た夢の一例です。

荒れている海原。
 
高い波が繰り返し岩場に打ちつけられている。
 
自分の立っている岩場が、衝撃にいつまで耐えられるのか心配している。

特にストーリーの無い短い夢です。

夢を見た彼女の話では、そこは行ったこともない海岸の岩場だった。しかし、夢の中では彼女の中で ” 前にも来たことがあるような感覚 ” があったと言います。

こういった架空の場所は、無論、前世の記憶ではなく、潜在意識が作り出した ” 創作風景 ” です。

創作ですから、記憶から使えそうな材料をチョイスして組み合わせたという意味では ” 過去の記憶 ” と言えるかもしれません。

小説や映画など、何かを創作するときは、すでにある知識が元になるわけですから、創作物の全てが過去に由来するのは必然です。

それが、どこから調達されたにせよ、潜在意識はこの夢にとって必要な風景を単に創作しただけです。

では、この夢の意味は何でしょう?

筆者は夢の内容から最初に感じた疑問は、次のようなものでした。

” 波にさらわれてしまいそうな危険な状況の中で彼女は、なぜ、退避しなかったのか? ”

逃げることも出来たはずが、夢の中の彼女は、岩場の上で打ち付ける波を見つめ続けている。

筆者には、この夢が何らかの状況に耐えなければいけない彼女の立場を描いているようにも見えたのです。

筆者は尋ねます。

「今、何か差し迫った問題に心当たりは?」

彼女の抱えるもの

彼女は現在、学生で、進路のことで、今、両親と揉めている最中だと言います。

将来、音楽の道に進みたいと考えており、両親は我が子にもっと安定した職業に就いてもらいたいと望んでいました。

彼女の父は、次のように言った。

” 音楽の道に進むにしても、社会で働くことを経験してからでも遅くない ”

両者との話し合いは平行線でしたが、内心、父の言い分も理解できると言います。夢に対する気持ちがぐらついていることを彼女自身、自覚しているようでした。

彼女の抱えている問題を知ることで、この夢の意味が見えてきます。

彼女は波が激しく打ち付ける岩場の上に立っている。

この場合の ” 波 ” とは ” 反対する両親 ” と解釈することもできますが、多分、もう少し大きな意味を含んでいるように思います。

目の前の荒れた海は ” 世間 ” を表し、押し寄せる波は ” 社会人として働く一般的な生き方 ”

繰り返し押し寄せる波に打ち砕かれそうな岩場は、彼女の ” 夢に対する思い ”

彼女は世間の一般的な人生観に飲み込まれそうになりながらも必死に耐えている。そして、退避することも出来ない。退避は彼女にとって ” 敗北 ” になるからです。

つまり、この架空の岩場は、彼女の心の状態を描いた抽象的風景であり、彼女が現実で悩み続けている ” 覚えのある葛藤 ” そのものです。

彼女は言います。

「進路の件で両親と衝突するのは、これで二度目です」

「前にもあったんですか?」

「ええ、前は父と大喧嘩しまして・・音楽なんて許さん!と頭ごなしに言われ、私も言い返して・・」

「それは大変でしたね」

「でも、今回は父が少しだけ折れたんです。社会人の苦労も知らない人間の歌なんて誰が聞くんだ、と」

「音楽を反対されなかった」

「ええ、私も少し意地を張り過ぎたのかも・・」

まさしく彼女は、以前にも来ていたのです。波が打ち寄せる岩場に。

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寂れた村

では、もう一つ夢を紹介しましょう。次は、とある男性が見た夢の一例。

限界集落のような場所。
 
バス停の時刻表を確認するが全て空欄になっている。

寂しげな村のような場所にいて、バスに乗ろうとしているという夢です。しかし、バスの来る予定は、この先ずっと無い。

彼はつい最近、上京したばかりで、限界集落とは全く正反対の都会で生活を送っていました。ただ、夢の中では、架空の寂れた村が舞台となっている。

これは、一体、何を意味しているのでしょう?

彼は地方から上京し、知り合いもいない中、どこに行っても都会の文化に馴染めず、疎外感を感じていた。

言わば、彼の置かれた状況は ” 寂しげで孤立した村 ” のようだった。

この疎外感は彼の心の中の問題です。夢の中では、それが ” 限界集落 ” として表現されている。

つまり、この夢は彼自身が抱えている問題を名も無き村が抱えている問題に置き換えているのです。そうすることで、単に村から出れば問題を解決できる。

しかし、バス停の時刻表は全てが空欄。

この夢を作った彼自身が知っているのです。バスはこの先、永久に来ることはない。自分の心の中から逃げ出すことは出来ないということを。

彼は限界集落について次のように説明しました。

” 前にそこに住んでいたという感覚があった ”

無論、現実では限界集落に住んだことは一度も無いわけですが、彼はなぜか、そこを ” 故郷 ” だと思い込んでいた。

それは、まさしく ” 故郷 ” なのです。

そこは彼の心そのものですから、それを映し出した風景は、ある意味、彼にとって ” 住み慣れた場所 ” でもある。

夢の中の見知らぬ場所に不思議な愛着を感じるのは、それが ” 心の幻想風景 ” だから。

映像としては見知らぬ場所ですが、その原点は自身の心の情景であり、以前から、よく知っているという感覚は誤りでは無いのです。

見覚えが無い景色

さて、ここで次のような疑問を持つかもしれません。

” 夢が心の情景なら、全ての夢は見覚えのある場所になるのでは? ”

確かに、必ずしも全ての夢が ” 見覚えのある場所 ” になるとは限りません。全く来たこともない場所が舞台となる場合もあります。

例えば、会社で人事異動があり、全く未経験の仕事をすることになった人が、見知らぬ街で道に迷う夢を見る。

仕事は簡単に変えられませんが、街ならば出れば解決する。つまり、潜在意識は解決できるシチュエーションに問題を置き換えているわけです。

この場合、夢の中で感じた ” 見知らぬ街 ” という認識は、その人の ” 戸惑い ” を映像化した結果と言えます。

そして、その ” 戸惑い ” は、実生活で経験済みですから、それを再現する夢の中では、次のような認識になるはず・・・

” この戸惑いは、どこかで体験したことがあるぞ。この街に見覚えがある! ”

しかし、実際の認識は次のようなものです。

” 私が戸惑っているのは、見知らぬ街に来たからだ! ”

例えば、あなたがここ最近ずっと ” 憂鬱 ” を感じているとして、” あ、この憂鬱、覚えがある! ” とはならなですよね。だって、それは今も感じていることですから。

しかし、昨日まで元気だったのに、今日になって憂鬱になったとしたら、” ああ、まただ。気圧が低くなるといつもこうなんだよね ” と思うことはあります。

つまり、” 覚えがある ” という認識を持つには、一旦、忘れる必要がある。いつかの過去の記憶を手繰り寄せた時に ” 覚えがある ” ” 懐かしい ” という感覚を持つ。

しかし、現時点で感じている感覚に対しては、それはありません。なぜなら、現時点で置かれた状況に対するリアクションとして処理されるから。

潜在意識は、その ” 状況 ” を置き換えているだけです。

では、限界集落の夢を振り返ってみましょう。

彼は、夢の中の寂れた村を ” 故郷 ” だと認識していた。それは ” 故郷 ” ですから、一方では ” そうではない場所もある ” という認識です。

つまり、夢の内容は、彼が ” そうではない場所 ” に行き、そこから戻ってきたという設定です。

そして、バスに乗って村を出ようとしているが、出ることが出来ない。仮に、奇跡的にバスが来て、村を出ることが出来ても、また、戻ってしまうでしょう。彼が抱えている問題を解消しない限りは。

要するに、夢の中で彼は ” 出戻り ” をしたのです。

実生活では上京していますが、心がその変化についてゆけず、閉ざされた世界を ” 故郷 ” として、都会の喧騒から遠ざかろうとしている。

彼にとって夢の中の ” 寂れた村 ” は、二つの役割を持っています。

一つは、疎外感の原因。彼の心の中の問題を ” 寂れた村 ” のせいにして、他人事として片づけるため。本来の原因の代替えです。

もう一つは、避難所。居心地は悪くても、孤独な実生活よりは幾分かマシ。彼に友達がいないのではなく、村に人がいないだけです。

内在的問題を外在的問題に置き換えることで、二つの役割を同時に果たしている。

多分、忙しく仕事をしている時、彼は抱えている問題を忘れています。しかし、一人暮らしのアパートに戻り、一日を振り返った時、ふと感じてしまったのでしょう。

自分は何のために上京したのか、希望に満ちていたあの頃とは違う自分の姿を。それが、夢の中の ” 見覚えのある景色 ” として描かれた。

心の情景ではない場合

さて、今回は、二つの夢を例に挙げて、見覚えのある場所について解説しました。そこには、心の情景が映像化されていた。

しかし、必ずしも ” 見覚えのある場所 ” が、心の情景とは言えない場合もあります。

筆者は、昔、砂浜の夢を見ました。

随分前のことなのでストーリーについては忘れてしまいましたが、夢の中でその砂浜を見て ” 懐かしい ” という感覚がありました。しかし、目覚めてみると、記憶にはありません。架空の場所でした。

先日、田舎へお墓参りをしにいった時に道を間違えてしまったのです。海沿いに立ち並ぶ民家を横目に細い道を走っていました。やがて、開けた場所に出た。

夢に登場した砂浜が広がっていました。

” あの場所だ・・・ ”

助手席に座っていた母が、子供の頃に私を連れて何度か来たことがあると言いました。

架空の場所ではなかったのです。幼少期の記憶に刻まれたその風景が、夢の中で再現されていた。

今となっては、その夢が何を伝えようとしていたかは定かではありませんが。

もし、あなたの夢に ” 見覚えのある場所 ” が登場したなら、まずは、実生活で自分が置かれている状況について振り返ってみましょう。

そして、心の中で何が起こっているのかを省察するのです。それによって、解釈の糸口を見つける。

夢の中で見覚えがあったが、目覚めると全く心当たりが無いという現象は、大抵、潜在意識の演出によって外観が変わり過ぎ、実生活との関連性が見えてこないことで起こります。

それは、潜在意識がより緻密な隠蔽を行った結果です。

なぜ、夢は直接的な描写をしないのか?

潜在意識は、都合の悪い状況を何の脚色も加えず、そのまま描くという無意味な仕事をしません。都合が悪ければ、都合か良い形に書き換える。

描く対象から距離を置きたければ、あたかも、自身とは関係の無い事として描き、気休めが欲しければ、代替えとなるシチュエーションを用意して、そこで疑似的な解決をする。

夢は目的を持って作られる。
無意味な記憶の副産物ではないのです。

 

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